第一章 ノイズまみれの深層
「はーい! みんな見てるー!? 今日はAランクダンジョン『忌まわしき歌劇場』の深層からお届けしちゃうよん!」
耳をつんざくようなハイテンションな声。
薄暗い洞窟の中に、不釣り合いなリングライトの光が乱舞する。
「うっわ、スパチャありがとう! 『今日もカイトきゅん尊い』? 知ってるー!」
俺、久藤蓮司(くどう・れんじ)は、その光の輪の外側で、重さ四十キロの荷物を背負い直した。
ポーター。
それが俺の仕事だ。
「おいゴミ、映り込むなよ。視聴率下がるだろ」
配信者のカイトが、カメラに映らない角度で俺を蹴りつける。
「……すみません」
「声ちっさ。陰キャが伝染るわ」
カイトは舌打ちをして、またカメラに向かって極上の営業スマイルを貼り付けた。
俺は息を吐く。
深く、長く。
(うるさい……)
俺の耳には、常にノイズが響いている。
人の話し声、足音、換気扇の回る音。
それらが全て、不協和音となって脳を揺らす。
だから俺は、ノイズキャンセリングのヘッドホンが手放せない。
だが、このダンジョンの中だけは違う。
『カツン、カツン、カツン……』
奥から聞こえてくる、硬質な響き。
(……4分の4拍子。テンポ120。モデラート)
俺には聞こえる。
魔物の動きが。
ダンジョンの脈動が。
全てが「音楽」として。
「よし、行くぞ! 次のエリアでレアボス倒して、同接10万人目指すからな!」
カイトが剣を掲げる。
コメント欄が『www』と『8888』で埋め尽くされる。
その瞬間。
俺の耳元で、旋律が変わった。
(――転調?)
優雅なモデラートが、急激に加速する。
プレスティッシモ。
激しい連打。
「待ってください」
俺は思わず声を上げた。
「リズムが崩れてる。この先は――」
「あぁ? 指図すんな底辺!」
カイトは聞く耳を持たず、大部屋への扉を蹴り開けた。
その瞬間。
天井から無数の「音」が降り注いだ。
『キシャアアアアアアアアア!!』
それは悲鳴ではない。
音波兵器のような、高周波の暴力。
「な、なんだこれ!? 画面が割れる!」
カメラドローンが火花を散らす。
現れたのは、全身がスピーカーのような穴だらけの構造を持つ、漆黒の巨獣だった。
【深層変異種:ハウリング・オーガ】
「いや、聞いてない! こんなの攻略サイトに載ってないぞ!」
カイトが剣を振り回すが、オーガの咆哮だけで吹き飛ばされる。
取り巻きのタンク役も、鼓膜を破られてうずくまった。
「痛い、痛い痛い! 誰か助けて! 配信切って!」
カイトが泣き叫ぶ。
だが、ドローンは無慈悲にその無様な姿を世界中に配信し続けている。
コメント欄が加速する。
『は?』
『カイト弱すぎ』
『放送事故www』
『え、これガチで死ぬやつ?』
同接数が跳ね上がる。
5万、6万、8万。
(……まずい)
俺は、オーガの「音」を聴いた。
(こいつ、視聴者の『熱狂』を喰ってる?)
コメントが流れるたび、オーガの身体にある穴が赤く明滅し、筋肉が膨張していく。
配信の電波に乗った「興奮」という名のノイズが、ダンジョンを通してこいつの餌になっている。
「うわあああ! 来るな、来るなあああ!」
カイトが腰を抜かす。
オーガが巨大な拳を振り上げた。
その拳は、空気を震わせ、衝撃波の塊となってカイトへ落ちる――その寸前。
俺は、カイトの前に立った。
「……え?」
カイトが呆けた声を出す。
俺はヘッドホンのノイズキャンセリングを「オフ」にした。
(指揮棒(バトン)、準備)
俺の目には、オーガの攻撃が「音符」に見える。
振り下ろされる拳は、強烈なダウンビート。
ならば。
俺は荷物持ち用の強化手袋を嵌めた両手で、その拳を「受け止める」のではなく、側面から「弾いた」。
『パンッ!』
乾いた音が響く。
タイミングは完璧(ジャスト)。
オーガの拳が、ありえない軌道で逸れ、地面を砕いた。
『グルァ!?』
怪物が驚愕に目を見開く。
俺は、目の前に浮かぶドローンカメラを見た。
コメント欄が、一瞬だけ止まっている。
俺は小さく息を吸い、震える指でカイトのマイクを奪い取った。
「……うるさい」
ボソボソとした声。
だが、マイクはそれを拾った。
「お前らのコメントが、ビートを狂わせてる。……少し、黙っててくれないか」
第二章 休符(レスト)の支配者
コメント欄が爆発した。
『は? 誰こいつ』
『ポーター?』
『黙れって何様www』
『いや、今の避け方すごくね?』
否定と肯定が入り混じり、同接はさらに加速する。
オーガが再び咆哮した。
『ヴォオオオオオオ!!』
音の衝撃波。
カイトなら即死レベルの広範囲攻撃。
だが、俺には「見えている」。
(全音符のロングトーン。周波数は低音寄り)
俺はポケットから、一握りの「砂利」を取り出した。
ただの道端の石だ。
それを、オーガの口元の「穴」――共鳴腔へ向かって、裏拍(アップビート)のタイミングで投げつける。
ヒュッ、カァン!
小さな石が、共鳴している器官に当たる。
たったそれだけで、共鳴のバランスが崩れた。
『ゴッ、ガァアッ!?』
オーガの咆哮が喉元で爆発し、自爆ダメージとなって怪物をよろめかせる。
『えっ』
『何した今の』
『魔法? いや石投げただけだろ』
『地味すぎワロタ』
「リズムが悪い」
俺は呟きながら、よろめくオーガに歩み寄る。
剣はない。
魔法も使えない。
だが、このダンジョンの法則(コード)は読める。
オーガがデタラメに腕を振り回す。
16分音符の乱打。
俺は最小限の動きで、そのすべてを躱す。
右、左、半歩下がって、首を傾ける。
髪の毛数本が削がれる距離。
まるで、ダンスを踊っているかのように。
あるいは、見えないオーケストラを指揮するかのように。
『避けるの上手すぎだろ』
『これCG?』
『カイトより動き良くね?』
『BGMと動きが合ってて草』
皮肉なことに、俺が「黙れ」と言ったことで、視聴者は俺の動きに釘付けになり、コメントの手が止まり始めていた。
(……音が、澄んできた)
コメントの流速が落ちるにつれ、オーガの赤い明滅が弱まる。
やはり、こいつは「注目」を力に変えるシステムだ。
「カイト、剣を貸せ」
「あ、あぁ……」
腰を抜かしたままのカイトから、A級魔剣『紅蓮』をひったくる。
重い。
だが、今の俺には「ここしかない」という重心点が見えている。
(フィナーレだ)
オーガが最後の力を振り絞り、跳躍した。
全身全霊のプレス攻撃。
俺は動かない。
『避けろ!』
『死ぬぞ!』
コメントが一斉に流れる。
その瞬間、オーガが空中で巨大化した。
(チッ……またノイズが増えた)
視聴者の恐怖が、敵へのバフになる。
だが、それも計算に入れた。
俺は目を閉じる。
聴覚だけを研ぎ澄ます。
落下の風切り音。
筋肉の軋み。
(3、2、1……今!)
俺は剣を振るわなかった。
ただ、地面に突き刺して、剣の柄(つか)を足場に高く跳んだ。
オーガのプレスが地面を砕く。
その衝撃波の上を、俺は跳躍していた。
空中で、無防備なオーガの背中――その中心にある「核」が、音を立てて脈動しているのが見える。
俺は手にした予備のナイフを、逆手に持つ。
「演奏終了(コーダ)」
落下の勢いを利用し、ナイフを核へ突き立てる。
『ガッ、アアアア……』
断末魔は、まるで壊れたレコードのように途切れ途切れになり、やがて消滅した。
第三章 バズりと孤独
静寂が戻った。
俺は荒い息を吐きながら、ヘッドホンをかけ直す。
ドローンが、俺の顔をアップで映していた。
『うおおおおおおおお!』
『勝ったああああ!』
『何者!?』
『今の見た!? 最後ナイフ一本とか!』
同接数は20万人を超えていた。
俺はカメラを睨みつける。
「……映すな」
俺はカイトに剣を投げ返し、荷物を背負った。
「帰るぞ。報酬は契約通り払えよ」
「お、おい待てよ! お前、名前は!?」
カイトが縋るように叫ぶ。
俺は背中を向けたまま、一言だけ答えた。
「……ただのポーターだ」
その日、SNSのトレンドは『謎のポーター』で埋め尽くされた。
切り抜き動画は数百万再生。
『無音の指揮者』
『視聴者にキレる配信者』
『神回避』
そんなタグが乱立する中、俺は自宅の狭いアパートで、布団を被って震えていた。
「……吐きそうだ」
スマホの通知が止まらない。
知らない番号からの着信。
DMの山。
俺はただ、静かに暮らしたいだけなのに。
しかし、世界はそれを許さなかった。
翌日、ダンジョン管理協会から緊急招集がかかる。
世界中のダンジョンで、同時多発的に「深層変異種」が出現したのだ。
そして、それらの怪物はすべて「配信の電波」を求めて地上へ侵攻を開始しようとしていた。
『君の力が必要だ、久藤くん』
協会の支部長は言った。
『君の配信だけが、奴らの暴走を抑えられるデータが出ている』
「……俺の配信?」
『そうだ。君の戦闘スタイル……「静寂」を作り出すその動きが、視聴者を魅了しつつも、興奮の波形を鎮静化させている。君は、世界を救うための「鎮魂歌(レクイエム)」を奏でる必要があるんだ』
断りたい。
逃げ出したい。
だが、テレビのニュースには、避難する人々の悲鳴が――俺が最も嫌いな「ノイズ」が溢れていた。
俺はヘッドホンを握りしめる。
「……条件があります」
「なんだね?」
「コメント機能はオフ。スパチャもなし。俺は一言も喋りません」
「そ、それでは配信として成立しないが……」
「俺がやりたいのは配信じゃない」
俺は立ち上がった。
「ただの、掃除(チューニング)です」
第四章 沈黙のシンフォニー
最終防衛ライン、東京地下ダンジョン最深部。
そこには、全長百メートルを超える規格外の怪物『ワールド・イーター』が鎮座していた。
周囲には、無数のカメラドローン。
世界中のトップ配信者たちが挑み、そして敗れ去っていた。
彼らの派手な魔法やスキルが、逆に怪物を肥大化させていたのだ。
『もうだめだ……』
『終わりだ』
世界中が見守る配信画面。
絶望が支配する中、一人の男が歩いてくる。
灰色のパーカー。
大きなヘッドホン。
武器は、小さなナイフ二本だけ。
カメラが彼を捉える。
テロップが出る。
【配信者:NO_NAME】
【音声:ミュート推奨】
俺は、怪物の前に立つ。
(……ひどい雑音だ)
怪物の体内から、数億人の「恐怖」と「絶望」の叫びが聞こえる。
それが不協和音となって、世界を壊そうとしている。
俺は、カメラに向かって人差し指を口元に当てた。
『シーッ』
その仕草に、世界中の視聴者が息を呑む。
不思議と、パニックになっていたコメント欄が静まり返った。
『……』
『……』
『……』
無言の弾幕。
だが、そこにあるのは「恐怖」ではなく、「祈り」に近い集中。
(聞こえる)
雑音が消え、純粋なダンジョンの「リズム」だけが浮かび上がる。
『ヴォォォ……?』
エネルギーの供給を断たれた怪物が、戸惑うように動きを止める。
今だ。
俺は走り出す。
音もなく。
疾風のように。
怪物が腕を振るう。
だが、今の俺にはその軌道が、光の譜面として見えている。
一閃。
二閃。
ナイフが怪物の装甲の隙間――「休符」の瞬間に吸い込まれていく。
世界中が、固唾を飲んで見守る。
誰も声を上げない。
誰もキーボードを叩かない。
数十億人が共有する、奇跡のような静寂。
俺は、怪物の心臓部に到達した。
そこには、巨大なクリスタルが脈打っている。
(ここが、指揮者の席だ)
俺はナイフを突き立て、ヘッドホンを外した。
そして、初めて、生の声で叫んだ。
「終わろうッ!!」
クリスタルが砕け散る音。
それは、どんな音楽よりも美しく、世界に響き渡った。
最終章 カーテンコールは要らない
怪物が崩れ去り、光の粒子となって消えていく。
俺は瓦礫の上に座り込み、空を――ダンジョンの天井を見上げた。
ドローンが寄ってくる。
きっと、世界中が歓喜の声を上げているだろう。
コメント欄は、かつてないほどの称賛で溢れているはずだ。
だが、俺はスマホを取り出し、配信停止ボタンを押した。
「……あー、疲れた」
誰にも聞かれない独り言。
家に帰ったら、防音室に引きこもろう。
そして、好きなジャズでも聴きながら、泥のように眠るんだ。
俺は、まだ少し震える手でヘッドホンを装着し、お気に入りの曲を再生した。
世界を救った英雄の背中は、いつも通り猫背で、少しだけ足取りが軽かった。