第一章: 奈落の遺言
[System]接続不安定。視聴者数0人。残存酸素3%。[/System]
「……あー、聞こえますか? これが僕の、最期の悪足掻きです」
闇。絶対的な黒の中、ドローンのインジケーターだけが、心臓の鼓動を模すように赤く明滅していた。
その頼りない灯火が、少年の顔を不規則に照らし出す。
伸び放題の黒髪は脂汗と凝固した血液で額に張り付き、かつて黒だったパーカーの右袖は無残に引き千切られ、全身が煤と泥のコーティング。
前髪の隙間から覗く瞳――それは深海の底に沈んだガラス玉。光を失い、濁り切った絶望の色。
天音カイト。十七歳。
世界が憧れるSランクパーティーにおける、ただの荷物持ちだったモノ。
[A:天音 カイト:絶望]「ミア、聞こえてるかな。お兄ちゃんね、ちょっと……遠いところに来ちゃった」[/A]
震える指先で、宙に浮くドローンのレンズを拭う。めくれた指の皮、滲んだ血がレンズの縁に付着し、映像を赤く汚した。
[A:天音 カイト:冷静]「今から、僕がどうやって死ぬか、実況するよ。あはは……悪趣味だよね。でも、誰も見てないし、いいか」[/A]
喉が焼ける。肺を満たすのは腐敗臭と硫黄、呼吸のたびに内側から肉を削がれる感覚。
迷宮の未踏領域「奈落」。
地上の光など一筋も届かぬ、深度三千メートルの棺桶。
数時間前、あの眩しい陽光の下で、カイトは確かに生きていた。
Sランク探索者、豪堂リョウマの輝く笑顔。
『カイト、お前はここで囮になれ』
蹴り飛ばされた背中の感触。反転する視界、遠ざかる光。
残ったのは、リョウマの嘲笑だけ。
[Think]どうせ、僕なんて最初からいなかったんだ。[/Think]
乾いた唇を舐める。鉄の味。
妹のミア。ガラス細工のように脆い少女。
彼女の入院費のためだけに、カイトはゴミ以下の扱いを耐え忍んできた。
殴られ、罵られ、ポーションの実験台にされようとも、生きて帰れば金になったから。
[A:天音 カイト:悲しみ]「ごめんな、ミア。今月の治療費……振り込めないや」[/A]
ドローンのバッテリー警告音が、静寂を切り裂く。
直後。
暗闇の奥、湿った岩肌を擦る音。ズルリ、ズルリ。
背筋を駆け上がる、氷柱を突き刺されたような悪寒。
[Shout]グオオオオオオォォォォォッ!![/Shout]
闇を裂き現れたのは、六つの眼を持つ巨大な大百足。
鋼鉄さえ噛み砕く顎が、カチカチと飢餓の音を鳴らす。
膝が笑う。胃が縮み上がり、酸っぱいものが喉元までせり上がる恐怖。
[A:天音 カイト:恐怖]「……はは。最後のお客さんが来たみたいだ」[/A]
逃げ場なし。武器なし。あるのは壊れかけのドローンと、錆びついたナイフ一本。
だが、カイトの濁った瞳の奥、小さく、けれど鋭い明滅。
死ぬのはいい。どうせ死ぬ。
でも、ミアへの遺言が終わる前に食い殺されるのは――御免だ。
[A:天音 カイト:狂気]「待てよ……。僕の話は、まだ終わってないんだ」[/A]
ドローンを背後へ。錆びたナイフを逆手に。
視聴者数0人の画面の向こう、世界中のネットワークが不可解な信号を受信し始めていたことを、彼はまだ知らない。
◇◇◇
第二章: 無自覚の英雄譚
「……え、嘘だろ?」
東京、渋谷スクランブル交差点。
大型ビジョンを見上げたサラリーマンの手から、スマホが滑り落ちた。
同時多発的ハッキング。世界中の端末、街頭ビジョン、あらゆるスクリーンが、ノイズ混じりの映像にジャックされる。
映し出されたのは、泥と血に塗れた少年。
そして、Sランク探索者すら逃げ出す災厄、「深淵の大百足」。
[A:天音 カイト:冷静]「関節の隙間……あそこか」[/A]
画面の中、人間離れした速度で地を蹴るカイト。
真正面からの突撃、自殺行為。
大百足の鎌が、カイトの首を刈り取らんと迫る。
誰もが目を背けたその瞬間――。
カイトの体が、不自然に沈み込んだ。
泥濘んだ地面にあえて足を滑らせ、鎌の軌道を髪の毛一本分の差で回避。
[Think]右、三五度。毒液の噴射角。[/Think]
脳内で分解される世界。数値とラインの羅列。
致死の領域だけが赤く、生存への細い糸だけが青白く輝く。
スキル《死線解析》。
「逃げ足が速いだけ」と罵られてきたその能力は、死と隣り合わせの極限状態でこそ真価を発揮する異能。
[A:天音 カイト:怒り]「邪魔だ、どけぇッ!」[/A]
交差の刹那。錆びたナイフを、大百足の甲殻の継ぎ目へ。
そこは迷宮の瘴気が溜まる排気孔。
ナイフの柄を足場に再跳躍、天井の鍾乳石を蹴り折る。
数トンの岩塊、悲鳴を上げる大百足の頭上へ直撃。
[Shout]ギャアアアアアアッ!![/Shout]
舞う土煙。カイトは肩で息をしながら、画面へ力なく微笑む。
[A:天音 カイト:冷静]「……ふぅ。まだ、話せるな。ミア、聞いてる? 昔、一緒に行った遊園地、覚えてるか?」[/A]
地上、SNSの爆発。
『なんだ今の動き!?』
『CGだろこれ』
『いや、この場所……未踏の奈落じゃないか?』
『誰だこの少年、泣きながら戦ってるぞ』
視聴者数、瞬く間に一億人を突破。
着飾ったヒーローたちの安全圏からの「冒険ごっこ」に飽いた世界は、泥水を啜り、嘔吐しながらも妹への愛を語る「本物の絶望」に釘付けとなった。
病院のベッドの上。
天音ミアは、タブレットを抱きしめ震えていた。
薄いピンク色のパジャマ越し、心臓の早鐘。
画面の中の兄は、見たこともないほどボロボロで、けれど誰よりも強く見えた。
[A:天音 ミア:悲しみ]「お兄ちゃん……死なないで。お願い……」[/A]
彼女の持つ《絶対聴覚》は、兄の声に含まれる「諦め」を聞き取っていた。
生きようとしているのではない。
綺麗に死のうとしている。
迷宮の底、続く独り言。
[A:天音 カイト:絶望]「僕ね、リョウマさんたちに感謝してるんだ。こんなゴミ屑を、ここまで連れてきてくれたんだから。……役に立てなくて、ごめんなさい」[/A]
純粋すぎる劣等感、世界中の視聴者の胸を抉る。
『謝るな!』
『お前はすごい!』
『誰かこいつを助けてくれ!』
コメントの嵐など知る由もなく、ふらつく足で奥へ進むカイト。
そこへ響く、ノイズ混じりの電子音。
[System]通信接続回復。地上波とのリンクを確立しました。[/System]
僅かに見開かれる瞳。
[A:天音 カイト:驚き]「え……? 繋がってる……?」[/A]
画面の向こうにある無数の「生」。
独りではないという事実が、カイトの膝から力を奪う。
助かるかもしれない。
ミアに、もう一度会えるかもしれない。
その希望の灯火を吹き消すように、通信機から響く、傲慢な声。
[A:豪堂 リョウマ:冷静]「よう、ゴミ屑。しぶといな」[/A]
◇◇◇
第三章: 英雄の仮面、悪魔の素顔
空間に投影されたホログラム、豪堂リョウマ。
特注のミスリル合金鎧は、地下の暗闇にあっても不快なほど神々しい。
完璧にセットされた金髪、カメラ映りを計算し尽くした爽やかな笑顔。
だがその碧眼だけが、汚物を見る冷酷さを湛えていた。
[A:天音 カイト:恐怖]「リョウマ……さん? 救助は……」[/A]
縋る声。リョウマは鼻で笑う。
[A:豪堂 リョウマ:怒り]「救助? バカかお前。お前が生きて帰ってきたら、俺が『仲間を見捨てた』ことになるだろうが。俺の伝説に傷をつける気か?」[/A]
その言葉、配信を通じて全世界へ。
しかしリョウマは知らない。ここが電波圏外、カイトのドローンだけが特異的にジャックしている状況など、想像の埒外。
[A:豪堂 リョウマ:狂気]「安心しろ。お前の妹の治療費くらいは、香典代わりに出してやるよ。だから――死んでくれ」[/A]
手元の起爆スイッチが押される。
轟音。
カイトの頭上、岩盤が人工的な爆破によって崩落を開始。
迷宮構造を利用した、完全なる生き埋め工作。
[A:天音 カイト:絶望]「あ……ぁ……」[/A]
数億の視聴者が絶叫する中、視界を埋め尽くす土砂。
希望を持たせてから、突き落とす。
それが最も効率的に心を殺す方法だと知っているかのように。
[Shout]お兄ちゃんッ!![/Shout]
ミアの悲鳴も、轟音にかき消される。
暗闇。窒息。重圧。
瓦礫の下敷きになり、肋骨が軋む音が体内を伝う。
[Think]痛い。苦しい。やっぱり、僕はモブなんだ。主役の踏み台になって死ぬ、哀れな犠牲者……。[/Think]
遠のく意識。
走馬灯のように浮かぶ、ミアの笑顔。
『お兄ちゃんは、私のヒーローだよ』
――違う。
ヒーローなんかじゃない。僕はただの、逃げ回るだけの……。
『お兄ちゃん』
不意に、脳裏で弾ける音。
《死線解析》が暴走するほどのアラートを脳内に流し込む。
視界真っ暗な瓦礫の中、見える無数の「死のライン」。
そして、たった一本。
針の穴を通すような、極細の「生」のラインが、青白く、強烈に発光していた。
[Think]僕の死に場所は……僕が決める。[/Think]
瓦礫の隙間から漏れる一筋の光。
ドローンのライトではない。カイトの濁った瞳が、闇の中で青白い燐光を放ち始めたのだ。
[A:天音 カイト:冷静]「……リョウマ。お前は一つ、勘違いをしてる」[/A]
内側から吹き飛ぶ瓦礫。
土煙の中、ゆらりと立ち上がる影。
[A:天音 カイト:怒り]「僕は荷物持ちだ。お前らが捨てたゴミの山が、どれだけ崩れやすいか……一番知ってるのは、僕だ」[/A]
◇◇◇
第四章: 覚醒する死線
崩落は止まらない。
だが、カイトはもう、頭を抱えて震えてはいなかった。
瞳に映る落下岩塊の軌道、衝撃の波及範囲、迷宮全体の構造バランス。
すべてが光のワイヤーフレームとして可視化される世界。
[System]スキル《死線解析》が覚醒しました。対象範囲:迷宮全域。[/System]
[A:天音 カイト:冷静]「右、三歩。屈む。左へ跳躍」[/A]
舞うように瓦礫を回避。
落ちてくる巨岩を足場に、さらに上へと駆け上がる。
人間を超越した反射神経。未来視にも似た、絶対的な予知。
[Think]リョウマたちは、上層の第4エリアにいる。この崩落を利用して、奴らの足場を崩す。[/Think]
ドローンへ向かい、静かに告げる。
[A:天音 カイト:冷静]「みんな、見てて。これが、モブの逆襲だ」[/A]
地上、カイトの生存に沸く歓喜の渦。
同時に爆発するリョウマへの憎悪。
英雄の仮面は剥がれ落ち、いまや彼は世界共通の敵。
だが、そんなことは関係ない。
カイトはただ生きるために、理不尽を噛み砕くために牙を剥く。
上層エリア。
優雅にワインを傾けるリョウマ。
崩落の音をBGMに祝杯を上げようとしたその時、足元の床が唐突に消失した。
[A:豪堂 リョウマ:驚き]「なッ!?」[/A]
[A:天音 カイト:怒り]「落ちろぉぉぉッ!!」[/A]
奈落の底から響き渡る咆哮。
崩落エネルギーの連鎖、迷宮の支柱一点への正確な破壊。
計算されたドミノ倒し。
Sランクパーティーの煌びやかな装備を纏った連中が、悲鳴と共に深淵へ堕ちていく。
[A:豪堂 リョウマ:恐怖]「ふざけるな! 俺は選ばれた人間だぞ! 飛べ! 《飛翔魔法》!」[/A]
空中で体勢を立て直すリョウマ。抜かれる輝く剣。
[Magic]《光輝の聖剣》![/Magic]
極大の光の刃、闇を切り裂きカイトへ迫る。
圧倒的暴力。歴然たるレベル差。
まともに受ければ蒸発は免れない。
だが、カイトの青白い瞳は、その光の中に「綻び」を見ていた。
派手だが燃費が悪く、隙だらけの剣技。
一歩も引かず、錆びたナイフを構え、光の奔流へ突っ込む。
[A:天音 カイト:興奮]「見えたッ、お前の『死線』!!」[/A]
光と闇の交錯。舞う鮮血。
カイトのナイフは、聖剣ではなく鎧の留め具――わずか数ミリの隙間を貫いた。
弾け飛ぶミスリルの鎧、晒される無防備な肉体。
[A:豪堂 リョウマ:絶望]「あ……?」[/A]
胸倉を掴まれ、もつれ合うようにしてさらに深い闇の底――迷宮の核(コア)がある最深部への落下。
[Shout]一緒に来いよ、リョウマ! ここが僕らのステージだ![/Shout]
◇◇◇
第五章: 深淵の王
静寂。
最深部は意外なほど静かで、どこか神聖な空気に満ちていた。
青白い燐光を放つ巨大なクリスタル――迷宮の核(コア)が、脈打つように輝く。
地面に這いつくばるリョウマ。
鎧は砕け、自慢の金髪も泥まみれ、恐怖に引き攣る顔。
その目の前、無数の浮遊カメラ。
ドローンだけではない。迷宮の防衛システムすらもジャックしたカイトが、あらゆる角度からリョウマの醜態を映し出す。
[A:豪堂 リョウマ:恐怖]「や、やめろ……撮るな……俺は、俺は……」[/A]
[A:天音 カイト:冷静]「世界中が見てるよ、リョウマさん。あなたの『本当の顔』を」[/A]
傷だらけの体で、コアの前に立つカイト。
右腕は折れ、全身からの出血。
けれどその立ち姿は、王のように威厳に満ちていた。
ナイフを捨てる。もう復讐の必要はない。リョウマは社会的に死んだ。
だが、崩落の連鎖は止まらない。このままでは迷宮全体が崩壊し、地上の都市すら飲み込む大災害となる。
止める方法は一つ。
誰かがコアと同化し、新たな「迷宮の主」となって制御するしかない。
静かにコアへ触れる手。
[A:天音 カイト:愛情]「ミア」[/A]
画面の向こう、病室で泣き崩れる妹への呼びかけ。
[A:天音 カイト:冷静]「口座への送金ルート、確保したよ。ダンジョンが生み出す魔力リソース……これ全部、ミアの治療費に換金されるように設定した」[/A]
[A:天音 ミア:悲しみ]「いらない……! お金なんていらないから、帰ってきてよお兄ちゃん!」[/A]
ミアの悲痛な叫び、胸を締め付ける痛み。
帰りたい。ミアの作った不格好なオムライスが食べたい。
でも、僕がここで人柱にならなければ、ミアも、世界も死ぬ。
徐々に結晶化していく体。
指先から光の粒子となり、コアへと溶けていく。
[A:天音 カイト:愛情]「ごめん、帰れないや。でも、悲しまないで。僕は死ぬわけじゃない」[/A]
憑き物が落ちたような、穏やかな笑み。
濁っていた瞳は今や、星空のように澄み渡っていた。
[A:天音 カイト:冷静]「僕はここにいる。この深淵から、ずっとミアを見てる。世界中の誰よりも強い『王様』になって、君を守り続けるから」[/A]
カイトを完全に包み込む光。
遠ざかるリョウマの絶叫と崩落音。
最後に画面へ映ったのは、眩い光の中で微笑む少年の口元と、彼が最後に紡いだ言葉。
『行ってきます』
プツン。
配信が途切れることはなかった。
画面は暗転したが、そこには「LIVE」の文字が赤く灯り続けている。
迷宮の崩落は止まり、訪れた静謐な沈黙。
数年後。
その迷宮は「天音の奈落」と呼ばれ、最深部には誰も到達できない聖域となった。
地上では、病を克服した少女が、毎日あるチャンネルを開く。
真っ暗な画面。何も映らない配信。
けれど、そこからは確かに聞こえるのだ。
迷宮の王が、侵入者を拒み、世界を支え続ける、力強い息遣いが。
[A:天音 ミア:愛情]「おはよう、お兄ちゃん」[/A]
少女は画面に向かって微笑む。
深淵の底で、王は今日も孤独に、しかし誇り高く、世界を守り続けている。