第一章 映えない仕事
「はい、カット! お疲れ様でしたー!」
ドローンカメラの赤ランプが消えた瞬間、レイカの愛くるしい笑顔が能面のように無表情へ変わる。
「あー、くっさ。ねえ、早く片付けてよ。次のエリア行きたいんだけど」
「了解。すぐバラす」
俺、九条レンジは短く答え、腰のベルトから湾曲したナイフを抜いた。
目の前に転がっているのは、レイカが魔法で黒焦げにしたオークジェネラル。推定市場価格、素材だけで八十万円。
だが、焦げた皮は価値がない。
「チッ……焼きすぎだろ。肝(キモ)まで熱が通っちまってる」
「はあ? 文句あるわけ? 私の『爆炎魔法』がリスナーに受けてるんでしょ。あんたは黙って魔石だけ拾えばいいのよ、ゴミ拾いさん」
レイカはスマホを取り出し、SNSのコメントチェックに余念がない。
彼女はチャンネル登録者数二百万人を誇るトップ探索者(シーカー)。対する俺は、彼女の『荷物持ち兼・死骸処理係』だ。
月給二十万。危険手当なし。
それでも、俺にはこの仕事が必要だった。
俺はナイフを逆手に持ち、オークの脇腹にある『継ぎ目』に刃を滑り込ませた。
硬い皮膚も、鋼のような筋肉も関係ない。
俺の目には視(み)えている。
生物が物質として崩壊する、その最小抵抗のラインが。
――ズブ、ヌルリ。
音もなく刃が通り、オークの巨体が開きの魚のように展開される。
魔石を摘出し、有毒な胆嚢(たんのう)を指先一つで弾き飛ばす。所要時間、十二秒。
「……相変わらず、気味が悪いのよ。あんたの手つき」
「鮮度が命だからな」
俺は血の一滴もついていない手で、魔石をパッキングした。
第二章 奈落の底値
異変が起きたのは、ダンジョン15階層『湿骨林』での休憩中だった。
地面が鳴動したかと思うと、世界が反転した。
「キャアアアアッ!?」
「おい、掴まれ!」
床崩落(フロア・ドロップ)。
ダンジョン構造自体が変化し、探索者を下層へ叩き落とす致死のトラップ。
浮遊魔法を使う暇もなく、俺たちは暗闇へと呑み込まれた。
落下。
激突。
そして、静寂。
「う……うう……」
レイカの呻き声で意識が戻る。
目を開けると、そこは見たこともない景色だった。
壁一面に脈打つ血管のような発光苔。湿度100%の腐臭。
「スマホ……圏外じゃない……?」
レイカが震える手で画面を見る。
驚いたことに、アンテナは立っていた。いや、むしろ地上よりも強力な電波が入っている。
『接続テスト』
『警告:未探査領域(アビス・ゾーン)への侵入を確認』
『ボーナスステージ:配信強制開始』
無機質なシステム音声と共に、壊れたはずのドローンカメラが再起動し、赤い光を放ちながら空中に固定された。
「な、なによこれ! 勝手に配信が……!」
視聴者数が、異常な速度で跳ね上がっていく。
10万人、50万人、100万人。
タイトルは『***緊急***トップアイドル、処刑ショー』。
「ふざけんな! 切って! 配信切ってよ!」
レイカが叫ぶが、システムは反応しない。
そして、闇の奥から『それ』は現れた。
全長十メートル。
獅子の頭、山羊の胴体、蛇の尾。
キマイラ・ロード。推定討伐レベル80。
俺たちのレベルを遥かに超える、神話級の化け物だ。
「いや……いやぁああ!」
レイカが杖を構えるが、恐怖で魔力が練れない。
キマイラが咆哮するだけで、彼女の杖は飴細工のように砕け散った。
「あ……終わっ……」
彼女が腰を抜かす。
絶望的な画だ。コメント欄が『RIP』と『逃げろ』で埋め尽くされる。
だが。
俺は、無意識に計算していた。
(キマイラの牙、一本三百万。皮、一平方メートルあたり五百万。心臓核……推定一億二千万)
借金返済まで、あと一億。
これ一匹で、お釣りが来る。
「おい、レイカ」
「ひッ……!?」
「カメラ、もっと寄れって指示しろ。画角が悪い」
第三章 命の値段
「は……? なに言って……」
俺は前に出た。
手には、刃渡り十五センチの解体用ナイフ一本。
キマイラが俺を見下ろす。その瞳には、餌としての価値すら映っていないだろう。
(デカいな。だが、構造(レシピ)は同じだ)
キマイラが前足を振り上げる。
風圧だけで肉が千切れそうな一撃。
俺は一歩も引かず、むしろ半歩、踏み込んだ。
――視えた。
筋肉の繊維、骨の隙間、魔力が循環するパイプライン。
全てに『線』が引かれている。
「解体(バラ)すぞ」
衝突の瞬間、俺の体は柳のようにしなり、キマイラの懐へ潜り込んでいた。
斬撃ではない。
切断でもない。
それは『剥離』だ。
ズヌッ!
俺のナイフが、キマイラの前足の付け根、関節包のわずかな隙間に吸い込まれる。
手首を返す。
腱が外れる音。
「GYAAAAAA!?」
キマイラの巨大な前足が、まるでオモチャのようにボロリと脱落した。
鮮血が舞う。
だが俺は止まらない。
「右前脚、腱の保存状態良好。上物だ」
俺はカメラに向かって淡々と解説しながら、吹き出す血の雨の中を滑るように移動した。
第四章 解剖室へようこそ
『え?』
『は?』
『CG?』
『いや、断面を見ろ! あんな綺麗に切れるわけないだろ!』
『グロいけど目が離せない』
コメント欄が加速しすぎて文字が読めない。
キマイラは激痛に狂い、炎のブレスを吐こうと喉を膨らませる。
「火袋(ひぶくろ)か。あれは高く売れる。傷つけるな」
俺は瓦礫を蹴って跳躍した。
ブレスが放たれる直前、俺のナイフがキマイラの喉元――逆鱗のさらに奥にある、発火器官の弁を『閉じた』。
ボフンッ。
行き場を失った炎が内部でくすぶり、キマイラが咳き込む。
その隙に背中へ回る。
脊椎。神経束。魔力中枢。
「ここが一番、値が張るんだよな」
背骨の第三節と第四節の間。
ナイフを突き立て、スライドさせる。
神経を一本も傷つけずに、脊髄液だけを抜き取る神業。
キマイラの動きが、ガクンと止まった。
脳からの命令信号が遮断されたのだ。
まだ心臓は動いている。意識もある。だが、指一本動かせない。
それは戦闘ではない。
ただの『加工』作業だった。
俺は動かなくなった巨体の上で、淡々と皮を剥ぎ始めた。
「レイカ、ポーション瓶あるか? この脊髄液、空気に触れると劣化する」
「あ……あぅ……」
「使えねえな。まあいい、直飲みするか」
俺がまだ温かい心臓核を取り出した時、同接数は三億を超えていた。
最終章 換金
ダンジョンからの脱出は、皮肉にもキマイラが守っていた転移陣で行われた。
地上に戻ると、そこには無数の報道陣と、救助隊が待ち構えていた。
「レイカちゃん! 無事ですか!?」
「あの映像は一体!?」
マイクを向けられるレイカだが、彼女は青ざめた顔で震えるばかり。
対照的に、俺は重たいリュック(時価数億円の素材入り)を背負い、人混みを抜けようとしていた。
その時、スマホが震えた。
銀行アプリの通知。
配信の投げ銭(スーパーチャット)精算通知だ。
『入金:¥520,000,000』
桁を二度見する。
借金完済どころか、一生遊んで暮らせる額だ。
「……おい、そこの君!」
ギルドの職員が俺を呼び止める。
「君が倒したのか? あの特級指定個体を」
「いいえ」
俺は即答した。
「俺はただ、素材を回収しただけです。死んでたほうが運びやすいんで」
俺はリュックの中にある『心臓核』の裏側を思い出す。
解体した時に見つけてしまったのだ。
キマイラの心臓に刻印された、『MADE IN LAB-9』という微小なバーコードを。
この世界には、触れてはいけない闇がある。
英雄になるつもりはない。
俺はただの解体屋。
口を閉ざし、金を掴む。
「じゃ、お疲れ様でした。明日は休ませてもらいます」
俺は雑踏に紛れ、コンビニで一番高いおにぎりを買うために歩き出した。
背後でレイカが何か叫んでいたが、喧騒にかき消されて聞こえなかった。