天空の羅針盤と失われた庭

天空の羅針盤と失われた庭

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「本当にこの先に“アレ”があると思うのかい、カイ?」
機械仕掛けの小鳥、ギギが真鍮の翼を羽ばたかせながら、呆れたような声で言った。彼の水晶の瞳が、眼下に広がる果てしない雲海を映している。

僕、カイは小型飛行船《シルフィード号》の舵を握りしめ、にやりと笑った。
「あるさ、ギギ。じいちゃんの古地図は嘘をつかない。伝説の浮遊島『アヴァロンの庭』は、この空のどこかにある」

祖父は最高の風乗りだった。彼が遺してくれたのは、この愛船シルフィード号と、羊皮紙に描かれた一枚の地図だけ。そこには、世界の風が生まれるという『風の源』が眠る、誰も見たことのない島の場所が記されていた。

「“竜の顎”が近い。あらゆる船を飲み込む、空の墓場だ。合理的に考えて、引き返すのが賢明というものさ」
ギギの警告通り、前方の空が不気味な紫色に染まり始めていた。巨大な積乱雲が、まるで天の怪物が巨大な顎を開けているかのように渦を巻いている。

だが、僕は地図に記された祖父の走り書きを指差した。「『竜の喉笛を風で奏でよ』。じいちゃんからの挑戦状だ」
僕は覚悟を決め、シルフィード号の帆を巧みに操った。帆の角度をミリ単位で調整し、風の抵抗を変えていく。やがて、船体は震え、口笛のような、それでいてどこか物悲しい音が空に響き渡った。

ゴウッ、と竜の顎が僕らを飲み込む。視界は闇と稲妻に支配され、船は木の葉のように揺さぶられた。
「ダメだ、カイ!分解しちまう!」
ギギが悲鳴を上げる。だが、僕は信じていた。風の音を奏で続けた。

その瞬間、嘘のように船の揺れが収まった。稲妻が裂けた闇の向こうに、穏やかな風が流れる一本の道が見えたのだ。まるで、嵐が僕らのために道を開けてくれたかのように。

僕らはその風のトンネルを駆け抜けた。そして、息を呑んだ。

嵐の先には、楽園があった。

巨大な島が、空に浮かんでいる。縁からは乳白色の滝が雲海へと流れ落ち、七色の虹を架けていた。見たこともない花々が咲き乱れ、緑豊かな森が広がっている。ここが、アヴァロンの庭。

シルフィード号を島の岸辺に停め、僕らは足を踏み入れた。空気は澄み渡り、生命の匂いに満ちている。しかし、人の気配はなかった。代わりに、苔むした機械の巨人たちが、森の中で静かに眠っていた。古代の遺産だ。

僕らは島の中心へと向かった。そこには、クリスタルでできた巨大な神殿がそびえ立っていた。神殿の最奥、光が満ちる広間で、僕らは『風の源』を発見した。

宙に浮かぶ巨大な青い水晶。それはゆっくりと自転しながら、穏やかで力強い風を無限に生み出していた。世界の天候を司る、星の心臓。
壁画には、古代人がこの装置を守り、世界の風を調和させてきた物語が描かれていた。しかし、長い年月の果てに守り手は姿を消し、装置の力が弱まったことで、「竜の顎」のような異常気象が生まれていたのだ。

その時、僕の首に提げた祖父の形見のペンダントが、熱を帯びて光り始めた。見れば、壁画の中央に、ペンダントと全く同じ形のくぼみがある。
導かれるようにペンダントをはめ込むと、神殿全体が眩い光に包まれた。床の紋様が起動し、光の奔流が『風の源』へと注ぎ込まれる。水晶は一層力強く輝きを取り戻し、心地よい風が僕の頬を撫でた。

「カイ……君のおじいさんは、ただの冒険家じゃなかったんだな」
ギギが、感嘆の声を漏らす。

ああ、そうか。じいちゃんは僕に、宝探しをさせたかったんじゃない。この場所を見つけ、失われた役割を継ぐ者として、僕をここに導いたんだ。

アヴァロンの庭は、再び世界の風を調和させるための活動を始めた。僕の役目は終わった。……いや、始まったばかりだ。

シルフィード号に戻った僕らは、穏やかになった空へと再び飛び立った。
「さて、ギギ。地図によれば、海の底には『沈黙のオルガン』ってのがあるらしいぜ」
僕が新しい冒険の計画を口にすると、機械仕掛けの相棒はわざとらしくため息をついた。

「やれやれ。君といると、退屈している暇もなさそうだ」
その声は、どこか楽しそうに聞こえた。僕らの冒険は、まだ始まったばかりなのだ。果てしない空と、まだ見ぬ世界の謎が、僕らを待っていた。

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