第一章: 奈落のレベル1と死神の嘲笑
生温い泥の粘つきと、どす黒く凝固した血の生臭さが鼻腔の奥を容赦なく刺し貫く。
氷の如き冷水を吸い上げた濡れ羽色の黒髪が、引き裂かれた頬と泥濘の狭間にまとわりついていた。
胸元を無残に裂かれ、見るも無惨に汚泥を吸った深紅の絹ドレスを軋ませ、エレシュキガル・フォン・ローゼンバーグはのろのろと上体を起こす。
肺腑に満ちるのは泥水混じりの酸素。喉の奥で鉄の味が弾け、唇の端から鈍い朱が垂れる。
ステータス:レベル1 HP10/MP5 保有スキル:痛覚遮断、概念捕食
白皙の首筋には、数刻前に落とされたはずのギロチンの冷徹な痕跡が、皮一枚の鬱血となって残されていた。
エレシュキガル・フォン・ローゼンバーグ「……傲慢な豚どもに首を刎ねられた果てが、この反吐の出る掃き溜めですの?」
乾いた喉から絞り出された声音は、泥水に塗れようともなお貴種の傲慢さを一切失ってはいない。
立ち込める紫紺の濃霧を音もなく切り裂き、月光に透ける白銀の短髪を揺らして痩身の男が歩み出る。
素肌の上に黒死の布を無造作に羽織ったその男は、冷酷な獣の如き金色の双眸を眇め、泥に沈む彼女の細い首筋を侮蔑を込めて見下ろした。
タナトス「喚くなよ、レベル1のお嬢様。死神の領域で息をしているだけでも奇跡だぜ。無駄骨だ、死ね」
一切の猶予など与えない。漆黒の大鎌が円弧を描き、絶対の終焉を孕んで振り下ろされる。
金属が空気を削ぎ落とし、網膜を焼き切る死の閃光。
エレシュキガルは瞬き一つ動かさない。
肉の爆ぜる鈍い破壊音を響かせ、彼女は躊躇なく右手を伸ばすと、振り下ろされた白刃の切っ先を掌で真正面から握り潰すように受け止めた。
陶器めいた白磁の肌が裂け、滴る鮮血が泥濘の黒を濁った朱へと塗り替えていく。
タナトス「なっ……素手で刃を止めたか? 痛覚がないのか貴様」
骨を削る衝撃すら伝わらぬ無機質な瞳を細め、エレシュキガルは口の端を獰猛に吊り上げた。
エレシュキガル・フォン・ローゼンバーグ「身の程を弁えなさい。神であろうと、わたくしのドレスの裾を踏むことは許しませんわ。あの光の豚どもを肉片に変えるまで、死神風情に屈して差し上げる気はありませんの!」
深紅の瞳が、血の滴る刃の向こうで燃え盛る。
タナトスの金色の瞳に、冷ややかな侮蔑から昏い愉悦の色が滲み出していく。
男の青白く骨ばった指先が、雨と泥に濡れそぼる彼女の華奢な鎖骨をなぞり、拍動を刻む首筋へと滑り落ちた。
肌の接触から、凍えるような神威が伝わる。
皮膚が粟立ち、首筋に押し当てられた氷のような冷気が、脈打つ頚動脈を麻痺させる。
吐息がかかるほどの至近距離で、男の唇が歪んだ。
タナトス「いいぜ、お嬢様。神を殺す契約を結ぶなら、貴様の純血と魂を担保にしてもらう」
耳朶を甘く痺れさせる掠れた低音。
拒絶の代わりに、エレシュキガルは血濡れた指先をタナトスの胸元へと突き刺し、爪を立てた。
二人の視線が絡み合った刹那、地底の深淵を揺るがす巨大な咆哮が響き渡った。
第二章: 毒杯の神話儀式と逆転の味覚

黒曜石の祭壇を揺るがし、三頭の魔獣ケルベロスが跳躍する。
裂けた牙から滴り落ちる溶解性の唾液が、足元の岩盤をジュウと音を立てて溶かし去る。
腐臭を帯びた熱風が肌を灼く中、タナトスは大鎌を担ぎ、腕を組んで黒壁に背を預けた。
タナトス「レベル1がどう足掻くか見せてもらおうか。手は貸さねえぜ」
値踏みするような金の瞳をあざ笑うように、エレシュキガルは泥にまみれた視界を巡らせる。
足元に生える紫の葉……冥府のトリカブト変種。神経毒の致死量は一掴みで十分。
逃げる仕草すら見せない。
エレシュキガルは裂けたドレスの裾を躊躇なく引きちぎり、毒草を力任せに掌で擂り潰して細腕へと塗りたくった。
黒ずんだ汁が傷口から血管へと染み渡り、皮膚が紫色に変色する。
だが、痛覚遮断の恩恵が彼女の眉一つ動かさせない。
左腕を剥き出しのまま、魔獣の口元へと真っ直ぐに突き出す。
噛み砕く鈍い音。骨がきしむ痛烈な破壊音。
エレシュキガル・フォン・ローゼンバーグ「お食べなさい! わたくしの誇りの味は、少々刺激が強すぎますけれど!」
細い腕を餌食として食い込ませたまま、エレシュキガルは隠し持っていた毒塗りの黒針を右手に握り、魔獣の剥き出しの喉笛へと深々と突き立てた。
猛毒を含んだ自らの血液を、傷口から魔獣の粘膜へ一気に流し込む。
三頭の巨体が痙攣し、青黒い体液を飛沫にして撒き散らしながら、断末魔の地響きとともに崩れ落ちた。
条件達成:【概念捕食】発動。魔獣の神性を吸収。レベル1からレベル50へ上昇。
返り血を顔に浴びたエレシュキガルは、息を乱すタナトスの襟元を乱暴に引き寄せた。
互いの吐息が唇の隙間で交錯する。
荒い呼吸が重なる。
エレシュキガル・フォン・ローゼンバーグ「どうかしら、タナトス? わたくしに首輪をつけられるのは、どちらか教えてさしあげますわ」
血で濡れた唇を死神の唇に強く押し当て、魂の盟約を刻み込む。
奪い合うように重なる唇から、鉄と死の味が溶け合う。
背筋を駆け上がる痺れるような快感が、二人の魂を縛る鎖となって締め付けた。
タナトス「……狂ってやがる。気に入ったぜ」
牙を剥くように笑うタナトスの瞳に、かつてない熱が灯る。
その瞬間、冥府の漆黒の天蓋が、激越な黄金の光によって引き裂かれた。
第三章: 太陽の断罪、神殺しの舞踏会

天蓋の亀裂から、灼熱の光の矢が降り注ぐ。
降り注ぐ光線は、冥府の黒土を容赦なく蒸発させ、逃げ場のない死の檻を形作った。
白銀と黄金の神聖鎧を纏った男が、太陽の光背を背負い、冷酷に宙に浮かんでいる。
黄金の巻毛を揺らし、侮蔑に歪んだ青眼が泥濘を見下ろす。
アポロン・ルミナス「光あれ。美しき我が法に従えぬ泥の虫よ、灰となって我が光を讃えなさい。断罪され落ち延びた先のゴミ溜めでも、まだ這い回っていたのですか」
エレシュキガル・フォン・ローゼンバーグ「やはり、あの処刑台の茶番劇を裏で仕組んだのは貴方でしたのね、太陽神」
アポロン・ルミナス「我がシナリオに不要な異物を排除したまでのこと。汚れを消滅させねばなりません」
無数の光輪が天を埋め尽くし、滅びの熱線が収束する。
神の絶対的な宣告とともに、空間そのものが溶け始める。
タナトスが漆黒の外套を広げ、エレシュキガルの腰を抱き寄せて跳躍した。
タナトス「跳べ、エレシュキガル! 俺の死の概念を喰らい、あの太陽を墜とせ!」
空中で重なり合う身体。
エレシュキガルはタナトスの首筋に唇を押し当て、剥き出しの牙を白皙の肉へ突き立てる。
死神の甘美な魔力が、喉を通って全身の血管へとなだれ込む。
背骨を貫く凄まじい衝撃。神経の一本一本が沸騰し、意識が漆黒の夜へと塗り潰される。
♥激しく鳴り響く鼓動。[/Heart]
限界突破:【神話級・悪役令嬢】へ昇華。
影を編んだ漆黒のドレスを翻し、彼女の指先が短剣の形に凝縮された死線を形成する。
エレシュキガル・フォン・ローゼンバーグ「汚らわしい? 結構ですわ! 泥水の中で磨かれた悪意の輝き、その目に焼き付けなさい!」
黒の刃が黄金の鎧を両断し、アポロンの心臓を貫いた。
神血が噴水のように吹き荒れ、太陽の光が急速に濁り始める。
黄金の光背が粉々に砕け、偽りの神が絶叫を上げた。
アポロン・ルミナス「馬鹿な……神である我が……消滅する……? だが、気付いていないのか……この世界そのものが、お前の精神を破壊するための『断罪の檻』だということに……」
第四章: 反転する神話、悪役の玉座
黄金の光も、泥に塗れた冥府の荒野も、硝子のように音を立てて砕け散った。
世界全体に激しい走査線が走り、輪郭が融解していく。
生温い風が消え、鼻を衝いたのは、湿った石造りの地下牢と香炉の煙の匂いだった。
視界に映るのは、鉄の拘束具で椅子に縛り付けられた自らの生身。
額には精神を破壊するための禁呪具が埋め込まれ、青白い光を点滅させている。
エレシュキガル・フォン・ローゼンバーグ「……なるほど。そういうことですの」
現実の肉体へと還流する、精神世界で喰らい尽くした神々の神威。
冷え切っていた手足の末端まで、ドクドクと黒い熱狂が満ちていく。
縛り付けていたはずの極厚の鋼鉄が、飴細工のように音を立ててひしゃげ、砕け散った。
目の前で儀式の杖を取り落とし、大司教が腰を抜かして石畳を無様に這いずり回る。
「な、なぜだ……狂気で廃人になるはずの精神破壊拷問だぞ……! レベル1の奈落から神を殺す幻覚など、耐えられる人間がいるはずが……」
震え上がる老人を見下ろし、エレシュキガルは優雅に指先の塵を払う。
エレシュキガル・フォン・ローゼンバーグ「ただの幻影に、あんな上等な泥水の味が出せるはずがありませんわ。精神の中で神を喰らい尽くしたのなら――この肉体もまた、神話に届いて当然でしょう?」
足元の濃い影が生き物のように蠢き、白銀の短髪を揺らす死神が、実体を持って現実の床に降り立つ。
タナトスは冷ややかに笑い、足元の大司教の頭を長靴の踵で踏み躙った。
骨がきしむ鈍い音に、老人の悲鳴が重なる。
タナトス「現実のお出迎えにしては、ずいぶんと安っぽい豚どもだな」
処刑広場の扉の向こうには、わたくしを貶めた元婚約者と聖女が待っているはずですわね。
地下牢の鉄扉の向こう、地上からは華やかな凱歌が響いている。
エレシュキガルを処刑し、新たな時代を祝うはずの祝祭の宴。
エレシュキガルはボロボロの裾を優雅につまみ、恐怖に震える男たちへ淑女の礼(カーテシー)を執った。
エレシュキガル・フォン・ローゼンバーグ「お粗末な悪夢でしたわね、皆様。神を殺して戻ってまいりましたの。さあ、次は誰からドレスの血の染みに変えてさしあげましょうか?」
冷たい石畳の向こうから、王都の鐘の音が狂ったように乱打され始めた。