第一章 承認欲求という名の怪物
『現在の視聴者数:0人』
視界の右隅、ARコンタクトの表示が冷酷な現実を突きつける。
俺、相馬レンジ(24)は、湿っぽい地下迷宮の壁に背中を預け、乾いた笑いを漏らした。
「……はは。今日も平常運転かよ」
手元のピッケルが小刻みに震えている。
恐怖じゃない。空腹とカフェインの過剰摂取、そして借金取りからの着信通知へのストレスだ。
ここは『東京第13深度』。
三年前、突如として新宿地下に出現したダンジョンの一つだ。
現代社会において、探索者は英雄ではない。ただのコンテンツ・クリエイターだ。
モンスターを倒す?
そんなの誰でもやる。
今の視聴者が求めているのは、もっと刺激的で、過激で、そして――。
『ピロン♪』
唐突な通知音。
同接0の過疎配信に、奇跡のコメントが流れた。
【名無し:まだやってんの? さっさと引退しろよゴミ】
アンチコメだ。
だが、俺の心拍数は跳ね上がった。
反応がある。それだけで、俺の存在がこの世界に繋ぎ止められた気がした。
「ようこそ、名無しさん。ゴミ探索者の最底辺配信へ」
俺はカメラドローンに向かって、作り笑顔を浮かべる。
俺には才能がない。剣術も、魔法適性もFランク。
だが、一つだけ特異な能力がある。
『聴覚』だ。
目を閉じれば、ダンジョンの構造が反響音で手に取るように分かる。
モンスターの心音、トラップの駆動音、そして――ダンジョンそのものが発する『脈動』。
(……来る)
耳鳴りのような高周波。
壁の向こう、三十メートル先。
大型の個体が近づいている。
「おい、見ろよ。あっちからデカいのが来るぜ」
俺は指差す。
しかし、コメントは増えない。当然だ。画面上には暗い通路しか映っていない。
俺の能力は『地味』すぎるのだ。
その時だ。
通路の奥から、爆音とともに極彩色の光が溢れ出した。
「きゃあああああ! みんな見て見て~! ドラゴンの赤ちゃん見つけちゃった!」
鼓膜をつんざくような甲高い声。
俺の地味な配信画面に、派手なピンク髪の少女が飛び込んできた。
星川キララ。
登録者数三百万人越え、今をときめくSランク『アイドル探索者』だ。
彼女の背後には、数百匹の小型カメラドローンが蛍のように舞っている。
俺の視界の隅、AR表示の同接数がバグったように跳ね上がった。
『0』から『120,000』へ。
「うっそ、なんでこんな所に人がいんの? 邪魔なんだけどー!」
キララが俺を見て舌打ちする。
だが、カメラに向けた顔は天使のスマイルそのものだった。
「あ、ごめんね~! 初心者さんが迷子になってるみたい! 私が助けてあげなきゃ!」
嘘だ。
俺の耳は聞き逃さなかった。
彼女が小声で、「この浮浪者、サムネ映えしそう」と呟いたのを。
第二章 アルゴリズムの生贄
「はい、コラボ決定~! 底辺おじさんを救う女神キララちゃんでーす!」
強引に肩を組まれ、俺のチャンネルはキララのリスナーたちに乗っ取られた。
流れるコメントの滝。
【誰こいつw】
【汚い】
【キララちゃん優しすぎ!】
【死ねよ底辺】
罵倒の嵐。
だが、投げ銭(スパチャ)の通知音が脳汁をあふれさせる。
100円、500円、10000円。
俺の借金が、数分で消し飛ぶ額が投げ込まれる。
「ありがとう! ありがとう!」
俺はプライドを捨てて頭を下げた。
キララはそれを冷ややかな目で見下ろしながら、派手な炎魔法を放つ。
「燃えちゃえ~!」
炎がモンスターを包む。視聴者が沸く。
だが、俺だけが気づいていた。
(……音が、おかしい)
ダンジョンの反響音が変質している。
普段なら、モンスターの断末魔は「グチャ」とか「ギャア」とか、生物的な音だ。
しかし、今、キララの魔法で焼かれたモンスターから聞こえたのは――。
『ジジ……ザザ……』
デジタルノイズ。
まるで、破損したデータファイルのような音。
「おい、キララ。ここ、なんか変だ。引き返したほうがいい」
「はあ? 水差さないでよ。今、同接最高記録更新中なんだからさ!」
彼女は止まらない。
奥へ、奥へと進む。
視聴者の欲望(コメント)が、彼女を突き動かす。
【もっと奥へ!】
【レアボス見たい!】
【行け行け!】
その熱狂に呼応するように、ダンジョンの壁が脈打ち始めた。
俺には聞こえる。
壁の向こうから聞こえるのは、岩の擦れる音じゃない。
無数の人間が、早口で何かを囁く声だ。
(承認……もっと……数字を……)
ゾッとした。
このダンジョンは、ただの迷宮じゃない。
地上の電波を吸い、人間の『欲望』を糧に成長する、巨大な受信機だ。
「きゃっ!?」
突然、キララがつんのめった。
彼女の自慢の防具、ミスリルのブーツが、床から生えた『手』に掴まれている。
いや、手じゃない。
それは、無数の文字の集合体だった。
『死ね』『ブス』『消えろ』『脱げ』『裏切り者』
ネットの闇を煮詰めたような罵倒の言葉が、物理的な質量を持って彼女の足を締め上げている。
「なにこれ!? 離してよ! キモい!」
キララが魔法を放つが、効かない。
炎が文字に触れた瞬間、その炎さえもが『炎上』という文字情報に変換され、怪物を太らせる。
「嘘……魔法が……」
【うわ、キララだっさw】
【放送事故?】
【ざまぁ】
視聴者の掌返しは早かった。
称賛は一瞬で嘲笑に変わり、その負の感情が電波に乗って、目の前の怪物をさらに巨大化させる。
「いやぁあああ! コメント止めて! 見ないで!!」
キララが絶叫する。
だが、数字は止まらない。
同接30万人。
そのすべての『視線』が、物理的な重圧となって彼女を押し潰していく。
第三章 ショー・マスト・ゴー・オン
キララの骨が軋む音が聞こえた。
助けなきゃ。
でも、どうやって?
剣も魔法も効かない『悪意の塊』に。
俺は震える手で、自分のARグラスを操作した。
(俺の武器は、剣じゃない。この耳と……理解力だ)
俺は目を閉じた。
視覚情報を遮断し、音の世界に没入する。
怪物の正体は『データ』だ。
視聴者の感情という膨大なパケットデータが、ダンジョンの魔力とバグを起こして実体化している。
なら、物理攻撃じゃ倒せない。
倒す方法は一つ。
サーバーを落とす。
つまり、『過負荷(DoS攻撃)』だ。
「キララ、マイクを貸せ!」
「は……? 何言って……」
俺は彼女の胸元から高性能マイクをひったくった。
そして、全ドローンのカメラを自分に向けさせる。
「おい、お前ら! よく聞け!」
俺は叫んだ。
30万人の視聴者に向かって。
「今から、お前らが一生見られない『真実』を見せてやる。このダンジョンの最深部には、運営が隠している『BAN覚悟のエロ画像』がある!!」
一瞬の静寂。
その直後、コメント欄が爆発した。
【は?】
【マジ?】
【URL貼れ】
【詳細】
【kwsk】
欲望のベクトルが変わった。
キララへの『攻撃』から、俺への『探求』へ。
怪物の構成要素である文字の束が、俺に向かって殺到する。
だが、それでいい。
俺はポケットから、今まで集めた魔石を全て取り出した。
それらを特定の配置で床にばら撒く。
俺の耳だけが知っている、このダンジョンの『共鳴ポイント』だ。
「集まれ、クズども。俺の声を聞け!」
怪物が俺を飲み込もうとした瞬間、俺は魔石の一つをピッケルで叩いた。
キィィィィィィィン――!!
ハウリング。
マイクが拾った音を、ダンジョンの反響構造が増幅し、さらにマイクが拾う。
無限のループ。
そこに、30万人のコメントデータという莫大な情報量が乗っかる。
音は、物理的な衝撃波へと変わった。
「あ、が……!?」
怪物が、内側から膨張する。
処理しきれないデータ量と、音響共振による強制的な崩壊。
『ERROR... ERROR...』
空間そのものが悲鳴を上げ、ひび割れていく。
「伏せろキララ!!」
俺は彼女を抱えて、物陰に飛び込んだ。
直後、世界がホワイトアウトした。
最終章 静寂の対価
目が覚めると、そこは静寂に包まれていた。
怪物は消えていた。
ドローンも全て墜落し、壊れている。
キララは気絶しているが、命に別状はないようだ。
「……終わった、のか」
俺は体を起こそうとして、違和感に気づいた。
体が、動かない。
いや、感覚がない。
自分の手を見る。
そこにあるはずの手が、半透明に透けていた。
『ピロン♪』
頭の中で通知音が鳴る。
ARグラスは壊れているはずなのに、視界に直接ウィンドウが浮かんだ。
【システム通知:管理者権限を取得しました】
「は……?」
【肉体の損傷率99%。意識データをダンジョンサーバーへ移行完了。あなたは『ダンジョンマスター』に昇格しました】
理解した瞬間、俺は笑ってしまった。
あのハウリングで、俺の肉体は崩壊した。
だが、膨大なデータと同化した俺の意識は、このダンジョンの一部になってしまったのだ。
俺は、壁に触れる。
冷たい岩の感触はない。
代わりに、世界中のネットワークを流れる膨大な情報の奔流を感じた。
「……相馬さん?」
キララが目を覚ます。
彼女は俺の抜け殻――黒焦げになった肉体を見つめ、悲鳴を上げた。
俺は彼女に声をかけようとした。
だが、口がない。
声が出ない。
代わりに、俺は念じた。
ダンジョンの照明を、彼女のために明るく灯す。
帰り道を指し示すように、矢印を床に浮かび上がらせる。
「え……? なにこれ……ダンジョンが、助けてくれてる?」
彼女は涙を流しながら、出口へと走っていった。
俺は一人、残された。
いや、一人じゃない。
『現在の視聴者数:7,000,000,000人』
世界中のすべてが、俺の庭だ。
俺はこの迷宮の神となり、永遠に孤独な配信を続ける。
恐怖はない。
ただ、静寂だけが欲しかったのに。
俺の耳には今も、世界中の誰かの「承認してくれ」という叫び声が、無限に響き渡っていた。