鋼鉄の兎(ラビット)は月を見ない

鋼鉄の兎(ラビット)は月を見ない

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「なあ、チェシャ。今夜の『不思議の国』は、随分とご機嫌斜めらしいぜ」

ヘッドセットから聞こえる相棒、ハウル(本名不詳)の軽口に、カイ・ミナヅキは薄く笑って応えた。

「アリスが迷い込まないように、ちょっと掃除するだけさ。兎の仕事だろ?」

彼の指は、目の前のコンソールで踊っていた。暗闇に浮かぶ無数のモニターには、赤外線センサーが捉えた戦場の光景が映し出されている。ここは連合軍・第7特殊機動部隊、通称「ゴースト・ラビット」の移動司令室。そしてカイは、この部隊が誇る最高のドローンパイロット、『チェシャ』だ。

今回の任務は、敵性国家「東方連合」が誇る自律兵器製造工場――コードネーム『マッド・ティーパーティー』の破壊。工場は、『ケルベロス』と呼ばれる三重の電子防壁に守られ、無数のAI制御ドローンが蝿のように飛び交う鉄壁の要塞だ。

「――ケルベロス・システム、再起動まで90秒。チェシャ、突入準備」

司令官の冷静な声が響く。カイの愛機は、武装を持たない代わりに最新鋭の光学迷彩とジャミング機能を搭載した掌サイズの偵察ドローン『マッドハッター』。その任務は、敵の群れをすり抜け、90秒に一度、わずか3秒間だけ発生するケルベロスのシステムの隙間を突き、工場の心臓部『マザー・コア』に爆薬を設置すること。常人なら発狂するような精密作業だ。

「お茶会の時間だ」

カイはコンソールのレバーを握りしめた。モニターの中、『マッドハッター』が弾かれたように発進する。光学迷彩が起動し、その機体は背景の瓦礫に溶け込んだ。

眼下には、敵の主力ドローン『カード兵』の大群。カイは彼らの巡回ルート、センサーの死角、AIの思考パターンの癖を、まるで自分の庭の地図のように読み切っていた。

「右翼から3機接近! ハウル、陽動を!」

「お安い御用!」

司令室の反対側で、ハウルが電子戦ユニットを操作する。戦場の北側で派手な擬似信号がスパークし、『カード兵』たちの注意が一斉にそちらへ向いた。その隙に、カイの『マッドハッター』は影から影へと飛び移るように、防衛網の第一層を突破する。心臓が早鐘を打つ。このスリルこそが、カイをこの『ゲーム』に駆り立てる麻薬だった。

第二層、第三層と、神業的な操縦で潜入を続ける。だが、工場の中心部に近づくにつれ、カイは奇妙な違和感を覚えていた。静かすぎるのだ。まるで、何者かがわざと道を開けているかのように。

「――警告。高エネルギー反応、急速接近!」

オペレーターの悲鳴じみた声と同時に、カイのモニターの一つが深紅に染まった。そこにいたのは、伝説として語られる機体。東方連合最強のエースパイロット、『赤の男爵』が駆る深紅の戦闘ドローン『レッド・バロン』。

「罠か……!」

『レッド・バロン』の機銃が火を噴き、レーザーが『マッドハッター』のすぐ脇の鉄骨を焼き切った。光学迷彩は、とっくに見破られている。

「チェシャ! 逃げろ!」

ハウルの声が遠い。カイの意識は、モニターの中の深紅の悪魔に完全に釘付けになっていた。性能差は絶望的。武装もない。だが、カイの口元には、獰猛な笑みが浮かんでいた。

「面白い……! この鬼ごっこ、乗ってやる!」

カイは『マッドハッター』の機体を反転させ、工場の配管が複雑に絡み合うパイプエリアへ突っ込んだ。迷路のような構造を、信じられない速度で駆け抜ける。背後から追う『レッド・バロン』も、まるでカイの思考を読んでいるかのように正確に追随してくる。

「こいつ、できる……!」

モニター越しに、好敵手の存在を肌で感じる。追いつかれれば一瞬で塵になる。その恐怖が、逆にカイの思考を極限まで研ぎ澄ませた。

(ケルベロスの再起動まで、あと15秒……!)

脳裏に電撃的な閃きが走った。罠なら、その罠を逆用するまで。

「司令部! 全エネルギーを『マッドハッター』の電磁パルスに回せ! 10秒後、コアの直前で起動させる!」

「無茶だ! 機体がもたないぞ!」

「いいからやれ! 俺はチェシャだろ?」

カイは進路をマザー・コアへと向けた。巨大な球体状のコアが、不気味な青い光を放っている。背後には、死神のような『レッド・バロン』。

5、4、3……。

コアまであと数メートル。カイはレバーを限界まで倒し、機体を急反転させた。

2、1……!

ケルベロス・システムが再起動の瞬きを見せる。そのコンマ数秒、工場内の全ドローンの制御に致命的なラグが発生した。そして、カイは溜め込んだ全エネルギーを解放した。

「――喰らえ!」

強力な電磁パルスが『マッドハッター』から放たれ、『レッド・バロン』のセンサーを一瞬だけ眩ませる。制御ラグとパルスの直撃で、『レッド・バロン』は慣性の法則に従って直進するしかなくなった。

カイの『マッドハッター』は、その鼻先をかすめるように回避。そして、制御を失った『レッド・バロン』は――その深紅の機体を、がら空きのマザー・コアへと、自ら叩きつけた。

カイが仕掛けた爆薬は、最初からコアを爆破するためだけのものではなかった。『マッドハッター』から分離し、磁力で『レッド・バロン』の装甲に吸着していたのだ。

次の瞬間、世界が白に染まった。

マザー・コアは、侵入者である『レッド・バロン』を道連れに、壮絶な大爆発を起こした。轟音と衝撃波が、司令室のコンソールを激しく揺らす。

カイは、崩壊する工場の瓦礫の雨を、紙一重ですり抜けながら戦域を離脱した。

「……ミッション、コンプリート」

ヘッドセットの向こうから、仲間たちの歓声が爆発した。だが、カイはただ静かに、モニターに映る巨大な火柱を見つめていた。ゲームクリアの達成感とは違う、ずしりと重い何かが胸に残る。

その時、暗号化された回線に、ノイズ混じりの短い通信が割り込んできた。それは、敵側からとしか思えない、静かで落ち着いた男の声だった。

『……見事だ、ゴースト・ラビットのチェシャ。お茶会は楽しめたかな? 次はない』

通信はそれで途切れた。『赤の男爵』は、生きていた。

カイはコンソールから指を離し、初めて空を見上げた。司令室の装甲の隙間から見える月は、まるで全てを見透かすように、静かに輝いているだけだった。

「……ああ」

カイは誰に言うでもなく呟いた。

「次が、楽しみだよ」

その瞳には、恐怖でも虚しさでもなく、次なる『ゲーム』への純粋な期待が、炎のように揺らめいていた。

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