「故人の遺影をご覧ください。あの素晴らしい笑顔。おそらく、遺産が予想より少なくて親族が揉めることを予見しての嘲笑でしょう」
会場がドッと沸いた。
爆笑の渦。
最前列の未亡人がハンカチで口元を押さえて震えている。
泣いているのではない。
笑い転げているのだ。
「おいおい、そんなに笑うなよバアさん。入れ歯が飛び出して、旦那の後を追うことになるぞ」
さらに大きな笑いが起きる。
僕はマイクを握りしめ、スポットライトの熱に焼かれながら、額の汗を拭った。
ここは葬儀場ではない。
いや、正確には葬儀場だが、空気はライブハウスのそれだ。
西暦2045年。
深刻な少子高齢化と鬱病の蔓延に対抗するため、政府は『悲嘆禁止法』を制定した。
葬儀での涙は禁止。
代わりに義務付けられたのが『お笑い葬』だ。
そして僕は、死者を罵倒し、遺族を笑わせることで成仏させるプロフェッショナル。
『葬儀漫談家(フューネラル・コミック)』のケンジだ。
第一章 笑いは喪服を着ていない
ステージを降りた瞬間、僕はトイレに駆け込み、胃の中身をすべて吐き出した。
「オエェッ……」
便器を抱えて嗚咽する。
これが僕のルーティンだ。
ステージ上では『毒舌の貴公子』なんて呼ばれているが、本性はこれだ。
対人恐怖症。
極度のあがり症。
生身の人間と目を合わせることすら怖い。
死んでいる人間相手なら強気になれるという、最低の性格破綻者。
それが僕だ。
「相変わらず情けない姿ね、ケンジ」
個室のドアを叩く音。
マネージャーのサトミだ。
「うるさい……。今日の故人、生前に借金があったなんて聞いてないぞ。ネタにするの冷や汗かいた」
「でもウケてたじゃない。追加ボーナス出たわよ」
サトミはドア越しに一枚の封筒を滑り込ませてきた。
「で、次の仕事だけど」
「無理だ。少なくとも三日は休ませてくれ。胃に穴が開く」
「無理よ。相手が相手だもの」
サトミの声がワントーン低くなった。
「『微笑みのサブロー』が死んだわ」
僕は吐き気を忘れて、顔を上げた。
サブロー。
昭和、平成、令和、そしてこの新時代を駆け抜けた、伝説のコメディアン。
テレビをつければ必ず彼がいた。
どんな悲しいニュースも、彼のひとことで笑いに変わった。
「遺言で指名されたのよ。『俺の葬式は、一番性格の悪い若手に任せる』ってね」
一番性格が悪い。
業界での僕の評価はそれか。
光栄すぎて涙が出る。
「断れないわよ。これは国家行事レベルの葬儀になるから」
第二章 滑り芸の帝王と、泣かない娘
サブローの豪邸は、まるで遊園地だった。
庭にはメリーゴーランドがあり、玄関のチャイムは『オナラの音』が鳴る仕組みになっていた。
「……最低だ」
僕は呟きながら、通された応接間で待っていた。
現れたのは、喪服に身を包んだ若い女性。
サブローの一人娘、エミだ。
彼女は美しかったが、その表情は能面のように冷え切っていた。
「父の葬儀を引き受けてくださって、ありがとうございます」
声に感情がない。
「ケンジです。……あの、お悔やみ申し上げ、いや、えっと」
職業柄、普通の挨拶を忘れてしまっている。
しどろもどろになる僕を、エミは冷たい目で見下ろした。
「無理に喋らなくて結構です。どうせ、父のことなんて何も知らないんでしょう?」
「リサーチはします。それが仕事ですから」
「リサーチ?」
エミは鼻で笑った。
「父は、家では一度も笑ったことがありませんでした」
「え?」
「テレビの中の『微笑みのサブロー』は、玄関を開けた瞬間に死ぬんです。家では一言も喋らず、書斎に閉じこもって、タバコをふかしているだけ。母が死んだ時も、父は仕事に行って、カメラの前で笑っていました」
エミの手が微かに震えている。
「私は、父が嫌いでした。だから、ケンジさん。徹底的に罵倒してください。父を、笑いものにして、地獄に叩き落としてください。それが私の依頼です」
重い。
空気が重すぎる。
これではコメディにならない。
僕は逃げるように書斎に入らせてもらった。
ネタ探しだ。
何か、笑えるエピソードを見つけないと、葬儀が『お通夜』になってしまう(文字通りの意味で)。
書斎は無機質だった。
壁一面の本棚には、哲学書や心理学の本ばかり。
机の上には、使い古された大学ノートが一冊。
『ネタ帳 Vol.108』
震える手でページをめくる。
そこには、びっしりと書き込みがあった。
『ネタ:満員電車。隣の親父の加齢臭がキツすぎて、意識が飛んで異世界転生した件』
『× ボツ。ありきたり』
『ネタ:政治家のヅラが風で飛んで、それが野良猫の背中に着地。猫が首相に就任』
『× ボツ。安直』
苦悩の跡だ。
天才と呼ばれた男が、これほどまでに悩み、苦しんでネタを作っていたのか。
ページをめくっていくと、後半のページに、あきらかに質の違う書き込みが見つかった。
『エミが初めて自転車に乗れた日。俺は嬉しくて、転び方を教えるのを忘れた』
『エミの授業参観。廊下で変顔をして笑わせようとしたら、先生に不審者扱いされた』
『エミへ。今日、プリンを買ったけど、冷蔵庫に入れるのを忘れて溶けた。これをお父さんの頭のせいにするネタはどうだろう』
どれも、ネタとしては三流だ。
滑り芸にもならない。
ただの、不器用な父親の独り言だ。
最後のページに、震える文字でこう書かれていた。
『俺は、世界中を笑わせようとした。でも、世界で一番笑わせたかった人間を、泣かせてばかりだった』
僕はノートを閉じた。
胃の奥が熱くなった。
吐き気じゃない。
これは、怒りだ。
こんな大事なことを、ネタ帳に隠して死ぬなよ、クソ親父。
第三章 棺桶の前のスタンドアップ
葬儀当日。
会場はドームスタジアム。
参列者五万人。
全国ネットで生中継。
棺桶はステージの中央に置かれ、派手なネオンで『R.I.P. SABURO』と点滅している。
「さあ、登場していただきましょう! 稀代の毒舌家、ケンジ!」
司会者の呼び込みと共に、爆音の出囃子が鳴り響く。
僕は飛び出した。
膝が震えている。
でも、マイクを握った瞬間、スイッチが入る。
「えー、どうも。ケンジです。今日はこんな、湿っぽいパーティに呼んでいただき、ありがとうございます」
軽いジャブから入る。
「しかしサブローさん、死んでまで目立ちたがり屋ですね。ドーム貸切って。あんた、死体になってもギャラが発生するんですか?」
ドッ、と客席が湧く。
モニターに映るエミの顔は硬い。
「だいたいね、みんな『微笑みのサブロー』なんて持ち上げてますけど、実物はただの無口なじじいでしたよ。家では一言も喋らない。娘のエミさんなんか、Siriと会話する方がマシだと思ってたそうです」
エミがハッとして僕を見る。
客席から「おおっ?」というどよめき。
際どい。
だが、踏み込む。
「エミさん、言ってたよね。『父は母が死んだ時も笑ってた』って。最低だよな。人間のクズだ」
会場が静まり返る。
運営スタッフが慌てているのが視界の端に見える。
構うものか。
「でもね、僕は見つけちゃったんですよ。あんたのネタ帳を」
僕は懐から、あの大学ノートを取り出した。
「ここに書いてあるネタ、全部読み上げてやる。覚悟しろよ、地獄のサブロー!」
僕はノートを開いた。
「『エミの反抗期。洗濯物を分けられた。俺のパンツは放射性廃棄物か』……おい、つまんねーぞ!」
パラパラと笑いが起きる。
「『エミが彼氏を連れてきた。挨拶代わりに座布団を引っこ抜いたら、彼氏が尾てい骨を骨折。破談になってガッツポーズ』……おい、犯罪だろそれ!」
笑いが大きくなる。
それは、サブローの「酷さ」への笑いであり、同時に「不器用さ」への温かい失笑だった。
「『エミ、お前が生まれた日。俺は嬉しすぎて、看護師さんに漫才を披露した。全員に無視されたけど、お前だけが泣き止んでくれた』」
読み上げながら、声が震えそうになるのを必死で堪える。
「『俺の人生最大のヒット作は、ネタじゃない。お前だ』」
会場が水を打ったように静かになった。
そして、僕は棺桶に向かって叫んだ。
「なんだよこれ! 全然笑えねえよ! オチがねえんだよ! 三流芸人かよ、あんたは!」
僕はノートを棺桶に叩きつけた。
「笑わせたいなら、もっとマシな嘘をつけよ! こんな……こんな本音、書いてんじゃねえよ……」
その時だった。
会場のスピーカーから、ノイズ混じりの音声が流れた。
『……あー、テステス。マイクテスト』
サブローの声だ。
生前に録音されたものか。
『えー、ケンジ君。そこにいるだろ? 性格の悪いお前のことだ。俺のネタ帳を勝手に盗み見ると予想していた』
僕はマイクを落としそうになった。
『そのノートのネタ、つまんねえだろ? 当たり前だ。それは、エミだけのために書いた、世界で一番つまらなくて、世界で一番愛しいネタだからな』
スクリーンに、サブローの遺影が大写しになる。
いつもの営業用スマイルじゃない。
少し照れくさそうな、はにかんだ笑顔の写真。
『エミ。笑え。俺の人生は喜劇だった。でも、お前を育てたことだけは、真面目なドキュメンタリーだったんだ。……ああ、くそ、キャラじゃねえな』
音声が途切れ、サブローが咳払いをする。
『ケンジ! 湿っぽいぞ! 最後は俺の十八番で締めろ! 滑ったら呪い殺すからな!』
無茶振りだ。
死んでまで、若手をいじめるな。
僕は涙を拭い、マイクを拾い上げた。
「……聞いたか、みんな! このじじい、最後まで自分の演出にこだわりやがって!」
僕は息を吸い込む。
「サブローさん、あんたは天国には行けないね」
観客が息を飲む。
「だって、天国の神様も、あんたの顔を見たら腹を抱えて笑って、門を開けるのを忘れるからだ!」
「だから、しばらくそこで、地上の僕らが笑い疲れるのを待っててくれ!」
最終章 涙のアンコール
万雷の拍手。
歓声。
指笛。
それが、サブローへの最後の手向けだった。
ステージの袖で、エミが立っていた。
能面のようだった表情は崩れ、顔をくしゃくしゃにしている。
「……最低の葬儀でした」
彼女は鼻をすすりながら言った。
「笑えましたか?」
僕が聞くと、彼女は涙を流しながら、大きく吹き出した。
「ええ。父のネタ、本当につまらなかった」
「でしょうね」
「でも、今まで見たどの芸人よりも、面白かったわ」
エミは僕にハンカチを差し出した。
「ケンジさん、顔。メイクが落ちて、パンダみたいですよ」
「……これは汗です」
「嘘つき」
会場からは、まだ「サブロー」コールが鳴り止まない。
『悲嘆禁止法』のサイレンが鳴り響くことはなかった。
なぜなら、誰もが泣きながら、それでも腹を抱えて笑っていたからだ。
僕は空を見上げた。
ドームの天井の隙間から、意地悪そうな雲が見えた気がした。
「お疲れ、レジェンド。……次は地獄で漫才しようぜ」
僕はまた胃が痛くなるのを感じながら、それでも今日一番の笑顔を作った。