第一章 金色のパラシュート
「エレオノーラ! 貴様のような性悪女との婚約は、今ここで破棄する!」
王城の舞踏会場。煌びやかなシャンデリアの下、第1王子クリフォードが声を張り上げた。
その隣には、小動物のように震える男爵令嬢、リリィ。
「……破棄、ですか」
扇子で口元を隠し、私は冷ややかに聞き返した。
周囲の貴族たちがざわめく。私が泣き崩れるとでも思っているのだろう。
残念だったわね。
私の前世は、日本の企業再生請負人(ターンアラウンド・マネージャー)。
この程度の「契約解除」など、日常茶飯事だ。
「理由は、リリィへの嫌がらせだな? 彼女の教科書を隠し、階段から突き落とそうとした!」
「殿下。証拠は?」
「リリィがそう言っている! 彼女の涙が証拠だ!」
私は溜息を飲み込んだ。
この国の司法制度は、いつから感情論で動くようになったのかしら。
「分かりました。婚約破棄、謹んでお受けいたします」
「なっ……!?」
あっさりと認めた私に、殿下が口を開けて固まる。
私は畳み掛けるように続けた。
「その代わり、条件がございます。慰謝料は不要。代わりに、王家の直轄地である『北の果ての荒野』を私に下賜してください」
会場が静まり返った。
北の荒野。
そこは、作物が育たず、悪臭を放つ「黒い泥」が湧き出る死の大地。
誰も寄り付かない、王家の不良債権だ。
「は、はは! 気でも狂ったか? あんなゴミ捨て場を欲しがるとは!」
「ええ。わたくし、静かに余生を過ごしたく存じますの」
「よかろう! あのような不毛の地、くれてやる! 二度と私の前に顔を見せるな!」
殿下は勝ち誇ったように笑った。
私もまた、扇子の裏で口角を吊り上げる。
(契約成立ね、ボンクラ王子)
貴方たちが「黒い泥」と呼ぶその物質。
前世の知識が正しければ、あれは『石油』だ。
エネルギー革命の鍵を握るその土地を手に入れた瞬間、私の勝利は確定した。
第二章 死の大地の正体
ガタゴトと揺れる馬車。
三日の旅程を経て、私は北の荒野に降り立った。
「……臭うわね」
鼻を突く硫黄と油の匂い。
目の前には、見渡す限りの荒野と、所々に湧き出る黒い水溜まり。
「お嬢様、本当にここで暮らすのですか? 使用人たちも皆、逃げ出してしまいました」
唯一ついてきた老執事のセバスが、不安そうに尋ねる。
「セバス。これを見てどう思う?」
私は黒い泥を指さした。
「呪われた泥です。触れれば火傷し、飲めば死ぬ。作物は枯れ、鳥さえも近寄りません」
「いいえ、違うわ」
私はハンカチを取り出し、黒い泥を少しすくい取った。
そして、持っていたランタンの火を近づける。
ボッ!!
瞬時に、黒い泥が赤い炎を上げて燃え上がった。
セバスが腰を抜かす。
「ひっ! 悪魔の魔術!?」
「ただの燃焼反応よ。これは『燃える水』。精製すれば、世界を動かす血液になるわ」
この世界はまだ、薪と炭、そして非効率な魔石に頼っている。
もし、高火力の燃料を安価に供給できれば?
産業構造そのものを支配できる。
「まずは人手ね。セバス、近隣の村で食い詰めている者たちを集めて」
「し、しかし、報酬はどうするのです? 持参金も底をつきますぞ」
「報酬は『現物』と『未来』よ。この泥を使って、まずは彼らの家を温める。そして道路を作るの」
私は泥の成分を分析する。
揮発性の高い成分を分離し、残った粘度の高いアスファルトで道を舗装する。
ぬかるんだ土の道は、物流の最大の敵だ。
舗装された道路ができれば、馬車の移動速度は三倍になる。
物流を制する者は、経済を制する。
「さあ、忙しくなるわよ。領地経営(ビジネス)の時間だわ」
第三章 アスファルトと黄金の雨
半年後。
かつて「死の荒野」と呼ばれた場所は、異様な活気に満ちていた。
「オーライ! 第3精製プラント、圧力正常!」
「タンカー馬車、出発準備完了!」
黒い煙を吐き出す煙突。
整備されたアスファルトの街道を、巨大なタンクを積んだ馬車が行き交う。
私は執務室で、帳簿に目を通していた。
「お嬢様、今月の収益報告です。隣国との燃料輸出契約、さらに増枠を求められました」
「価格を15%引き上げなさい。それでも彼らは買うわ」
「承知いたしました。それと……王都からの視察団が到着しております」
セバスの声が少し硬い。
私はペンを置いた。
「来たわね」
執務室の扉が開かれ、入ってきたのは見覚えのある金髪。
元婚約者、クリフォード王子だった。
「久しぶりだな、エレオノーラ」
彼は信じられないものを見る目で、窓の外の工場群を見つめていた。
「この煙、この騒音……貴様、一体何をした?」
「領地経営ですわ、殿下。何か問題でも?」
「問題だらけだ! 貴様の領地から流れる安い燃料のせいで、王都の魔石鉱山が潰れかけた! それに、この黒い道……我が国の街道より遥かに立派ではないか!」
殿下は苛立ちを隠せない様子で机を叩く。
「王命だ。この土地と技術を、王家に返還しろ」
出た。
典型的な「ジャイアニズム」。
「返還? お言葉ですが殿下、この土地は正式な書類をもって私に譲渡されました。所有権は私にあります」
「黙れ! 国家の危機なのだ! 実は……先日の冷害で、王都は深刻な食糧難にある」
王子の声が少し震えた。
「リリィの『聖女の祈り』で作物を育てようとしたが、魔力不足で失敗した。燃料不足で凍死者も出ている。……頼む、助けてくれ」
やはり。
精神論と奇跡に頼ったツケが回ってきたのね。
私は引き出しから、一枚の羊皮紙を取り出した。
「助けることは可能です。我が領地には、温室栽培で育てた野菜も、暖を取るための燃料も余るほどありますから」
「おぉ! そうか、やはり貴様はまだ私を……」
「ただし」
私は冷酷に告げた。
「これは商談です。タダではありません」
第四章 国を買い叩く女
「な……何だ、この金額は!?」
提示された請求書を見て、殿下が絶叫する。
「市場価格の三倍? 暴利だ!」
「緊急時のスポット価格です。嫌なら他を当たってください。……もっとも、隣国は五倍でも買うと言っていますが」
「くっ……払えるわけがない! 王家の金庫は空だ!」
「存じております」
私はニッコリと微笑んだ。
リリィとの豪遊、無意味な祝典、そして魔石産業への無駄な投資。
王家の財務状況など、物流の動きを見れば手に取るように分かる。
「そこご提案がございます」
私は別の書類を差し出した。
「『債務の株式化(デット・エクイティ・スワップ)』です」
「なんだそれは? 共通語で話せ!」
「簡単に言えば、代金が払えないなら、代わりに『権利』を頂きます」
私は指を折って数え上げた。
「王都の課税権、裁判権、そして軍の指揮権の一部。これらを担保として、我がエレオノーラ商会に譲渡していただきます」
「ば、馬鹿な! それでは実質、国が貴様のものになるではないか!」
「その通りです。経営能力のない経営者(あなた)に代わって、私がこの国を再建して差し上げると言っているのです」
殿下は顔を真っ赤にして剣に手をかけた。
「ふざけるな! そんな契約、認められるか! 武力で奪えば……」
ガチャリ。
一斉に音が響いた。
部屋の四隅、そして窓の外。
私の私兵たちが、最新式の「火縄銃」を殿下に向けていた。
「アスファルトの研究過程で、硝石と硫黄の混合比率も最適化できましてね。剣や魔法よりも、速くて確実ですよ?」
殿下の顔から血の気が引いていく。
この半年、私はただ道路を作っていたわけではない。
経済力は、軍事力に直結する。
「さあ、殿下。サインを。それとも、凍える民を見捨てて、誇りと共に滅びますか?」
ペンの先を突きつける。
それは剣よりも鋭い、決断の刃。
殿下は震える手でペンを取り……そして、崩れ落ちるようにサインをした。
最終章 女王の執務室
数年後。
「エレオノーラ様、今期のGDP成長率ですが、予想を上回りました」
「物流網の整備が効いたわね。次は教育よ。識字率を上げないと、工場の効率が頭打ちだわ」
王城の玉座……ではなく、その隣に新設された「総裁執務室」。
私はそこで、山積みの書類を片付けていた。
名目上の王はクリフォード殿下のままだ。
しかし、彼は今や私の操り人形(シンボル)に過ぎない。
リリィは「浪費がかさむ」という理由で、修道院へ送られた。
「お嬢様……いえ、総裁」
セバスが紅茶を淹れてくれる。
「愛されるお姫様にはなれませんでしたが、これで良かったのですか?」
私は窓の外を見下ろした。
煙突から昇る煙、整備された街並み、そして飢えることなく歩く人々。
「ええ。愛なんて不確かなものより、数字と契約の方がずっと信用できるもの」
私は紅茶を一口飲む。
少し渋くて、甘い。
悪役令嬢は破滅しない。
ただ、世界を買収(M&A)するだけ。
これが私の、ハッピーエンドよ。