嘘つきたちの聖戦と、ダダ漏れる私の本音
第一章 微笑みの仮面、あるいは時限爆弾
眼球が乾く。瞬きは許されない。
頭上から降り注ぐ無数のスポットライトが、ファンデーションで塗り固めた肌を焦がしていく。コルセットのボーンが肋骨に食い込み、肺が酸素を乞うて軋む音が体内で響くが、私の口角は黄金比率の三十五度で石膏のように固定されていた。頬の筋肉が痙攣しそうになるのを、鋼の意思でねじ伏せる。
ここは東京グランド・ドーム。年に一度の祭典、『最高の自分選手権』の最終予選。
直前まで隣で笑っていた女性は、審査員が手元のタブレットを無造作にスワイプした瞬間、背後の巨大モニターに『信用スコア:E』という赤い文字を叩きつけられた。会場がどよめく間もなく、彼女は屈強な警備員二人に両脇を抱えられ、舞台袖の闇へと引きずり込まれていく。「待って、まだ笑えるわ、見て!」という悲鳴が、重い扉の音で断ち切られた。
次は、私の番だ。
目の前には、審査員長の男が踏ん反り返っている。彼の指先ひとつで、私の人生は廃棄処分になる。
「エントリーナンバー404。君が考える『真の美しさ』とは?」
きた。想定問答集、十八ページ目。私は肺に残ったわずかな空気を整え、完璧な回答を脳内のプロンプターに映し出す。
(はい! それは外見だけでなく、内面から滲み出る他者への思いやりと、社会への貢献心です!)
さあ、喉を震わせろ。美しい音色で。
だが、心臓が一度大きく跳ねた瞬間、思考とは裏腹に、口の筋肉が勝手に滑り出した。
「**そのカツラ、右に三センチずれてますよ。無駄な抵抗で見苦しい頭皮を隠すより、ハゲ散らかした現実と向き合う勇気こそが、真の美しさの第一歩なんじゃねえですか?**」
言い切った瞬間、ドーム内の空気が凍結した。数万人の観衆が、呼吸機能さえ停止したかのような完全なる静寂。
審査員長の顔が、熟れたトマトのように赤黒く変色し、プルプルと震えている。
――ああ、なんてこと。
私は戦慄した。これは「感動」だ。あまりに核心を突いた真理に、彼らは言葉を失い、魂を揺さぶられているのだ。審査員長のあの顔も、興奮のあまり血流が良くなっている証拠。私の慈悲深い指摘が、彼のコンプレックスを浄化したに違いない。
私は確信を込めて、聖母のように微笑みを深めた。
第二章 カリスマのSOS
奇跡的なトップ通過だった。舞台裏の薄暗い廊下で、私は震える膝をさすった。
次は決勝。もっと完璧に、もっと清廉潔白な「人間」を演じなければ。
「……助けて」
空調の音に紛れて、何かが聞こえた。
視線を上げると、そこには前大会の覇者、美々多カレンが立っていた。SNSの画面越しで見るよりも遥かに細い。首には優勝者の証『パーフェクト・メダル』が鎖のように巻き付いているが、その瞳は濁った沼のように光を失っていた。
「カレン様! お会いできて光栄です!」
直立不動で頭を下げる私に、カレン様は縋るように手を伸ばしてきた。彼女の指先が、メダルの縁を強く握りしめている。
「このメダル……重いの。本当はもう、限界なの……」
「ええ、わかります! それこそが王者の冠の重みですよね!」
私は感極まって、彼女の手ごとメダルを握りしめた。
その瞬間だ。
キィィィン――。
鼓膜をつんざくような不快な金属音が、脳髄を直接レイプしたような衝撃。視界に砂嵐が走る。
『**あああクソが! 家でドロドロのジャージ着てポテチ貪りてえええ! 自撮り? クソ喰らえ! 加工アプリなしじゃ鏡も見れねえ自分の顔面なんざ、もう愛せねえんだよおおお!**』
え?
今、頭の中に、ドブ川のような汚い叫びが響かなかったか?
目の前のカレン様は、儚げに涙を溜めている。あんな下品な言葉、彼女の辞書にあるはずがない。
そうだ、これは試練だ。「どんな時でもポテチ(俗世の誘惑)に負けるな」という、テレパシーを用いた高度な精神攻撃に違いない。なんてストイックな指導なの!
「わかりましたカレン様! 私、あなたの魂(メッセージ)、確かに受け取りました!」
私が力強く頷くと、カレン様はなぜか絶望的な顔で私を見つめ返した。
第三章 崩壊する楽園
最終審査。テーマは「世界への愛」。
ステージ中央。まぶしすぎる照明が、今度こそ私を焼き殺そうとしている。
限界だった。
朝から水一滴飲んでいない胃袋が、自身の胃壁を消化しようと蠢いている。ハイヒールの中で、小指の皮膚が剥け、生温かい液体が靴下に染み出していく感覚。笑顔を貼り付けた頬の筋肉は、もう断裂寸前だ。
ポケットに入れた、カレン様から預かったメダルが、心臓の鼓動に合わせてドクドクと熱く脈打っている。
さあ、言わなきゃ。世界平和。人類愛。美しい嘘を。
(世界中の人々が手を取り合い……)
喉元まで出かかった美辞麗句が、胃からせり上がってきたどす黒い感情のマグマに押し流された。
ブチッ。
脳内で、理性という名のヒューズが焼き切れる音がした。
「**あーもう、いい加減にしろよお前ら!!**」
私の咆哮は、マイクの性能限界を超え、ハウリングと共にドーム全体を殴りつけた。
「**『最高の自分』だあ? 笑わせんじゃねえよ! インスタでマウント合戦して、リボ払いでブランド品買ってドヤ顔して、それで幸せかよ!? 隣の奴の顔色ばっか伺って、自分の心殺して、息苦しくて死にそうなんだろ!? 俺だってそうだよ!! 今すぐハイヒール脱ぎ捨てて牛丼かきこみてえんだよ!!**」
会場が凍りつく。だが、決壊したダムはもう塞がらない。ポケットのメダルが高熱を発し、歴代の優勝者たちの「封印された本音」までをスピーカーから垂れ流し始めた。
『**風呂入んのめんどくせえええ!**』
『**タピオカなんかカエルの卵みたいでずっと嫌いだったんだよバカ!**』
『**完璧なママ? 知るか! 毎晩トイレで隠れて泣いてんだよこっちは!**』
会場中を、汚くも愛おしい、生々しい悲鳴が駆け巡る。
私は肩で息をしながら、振り返った。そこにいる「完璧な偶像」に向かって。
「**カレン様も言いたいことあんだろ!? ポテチ食いたいって叫びてえんだろ!?**」
カレン様は弾かれたように顔を上げ、私からマイクをひったくった。その目には、狂気と生気がみなぎっている。
「**ええそうよ! 私は『うすしお味』を指まで舐め回して、コーラで流し込みたいのよおおお!**」
第四章 泥だらけの革命
ドームは沈黙しなかった。
誰かの、吹き出すような笑い声が静寂を破った。
「……俺もだ」
「私も、実は疲れてた……!」
「ポテチ食いてえ!」
堰を切ったように、観客席から「本音」の奔流が溢れ出した。完璧なメイクが涙と汗でドロドロに崩れるのも構わず、人々は腹を抱えて笑い、野獣のように叫んでいる。仮面が割れる音。それは、どんな音楽よりも心地よいノイズだった。
私は呆然と立ち尽くす。
やっちゃった。完全に終わった。私の「いい人」計画、木っ端微塵。もう社会的に抹殺される。
「優勝者は……該当者なし!」
審査員長が、ズレたカツラを直そうともせず、上ずった声で叫んだ。「だが! 今夜のMVPは、文句なしにエントリーナンバー404だ!」
地鳴りのような拍手。スタンディングオベーション。
カレン様が、憑き物が落ちたような、子供みたいにくしゃくしゃの笑顔で私に抱きついてきた。
「ありがとう。私、今日が一番、人間やってる気がする」
私はまだ混乱の渦中にいた。
ただ、礼儀正しく振る舞おうとしただけなのに。どうして、みんなこんなに楽しそうなの?
でもまあ、カレン様が笑って、私も靴擦れの痛みを忘れているなら、これはこれで「役目」を果たせた……のか?
私は首を傾げながら、熱狂する観客に向かって、引きつりながらも精一杯の「素の表情」を向けた。
「**お前ら、帰ったら化粧落として、ビールでも飲んでさっさと寝やがれ!**」
それが、嘘で塗り固められた世界にヒビが入った、最初の一夜だった。