へっぽこ守護者と、偉大なる毛玉たちの反逆

へっぽこ守護者と、偉大なる毛玉たちの反逆

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第一章 嗤うドローンと沈黙の森

「お、おきゃ……お客様、あの、ご注文の品……です」

天野慎吾の声は、店内のBGMにかき消されるほど頼りなかった。

指先が震え、ソーサーの上でコーヒーカップがカタカタと踊る。

「おいおい、大丈夫かよ。見てるこっちが不安になるぜ」

客の男がスマホを構えたまま嘲笑した。

レンズの奥にある無遠慮な視線。

慎吾は首をすくめ、逃げるようにバックヤードへ下がろうとした。

その時だ。

バサバサッ!

開いた窓から、ドバトが二羽、我が物顔で飛び込んできた。

迷いなく慎吾の肩と頭に着地する。

「うわ、汚ねえ! 鳥使いかよ」

「動画撮ろ、これバズるって」

客たちのスマホが一斉に慎吾を向く。

フラッシュの光。

冷ややかな笑い声。

店長の深いため息が聞こえた。

「天野君……またか」

慎吾は30歳。独身。友達ゼロ。

特技は、なぜか動物に好かれることだけ。

それは彼にとって、呪いのような才能だった。

店内の大型モニターが、突如として派手なファンファーレを轟かせた。

『お待たせしました! 年に一度の国民的行事、今年の《街の守護者》の発表です!』

画面の中で、司会者が勿体ぶって金色の封筒を開ける。

《街の守護者》。

聞こえはいいが、要は一年間、街のトラブル処理やドブさらいを押し付けられ、その無様な姿を24時間密着配信される「公認の生贄」だ。

慎吾の胸元で、古びたお守りがチリリと熱を持った気がした。

嫌な予感。胃の腑が鉛のように重くなる。

『選ばれたのは……この男! カフェ店員、天野慎吾さん! コミュ障、挙動不審、でも動物には愛される変人! 最高の見世物になりそうですねぇ!』

「ひっ……!」

画面に、たった今盗撮されたばかりの、鳩まみれで引きつった自分の顔が大写しになる。

同時に、モニターの下部にリアルタイムのコメントが滝のように流れ始めた。

《うわキモw》

《陰キャ乙》

《今年の守護者ハズレ枠じゃん》

《放送事故確定w》

店中の視線が突き刺さる。

窓の外には、すでに数台のドローンがハエのように滞空し、無機質なレンズで慎吾を狙っていた。

逃げ場はない。

こうして、地獄の見世物小屋ライフが幕を開けた。

最初の指令は、『中央公園再開発エリアの異変調査』だった。

「……静かすぎる」

慎吾は公園の入り口で足を止めた。

ドローンの駆動音だけが、耳障りに響く。

いつもなら、カラスのダミ声や、茂みを走る野良猫の気配で満ちているはずの場所だ。

なのに、今は死んだように静まり返っている。

風が木の葉を揺らす音さえ、悲鳴のように聞こえた。

「ど、どうなってるんだ……?」

怯えながら奥へ進むと、立ち入り禁止のロープの向こう、古びたベンチの上に「それ」はいた。

一匹のトラ猫。

左耳が欠け、歴戦の傷跡が鼻筋に残る、ふてぶてしい面構え。

そいつは、空を飛ぶドローンを一瞥もしない。

ただ、金色の瞳でじっと慎吾を射抜いていた。

『……遅いぞ』

声? いや、違う。

脳の奥に直接イメージが流れ込んでくるような感覚。

猫はゆっくりと伸びをし、太い尻尾でベンチをバンと叩いた。

『ついてこい。へっぽこ』

慎吾は息を呑んだ。

この猫、ただの野良じゃない。

その瞳には、人間以上の知性と、深い絶望が宿っていた。

第二章 ガラクタの山と小さな共犯者

トラ猫は、慎吾がついてきているか確認もせず、雑木林の奥へと歩を進める。

慎吾は慌ててその後を追った。

頭上ではドローンが執拗に追尾し、その映像は世界中の暇人たちに消費されている。

『……こっちだ』

猫が立ち止まったのは、公園の最深部。

樹齢数百年という巨大なクスノキの根元だった。

そこには、巨大な看板が地面に突き刺さっている。

『未来都市プロジェクト 次世代型複合施設建設予定地』

その看板の裏手に、異様な光景が広がっていた。

ガラクタの山だ。

ペットボトルのキャップ、ガラスの破片、お菓子の銀紙、金属のボルト。

カラスたちが「光るもの」や「巣の材料」として集めたコレクションだろう。

だが、トラ猫はその山の一角を前足で指し示した。

『カラスどもは、光るものなら何でも集める。それが、人間の欲の塊でもな』

慎吾はしゃがみ込み、ゴミ山を凝視した。

銀紙やガラス片に混じって、明らかに異質なものが埋もれている。

「これは……」

慎吾の手が震えた。

泥にまみれた、シュレッダーにかけられたはずの書類の断片。

そして、建設会社のロゴが入った金色のライター。

書類の切れ端には、ホログラムシールが貼られていた。カラスはこれを光る石だと思って拾ってきたのだ。

慎吾は、パズルのピースを拾うように、泥だらけの紙片を一枚ずつ拾い上げた。

『……繋げられるか? ニンゲン』

トラ猫が、じっと見つめている。

慎吾はカフェの狭いバックヤードで、レシートの整理をするのが得意だった。

バラバラの情報を繋ぎ合わせる孤独な作業。

「……『地盤調査……改ざん』……『希少種……生息確認』……『黙殺』……?」

繋ぎ合わされた言葉たちが、恐ろしい事実を浮かび上がらせる。

この工事は、地盤の危険性を無視し、さらに保護すべき生態系を闇に葬って進められようとしていた。

「おいおい、そこで何をしている!」

怒声が響いた。

振り返ると、恰幅のいいスーツ姿の男が立っていた。

建設会社の社長、権藤だ。

その後ろには、屈強な作業員たちと、さらに多くのドローンカメラ。

「不法侵入だぞ! 守護者だからって何でも許されると思うな!」

権藤の声は大きく、自信に満ちていた。

彼はカメラに向かって、芝居がかった身振りで語りかける。

「皆さん、見てください! この男は、我々の神聖な現場を荒らしている。この開発は、街に雇用を生み、若者を呼び戻すための希望なんです! それを、こんな薄汚い動物と結託して邪魔をするとは!」

正論だった。

街は寂れ、シャッター街が増えている。

開発が必要なのは事実だ。

《社長かっけー》

《正論すぎワロタ》

《慎吾まじで邪魔すんなよ》

慎吾のスマホが通知で震え続ける。

画面越しの悪意が、物理的な重圧となってのしかかる。

「さあ、退きたまえ。そこは明日、ブルドーザーが入る場所だ」

権藤が近づいてくる。

慎吾は後ずさりした。

足がすくむ。喉が干からびる。

逃げたい。今すぐ家に帰って、布団を被って震えていたい。

だがその時。

足元で、トラ猫が低く唸った。

『……逃げるのか?』

慎吾はハッとした。

猫は逃げていない。

木の上を見上げれば、無数のカラスたちが音もなく枝に止まり、何千もの瞳でこちらを見下ろしている。

草むらからは、タヌキや野良犬たちが、低い姿勢で睨みつけている。

彼らは「ボイコット」していたのではない。

戦う準備をしていたのだ。

言葉を持たない彼らの、ギリギリの抵抗。

慎吾は胸元の「毛玉のお守り」を握りしめた。

死んだ愛猫の毛。

唯一、自分を無条件で肯定してくれた存在の温もり。

「……や」

慎吾の口から、掠れた音が漏れた。

第三章 震える声の演説

「あ? なんだって?」

権藤が耳に手を当て、わざとらしく聞き返す。

ドローンが慎吾の青ざめた顔をアップにする。

「や、やめ……てください」

慎吾は泥だらけの紙片を胸に抱きしめたまま、立ち上がった。

膝が笑っている。

視線は泳ぎ、権藤の顔を直視できない。

それでも、彼はその場を動かなかった。

「はっ! 何をやめろと言うんだ? 街の発展をか? 人間の幸福をか?」

権藤が嘲笑う。

「動物なんてのはな、所詮畜生だ。管理されるか、排除されるか。それしかないんだよ!」

その言葉が合図だったかのように、トラ猫が「ギャウン!」と鋭く叫んだ。

瞬間。

頭上から黒い雨が降った。

カラスたちが一斉に急降下し、作業員たちのヘルメットを嘴で小突く。

「うわっ! なんだこいつら!」

さらに、地面のあちこちからモグラたちが顔を出し、作業用通路をボコボコに陥没させていく。

野良猫たちが重機の配線に飛びつき、鋭い爪でコードを噛みちぎる。

阿鼻叫喚。

だが、動物たちは決して人間に噛みついたりはしなかった。

ただ、進路を塞ぎ、道具を奪い、徹底的に「作業」を妨害する。

「害獣だ! 駆除しろ! 一匹残らず殺せ!」

権藤が顔を真っ赤にして叫ぶ。

「やめろぉぉぉッ!」

慎吾の叫び声が、騒乱を切り裂いた。

裏返った、悲鳴のような大声。

現場が一瞬、静まり返る。

慎吾は肩で息をしながら、震える手でドローンの一機を掴み、無理やり自分の方へ向けた。

「み、見世物で……いいです。笑いたければ、笑えばいい……!」

カメラのレンズに映るのは、涙目で、鼻水を垂らし、泥だらけの男。

かっこよさなど微塵もない。

「で、でも……彼らは、ここに住んでるんです。ぼ、僕たちが……勝手に忘れてただけで……」

《何言ってんだこいつ》

《震えすぎだろ》

コメント欄はまだ冷ややかだ。

慎吾は言葉に詰まり、唇を噛んだ。

うまい言葉なんて出てこない。

演説なんてできない。

足元で、トラ猫が慎吾のズボンに頭を擦り付けた。

その温かさが、勇気の灯火になる。

「しゃ、社長の言うことは……正しい、かも、しれません。街には……お金が必要で……ビルも必要で……」

慎吾は、抱きしめていた泥だらけの紙片を掲げた。

風に煽られ、ボロボロとこぼれ落ちそうになるそれを、必死に繋ぎ止める。

「でも! 嘘の上に……作った場所で、だ、誰が……笑えるんですか!?」

慎吾の声が枯れる。

「これは、カラスたちが……集めたんです。あなたたちが捨てた、隠した、不正の証拠を……! 彼らは……知っていたんです。ここが壊されたら、もう二度と戻らないって……!」

ドローンのカメラが、慎吾の手元の書類を鮮明に映し出す。

『地盤崩落の危険性あり』

『重要事項説明書・未記載』

はっきりと印字された文字。

「動物たちは……言葉が話せません。だから……こんな風に、邪魔をするしかなかった。ぼ、僕が……僕なんかが守護者で……ごめんなさい。でも……!」

慎吾は泣きそうな顔で、画面の向こうの何億という「他人」に向かって叫んだ。

「ここにある痛みを……なかったことにしないでください!」

沈黙。

風の音だけが響く。

権藤の顔色が変わる。

「そ、それは……ゴミだ! ただのゴミだ!」

権藤が書類を奪おうと手を伸ばしたその時、トラ猫が権藤の前に立ちはだかり、低く、腹の底に響く声で唸った。

その気迫に、大男である権藤がたじろぎ、尻餅をつく。

その無様な姿と、慎吾の必死な表情。

そして、掲げられた決定的な証拠。

画面を流れるコメントが、変わり始めた。

《え、マジ? 不正?》

《書類ガチじゃん》

《動物すごくね?》

《泣いてるおっさん見てたらなんか泣けてきた》

《がんばれ》

世界の色が変わる音がした。

最終章 名前のない約束

再開発計画は凍結された。

不正の事実は瞬く間に拡散され、権藤の会社には捜査のメスが入った。

世間の熱狂は移ろいやすい。

「へっぽこ守護者」へのバッシングは、いつの間にか「隠れたヒーロー」への称賛に変わっていたが、慎吾自身はそんな騒ぎとは無縁の場所にいた。

いつものカフェ。

バックヤードの裏口を開け、慎吾は夕暮れの公園へ向かう。

「よう、慎吾」

「お疲れ」

すれ違う人々が、普通に挨拶をしてくれる。

嘲笑もなければ、過度な賞賛もない。

ただ、一人の隣人として。

慎吾は「あ、どうも……」と小さく頭を下げる。背筋はまだ丸いが、以前のように怯えてはいなかった。

公園のベンチ。

あのトラ猫が、オレンジ色の西日を浴びて丸くなっていた。

慎吾は隣に座り、コンビニで買った猫缶をプシュッと開ける。

「……食べる?」

猫は片目だけ開けて慎吾を見やり、億劫そうに起き上がると、当然のような顔で慎吾の膝の上に飛び乗った。

ずしりとした重み。

体温が太ももを通して伝わってくる。

猫は缶詰には見向きもせず、慎吾の太ももを前足で交互に踏み始めた。

グーパー、グーパー。

フミフミ、フミフミ。

慎吾の喉の奥がツンと痛む。

このリズム。この重さ。

昔、冷たい夜にずっと寄り添ってくれた、あいつと同じだ。

「……名前、つけようか?」

慎吾が呟くと、猫は動きを止めた。

金色の瞳が、慎吾の顔をじっと見上げる。

言葉はいらなかった。

『いらねえよ。わかってるだろ?』

そんな声が聞こえた気がして、慎吾は苦笑した。

そうだ。名前なんて、人間が勝手につける記号に過ぎない。

ただ、ここにいて、体温を分け合っている。

それだけで十分だった。

「……うん、そうだね」

慎吾は、ごわごわとした猫の頭を、不器用な手つきで撫でた。

猫は目を細め、ゴロゴロと喉を鳴らす。

その音は、エンジンの音よりも、どんな音楽よりも、慎吾の心を震わせた。

頭上をドローンが飛ぶこともない。

ただ、風が木の葉を揺らす音と、遠くで遊ぶ子供たちの声だけが響いている。

慎吾は深く息を吸い込み、夕焼けに染まる街を見上げた。

そこには、彼と、偉大な毛玉たちが生きる世界が広がっていた。

AIによる物語の考察

**登場人物の心理**:
へっぽこ守護者・天野慎吾は、動物に好かれる才能を「呪い」と捉える孤独な男。しかし、自身も「見世物」にされる屈辱と、住処を奪われる動物たちの声なき痛みが共鳴し、弱き者の代弁者へと覚悟を決める。トラ猫は、深い絶望と人間以上の知性を宿し、慎吾の秘めたる才能を見抜いた動物たちの賢き象徴だ。

**伏線の解説**:
当初、慎吾を嗤う道具だったドローンは、彼の震える演説と不正の証拠を全世界に届け、世論を変える「変革の媒体」となる。カラスが集めた「ガラクタの山」は、人間の欲望が生んだ「不正の証拠」を動物たちが収集していたという驚くべき伏線。動物たちの「静けさ」は、諦めではなく、人間に抗うための「戦いの準備」だったのだ。

**テーマ**:
本作は、人間中心主義の開発がもたらす倫理的破綻と、声なき生命の尊厳を問う。コミュ障の「へっぽこ守護者」が、動物たちとの共犯関係を通し、メディアの消費主義や世間の冷笑に抗い、真実を訴えかける。弱さの中にこそ真の勇気があり、異なる生命との共存が未来を拓くという、希望に満ちたメッセージを提示する。
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