灰色の世界と、最後の夕焼け

灰色の世界と、最後の夕焼け

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第一章 灰の中の輝き

空から降り注ぐのは雪ではない。

灰だ。

分厚い雲に覆われたこの世界から「色」が失われて、もう百年が経つという。

俺、エリオはゴーグルを押し上げ、足元の瓦礫を蹴った。

舞い上がった灰が、視界を白く濁らせる。

「……今日も収穫なしか」

吐き捨てる言葉も、乾いた空気に吸われて消えた。

俺の仕事は『色彩狩り』。

旧時代の遺物から、わずかに残る「色の記憶」を回収し、富裕層に売る。

だが、最近はどこを掘り返しても灰色ばかりだ。

「帰ろう」

背負った古びたバックパックが、空腹の腹に重くのしかかる。

その時だった。

崩れかけたビルの隙間、瓦礫の山から奇妙な音が聞こえた。

『……聞こえますか……』

ノイズ混じりの電子音声。

風の音か?

いや、違う。

俺は瓦礫を退けた。

錆びついた鉄骨の下に、それはあった。

手のひらサイズの、透明なクリスタル。

泥にまみれているが、内側から微かな光を放っている。

俺は震える手でそれを拾い上げた。

瞬間。

「うわっ……!」

視界が焼けた。

灰色ではない。

鮮烈な、熱い、叫び出しそうなほどの……。

「赤……?」

それは、絵本でしか見たことのない「夕焼け」の色だった。

クリスタルから、少女の声が響く。

『お願い。これを……世界の果ての塔へ届けて』

心臓が早鐘を打つ。

これはただの遺物じゃない。

この世界に残された、最後の「本物の色」だ。

足がすくむ。

世界の果て?

そんな場所へ行くには、死の荒野を越えなけりゃならない。

臆病な俺に、できるわけがない。

捨てよう。

見なかったことにしよう。

そう思って手を離そうとした時、脳裏に古い記憶がよぎった。

『エリオ兄ちゃん、空って本当は青いの?』

病室で死んだ妹の、色のない瞳。

俺はあいつに、一度も綺麗なものを見せてやれなかった。

「……クソッ」

俺はクリスタルを強く握りしめた。

熱い。

まるで生きているみたいに。

「行ってやるよ。行けばいいんだろ」

誰もいない廃墟で、俺は独りごちた。

それが、世界を変える旅の始まりだった。

第二章 錆びた騎士

荒野は静寂に包まれていた。

時折、強風が吹き荒れ、鉄骨が軋む音だけが響く。

俺の隣を、巨大な影が歩いている。

「生態反応、正常。心拍数、上昇中。恐怖を感じていますか、エリオ」

「うるさいな。寒さで震えてるだけだ」

こいつは『ユニット7』。

旅の途中で起動させた、旧時代の警備ロボットだ。

左腕が欠損し、全身が錆びついているが、口だけは達者だ。

「非論理的です。貴方の装備では、この先の『影喰らい』の群れを突破できる確率は0.02%です」

「いいから歩け。その0.02%に賭けるしかないんだ」

ユニット7の単眼カメラが、ジジジと音を立てて俺を見た。

「理解不能。なぜ、そこまでして危険を冒すのですか。そのクリスタルに、市場価値以上の意味があるとは思えません」

「意味なんてないさ」

俺はポケットの中のクリスタルに触れた。

指先から伝わる温かみが、凍えた体を励ましてくれる。

「ただ、約束したんだ。……自分自身と」

その時、風向きが変わった。

生臭い臭気が鼻をつく。

「警告。前方より敵影多数」

ユニット7の声が低くなった。

灰色の霧の向こうから、不定形の黒い影が這い出してくる。

『影喰らい』だ。

かつての生物が汚染され、色だけでなく形すら失った成れの果て。

「エリオ、下がってください」

ユニット7が前に出た。

残った右腕のパイルバンカーが唸りを上げる。

「でも、お前だってエネルギーが……!」

「私の任務は、登録者の護衛です。……それに」

ユニット7が振り返った。

無機質なはずのカメラアイが、微かに揺らいだように見えた。

「貴方の言う『夕焼け』とやらを、私も見てみたいと計算しました」

轟音。

ユニット7が影の群れに突っ込んでいく。

鉄と肉がぶつかり合う鈍い音。

飛び散る火花だけが、この灰色世界で唯一の彩りだった。

「逃げるな、エリオ……!」

俺はバックパックから発炎筒を取り出した。

震える手で着火する。

赤い煙が噴き出し、影たちが怯んだ隙に、俺は叫んだ。

「こっちだ! 化け物ども!」

俺たちは走った。

息が切れ、肺が焼け付く。

それでも、止まることは許されなかった。

第三章 忘却の塔

数日、あるいは数週間の旅路の果て。

俺たちは『世界の果て』に辿り着いた。

そこには、天を衝くほどの巨大な塔がそびえ立っていた。

塔の周りだけ、灰が降っていない。

不気味なほどの静寂。

「到着、しましたね」

ユニット7がガクンと膝をついた。

全身傷だらけで、装甲の隙間からオイルが漏れている。

「おい、大丈夫か!」

「……稼働限界が近づいています。ですが、随伴は可能です」

俺はユニット7の肩を借り、塔の入り口をこじ開けた。

螺旋階段が、どこまでも続いている。

登るにつれて、クリスタルの光が強くなっていく。

ポケットの中で、激しく脈打つ。

最上階。

そこには、巨大なガラスドームがあった。

中央に、一人の少女が眠っている。

いや、少女の形をした『何か』だ。

彼女の体は半透明で、無数のケーブルが床に繋がっている。

俺が近づくと、彼女はゆっくりと目を開けた。

その瞳には、色がなかった。

「……待っていました」

声は、あのクリスタルから聞こえたものと同じだった。

「あなたが、エリオですね」

「ああ。約束の品だ」

俺はクリスタルを差し出した。

赤く輝く光が、部屋全体を照らす。

「ありがとう……。これで、世界は思い出せます」

彼女は微笑んだ。

だが、その笑顔はどこか悲しげだった。

「どういうことだ?」

「私は、大気制御システムのコア。このクリスタルにある『色の波長データ』、つまり『夕焼け』の記憶を読み込めば、灰色の雲を晴らすことができます」

「なら、早くやってくれ! 俺たちはそのために……」

「でも」

彼女は言葉を詰まらせた。

「データが破損しています。完全に展開するには、生体認証キーが必要です。それも、『色を感じる心』を持った人間の」

俺は息を呑んだ。

色を感じる心。

この灰色の世界で、俺だけが持っていた特異な才能。

「……俺を使えばいいのか?」

「はい。ですが……その代償として、あなたは視神経の『色彩処理領域』を焼き切ることになります」

彼女の声が震える。

「あなたは、二度と色を見ることができなくなる。……永遠の灰色の中に閉じ込められるのです」

沈黙が落ちた。

二度と、色が見えない。

あの美しい夕焼けも、いつか見るはずだった青空も。

「……エリオ」

ユニット7が声をかけた。

「断るべきです。それは、貴方にとっての死と同義です」

「そうだな」

俺は笑った。

乾いた、情けない笑い声。

「俺は臆病者だ。暗いのも、痛いのも嫌いだ」

脳裏に、妹の顔が浮かぶ。

『お兄ちゃんが見た世界、私にも教えてね』

俺はクリスタルを、制御卓のスロットに叩き込んだ。

「エリオ!」

「関係ねえよ、そんなこと!」

俺は叫んだ。

「俺が見えなくたって、世界が綺麗ならそれでいい! 妹に……あいつらに見せてやるんだ。本当の空を!」

俺は接続ケーブルを、自分の首筋にあるポートに突き刺した。

第四章 誰がための空

激痛。

脳が沸騰するような熱さ。

視界の中で、赤い光が弾けた。

それは俺の記憶の中の夕焼けだ。

熱くて、切なくて、泣きたくなるような赤。

それが奔流となって、塔から空へと駆け上がっていく。

『システム、再起動。大気浄化プロセスを開始します』

無機質なアナウンス。

俺の視界が、急速に色あせていく。

赤が、黒ずんだ灰色へ。

クリスタルの輝きも、ただの白いノイズへ。

「ああ……」

見えない。

何も見えない。

俺の世界から、光が消えていく。

でも、塔の外から轟音が聞こえた。

風の音が変わる。

湿った重い風から、乾いた爽やかな風へ。

俺はその場に崩れ落ちた。

「……エリオ」

誰かが俺を抱き起こした。

冷たくて、硬い腕。

ユニット7だ。

「……おい、ポンコツ」

俺は焦点の合わない目で、虚空を見つめた。

「どうだ? 空は」

俺には、ただの灰色の濃淡しか見えない。

だが、ユニット7の声は、今まで聞いたことがないほど震えていた。

「……美しいです」

「そうか」

「雲が割れています。その向こうから、黄金色の光が……そして、空は。空は、貴方が言った通り……透き通るような青です」

ユニット7の言葉が、俺の脳内に絵を描き出す。

俺の目には映らない。

けれど、俺にはわかる。

「エリオ。世界は、こんなにも鮮やかだったのですね」

「ああ……知ってるよ」

俺は涙を流した。

悔し涙じゃない。

誇らしかった。

俺は失った。

でも、俺は取り戻したんだ。

灰色の空を見上げながら、俺は笑った。

俺の目には映らないその空の下で、どこかの誰かが、初めての色に驚き、笑っているはずだから。

終章 彩りの残響

それから、一年が経った。

俺は今、小さな町でジャンク屋を営んでいる。

俺の目は、相変わらず灰色しか映さない。

赤も青も、俺にとってはただの「濃いグレー」と「薄いグレー」だ。

「おーい、エリオ!」

近所の子供たちが駆けてくる。

彼らの手には、色とりどりの花が握られているらしい。

「見て見て! 今日はすごく綺麗なピンクの花が咲いたんだよ!」

「へえ、そいつはすげえな」

俺は子供の頭を撫でる。

俺にはその色は見えない。

だが、彼らの弾んだ声から、その美しさは伝わってくる。

店の奥で、錆を落として綺麗になったユニット7が、珈琲を淹れている。

「今日の空は、快晴です。シアン50%、マゼンタ0%……非常に目に良い青です」

「そうか。じゃあ、今日は洗濯物がよく乾くな」

俺はコーヒーを啜る。

苦い味がする。

世界は色を取り戻した。

俺だけが、取り残された。

でも、これでいい。

瞼を閉じれば、いつだって思い出せる。

あの日の、燃えるような夕焼けを。

俺は空を見上げた。

そこにあるはずの青を、心で感じながら。

「……いい天気だ」

俺たちの冒険は終わった。

だが、この色鮮やかな世界で、俺たちの生活は続いていく。

(了)

AI物語分析

【主な登場人物】

  • エリオ: 色彩感知能力を持つ「色彩狩り」の少年。過去に妹を救えなかったトラウマを持つ臆病者だが、最後の土壇場で自己犠牲を選べる隠れた英雄性を持つ。
  • ユニット7: 旧時代の警備用ロボット。論理的で冷徹な口調だが、エリオとの旅を通じて「美しさ」や「非合理的な感情」を学習していく。エリオの目となり、世界の色を言葉で伝える存在となる。
  • アリア: 世界の果ての塔で眠る少女型のシステムコア。世界の大気を浄化する鍵となるが、その起動には人間の「感覚」を必要とした。

【考察】

  • 「色」のメタファー: 本作における「色」は、単なる視覚情報ではなく「希望」や「感情の豊かさ」を象徴しています。灰色の世界は停滞と絶望を表し、エリオが運ぶ「夕焼け」は、終わりと始まりを告げる情熱の象徴として描かれています。
  • 喪失と獲得: エリオは視覚的な色を失いましたが、ユニット7という「言葉で色を伝えてくれる相棒」と、色溢れる世界で笑う人々の声という「新しい光」を獲得しました。「Show, Don't Tell」の技法として、最後のエリオが灰色の空を見上げて「いい天気だ」と言うシーンは、彼の心の目が開かれたことを示唆しています。
  • ロボットの人間化: ユニット7が当初「確率」や「論理」でしか語らなかったのに対し、終盤で「美しい」と断言する変化は、人間の感情が伝播したことを表しています。彼がエリオの代わりに世界を見ることは、二人の魂が補完し合っていることを意味します。
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