第一章 捨て駒のライブ配信
「おい、おっさん。そこで死んでくれよ。それが一番映えるからさ」
まばゆい照明魔法の光の中で、勇者カイトが爽やかに笑った。
彼の背後には、怯えた表情を『演技』する美少女ヒーラーと、ニヤついている重戦士。
そして俺の目の前には、闇よりもなお暗い口を開けた深淵。
ダンジョン深層、未踏破区域。
「……本気かよ」
「本気も何も、数字(同接)が欲しいんだよ。お前みたいな無能な『荷物持ち(ポーター)』が、仲間を逃がすために犠牲になる。泣ける展開だろ?」
カイトが指を鳴らす。
俺の足元の地面が崩れた。
「うわっ!?」
「あ、ドローンは置いていくから。死に様、しっかり撮れよ!」
落下。
視界が反転し、胃がせり上がる浮遊感。
遠ざかるカイトたちの嘲笑が、耳にこびりついて離れない。
ドスンッ!!
激しい衝撃と共に、俺は冷たい石畳に叩きつけられた。
「っ……ぐ、ぅ……」
全身が軋む。
だが、死んではいない。
俺は埃を払いながら、ゆっくりと体を起こした。
目の前には、自動追尾型の配信ドローンが浮いている。
赤いランプが点滅している。
配信中だ。
『え、マジで落ちた?』
『カイト最低だな』
『いやこれ演出だろw』
『死ぬとこ見れるってマ?』
『RIP』
空中に投影されたコメント欄が、猛烈な勢いで流れていく。
俺、相沢レン(28歳)。
スキル『家事代行』。
戦闘力皆無の底辺ポーター。
どうやら俺の人生は、ここでエンディングらしい。
グルルルルル……。
腹の底に響くような唸り声。
闇の奥から、巨大な影が這い出してくる。
金色の瞳。
鋼鉄さえ溶かす熱気を纏った鱗。
深層の絶望。
S級モンスター、『災厄の黒竜(ファフニール)』。
『うわあああああああああ』
『出たああああああ!』
『これガチのやつじゃん』
『逃げろ! 無理だけど!』
『放送事故確定』
俺はため息をついた。
恐怖よりも先に、諦めと、そして奇妙な職業病が顔を出す。
「……汚ねぇなぁ」
竜の足元。
ヘドロのような体液。
散乱する骨。
そして何より、竜自身から漂う、鼻が曲がりそうな悪臭。
俺はポケットから、愛用の『安物のモップ』を取り出した。
「死ぬ前に、掃除くらいさせてくれよ」
第二章 業務名は『清掃』
竜が大きく息を吸い込んだ。
ブレスが来る。
人類が生身で受ければ、灰すら残らない業火だ。
『終わった』
『グロ注意』
『南無』
『今までありがとう名もなきおっさん』
俺はモップを構えた。
スイッチが入る。
俺のスキル『家事代行』のサブスキル、発動。
──対象認識:『頑固な油汚れ』。
「ふっ!」
俺はモップを一閃させた。
ゴォオオオオッ!!
放たれた灼熱のブレスが、俺に直撃する──寸前。
モップの先端が炎に触れた。
ジュッ。
そんな軽い音と共に、炎が消滅した。
いや、消滅ではない。
『拭き取られた』のだ。
「……は?」
竜が、そんな顔をした(ように見えた)。
視聴者の反応も止まる。
『え?』
『は?』
『今バグった?』
『炎消えたぞ???』
「あー、やっぱりここ、換気悪いな」
俺は独りごちながら、竜に向かって歩き出した。
俺の目には、この巨大なS級モンスターが、キッチンの換気扇にこびりついた『落とせそうで落ちない厄介な汚れ』に見えていた。
竜が激昂し、爪を振り下ろす。
音速を超える斬撃。
「そこ、埃溜まってるぞ」
俺は半歩ずれて豨け、すれ違いざまに竜の腕をモップで『乾拭き』した。
ズザァァァン!!
「ギャアアアアアアッ!?」
竜の絶叫。
鋼鉄の鱗が、まるで濡れたティッシュのようにボロボロと崩れ落ちる。
『!?!?!?!?』
『はああああああああ!?』
『モップ最強説』
『何が起きてるんだwww』
『ただの掃除に見えるのにダメージ入ってる!?』
俺のスキル『家事代行』。
レベルがカンストした結果、俺は『掃除対象』と認識したものを、この世から『清掃(デリート)』できるようになった。
それが例え、神話級のモンスターであろうと。
俺にとってはただの『汚れ』だ。
「さて、仕上げだ。年末の大掃除並みに気合い入れないとな」
俺はモップをバケツ(亜空間収納)の水に浸し、固く絞った。
第三章 バズりと残業代
竜が後ずさりした。
深層の王が、ただの中年男性に怯えている。
「逃がすかよ。ここまで散らかしておいて」
俺は床を蹴った。
身体強化魔法なんて使っていない。
ただ、『作業効率を上げるため』のステップだ。
「必殺、除菌消臭・二度拭き不要!」
俺は跳躍し、竜の眉間──急所である逆鱗のあたりに、モップを突き出した。
キュッキュッ。
ファンタジーな世界観にそぐわない、窓ガラスを磨くような音が響く。
瞬間。
パァァァンッ!!
竜の巨体が、光の粒子となって弾け飛んだ。
断末魔すら上げさせない。
あまりにも鮮やかな『汚れ落ち』だった。
静寂。
ドロップアイテムである巨大な魔石だけが、カランと音を立てて落ちる。
「ふぅ……。スッキリした」
俺は額の汗を拭い、カメラに向かって何気なく言った。
「あ、カイト君たち見てる? ここ掃除しといたから、後でチェック頼むわ。あ、残業代は請求するんで」
その瞬間、コメント欄が爆発した。
『掃除しといたwwwwww』
『S級ドラゴン=汚れ』
『カイト涙目www』
『おっさん何者だよ!!』
『スパチャ投げさせろ!』
『【速報】伝説の家政夫、現る』
同接数は、カイトのチャンネルの記録を塗り替え、一気に百万人を突破していた。
投げ銭の通知音が、壊れた目覚まし時計のように鳴り響く。
俺はまだ知らない。
この配信がきっかけで、世界中のギルドや国家、さらには魔王軍からまで『掃除の依頼』が殺到することになる未来を。
「……さて、帰ってビールでも飲むか」
俺はモップを肩に担ぎ、出口へ向かって歩き出した。
もちろん、落ちているゴミ(高レアアイテム)を、ついでに拾い集めながら。