第一章 荒野の例外処理(エクセプション)
「アリス・フォン・ローゼンバーグ。貴様を辺境の不毛の地、ノルドエンドへ追放する!」
王太子殿下の高らかな宣言。
それに対する私の感想は、ただ一つだった。
(……うるさいな。音声データのボリューム設定、ミスってるんじゃない?)
婚約破棄。
断罪イベント。
そして、死の荒野への追放。
乙女ゲームでよくあるシナリオだ。
本来なら、私はここで泣き崩れ、絶望の中で野垂れ死ぬ「役」を与えられている。
けれど、私の視界には別のものが見えていた。
『EventID: 004_Exile / Status: Executing...』
『Target: Alice (Role: Villainess) / HP: 120/120』
前世、システムエンジニアとして過労死した記憶。
それが、この世界を「データ」として視認する異能(バグ)となっていた。
「……謹んでお受けいたしますわ」
私は優雅にカーテシーを決めた。
内心で、目の前の王太子(NPC)の顔に表示された『知力:25』というステータスを嘲笑いながら。
◇
ノルドエンド領。
そこは、石と砂だけの世界だった。
「お嬢様……いえ、アリス様。この土地では、作物は育ちません」
唯一、私についてきてくれた近衛騎士のジークが、悔しそうに唇を噛む。
彼は本来、ヒロインを守る攻略対象だったはずだが、私の「バグ」の影響か、なぜか悪役令嬢(わたし)への忠誠度がカンストしている。
私は足元の乾いた土を手に取った。
サラサラと指の隙間から砂が落ちる。
普通の人間なら、ただの砂。
でも、私には見える。
『Object: Soil / Nutrient_N: 0 / Nutrient_P: 0 / Nutrient_K: 0 / Water: 0.5%』
「なるほどね。パラメータが全部ゼロになってる」
「え? ぱら……?」
「意図的に『育たないように設定された』土地ってことよ。この領地が滅びることで、隣国との戦争フラグが立つ仕様なんでしょうね」
私はドレスの裾をまくり上げ、持参した鍬(くわ)を構えた。
「ジーク、そこの岩をどかして」
「は、はい! ですが、何を……?」
「何って、デバッグよ」
私は虚空に浮かぶ半透明のウィンドウ――私にしか見えないコンソール――を操作する。
『Skill: [Overwriting] Activate.』
この世界の理(ルール)に、私の魔力(コード)を流し込む。
土壌のパラメータを直接書き換える、禁断の裏技。
「窒素固定、リン酸供給、カリウム増幅……ついでに保水率を60%に固定、と」
カッ、と鍬が青白く発光する。
それを思い切り、大地に叩きつけた。
ドォォォォン!!
衝撃音が響き、ひび割れた大地から光が溢れ出す。
死んでいたはずの土が、一瞬にして黒々とした、湿り気を帯びた腐葉土へと変質していく。
「な……っ!? ア、アリス様!? これは魔法ですか!?」
「いいえ、ただの『設定変更』よ。これでトマトが育つわ」
私は額の汗を拭った。
さあ、スローライフの始まりだ。
このふざけた悲劇的運命(シナリオ)を、私が美味しく書き換えてやる。
第二章 騎士とトマトと構文エラー
一週間後。
ノルドエンド領には、あり得ない光景が広がっていた。
見渡す限りの緑。
たわわに実る真っ赤なトマト。
ついでに、私の「空間座標の数値をいじる」という荒技で、地下水脈を無理やり地表に引きずり出したため、小川まで流れている。
「……信じられません」
ジークが、採れたてのトマトを齧りながら呟いた。
「この短期間で、これほどの収穫量……。王都の魔導師団でも不可能です」
「魔導師たちは『手順』を守るから遅いのよ。私は『結果』を直接入力してるだけ」
私もトマトを口に放り込む。
甘い。そして味が濃い。
『Taste_Value: 99 (MAX)』
当然だ。味のパラメータも最大値に固定したからね。
「んーっ! 美味しい! これならスープにしても最高ね」
「アリス様……貴女は、世界を革命するおつもりですか?」
「まさか。私はただ、美味しいものを食べて、昼まで寝て、老後は縁側で猫を撫でたいだけ」
そう。
私は「世界を救う」なんて大それたことは考えていない。
ただ、私の安眠を妨げる「滅びの運命」が邪魔なだけだ。
「でも、その『平穏』が一番難しいのかもしれませんね」
ジークが空を見上げる。
その視線の先。
青空の一部に、黒いノイズのようなものが走っていた。
『Warning: Scenario Error Detected.』
『Correction Force: Approaching...』
世界の管理システム(かみさま)が、バグに気づいたらしい。
シナリオ通りに滅びないこの領地を消去するために、強制力を差し向けてくる。
「……来たわね、運営(かみ)」
地平線の向こうから、土煙が上がる。
魔物の群れだ。
それも、ただの魔物じゃない。
輪郭がブレて、テクスチャが剥がれ落ちたような、バグったドラゴンたち。
「アリス様、お下がりください! 私が時間を稼ぎます!」
ジークが剣を抜き、前に出る。
その背中は頼もしいけれど、震えていた。
相手は「システムによる粛清」。一介の騎士が勝てる相手じゃない。
「下がってて、ジーク」
「しかし!」
「貴方の剣じゃ、あの『データ』は斬れないわ」
私はトマトを置き、再びコンソールを開いた。
「私の畑を荒らす害虫は、駆除(デリート)対象よ」
第三章 管理者権限(アドミニストレータ)
迫りくるバグドラゴン。
その咆哮は、不快なノイズ音として響く。
『Roar.wav corrupted.』
「うっさ」
私は右手をかざす。
狙うのは、ドラゴンの眉間にあるコア――ではなく、その頭上に浮かぶ識別コード。
『Enemy_ID: 999_Cleaner_Dragon』
「Select All. Delete.」
私の言葉と同時に、世界が白く明滅した。
何万という魔術式を展開する必要はない。
ただ、彼らの「存在定義」を削除すればいい。
シュンッ。
先頭を走っていたドラゴンが、唐突に消失した。
血も肉も残さず、ただ「最初からいなかった」かのように。
続く二体目、三体目も同様。
私が指を振るうたびに、脅威はただの空白へと還っていく。
「な……何が起きているのですか……?」
ジークが呆然と立ち尽くす。
しかし、空の亀裂は収まらない。
むしろ拡大し、そこから巨大な「目」が覗いた。
『System Alert: Illegal User Detected. Terminating...』
天から降り注ぐ、純粋なエネルギーの奔流。
あれは物理攻撃じゃない。
この座標ごとデータを初期化する「リセット光線」だ。
「……やっぱり、直接文句を言わないとダメみたいね」
私は笑った。
スローライフのためなら、神様相手の説教だって厭わない。
「ジーク、今日の夕食はシチューよ。先に戻って準備をしていて」
「え? アリス様、何を……」
「ちょっと、運営と交渉(ケンカ)してくる」
私は地面を蹴った。
重力制御(Gravity_Set: 0)。
体が一気に空へと舞い上がる。
迫りくる消去の光に向かって、私は右手を突き出した。
その手に握られているのは、剣でも杖でもなく、ただの「ペン」。
この世界を記述する万年筆だ。
「アクセス承認。管理者権限(ルート)、奪取」
私の瞳の中で、世界のコードが羅列される。
『Exec: Destruction』
その行を見つけ出し、ペン先で書き換える。
『Exec: Celebrate』
カッッッ!!!!
降り注いでいた破壊の光が、突如として無数の花びらへと変わった。
降り注ぐ光のシャワーが、荒野をさらに鮮やかに彩っていく。
空の「目」が、驚愕に見開かれたように見えた。
「私の領地(サーバー)に勝手なアクセスは禁止よ」
私は空に向かって、人差し指を立てて「静かに」のポーズを取る。
「ここでは、私がルール(法律)だ」
空の亀裂が、諦めたように閉じていく。
システムが理解したのだ。
このエリアは、もう制御不能だと。
最終章 バグだらけの幸せな食卓
「……おかえりなさいませ、アリス様」
屋敷に戻ると、ジークがエプロン姿で待っていた。
テーブルには、私が育てた野菜たっぷりのシチュー。
「ただいま、ジーク。ふふ、似合ってるわよ、そのエプロン」
「からかわないでください。……本当に、貴女という人は」
彼はため息をつき、それから優しく微笑んだ。
「貴女が何者であれ、ここは貴女の守った場所です」
窓の外を見る。
かつて死の荒野だった場所は、今は夕陽に照らされた黄金の畑になっている。
シナリオ上の私は、ここで死ぬはずだった。
でも今は、温かいスープと、大切な人がいる。
「さて、いただきましょうか」
「はい」
スプーンを口に運ぶ。
完璧な塩加減。素材の味。
(……ん? ちょっと待って)
視界の隅に、小さな文字が浮かぶ。
『Note: Love_Interest_Flag: ON (Status: Irreversible)』
ジークの頭上に、いつの間にかピンク色のフラグが立っていた。
しかも「不可逆(もどせない)」設定で。
「……アリス様? 顔が赤いようですが」
「……なんでもないわ。スープが熱いだけ!」
どうやら、私のスローライフには、まだいくつか予期せぬ「バグ」が残っているらしい。
けれど、それも悪くない。
すべてが計算通りの世界なんて、退屈なだけだから。
私はふわりと笑って、愛おしい「バグ」だらけの日常を噛み締めた。
(了)