「勇者ユウキよ、世界を救うのです!」
王様のありがたいお言葉を、俺は宿屋のベッドの上で反芻していた。伝説の剣をうっかり引き抜いてしまったばっかりに、俺の穏やかなニート生活は終わりを告げた。隣では、幼馴染の魔法使いリナが旅のしおりを熱心に読み込んでいる。
「ユウキ、明日はまず『嘆きの沼』を越えて、ゴブリンの集落を壊滅させるわよ。気合入れていきましょう!」
「えー、明日にしない? 沼とか絶対ジメジメしてるじゃん。俺、湿気で髪うねるの嫌なんだよね」
「世界がかかってるのよ!?」
そんなやり取りを三日三晩続けた結果、俺たちは出発の村から一歩も動いていなかった。
一方、その頃。遥か北の大陸にそびえ立つ魔王城では、緊急会議が開かれていた。
「どうなっている、ゴードン!勇者一行の進捗は!」
玉座に座る魔王ゼデキアが、重低音ボイスで問う。尋ねられた屈強な四天王ゴードンは、冷や汗をだらだら流しながら答えた。
「はっ、それが……。いまだ『始まりの村』の宿屋に滞在している模様であります」
「……は?」
魔王の額に青筋が浮かぶ。「勇者、来襲に備えよ!」と檄を飛ばし、城の防衛システムを最大レベルに引き上げてから早一週間。モンスターたちもシフトを組んで待機しているというのに、肝心の勇者が来ない。人件費も光熱費も、馬鹿にならないのだ。
「このままでは、我が軍の財政が先にクライシスを迎えてしまう……!」
ゼデキアは深々とため息をつくと、決意を固めた。
「……仕方ない。こちらから出向こう」
「ま、魔王様自ら!?お止めください、危険です!」
「いや、戦うのではない。営業だ」
翌日、俺たちが宿屋でダラダラしていると、鎧姿の巨人が訪ねてきた。ゴードンと名乗るその男は、深々と頭を下げ、一通の封筒を差し出した。
「勇者様ご一行ですね。我が主、魔王ゼデキアからの親書でございます」
リナが警戒しながら封を切ると、中には驚くべき内容が記されていた。
『拝啓 勇者ユウキ様
この度は、世界を救う旅路、お疲れ様でございます。
さて、道中のモンスター共ですが、あれらは全て弊社の業務命令により配置しております。もし、戦闘がご面倒でしたら、同封の『勇者御一行様 通行中』フラッグをご活用ください。モンスター一同、速やかに道を開けさせていただきます。
また、当魔王城までの推奨ルート及び、道中のおすすめグルメマップを添付いたしました。特に『悪霊の森』手前のパン屋のメロンパンは絶品です。
追伸:魔王城の開門時間は午前9時〜午後5時となっております。時間厳守でお願いいたします。
魔王軍CEO 魔王ゼデキア』
俺とリナは顔を見合わせた。フラッグを半信半疑で掲げてみると、道端のゴブリンたちは「お疲れ様でーす」と会釈して道を譲り、森のオークは「勇者様、こちらの近道が便利ですよ!」と親切に教えてくれた。あまりにもスムーズに進むので、俺たちはわずか二日で魔王城の門前にたどり着いてしまった。
時計を見ると、午後5時5分。
「げ、5分遅刻じゃん」
俺が言うと、巨大な城門は固く閉ざされ、「本日の営業は終了しました」という木の札がぶら下がっていた。
「マジかよ……。じゃ、帰るか」
俺が踵を返そうとした瞬間、リナが猛ダッシュで門の脇にあるインターホンを連打した。しばらくして、『はい、どちら様でしょう?』と気の抜けた声が聞こえた。
「勇者です!世界を救いに来ました!」
『あー、勇者様。申し訳ありません、本日の受付は終了でして……。残業はコンプライアンス的にちょっと……』
「そこをなんとか!」
押し問答の末、中からパジャマ姿のイケメンが出てきた。頭には小さな角が生えている。
「どうも、魔王のゼデキアです。すみませんねえ、部下に時間外労働はさせられないもので。よろしければ、また明日の朝9時にお越しいただけますか?」
そのあまりの腰の低さに、俺たちは呆然と頷くしかなかった。
翌朝9時きっかり。俺と魔王ゼデキアは、玉座の間で対峙した。
「さあ、かかってこい勇者!俺の伝説の剣の錆にしてや……」
「いやあ、実はですね」
俺の決め台詞を遮り、魔王は深々とため息をついた。
「魔王って役職、親父から引き継いだだけなんですよ。世界征服なんて、コストに見合わないし、正直言って面倒くさいんです」
「……わかる」
俺は思わず頷いていた。
「俺も、この剣が抜けちゃっただけで……。平和とか、誰か他の人がやってくれればいいのにって」
「ですよね!?」
俺と魔王は、固い握手を交わした。その光景を、リナとゴードンがポカンと見ている。
こうして、俺たちの交渉は成立した。
年に一度、魔王城で盛大なバトルイベントを開催し、その様子を全世界にライブ配信。その広告収入とグッズ販売の収益で、魔王軍と王国、双方の財政を潤し、世界を平和に維持する。
俺は「カリスマ勇者(時々出勤)」として、魔王は「名プロデューサー兼ラスボス」として、新たなキャリアを歩み始めた。
世界は、かつてないほどワクワクする形で、平和になったのだった。
魔王城(アットホームな職場です)
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