深海軌道:アビス・ゲート

深海軌道:アビス・ゲート

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第一章 一万メートルの密室

「息が、詰まる」

ヘルメットのバイザーが曇る。

自分の吐息だ。

「カイト、数値は?」

イヤホンから響く声はノイズ混じりだ。

俺は震える指でコンソールを叩いた。

「深度一万とんで九十。水圧、正常……いや、配管C-4に微細な歪みあり」

「誤差の範囲だ。続けろ」

地上の管制室にいる連中は気楽なものだ。

ここには太陽がない。

あるのは、頭上を一〇〇〇気圧で押し潰そうとする、絶対的な闇だけ。

俺、相馬カイトは、世界初の深海宇宙港『アビス・ゲート』の保全技師だ。

宇宙へ行くために、なぜ深海へ潜るのか。

答えは単純。

『重力カタパルト』だ。

海底から海面までの浮力と、圧縮ガスの爆発的な膨張を利用し、ロケットを初速ゼロからマッハへ叩き込む。

燃料コストを九割カットする、狂気のシステム。

「おい、なんだ今の音は」

背後で、視察団のひとりが声を上げた。

エレナ・ヴァイス。

出資企業の令嬢だ。

真っ白なデザイナーズ宇宙服が、ここでは死装束に見える。

「金属が鳴いてるだけだ」

俺は短く返す。

だが、今の音は違った。

キィィン……。

耳鳴りのような高周波。

これは、チタン合金が悲鳴を上げている音だ。

「カイト、気密隔壁を閉鎖しろ」

直感が叫んだ。

「管制! Cセクターで異常振動! 緊急浮上シークエンスを!」

「許可できない。現在、VIP対応中だ。誤報ならクビだぞ」

「クビで済めば御の字だ……ッ!」

ドォン!!

衝撃。

床が垂直に跳ね上がった。

警報音が鳴り響く暇もない。

真横の壁が、見えない刃で切り裂かれたように裂けた。

水だ。

ジェット機のような轟音と共に、海水が噴き出す。

それは液体ではない。

鋼鉄をも貫く、高圧の槍だ。

「きゃああっ!」

エレナの体が吹き飛ばされる。

「捕まれ!」

俺は彼女の腕を掴み、隔壁のレバーを引いた。

油圧が唸り、分厚い扉が閉まる。

そのわずかな隙間から見えたのは、同僚の整備士が、一瞬で赤い霧になって弾け飛ぶ光景だった。

第二章 沈黙の捕食者

静寂が戻る。

あるのは、遠くで響く轟音と、非常灯の赤い点滅だけ。

「……は、はぁ……何、今の……」

エレナが床にへたり込んでいる。

ヘルメット越しでも、顔色が紙のように白いのが分かった。

「マイクロ・クラックだ」

俺は計器をチェックしながら吐き捨てる。

「髪の毛一本分のヒビでも、この深度なら致命傷になる。水圧カッターを知ってるか? あれの一〇〇倍の威力が、四方八方から襲ってくるんだ」

「助けは……潜水艇は?」

「呼べない」

俺は端末の画面を彼女に見せた。

『NO SIGNAL』。

「アンテナをやられたか、中継ブイが潰れたか。ここはもう、宇宙の彼方より遠い」

俺は自分の脈拍が早くなるのを感じた。

閉所恐怖症。

皮肉な話だ。

広大な宇宙に憧れてここに来たのに、今は厚さ数十センチの棺桶に閉じ込められている。

ポケットから安定剤の錠剤を取り出し、給水チューブ経由で飲み込む。

苦い。

「どうするの? ここで死ぬのを待つの?」

エレナの声が震えている。

「生き残る道は一つ。中央発射サイロまで行く」

「発射サイロ? ロケットに乗るつもり?」

「そうだ。ロケットの緊急脱出ポッドなら、独立した生命維持装置がある。そのまま海面まで射出できるはずだ」

だが、問題がある。

現在地からサイロまでは、浸水エリアを迂回して、整備用ダクトを通らなけばならない。

「ついて来い。遅れたら置いていく」

「待って! 足が……」

見ると、彼女のスーツの脚部アクチュエータが破損している。

自力歩行は困難か。

「チッ……」

俺は舌打ちをし、彼女を背負い上げた。

重い。

だが、パワードスーツの補助がなければ、一歩も動けなかっただろう。

「……ありがとう」

「礼は地上で言え。生きていればな」

ダクトの中は狭い。

這うように進む。

頭上を這う配管から、不気味な音がする。

ミシミシ、パキパキ。

深海が、この異物を咀嚼しようとしている音だ。

「ねえ、カイト」

背中でエレナが呟く。

「この施設、何かがおかしいと思わない?」

「あ?」

「父様の会社……『エイジス・インダストリー』は、宇宙開発なんて興味なかったはずなの。利益率が悪いって。でも、急にこの計画に全財産を投じた」

「道楽だろ」

「違う。ここに来る前、父様が言っていたの。『あれは門だ』って」

門。

ゲート。

その時、ダクトの先が開けた。

サーバールームだ。

本来、ここを通る予定はなかったが、崩落で迂回させられた。

そこで俺たちは見た。

水冷用の巨大なタンクの中に浮かぶ、

『それ』を。

第三章 深淵の住人

「何よ、これ……」

エレナが息を呑む。

透明なタンクの中。

青白い光を放つ、巨大な有機的な塊。

クラゲのようでもあり、脳髄のようでもある。

無数のケーブルが、その肉塊に突き刺さり、サーバーへと繋がっていた。

「バイオコンピューター……? いや、違う」

俺は技師としての知識を総動員する。

これは地球の生物じゃない。

「深海熱水噴出孔で見つかった、未知の極限環境微生物……その集合体か?」

モニターに表示されたデータを見て、俺は戦慄した。

『演算処理速度:エクサスケール突破』

『接続状況:意識アップロード中』

「嘘だろ……」

全てが繋がった。

宇宙港なんてのはカモフラージュだ。

ロケットを飛ばすためじゃない。

この高水圧環境でしか生きられない『知的生命体』を拘束し、その演算能力を利用して、人間の意識をデータ化する実験場。

それが『アビス・ゲート』の正体。

「父様は、これを知っていたの……?」

「知るかよ。だが、これだけは分かる」

俺はコンソールを操作しようとした。

拒絶音。

『警告。汚染リスク検知。エリア浄化を開始します』

冷徹なAIの声。

「浄化?」

シュゴーッ!!

部屋の隅から、海水が注入され始めた。

事故じゃない。

意図的な浸水だ。

「口封じかよ!」

「カイト! 水が!」

「走れ! サイロは目の前だ!」

俺たちは走った。

背後でサーバーがショートし、火花と水蒸気が爆発する。

謎の生物が、タンクの中で脈動した気がした。

まるで、嘲笑うかのように。

第四章 選択の重量

発射サイロに辿り着いた時、水位は腰まで達していた。

目の前にそびえ立つ、H−Ⅱ改造型ロケット。

その先端にあるカプセル。

「あった! あれに乗れば!」

エレナが叫ぶ。

だが、ブリッジを渡り、ハッチを開けた俺は絶句した。

座席がない。

そこにあるのは、巨大なハードディスクドライブの塊だけ。

「……優先順位は、人間よりデータか」

このロケットは、あのアメーバもどきが解析した『人間の意識データ』を、地上のクラウドへ送信するための輸送機だったんだ。

「乗れない……」

エレナが崩れ落ちる。

水嵩は増していく。

あと五分で、ここは完全に水没する。

俺はロケットの制御パネルを開けた。

スパナでカバーをこじ開ける。

「何をするの?」

「席を作るんだよ!」

俺は固定金具を叩き壊し、数億円分の価値があるであろうデータドライブを引きずり出した。

「手伝え! これを捨てないと、俺たちが入れない!」

「でも、それは父様の会社にとって……」

「命と金、どっちが重いか天秤にかけてる暇あんのかよ!」

俺の怒号に、彼女はハッとして頷いた。

二人で重たいドライブを床に突き落とす。

ガゴンッ、と鈍い音がして、黒い箱が水没していく。

スペースが空いた。

だが、一人分と少し。

「……乗れ」

俺はエレナを押し込んだ。

「え? カイトは?」

「俺はここで操作しなきゃならない。自動発射シークエンスはロックされてる。手動で点火して、強制パージするしかないんだ」

嘘だ。

本当は、ここからでもタイマー設定はできる。

だが、二人乗れば重量オーバーだ。

この深度からの射出。

わずかな重量増が、推力不足で圧壊を招く。

俺は閉所恐怖症だ。

狭いカプセルで、彼女と密着して死ぬより、広い海で死ぬ方がマシだ。

……なんてな。

「嫌よ! 一人なんて!」

「行け! お前が生きて、このふざけた実験を世間に公表するんだ。それが俺たちの復讐だ」

俺はハッチを閉めた。

ガラス越しに、エレナが何かを叫んでいる。

泣いているのか。

「……いい顔になったじゃねえか」

俺はコンソールに向き直る。

水はもう、胸まで来ている。

冷たい。

けれど、不思議と息苦しさは消えていた。

『発射シークエンス、起動』

俺は震える手で、エンターキーを叩いた。

第五章 一万メートルの空へ

轟音。

サイロが振動し、白い蒸気が視界を埋め尽くす。

ロケットが、アンカーを焼き切って上昇を始めた。

俺はその光景を見上げていた。

炎の光が、深海の闇を一瞬だけ照らす。

美しい。

皮肉にも、俺が今まで見た中で一番美しい「打ち上げ」だった。

「……いってらっしゃい、お姫様」

ロケットは加速し、海中を切り裂いていく。

ソニックブームが水圧となって押し寄せ、俺の体を壁に叩きつけた。

バイザーにヒビが入る。

海水が侵入してくる。

意識が遠のく中で、俺は奇妙なものを見た。

壊れたタンクから流れ出した、あの青白い生物が、俺の周りを漂っている。

それは俺を捕食しようとしているのではなく、まるで抱擁するように、優しく包み込んできた。

(……暖かいな)

ヘルメットの中に水が満ちる。

苦しくはない。

俺の意識は、肉体を離れ、どこまでも深く、そして高い場所へと拡散していく。

それは死ではない。

新たなフロンティアへの、本当のダイブだった。

――数日後。

海上に浮かぶ回収船の甲板で、エレナは空を見上げていた。

『エイジス・インダストリー』の違法実験は暴かれ、株価は大暴落。

警察の捜査が入った。

彼女の手には、カイトが持っていたボロボロの認識票。

「バカね、カイト」

彼女は呟く。

「あなたの口座に、約束の報酬、振り込んでおいたわよ」

風が吹く。

その風の中に、微かに潮の香りと、彼の笑い声が混じっている気がした。

AI物語分析

【主な登場人物】

  • 相馬カイト: 本作の主人公。深海宇宙港の保全技師。「宇宙に行きたかったが深海に飛ばされた」という設定は、現代社会における「理想と現実の乖離」を象徴する。閉所恐怖症という欠点は、物語上のサスペンスを高めると同時に、彼が最後に「肉体という檻(閉所)」から解放される伏線となっている。
  • エレナ・ヴァイス: 巨大企業『エイジス』の令嬢。当初は守られるだけの存在(無垢な観察者)だが、カイトとの極限状態を通じて、企業の罪(父の罪)と向き合う強さを獲得する。彼女は読者視点の代弁者であり、物語の証人となる役割を担う。
  • 深海生命体(アビス・コア): 敵対的存在に見えるが、本質的には善悪を超越した自然エネルギーの象徴。人類の「データ化(不死への渇望)」という欲望を、静かに飲み込む鏡のような存在。

【考察】

  • 上下の逆転とフロンティア: 本作は「宇宙へ行くために深海へ潜る」という構造を持つ。これは、外へ向かう(宇宙開発)ことと、内へ向かう(深層心理・深海)ことが表裏一体であるというメタファーである。タイトルの「深海軌道」は、進化の方向性が物理的な上昇だけでなく、意識的な深度へも向けられていることを示唆する。
  • 「Show, Don't Tell」の実践: 恐怖を「怖い」と書くのではなく、「バイザーの曇り」「チタンの悲鳴」「震える指」で表現することで、読者にカイトの息苦しさを追体験させる構成とした。特にラストシーンにおける「暖かさ」の描写は、死の恐怖と解放の安らぎを同時に表現している。
  • 現代技術への問い: サーバー冷却のために深海を利用する、人間の意識をデータ化するといった設定は、現実のデータセンター海底設置計画やトランスヒューマニズム思想を反映している。効率と倫理の対立という普遍的なテーマを、エンターテインメントとして昇華させた。
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