第一章: 静かなる決別
極寒の風が、頬の皮膚を紙やすりのように削いでいく。
視界の全てを白一色に塗り潰す吹雪。その只中で、私の**色素の薄い灰色の髪**が凍り付き、硝子細工のような硬質な音を立てた。
悴んだ指先で、**革と布を幾重にも縫い合わせた多機能ローブ**の襟を直す。無数にあるポケットの中、予備の触媒とインク壺が冷え切り、カチカチと虚しいリズムを刻む。
私は**右目に嵌めた真鍮製のモノクル**の位置を調整し、背負った分厚い帳簿の重みを確かめた。
その帳簿こそが、私の全て。このパーティの命綱だった、はずなのだが――。
[A:レオン・ブレイブ:怒り]「おいエリオ、聞いてんのか! お前はクビだと言ったんだ!」[/A]
鼓膜を打つ怒号。
目の前に立ちはだかるのは、黄金の獅子を模した白銀のフルプレートアーマーを纏う男。
かつての親友。今は私を見下す勇者、レオン・ブレイブ。
彼の碧眼は、もはや私を人間としては映していない。映っているのは、ただの「性能の悪い道具」だ。
[A:エリオ・アークライト:冷静]「……聞こえていますよ、レオン。理由を伺っても?」[/A]
[A:レオン・ブレイブ:怒り]「地味なんだよ、テメェの魔法は! 『守備力強化』だの『耐久値補修』だの、俺の聖剣の輝きが霞むだろうが! もっと派手な爆発魔法を使える奴を入れることにした。失せろ」[/A]
唾を吐き捨てるように言い放ち、背を向ける彼。
その瞬間、私のモノクルが微かな駆動音を立てて回転する。
レンズの奥、深紅の文字列が浮かび上がった。
[System]《万象監査(クロノス・アイ)》起動[/System]
[System]対象:レオン・ブレイブ[/System]
[System]装備耐久値:限界突破[/System]
[System]身体強度:崩壊寸前[/System]
[System]加護残存時間:00時間00分03秒[/System]
……計算が、合わない。いや、合いすぎてしまったと言うべきか。
私がかけ続けていた『構造維持』の魔法。それがなければ、彼の鎧も、過剰な魔力ドーピングに耐えてきた肉体も、とっくに限界を迎えている。
私がこの場を去れば、維持効果は切れる。
あと、三秒で。
[Think](言わなければ。君の寿命は、あと三秒だと。君の栄光は、私の計算の上に成り立っていたのだと)[/Think]
口を開きかけた、その刹那。
レオンが腰の聖剣を抜き放ち、氷壁に向かって高らかに叫ぶ。
[A:レオン・ブレイブ:興奮]「見ろ! この溢れ出る力を! エリオ、お前がいなくとも俺は最強だ!」[/A]
その背中は、あまりにも無防備で、そして哀れだった。
言うべきではない。
今、真実を告げれば、彼は恐怖のあまり発狂し、その瞬間に魔力暴走を起こして周囲ごと吹き飛ぶだろう。
せめて、英雄として死なせてやるのが、最後の慈悲か。
私は懐から転移石を取り出し、指先で砕く。
青白い光が私の体を包み込んだ。
[A:エリオ・アークライト:冷静]「……今までありがとう、レオン。清算は、これで終わりです」[/A]
[A:レオン・ブレイブ:狂気]「あぁ、せいぜい惨めに野垂れ死ね!」[/A]
空間が歪む。
視界が暗転する直前、モノクルのカウントダウンが『0』を示した。
『ガギィッ!!』
背後で響く、硬質な金属がひしゃげる不快な音。
それは鎧が潰れる音か、それとも骨が砕ける音か。
[Shout]「あ、が……ッ!? なんだ、体が、お、俺の腕がぁぁぁぁぁぁッ!!?」[/Shout]
転移の光が収束し、私は雪山から消え去る。
最後に耳に残ったのは、勇者の断末魔ではない。
信じていた「己の強さ」に裏切られた、子供のような泣き叫び声だった。
◇◇◇
転移先は、辺境の街の路地裏。
石畳にブーツが着地するのと同時、心臓が早鐘を打つ。
膝から力が抜け、カビ臭い壁に手をついた。
[A:エリオ・アークライト:恐怖]「は……、はぁ、はぁ……ッ」[/A]
冷徹に振る舞ったつもりだった。
だが、胃の腑が鉛を飲み込んだように重い。
手のひらを見れば、血管が浮き出るほど強く握りしめられている。
友を見捨てた。
いや、見捨てざるを得なかった。
計算上、共倒れになる確率は100%だったのだから。
[A:エリオ・アークライト:悲しみ]「……感情はノイズだ。計算に、後悔など不要だ」[/A]
自分に言い聞かせる言葉は、乾いた唇から零れ落ちて、誰にも届かずに消えた。
その時だ。
街の広場にある巨大な掲示板へ、王都からの早馬が到着し、一枚の羊皮紙が乱雑に貼り付けられたのは。
群衆がどよめき、悲鳴が上がる。
私はモノクルの倍率を上げ、その文字を読み取った。
『緊急速報:勇者パーティ、ダンジョンにて原因不明の爆発により消息不明。勇者レオン、死亡の可能性大』
世界は、英雄を失った。
だが、私の監査(物語)は、ここから始まる。
第二章: 呪いの正体
勇者死亡のニュースは、燎原の火のごとく大陸中を駆け巡った。
しかし、感傷に浸る間もなく、私は次の「監査対象」がいる場所へと足を運ぶ。
辺境都市の地下深く。
かつて監獄として使われていた、忌むべき場所だ。
[A:エリオ・アークライト:冷静]「湿度が基準値を30%超過していますね。これでは建材が腐る」[/A]
鼻を突くのは、カビと腐敗臭、そして濃密すぎる甘い花の香り。
鉄格子の奥に、その「呪い」の源はあった。
[A:セレーネ・ルナ:恐怖]「こ、来ないで……! 腐っちゃう……あなたが、腐っちゃう……!」[/A]
暗闇の中、ぼろ切れのような麻袋を纏った少女が縮こまっている。
地面に広がる長い銀髪**は泥と汚物に塗れ、本来の輝きを失っていた。
だが、その**深紅の瞳**だけが、怯えと拒絶の色を宿して私を睨みつけている。
彼女の周囲では、石床から不気味な色の茸や蔦が異常増殖し、触れる端から枯れては再生を繰り返していた。
「触れるもの全てを腐らせる魔女」。
それが彼女につけられた汚名。
私は帳簿を開き、モノクル越しに彼女を「視」る。
[System]対象:セレーネ・ルナ[/System]
[System]状態:生命力過剰供給(オーバーフロー)[/System]
[System]魔力出力:制御不能[/System]
[System]判定:呪いではなく、世界樹の愛(ギフト)[/System]
[A:エリオ・アークライト:冷静]「……計算通りだ。貴女は腐らせているのではない。生命を与えすぎているのです」[/A]
躊躇なく鉄格子を開け、彼女の元へ歩み寄る。
[A:セレーネ・ルナ:絶望]「だめぇッ!! 死んじゃう! お願い、来ないでぇッ!!」[/A]
絶叫と共に、床から茨が飛び出し、私の頬を掠めた。
赤い血が滲むが、足は止まらない。
彼女の前に跪き、怯えて震えるその小さな手を、私の両手で包み込んだ。
[Sensual]
[A:セレーネ・ルナ:驚き]「あ……?」[/A]
触れた瞬間、パチリと静電気が弾けるような音。
彼女の肌は陶器のように白く、そして熱かった。
膨大すぎる生命力が、行き場を失って彼女の体内で暴れ回っている。
それはまるで、噴火寸前の火山のよう。
[A:エリオ・アークライト:冷静]「動かないで。余剰分のパスを、私に繋げます」[/A]
指を絡め、彼女の脈動に自らの魔力波長を同調させる。
ドクン、ドクン、と二つの心臓が重なる錯覚。
彼女の指先から流れ込んでくるのは、暴力的なまでの「生」の奔流だ。
熱い。焼けるようだ。
私の体内を黄金の蜂蜜が満たしていくような感覚に、思わず吐息が漏れる。
[A:セレーネ・ルナ:照れ]「あ、んっ……な、なに、これ……熱い、のに……心地いい……」[/A]
潤む瞳、薔薇色に染まる頬。
泥にまみれていた銀髪が、根元から月光のような輝きを取り戻していく。
私の指が彼女の手首を滑り、リミッターとなる術式を直接肌に書き込むように撫で上げた。
[A:エリオ・アークライト:冷静]「……同調(シンクロ)、完了。出力を安定させます」[/A]
モノクルが激しく回転し、彼女から溢れ出ていた腐敗の瘴気が、瞬く間に純白の光へと変換されていく。
[/Sensual]
地下牢を満たしていた腐臭が消え、代わりに清冽な百合の香りが満ちた。
壁を覆っていた不気味な茸は枯れ落ち、石の床からは、あり得ないはずの白い花々が一斉に芽吹き、咲き乱れる。
冷たい牢獄が、一瞬にして天上の花園へと変貌した。
[A:セレーネ・ルナ:驚き]「……花? 私が、花を……咲かせたの?」[/A]
呆然と自分の手を見つめ、そして私を見上げる少女。
その瞳には、もはや怯えはない。
あるのは、神を見るような、あるいはそれ以上の、熱狂的な崇拝の色。
[A:セレーネ・ルナ:愛情]「貴方が……私を、直してくれたのですか?」[/A]
[A:エリオ・アークライト:冷静]「修理完了です。貴女はもう、誰かを傷つける存在ではない」[/A]
立ち上がろうとすると、彼女は私のローブの裾を掴んで離さない。
その瞳孔が開いているのが、モノクル越しにありありと見えた。
[A:セレーネ・ルナ:愛情]「神様……いいえ、エリオ様。私の全ては、今から貴方のものです。心臓も、血も、肉も、魂も……全部、全部、好きに使ってください」[/A]
重い。
彼女の感情の質量が、数値化できないほどに重い。
だが、不思議と不快ではなかった。
私は初めて、誰かに「必要」とされたのだから。
しかし、その安らぎは長くは続かない。
地上から、けたたましい鐘の音が響き渡る。
それは、魔物の襲来を告げる警鐘ではない。
もっとおぞましい、「罪人狩り」の合図だった。
第三章: 咎人の烙印
街の広場は、異様な熱気に包まれていた。
人々は松明を掲げ、口々に何かを叫んでいる。
私とセレーネが地下から出た瞬間、無数の視線が突き刺さった。
[A:レオン・ブレイブ:狂気]「見つけたぞぉぉぉぉッ!! 俺をハメた裏切り者がぁぁぁ!!」[/A]
広場の中央。
そこに立っていたのは、かつての勇者レオンの成れの果て。
白銀だった鎧は黒く変色し、肉体と癒着している。
右半身は異形に膨れ上がり、皮膚の下で何かが蠢く。
死んだはずの彼が、魔物の肉を取り込んで蘇ったのだ。
[A:エリオ・アークライト:驚き]「レオン……? その姿は……」[/A]
[A:レオン・ブレイブ:怒り]「エリオォォ! 貴様の呪いだ! 貴様が去り際にかけた呪いのせいで、俺はこうなった! そうだろ!?」[/A]
彼は民衆に向かって、歪んだ腕を振り上げた。
[A:レオン・ブレイブ:悲しみ]「市民よ! 聞いてくれ! 俺は魔王と戦い、傷ついた! だが、この卑劣な支援術師が、俺の力を妬んで罠に嵌めたんだ! こいつこそが、人類の敵だ!」[/A]
嘘だ。
だが、恐怖に支配された民衆にとって、真実などどうでもいい。
必要なのは「分かりやすい敵」だ。
「殺せ!」「裏切り者め!」「勇者様を返せ!」
飛来する石。
額に当たり、温かいものが流れ落ちる。
私が無償で井戸を修理したパン屋の親父が、石を投げていた。
私が迷子を見つけてやった婦人が、唾を吐いていた。
[Think](ああ、そうか。計算式が間違っていた)[/Think]
私は、世界を守るために尽くしてきた。
だが、世界は私など見ていなかった。
彼らが見ていたのは「勇者という偶像」だけ。
その偶像が「あいつが敵だ」と言えば、私は敵になる。
単純で、残酷な数式。
[A:レオン・ブレイブ:狂気]「ハハハ! 見ろエリオ! これが俺の人望だ! お前には何もない! 誰も味方などいない! 孤独に死ねぇ!」[/A]
絶望が、黒いタールのように思考を埋め尽くす。
反論する気力さえ湧かない。
私は、ただの部品だった。
そして今、廃棄処分されようとしている。
膝が折れそうになった、その時。
[Magic]《聖域展開(サンクチュアリ)》[/Magic]
純白の光のドームが、私を中心に展開された。
飛んできた石礫が、光の膜に触れて灰となって消える。
[A:セレーネ・ルナ:怒り]「……下衆が」[/A]
セレーネが、私の前に立ちはだかっていた。
修道服へと変化した衣装が風にはためく。
その背中は小さいが、どんな城壁よりも堅固に見えた。
彼女の深紅の瞳が、民衆とレオンを射抜く。
[A:セレーネ・ルナ:怒り]「私の世界(エリオさま)に石を投げるなら、その腕、もう要りませんよね?」[/A]
[A:レオン・ブレイブ:驚き]「な、なんだその魔力は!? 貴様、あの腐敗の魔女か!? 化け物同士で手を組みやがったか!」[/A]
[A:セレーネ・ルナ:愛情]「化け物で構いません。世界中が敵に回っても、私だけは貴方の味方です。エリオ様の手は、こんなに温かいのですから」[/A]
彼女は血の流れる私の額に、そっと口づけをした。
その冷たい唇の感触が、私の停止しかけた思考回路を再起動させる。
味方が、いる。
たった一人。
だが、私の計算上、「1」は「0」とは無限の隔たりがある。
私はモノクルについた血を拭い、再びレオンを見据えた。
恐怖はない。
あるのは、静かなる怒りと、冷徹な監査官としての使命感だけ。
[A:エリオ・アークライト:冷静]「……レオン。君の不正会計(うそ)を、これより監査します」[/A]
[A:レオン・ブレイブ:怒り]「あ? 何言ってやがる!」[/A]
[A:エリオ・アークライト:冷静]「逃げるのは終わりだ。セレーネ、サポートを頼めますか?」[/A]
[A:セレーネ・ルナ:喜び]「はい、地獄の果てまで!」[/A]
背負った帳簿を、勢いよく開く。
ページが風に舞い、世界を覆う嘘を暴くための数式が、空中に躍り出た。
処刑場となるはずだった広場は今、私の法廷へと変わる。
第四章: 監査の開始
「ふざけるな! 殺せ! そいつらを殺せぇ!」
レオンの叫びに応じ、洗脳された衛兵たちが剣を抜いて殺到する。
だが、私の眼には全てが「数値」として映っていた。
[System]対象:衛兵A[/System]
[System]剣の軌道予測:右斜め45度[/System]
[System]回避必要動作:左へ3cm[/System]
[A:エリオ・アークライト:冷静]「そこ、足元の石畳の耐久値がゼロです」[/A]
指を鳴らすと、衛兵が踏み込んだ石畳が粉々に砕け、彼は無様に転倒した。
続く衛兵の剣は、セレーネが展開した光の障壁に弾かれる。
[A:エリオ・アークライト:冷静]「万象監査(クロノス・アイ)、限定解除。……レオン・ブレイブの『英雄譚』を再査定(チェック)する」[/A]
空中に浮かぶ数式に触れる。
すると、広場の空間に巨大なホログラムのような映像が投影された。
それは、過去の記録。
勇者が「単独でドラゴンを倒した」とされる場面。
映像の中で、レオンは震えて岩陰に隠れていた。
実際にドラゴンに止めを刺したのは、私が設置した魔導トラップと、名もなき兵士たちの特攻だった。
「な……なんだこれ? 勇者様が、逃げている?」
「おい、あの時の報酬、全部レオン様が一人占めしたんじゃ……」
[A:レオン・ブレイブ:恐怖]「やめろ! 消せ! それは幻覚だ! 俺を貶めるための捏造だ!」[/A]
レオンが吠えるが、映像は次々と切り替わる。
魔力を不当に搾取し、街の結界を弱体化させていた証拠。
寄付金を遊興費に使い込んでいた帳簿の写し。
そして、彼が魔物と融合し、人の心を捨てた瞬間の、おぞましい魔力波形の解析データ。
[A:エリオ・アークライト:冷静]「数字は嘘をつかない。君の英雄としての信用スコアは、既にマイナスだ」[/A]
[A:セレーネ・ルナ:冷静]「見苦しいですね。エリオ様の靴の裏ほどの価値もありません」[/A]
民衆の目に宿っていた熱狂が、急速に冷めていく。
代わりに浮かぶのは、騙されていたことへの激しい怒りだ。
石を投げる手が止まり、その矛先がゆっくりと、舞台上の異形へと向き直る。
[A:レオン・ブレイブ:絶望]「ち、違う……俺は、俺は悪くない! みんな俺を愛していたはずだろ!? なんで俺を見る目が変わるんだ!」[/A]
後ずさり、その背中が建物の壁にぶつかる彼。
融合した魔物の肉が脈打ち、彼の精神の崩壊に合わせて暴走を始める。
[Shout]「う、うわあああああ! 力が、溢れる! 止まらない! 俺を否定する奴は、全員消えろぉぉぉ!!」[/Shout]
レオンの身体が膨張し、街全体を飲み込むほどのどす黒い闇が噴出した。
それはもはや人間ではない。
嫉妬と劣等感の塊となった、災厄の獣。
[A:エリオ・アークライト:冷静]「……最終監査に移行します。セレーネ、行けますか」[/A]
[A:セレーネ・ルナ:愛情]「貴方の目が届く場所なら、どこまでも」[/A]
街が崩壊を始める中、私たちは逃げるのではなく、その闇の中心へと向かって走り出した。
これはただの戦いではない。
友だった男への、最後の手向け(引導)を渡すための業務だ。
だが、私の視界が不意に明滅した。
モノクルの過負荷警告(オーバーヒート・アラート)。
使いすぎた。
代償の支払期限が、迫っている。
[Think](あと少し。あと少しだけ、この光を保ってくれ……!)[/Think]
視界の端が黒く塗りつぶされていく恐怖を押し殺し、私は闇の中へと飛び込んだ。
第五章: 寿命の清算
王都の上空は、レオンの放つ瘴気でどす黒く染まっていた。
巨大な肉塊と化した彼は、もはや言葉を話すこともできない。
ただ、「俺を見ろ」という承認欲求だけが、破壊の衝撃波となって周囲を薙ぎ払っている。
[A:セレーネ・ルナ:恐怖]「くっ……! 障壁が、保ちません……!」[/A]
セレーネの展開する『聖域』に走る亀裂。
圧倒的な質量の暴力。
だが、私には見えていた。
その膨大なエネルギーの中に隠された、たった一つの「核(コア)」が。
そして、その核に残された『魂の限界時間』が。
[A:エリオ・アークライト:冷静]「セレーネ、全魔力を私に。彼の時間を、強制執行します」[/A]
[A:セレーネ・ルナ:悲しみ]「だめです! そんなことをしたら、エリオ様の目が……視神経が焼き切れます!」[/A]
[A:エリオ・アークライト:冷静]「構わない。……君の顔は、もう十分に目に焼き付けたから」[/A]
彼女が息を呑む気配。
私は彼女の肩を抱き寄せ、その唇に――。
[Sensual]
最後の口づけを落とした。
それは契約であり、別れの挨拶であり、そして初めての「計算外の衝動」だった。
彼女の震える唇から、熱い涙の味が伝わってくる。
[/Sensual]
[A:エリオ・アークライト:怒り]「行くぞ、レオンッ!! これが最後の監査だッ!!」[/A]
モノクルのリミッターを砕き、魔力を暴走させる。
視界が白熱し、眼球が焼けるような激痛が走った。
世界が数式に分解されていく。
[System]対象:レオン・ブレイブ(魂)[/System]
[System]干渉:寿命の先食い(ローン)[/System]
[System]執行:即時償還[/System]
[Magic]《終焉監査(デッドライン・オーバー)》[/Magic]
[Shout]「ギャアアアアアアアアアアッ!!」[/Shout]
レオンの核が、内側から急速に収縮を始めた。
彼が未来で得るはずだった寿命、その全てを一瞬で消費させ、強制的に「老衰」させる禁術。
崩れゆく肉塊の中で、一瞬だけ、かつてのレオンの顔が浮かぶ。
泣いているように見えた。
[A:レオン・ブレイブ:悲しみ]「……エリオ。俺は、ただ……お前と……」[/A]
[A:エリオ・アークライト:悲しみ]「ああ。分かっていたよ。……おやすみ、レオン」[/A]
光が弾けた。
そして、世界から音が消え――私の視界もまた、永遠の闇に閉ざされた。
◇◇◇
暖かい。
陽だまりのような匂いがする。
[A:セレーネ・ルナ:愛情]「……エリオ様? 紅茶が入りましたよ」[/A]
声がして、手に温かいカップが握らされた。
私は目を開けるが、そこにあるのは変わらぬ暗闇だけだ。
視力は戻らなかった。
だが、不思議と不便は感じない。
私の「目」となってくれる存在が、常に隣にいるからだ。
[A:エリオ・アークライト:冷静]「ありがとう、セレーネ。……今日は、甘くないね」[/A]
[A:セレーネ・ルナ:照れ]「ふふ、健康管理も私の役目ですから」[/A]
衣擦れの音。
彼女が私の膝に頭を乗せたのが分かった。
その柔らかな髪の感触を、指先で確かめる。
世界を救った英雄として祭り上げられそうになった私たちは、人知れず姿を消し、今は静かな田舎で暮らしている。
[A:セレーネ・ルナ:愛情]「ねえ、エリオ様。私、幸せです。貴方の瞳に映ることはもうないけれど、貴方の心臓の音は、私だけのものですから」[/A]
彼女の声は、蜂蜜のように甘く、重く、そして心地よい。
私は空(くう)を見上げ、微笑んだ。
帳簿はもう閉じた。
ここにあるのは、計算のいらない、穏やかな時間だけ。
[A:エリオ・アークライト:愛情]「……ああ。計算間違いだらけの人生だったが、最後の答えだけは、正解だったようだ」[/A]
私は彼女の髪を撫で続ける。
その永遠に続く闇の中で、私はかつてないほど鮮やかな光を感じていた。