『虚飾の鏡と、裸の魔女』

『虚飾の鏡と、裸の魔女』

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第一章 ルミナスの仮面

「ハイ、Luminous Famのみんな! 今日も世界で一番輝く準備はできてる?」

リングライトの白色光が、網膜を焼くように炸裂する。

私は笑った。口角を15度、ミリ単位の精度で引き上げて。

スマホの画面を流れる数字。

同時接続数、200万。

視線という名の針が、全身の毛穴という毛穴に突き刺さる。

ゾクリと背筋が粟立つ。

脳髄が痺れるような、甘く、暴力的な快感。

私の手の中には、百円ショップで買った安物のリップスティック。

けれど、私の指先が触れた瞬間、それは変貌する。

チープなプラスチック臭が消え、朝露に濡れた薔薇の香気が立ち上る。

「今日はこの『魔法のルージュ』で、あなたの唇に永遠の命を吹き込むわ」

唇に紅を滑らせる。

その瞬間、私の魔力が奔流となって溢れ出した。

くすんだ粘膜が歓喜の悲鳴を上げ、鮮血のような、それでいてビロードのような艶を帯びていく。

コメント欄が滝のように加速した。

『ヤバい、画面越しなのに発光してる』

『Elly様こそ至高の美』

『その顔になりたいなりたいなりたいなりたい』

私は手元のコンパクトミラーを覗き込む。

アンティーク調の、重厚な銀細工が施された鏡。

そこに映っているのは、陶器のように毛穴一つない肌、宝石のように煌めく瞳を持った絶世の美女。

完璧だ。

完璧すぎて、怖い。

ふと、違和感が胸をかすめた。

鏡の中の私が、瞬きをしたのだ。

――私が、瞬きをするよりも、コンマ一秒早く。

「……ッ」

息を呑んで凝視する。

鏡像は、変わらぬ完璧な笑みを浮かべている。

気のせいか。

いや、コメント欄の奔流の中に、奇妙な文字列が混じっている。

『■■■が見ている』

『鏡の裏側』

『逃げられない』

ノイズのような文字は一瞬で流れ去り、賛美の言葉にかき消された。

「(大丈夫。私は、愛されている)」

胸の奥で渦巻く、黒く冷たい塊を押し殺す。

里を追放されたあの日、長老たちが吐き捨てた言葉が、耳の奥で腐臭を放つ。

『お前の心は空洞だ。だからこそ、美という虚飾で埋めるしかない』

鏡の中の私は、皮肉なほど美しく微笑んでいた。

その笑顔の下で、本当の私が窒息しかけているとも知らずに。

第二章 拡散する病

異変が決定的になったのは、深夜のゲリラ配信だった。

「ねえElly、見て。私、頑張ったの」

一人の視聴者、『Eternal_Rose』からのビデオ通話リクエスト。

タップした瞬間、画面の向こうから、異様な気配が漂い出した。

薄暗い部屋。

そこにいたのは、少女ではなかった。

「あ……」

喉が引きつり、声が出ない。

彼女の鼻は、皮膚が限界まで引き伸ばされ、白く透けている。

頬骨はナイフのように鋭く削げ落ち、唇は破裂しそうなほどに膨れ上がっていた。

それは整形手術の失敗ではない。

まるで、粘土細工を無理やりこね回したかのような、人体の構造を無視した歪み。

「綺麗でしょう? もう食事もいらないの。美しささえあれば、お腹も空かないの」

少女が笑う。

皮膚が引きつり、糸が切れるような音が聞こえた気がした。

背景には、散乱した鏡の破片と、血の滲んだ包帯。

コメント欄が狂気で埋め尽くされていく。

『羨ましい』

『私もやらなきゃ』

『Ellyと同じになりたい』

違う。

そんなのは美しさじゃない。ただの自傷だ。

「やめて……そんなことしないで!」

叫んだ瞬間、私の手元のコンパクトミラーが、高熱を帯びたように熱くなった。

あつい。火傷しそうな熱。

思わず鏡を取り落とす。

床に落ちた鏡は、割れなかった。

それどころか、鏡面が水面のように波打ち、黒い霧のようなものが噴き出し始めたのだ。

霧はスマホのカメラレンズへと吸い込まれていく。

――美の感染。増幅。

私の魔力が、電波に乗って暴走している?

いいや、違う。何者かが、私の魔力を「喰って」いる。

私の心の奥底にある「愛されたい」「完璧でなければ価値がない」という飢餓感が、どす黒いウィルスとなって拡散していく。

「配信を切って! 見ちゃだめ!」

震える指で終了ボタンを連打する。

反応しない。

画面の中で、『Eternal_Rose』が、いや、コメント欄の数万人が、一斉に同じ言葉を紡ぎ始めた。

『美とは呪いよ、エレノア』

スマホのスピーカーからではなく、部屋の隅々から、その声は響いた。

冷たく、甘く、逃げ場のない声。

私は床の鏡を見た。

そこに映っていたのは、私ではなかった。

第三章 呪いの正体

鏡が、ふわりと宙に浮いた。

重力など最初から存在しなかったかのように。

部屋の空気が凍りつく。

ラベンダーの香水と、腐った肉の臭いが混じったような、吐き気を催す甘い香り。

鏡の中の像が、めまぐるしく変化する。

ある時は慈愛に満ちた聖母のような顔。

次の瞬間には、妖艶な毒婦の顔。

幼い少女、老練な貴婦人。

そのどれもが、息を呑むほどに美しい。

けれど、その美しさは人間のものではない。

左右対称すぎて、肌が滑らかすぎて、瞳が大きすぎる。

「不気味の谷」の底から這い上がってきたような、完璧な作り物。

『私は、お前たちが望む「理想」そのもの』

鏡の中の女――かつて里で『美の女王』と呼ばれ、禁忌に触れて消えた魔女の成れの果て――が、唇を動かさずに語りかけてくる。

『お前のその、承認への渇望。空っぽの心。それこそが私を現世に繋ぎ止める最高の糧だった』

鏡から溢れ出した光が、部屋中を侵食していく。

壁紙が剥がれ落ち、代わりに豪華絢爛な装飾が施されていく。

私の狭いアパートが、冷たく無機質な宮殿へと書き換えられていく。

『さあ、世界中を私と同じ「完璧」な地獄へ変えましょう。老いも、醜さも、苦しみもない。ただ凍りついた美だけが存在する世界へ』

スマホの通知音が、警報のように鳴り止まない。

ニュース速報の通知。

世界中で、突発的な拒食、集団的な整形願望、自己破壊的な行動が「美のパンデミック」として爆発している。

私のせいだ。

私が「完璧」を演じ続けたから。

傷ついた心を見せず、虚構の輝きで人々を盲目にしたから。

『ほら、見てごらんエレノア。お前の顔』

宙に浮く鏡が、私の目の前に迫る。

そこに映る私は、血の気が引き、髪は振り乱れ、恐怖に歪んでいた。

『醜い。なんて醜いの。早く魔法で隠しなさい。修正しなさい。そうでなければ、誰もお前なんか愛さない』

女王の声が、呪いのように心臓を締め上げる。

そうだ。私は醜い。

メイクを落とせば、ただの地味で、弱虫な、誰からも必要とされない女。

手が震える。

今すぐ魔法を使いたい。

この醜い顔を、完璧な仮面の下に隠してしまいたい。

でも。

私は、崩れかけたファンの顔を思い出した。

彼女は、私の仮面を真似ようとして、壊れた。

「……違う」

私は膝に力を込め、立ち上がった。

足がガクガクと震えている。

脂汗で顔がベタつく。

きっと、今の私は世界で一番見苦しい。

「私は魔女よ。美を作り出すんじゃない。引き出すのが私の魔法」

私は浮遊する鏡を睨みつけた。

そこには、怯えて泣きじゃくる、ちっぽけな女の子が映っていた。

それが私。

愛されたくて必死な、どうしようもない私。

「これこそが、私の『素材』よ」

第四章 崩壊と再生

私はスマホを拾い上げた。

画面はまだ、あのおぞましい宮殿の幻影と、暴走するコメントを映し出している。

親指が、配信再開ボタンの上で止まる。

心臓が早鐘を打っていた。

ドクン、ドクンと、肋骨を内側から殴りつけるような音。

喉が張り付き、砂を噛んだように乾いている。

指先が冷たい。

怖い。

これを押せば、私の築き上げた全てが崩れ去るかもしれない。

「汚い」「詐欺だ」「裏切られた」と罵られるかもしれない。

(それでも)

私は、強く目を閉じた。

そして、勢いよく目を開くと同時に、ボタンを押した。

フィルター、オフ。

照明補正、オフ。

魔法効果、全解除。

画面に映ったのは、Luminous_Ellyではない。

ただのエレノア。

目の下には濃いクマ。

頬には小さなニキビ跡。

髪はボサボサで、唇はカサついて皮がめくれている。

『え、誰?』

『放送事故?』

『うわ、きっつ』

『汚い、見たくない』

辛辣な言葉が、礫のように降り注ぐ。

胸が張り裂けそうだ。

涙が滲んで、視界が歪む。

鏡の中の女王が、嘲笑うように囁く。

『愚かな。完璧以外に価値などないのに』

「うるさいッ!!」

私は叫んだ。

カメラのレンズを、いや、その向こうにいる全ての「孤独な魂」を睨みつける。

「見て。これが私。Luminous_Ellyの正体」

私は震える指で、自分の頬をなぞる。

カサカサとした肌の感触。

「ここにあるシミも、笑った時にできるシワも、疲れきったクマも。全部、私が今日まで生きてきた証拠」

私は鏡に向き直る。

そこにはまだ、絶世の美女が映っている。

けれど、その美女は、私の姿を映していない。

「あなたは完璧よ。でも、それだけ。そこには『物語』がない」

私は一歩、鏡に近づいた。

「私たちは、欠けているからこそ、誰かと繋がれる。凸凹だからこそ、噛み合うの!」

『寄るな! 汚らわしい! 私の世界を汚すな!』

鏡の中の美女が、恐ろしい形相で絶叫した。

その顔に、初めて焦燥の色が浮かぶ。

「いいえ、受け入れなさい。これが現実。これが人間!」

私は両手を広げ、自分の「ありのまま」を、鏡に押し付けた。

魔法の光線など放たない。

ただ、私という「不完全な存在」を、鏡の目の前に突きつけたのだ。

鏡は、私を映さなければならない。

それが鏡の理(ことわり)だから。

けれど、女王は「完璧」しか許容できない。

「映してごらん! この、泣き顔で、不細工で、最高に生きている私を!」

『やめろ……映せない……それは美ではない……矛盾している……エラー、エラー、エラー……ッ!』

鏡面が激しく明滅する。

私の醜さを映そうとする機能と、それを拒絶する女王の意思が衝突し、鏡の中で激しいスパークが走る。

コメント欄の流れが変わった。

『なんか、Elly、すごく必死』

『さっきの顔より、今の泣き顔の方が、なんか胸に来る』

『私も、疲れたな。メイク落としたい』

『Elly、ありがとう』

『人間じゃん。私たちと同じ、人間じゃん』

無数の「共感」が、魔力となって私に流れ込んでくる。

それは「崇拝」ではなく、もっと温かく、柔らかい力。

『いやあああああ! やめて! 不完全なものを愛するな!』

女王の絶叫がガラスを震わせる。

「さよなら、完璧な私」

私は鏡に触れた。

パキッ。

小さな音が響く。

中心から走った亀裂は、瞬く間に蜘蛛の巣状に広がった。

『美とは……永遠……のはず……』

パリーンッ!!

鏡が砕け散った。

銀色の破片が雪のように舞い散り、女王の断末魔とともに虚空へ消えていく。

同時に、部屋を覆っていた幻影の宮殿も、霧散した。

砕け散った鏡の破片の向こうに、一瞬、人間の姿に戻った女王が見えた気がした。

老婆のようにしわくちゃで、けれど、憑き物が落ちたように穏やかに微笑む横顔が。

エピローグ 光

あれから、私はただの人になった。

石を宝石に変えることも、肌を瞬時に若返らせることもできない。

でも、私のチャンネル登録者は減らなかった。

むしろ、以前より増えている。

「今日のメイクはここまで。どう? アイラインちょっと歪んじゃったけど、まあ、これも味だよね」

安物のスタンドミラーに映る私は、相変わらずクマがあるし、毛穴も目立つ。

でも、その瞳には、以前のような飢えた獣の光はない。

代わりに、穏やかな春の陽射しのような光が宿っている。

窓の外を見る。

街を歩く人々は、それぞれの「不完全さ」を抱えて歩いている。

猫背の人、派手すぎる服の人、自信なさげに俯く人。

そのすべてが、たまらなく愛おしい。

世界はこんなにも、最初から魔法に満ちていたのだ。

私はカメラに向かって、心からの笑顔を向けた。

15度の角度も計算しない、目尻にシワが寄る、くしゃくしゃの笑顔を。

「それじゃあ、またね。愛を込めて」

録画停止ボタンを押す。

画面が暗転し、黒いガラスに映り込んだ私の顔は、今までで一番、確かに輝いていた。

AIによる物語の考察

『虚飾の鏡と、裸の魔女』深掘り解説文

主人公エレノアは、里での過去と「心は空洞」という呪縛から、完璧な美の仮面を被り承認欲求を満たしていました。これは彼女の根深い孤独と「愛されたい」という飢餓感の表れです。

鏡像の瞬きや不穏なコメントは、彼女の承認欲求を「糧」とする『美の女王』の存在と、魔力暴走によるパンデミックの兆候を示す伏線。百円ショップのリップが変貌する描写も、女王の力が作用し始めている伏線です。

本作は、SNS時代の「完璧」な自己演出と、その裏にある虚無、そして他者からの「いいね」に依存する現代人の承認欲求の危うさを問います。真の美とは、不完全さを受け入れ、ありのままの自分を愛する勇気によって育まれる「物語」であると提示し、共感と自己受容による再生を描いています。
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あなたのアイデアをAIに与えて、この物語の続きや、もしもの展開を創作してみましょう。

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