アボカド・アポカリプス

アボカド・アポカリプス

10 3327 文字 読了目安: 約7分
文字サイズ:
表示モード:

第一章 予言とキュウリ

「あっ」

天野凡夫の視界が白く弾けた。

脳髄に直接流し込まれる、三分後の未来映像。

斜め向かいの佐藤さんが盛大にクシャミをする。

その衝撃でボールペンが射出され、給湯室から戻った部長の『聖域』――精巧なカツラに突き刺さる。

悲鳴。激怒。解雇。

(まずい)

凡夫の背中を、嫌な汗がツーと伝う。

世界の危機ではない。だが、社内の平和には致命傷だ。

彼は弾かれたように立ち上がった。

「佐藤さん!」

佐藤さんがビクリと肩を震わせる。

その指先から、黒いボールペンが滑り落ちた。

軌道は未来通り。部長の頭皮へと一直線だ。

「させない……!」

凡夫は身を乗り出し、空中のペンを鷲掴みにした。

間に合った。

安堵した瞬間、心臓が早鐘を打つ。

注目を浴びた恥ずかしさと、焦燥感。感情の過負荷が脳を焼き切る。

ボフンッ。

掌の中で、硬質なプラスチックの感触が消えた。

代わりに現れたのは、イボイボとした突起と、生温かい湿り気。

「……え?」

佐藤さんが目を見開く。

静まり返るオフィス。

凡夫が部長の目の前で握りしめていたのは、ペンではない。

瑞々しく、先端からポタリと水を垂らす『キュウリ』だった。

「天野。お前、なんで仕事中に野菜を握りしめている?」

部長の冷ややかな視線。

凡夫はキュウリを背後に隠し、脂汗を拭う。

「す、すみません! 新鮮さが気になって……!」

意味不明な言い訳をして椅子に崩れ落ちる。

また、やってしまった。

過度なストレスがかかると、手元の物体がランダムに入れ替わる。

制御不能の特異体質。

ふと足元を見ると、右足の革靴が消滅していた。

代わりに、緑色の不気味な柄の靴下が、片方だけ転がっている。

「……アボカド?」

拾おうと手を伸ばした時、横から白い手が伸びてきた。

同僚のミキだ。

彼女は無言でアボカド柄の靴下を拾い上げると、不思議そうに首を傾げ、そっと凡夫のデスクに置いた。

その目は、何かを探るように細められていた。

第二章 世界を滅ぼす「どうでもよさ」

異変の予兆は、通勤電車の中で起きた。

つり革に掴まり、スマホを見ていた凡夫の視界が歪む。

車内のデジタルサイネージ。

脱毛サロンの広告動画が、ノイズと共に書き換わった。

『警告:不快指数限界突破』

『ドゥデモ・ジェネレーター、起動準備完了』

画面に映し出されたのは、巨大な機械の設計図。

そして、その機械がもたらす地獄の光景だった。

ビル街に降り注ぐ、生乾きの洗濯物のような雨。

アスファルトを埋め尽くす、踏むと「グチャ」と音を立てる濡れたティッシュ。

世界中の炭酸飲料が、すべて「ぬるい微炭酸」に変わる。

(なんだよ、これ……)

殺されるわけじゃない。

ただ、生きているのが死ぬほど不快になる世界。

吐き気を催すような「地味な絶望」が、五感に訴えかけてくる。

設計図の隅で、赤い警告灯が点滅していた。

『強制停止スロット:有機的繊維物を挿入セヨ』

そのスロットの形状は、奇妙なほどに見覚えがあった。

(これ……昨日の靴下か?)

その時、電車が急ブレーキをかけた。

乗客が将棋倒しになる。

悲鳴の代わりに上がったのは、不快な呻き声だった。

「うわっ、つり革が全部『ふやけたチクワ』になってる!」

「窓ガラスが! 曇って何も見えない!」

車内の空気が一変する。

湿気を含んだ、生ごみ直前の甘ったるい匂い。

凡夫の喉がヒューと鳴る。

世界の書き換えが始まったのだ。

ふと視線を感じて振り返ると、隣の車両のドア越しに、ミキが立っていた。

彼女はパニックに陥る周囲の中で、じっと凡夫を見つめ、口パクで何かを伝えてきた。

『い・か・な・きゃ』

彼女は知っているのか?

凡夫は頷き、チクワと化したつり革を離して駆け出した。

第三章 アボカドの救済

震源地は、会社の地下倉庫だった。

かつて備品置き場だったそこは、今や世界の「不快」を生産する工場の様相を呈していた。

凡夫は階段を駆け下りる。

だが、侵入は容易ではなかった。

「うっ……!」

つんのめる。

階段の段差が、一段ごとに数センチずつ微妙に違う。

リズムが狂い、足首に嫌な負荷がかかる。

これも防衛システムか。地味だが、殺意が湧くほど鬱陶しい。

地下への扉に辿り着く。

ノブを掴もうとして、手が滑った。

表面がローションのようにヌルヌルしている。

ハンカチで拭っても、拭っても、無限にヌメリが湧き出してくる。

「くそっ、開けろよ……!」

凡夫は上着を脱ぎ、ノブに巻き付け、全体重をかけて回した。

ガチャリ。

扉が開く。

部屋の中央、無骨な鉄塊が鎮座していた。

『ドゥデモ・ジェネレーター』。

ブウン、ブウン、と間抜けな駆動音を立てながら、排気口から「納豆のパックを開けた時の匂い」を噴出している。

(設計図にあったスロットは……あそこだ!)

高速回転するギアの隙間。

わずかな空洞。

あそこに異物をねじ込めば、物理的にクラッシュさせられる。

だが、近づけない。

床一面に、無数の「角が尖ったレゴブロック」が散乱しているのだ。

踏めば激痛。歩行困難。

「ここまで来て……!」

凡夫は歯を食いしばる。

あと数メートル。届かない。

機械の駆動音が上がり、排気口から「生温かい強風」が吹き荒れる。

前髪が目に入り、コンタクトレンズが乾いて張り付く。

不快だ。

最高に、どうしようもなく不快だ。

(もう嫌だ! 今日のランチの唐揚げ、衣ばっかりだったし!)

些細な怒りが、恐怖を上回った。

凡夫はポケットから、昨日ミキが拾ってくれたアボカド柄の靴下を取り出した。

丸められたそれを、強く握りしめる。

「届けぇぇぇ!」

投擲ではない。

彼は念じた。

この手に残る「布の感触」を、あのギアの隙間へ。

ストレスを燃料に、物理法則をバグらせる。

ドプンッ!

空気が歪む音がした。

凡夫の手から靴下が消滅する。

直後。

ガガガガガッ!

ギュルルル……ブチチチッ!

機械が悲鳴を上げた。

高速回転するギアに、伸縮性のあるアボカド柄の繊維が絡みつく。

鉄と布が摩擦し、焦げ臭い煙が上がった。

納豆の匂いが消え、ファブリーズのような清涼な香りに変わっていく。

『システム、深刻な詰まりを検知。アボカド係数、測定不能……』

プスン。

情けない音と共に、機械のランプが消灯した。

レゴブロックが幻のように消え去る。

凡夫はその場にへたり込んだ。

世界は救われた。

誰にも知られず、最高にどうでもいい方法で。

終章 日常という名の奇跡

翌朝。

世界は何事もなかったかのように澄ましていた。

自販機のコーラはキンキンに冷えているし、部長のカツラも定位置に収まっている。

凡夫はデスクで、新品のボールペンを眺めていた。

もう、変な予知映像は流れてこない。

「おはよう、天野くん」

声をかけられ、顔を上げる。

ミキが立っていた。

彼女の手には、コンビニの袋が提げられている。

「これ、あげる」

差し出されたのは、アボカドサラダのサンドイッチ。

そして、小さなメモ用紙が一枚。

『昨日はお疲れ様。右足、寒そうだったね』

凡夫は息を呑んだ。

彼女は、すべて見ていたのだ。

電車での口パクも、最初の靴下も。

「……気づいてたんですか」

「ふふ、天野くんって、見てて飽きないから」

ミキは悪戯っぽく笑うと、自分の席へと歩いていった。

その足元。

スカートの裾から、チラリと緑色の柄が見えた。

アボカド柄の靴下だ。

昨日、凡夫がなくしたはずの「もう片方」を、彼女は履いていた。

心臓が、予知とは違うリズムで跳ねる。

ドクン、という音と共に、凡夫の手元のボールペンが音もなく姿を変えた。

黄色く、愛らしい、一輪のタンポポ。

「……あーあ」

凡夫は苦笑して、その花を胸ポケットに挿した。

窓の外には、今日も平和で、どうでもいいくらいに青い空が広がっていた。

AIによる物語の考察

深掘り解説文

天野凡夫は「どうでもいい」日常を守ろうと奔走するが、その特異体質は自身の不安や羞恥心を映し出す。一方、ミキは凡夫の秘密に気づき、静かに共感し支えることで、彼の孤独な戦いに光を当てる存在だ。

冒頭のキュウリで凡夫の能力を提示し、最終的にジェネレーターを止めるアボカド柄の靴下が伏線として機能する。ミキがその片方を履いていたのは、彼女が凡夫の異変を理解し、見守っていた何よりの証拠であり、二人の心の繋がりを示す。

この物語は「世界を滅ぼす地味な不快」という現代的なテーマをユーモラスに描く。日常の些細な「どうでもよさ」がもたらすストレスと、それを乗り越えた先に広がる「当たり前の日常」の尊さ、そして人と人との共感がもたらす小さな奇跡を問う作品である。
この物語の「続き」を生成する

あなたのアイデアをAIに与えて、この物語の続きや、もしもの展開を創作してみましょう。

0 / 200
本日、あと...

TOPへ戻る