第一章 断罪の鐘は計画通りに
「エラ・フォン・ベルンシュタイン! 貴様との婚約を、今この時をもって破棄する!」
王宮の大広間、クリスタルのシャンデリアが放つ煌びやかな光の下で、フレデリック王太子の怒号が響き渡った。
その瞬間、音楽が止まる。
着飾った貴族たちのさざめきも、波が引くように静まり返った。
何百もの視線が、ホールの中央に立つ私――エラに突き刺さる。
私は、ゆっくりと扇子を閉じた。
パチリ、という乾いた音が、静寂に予想以上の大きさで響く。
「……理由は、伺っても?」
声は震えていないはずだ。
脊筋を伸ばし、顎を引く。
その角度まで、私は鏡の前で千回も練習したのだから。
「白々しい! ここにいるミアへの陰湿な嫌がらせ、もはや看過できん!」
王太子の隣では、小動物のような瞳をした男爵令嬢ミアが、彼の腕にすがって震えている。
ピンクブロンドの髪、潤んだ瞳。誰もが守りたくなる「正ヒロイン」の姿。
「階段から突き落とす、教科書を切り裂く、紅茶に毒を盛る……数々の悪行、申し開きができようか!」
私は口元を扇子で隠し、冷ややかな視線を二人に向けた。
(ああ、順調だわ)
内心で小さくガッツポーズをする。
時刻は午後八時十五分。
私の記憶にある「史実」――前世で読み込んだ歴史書『ベルンシュタインの崩壊』の記述通り、一分の狂いもなく断罪劇が始まった。
ここで私が婚約破棄され、北の僻地へ追放されなければならない。
そうでなければ、この国は一年後に滅びるのだから。
「沈黙は肯定とみなす! 衛兵、この女を連れて行け!」
王太子の合図と共に、重厚な鎧をまとった近衛兵が歩み寄ってくる。
金属の擦れる音が、私の処刑へのカウントダウンのように聞こえた。
ミアがちらりと私を見た。
その瞳の奥に、勝利の優越感と、微かな嘲笑が浮かんでいるのを私は見逃さなかった。
(笑えばいいわ、ミア。あなたが『聖女』として覚醒しないことが、この国を救う唯一の道なのだから)
私は抵抗せず、衛兵に両腕を差し出した。
冷たい手錠の感触。
「エラ、最後に慈悲だ。北の廃城へ幽閉とする。二度と王都の土を踏めると思うな」
「謹んで、お受けいたしますわ。殿下」
私は優雅にカーテシーをした。
完璧な悪役として、最上の皮肉を込めて。
「どうぞ、その愛らしい聖女様と永遠にお幸せに。……歴史がそれを許せば、の話ですが」
広間を去る私の背中に、罵倒の声が浴びせられる。
けれど、私の唇は自然と吊り上がっていた。
これでいい。
私が舞台から降りることで、ようやく「本当の歴史改変」を始められる。
第二章 凍てつく荒野の図書館
北の廃城は、文字通り凍り付いていた。
隙間風がヒューヒューと鳴き、石造りの壁は氷のように冷たい。
「お嬢様、また薪が足りません……」
唯一付いてきてくれた侍女のアンナが、白い息を吐きながら肩をすくめる。
彼女の手は赤切れだらけだ。
「アンナ、私の書斎から『青い革表紙の本』を持ってきて」
「え? 燃やすのですか? あれはお嬢様が一番大切にしていた……」
「ええ、燃やすのよ。ただし、薪としてではないけれど」
私は手袋を外し、アンナが持ってきた分厚い本を受け取った。
表紙には何も書かれていない。
だが、ページを開けば、そこにはびっしりと日本語で「これから起こる未来」が記されている。
これは私の前世の記憶を書き留めたものではない。
私の固有魔法【史実記述(ヒストリア・レコード)】によって具現化した、確定した未来の記録だ。
本来の歴史では、ミアが聖女として覚醒し、その強大すぎる浄化の力が暴走して、王都は光に飲まれて消滅する。
それを防ぐには、聖女の覚醒条件である「悪役令嬢による命の危機」を回避しつつ、別のエネルギー源を確保する必要があった。
「見ていて、アンナ」
私は暖炉の前で本を開いた。
『X年X月X日、北の廃城にて、エラ・フォン・ベルンシュタインは寒さと飢えにより衰弱死する』
その記述を指でなぞる。
「ふざけた結末ね。私はこんなところで終わらない」
指先に魔力を込める。
バチッ、と青白い火花が散った。
インクの文字が悲鳴を上げるように歪み、書き換わっていく。
『……エラは、廃城の地下に眠る古代竜の魔力脈を発見し、莫大な熱源を手に入れる』
その瞬間、ズズズ……と地響きが鳴った。
アンナが悲鳴を上げて私にしがみつく。
「お、お嬢様!?」
「怖がらないで。ただの暖房設備のスイッチが入っただけよ」
暖炉の奥から、ゴーッという音と共に、赤い炎ではなく、黄金色の温かな風が吹き出した。
一瞬にして部屋の空気が緩む。
歴史の改竄。
これこそが、私が隠し続けてきた本当の力。
ただし、これには代償がある。
「ぐっ……」
心臓を鷲掴みにされるような痛みが走り、私はその場に膝をついた。
口元を抑えた手のひらが、どす黒い血で濡れる。
「お嬢様!」
「平気よ……。歴史を騙すには、命を削るくらいのチップが必要なの」
私は血を拭い、ニヤリと笑った。
「さて、次は王都に流行る予定の『黒死の病』の記述を書き換えるわよ。準備はいい?」
第三章 嘲笑う影
一年後。
王都は混乱の極みにあった。
「なぜだ! なぜ聖女の祈りが届かない!?」
フレデリック王太子は、執務室で机を叩きつけた。
王都には原因不明の熱病が蔓延し、頼みの綱である聖女ミアの治癒魔法は、なぜか一切効果を発揮していなかった。
「フレデリック様……ごめんなさい、私、力が……」
ミアが泣き崩れる。
だが、当然だ。
その病は、本来ミアの聖女覚醒イベントのために「世界」が用意した試練だった。
しかし、私が北の地から【史実記述】に干渉し、病の性質を「魔力起因」から「ウイルス起因」に書き換えたのだ。
魔法しか知らない聖女に、科学的なウイルスが治せるはずがない。
そして、特効薬を作れるのは――。
「殿下! 北の『氷の魔女』から書簡が届いております!」
伝令の兵士が転がり込んでくる。
「氷の魔女だと? あの追放されたエラのことか?」
王太子は忌々しげに手紙をひったくった。
封蝋には、ベルンシュタイン家の紋章。
『拝啓、愛しいフレデリック殿下。
王都の流行り病にお困りのこととお察しします。
治療薬は、すでに我が領地にて大量生産しております。
ただし、提供には条件がございます。
一、ミア・フォン・ミューラー男爵令嬢の聖女の称号剥奪。
二、王家が所有する全鉱山の採掘権の譲渡。
三、私、エラ・フォン・ベルンシュタインへの、国家反逆罪の取り下げと、公爵位での復帰。
以上を呑めない場合、どうぞ皆様、美しく滅びて下さいますよう』
「ふ、ふざけるな! あの女、足元を見おって!」
王太子は手紙を破り捨てようとしたが、窓の外から聞こえる民衆の苦悶の声に手が止まる。
「殿下……もう、限界です」
側近が力なく首を振った。
数日後。
王都の正門が重々しく開かれた。
黒塗りの馬車から降り立った私は、かつて断罪された時と同じドレスを纏っていた。
ただし、今の私は罪人ではない。
救世主であり、そしてこの国最大の支配者だ。
やつれ果てた王太子の前に立つ。
彼の瞳には、かつての傲慢さは微塵もなく、あるのは恐怖と屈辱だけ。
「お久しぶりですわ、殿下。……あら、少しお痩せになりました?」
私は扇子を開き、口元の笑みを隠した。
「エラ……君は、こうなることが分かっていたのか?」
「さあ、どうでしょう。ただ、私は『史実』よりも、自分の手で書く日記の方が好きだった、というだけですわ」
隣にいたミアが、憎しみを込めて私を睨む。
けれど、その瞳に聖女の光はもう宿っていない。
私は空を見上げた。
かつての歴史書では、今日この空は「滅びの光」で埋め尽くされていたはずだ。
だが今は、どこまでも青く、澄み渡っている。
私の寿命は、度重なる改変でもう残り数年しかないかもしれない。
けれど、このざまな王太子の顔と、平和な空を見られるなら、悪くない取引だ。
「さあ、殿下。契約書にサインを。インクが乾く前に、歴史を変えて差し上げますわ」
悪役令嬢は、高らかに嘲笑う。
運命などという退屈なシナリオを、真っ白なページに変えるために。