秒針の止まった神殿で、君と

秒針の止まった神殿で、君と

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第一章 灰色の午後と永遠の退屈

雨の匂いが変わった。

ほんの三百年ほど前までは、土と瀝青(れきせい)の混じった重たい香りだったが、ここ最近――といっても、ここ五十年ほどだが――は、酸味を含んだ化学物質の匂いが鼻をつく。

俺、ヴェインにとって、文明の変化などその程度のものだ。

窓の外を眺める。

鉛色の空の下、鋼鉄の蒸気パイプが蔦のように絡み合う街並みが広がっている。

その前は石造りの教会が並んでいたし、さらにその前は、シリコンとネオンが輝く摩天楼だった。

人間たちは忙しない。

積み上げては壊し、壊してはまた、以前より不格好な積み木を重ねていく。

俺たち「長命種(エルダー)」からすれば、それは早回しの映像を見ているようなものだ。

「……いらっしゃいませ」

扉のカウベルが鳴る。錆びついた真鍮の音。

入ってきたのは、人間の少女だった。

煤(すす)けた革のコートに、ゴーグルを首から下げている。

年齢は十六、七といったところか。俺の感覚で言えば、瞬きするほどの時間しか生きていない「蜉蝣(かげろう)」だ。

「ここが、古物商『アイオン』?」

「そうだ。買取りか? それとも冷やかしか?」

俺はカウンターの奥、アンティークチェアに深く沈み込んだまま答える。

立ち上がるのも億劫だ。どうせ彼女も、数分後(彼らの時間でいう数十年後)には骨になっている。

「鑑定をお願いしたいの」

少女は、カウンターに古びた布包みを置いた。

震える指先。よほどの「遺物」らしい。

「親父の遺品なんだけど、使い方がわからなくて」

「拝見しよう」

俺は布を解く。

現れたのは、黒い直方体だった。

表面は滑らかで、継ぎ目がない。今の蒸気機関全盛の時代には存在し得ない、ロストテクノロジーの産物。

俺の眉が、わずかに動く。

(……第7期文明の記憶媒体か)

およそ二千年前の代物だ。

俺にとっては「つい先日」の品だが、人間にとっては神話の領域だろう。

「どこでこれを?」

「地下遺跡(ジオ・フロント)。親父は『発掘屋』だったから」

「で、これをどうしたい?」

「直してほしいの。親父、死ぬ間際に言ってたんだ。『これには、世界の真実が入ってる』って」

世界の真実。

人間はすぐにそういう大袈裟な言葉を使いたがる。

真実など、彼らの寿命では理解しきれないほど残酷で、退屈なものなのに。

「修理は可能だが、高いぞ。君の寿命を売り渡しても足りないかもしれない」

脅しではない。第7期の技術を解凍するには、俺の魔力(エネルギー)を相応に消費する。

少女は、ゴーグルを握りしめて俺を睨みつけた。

「金ならある。……私の『時間』を使ってくれてもいい」

その瞳。

透き通るような琥珀色。

不意に、俺の記憶の底にある「棘」が疼いた。

四百年前、疫病で滅びた第9期文明の末期。

あの時、俺の腕の中で冷たくなった女と、同じ目をしている。

「……名前は?」

「リコ」

「いいだろう、リコ。その依頼、引き受ける」

俺は立ち上がった。

久しぶりに、時の流れが少しだけ、ゆっくりになった気がした。

第二章 錆びついた階層都市

修理には、特殊な触媒が必要だった。

俺の店がある上層区画にはない、純度の高い「旧時代の遺灰」が。

俺たちは、都市の底へと向かうエレベーターの中にいた。

ガタガタと悲鳴を上げるケージ。

金網越しに見える景色が、時代を遡っていく。

「すごい……。本でしか見たことない」

リコが金網にへばりつく。

上層は、配管と蒸気の「スチーム・エイジ」。

中層へ降りると、石と煉瓦で造られた「キングダム・エイジ」の廃墟。

さらに下層は、コンクリートとガラスの「サイバー・エイジ」の残骸。

地層のように積み重なった文明の死骸たち。

「ねえ、ヴェインさんは、この景色を全部見てきたの?」

「ああ。あそこの崩れた時計塔。あれが建った時の祝典には俺も呼ばれたよ。……五百年くらい前かな」

「五百年……」

リコが絶句する。

「想像もつかないや。五百年前の人たちは、どんなことを考えてたの?」

「今のお前たちと同じさ。明日の飯の心配と、誰が好きだの嫌いだの、くだらない領土争いと……。結局、ガワが変わるだけで中身は変わらない」

「ふふ、なんか冷めてるね」

「事実だ」

「でも、その時計塔を見てるヴェインさんの目は、少し寂しそうだよ」

ドキリとした。

俺は視線を逸らす。

「……長生きしすぎると、感情の回路も摩耗するんだ」

エレベーターが、重い音を立てて停止した。

最下層。

ここはもう、光の届かない世界だ。

「降りるぞ。ここは空気が悪い」

足元には、かつて「道路」と呼ばれたアスファルトが、ひび割れて横たわっている。

リコが持つランタンの灯りが、闇に浮かぶ看板を照らし出した。

『TOKYO STATION』

アルファベット。

かつてここが、極東の首都だった頃の遺構。

「この先に、俺のアトリエがある。そこで解析を行う」

瓦礫の山を越えながら、俺は歩く。

リコは必死に俺の背中を追ってくる。

その呼吸音が、妙に生々しく耳に残る。

心臓の音。

血液が流れる音。

壊れやすく、儚い、生命の音。

「ねえ、ヴェインさん」

「なんだ」

「もし、この黒い箱の中身が、どうしようもない絶望だったら、どうする?」

リコの勘は鋭い。

「……その時は、俺が買い取ってやる。記憶ごと消してやるさ」

「やさしいんだね」

「商売だからな」

嘘だ。

俺は、ただ怖いだけなのかもしれない。

この「繰り返し」の中に、意味を見出してしまうことが。

第三章 パンドラの箱

アトリエに着いた。

かつて「サーバールーム」と呼ばれていた地下室だ。

俺は作業台に黒い直方体を置き、自分の指先をその端子に接続した。

そう、接続だ。

俺たち長命種(エルダー)は、魔法使いではない。

旧文明が自らの滅びを予見し、知識を後世に残すために作り出した「生体保存端末(バイオ・アーカイブ)」。

それが俺の正体だ。

食事も睡眠も必要とせず、ただ観測し、記録し続ける。

数千年の時を越えて。

「……解析を開始する」

俺の網膜に、膨大なデータが流れる。

リコが固唾を呑んで見守っている。

プロテクトが解除される。

音声データが再生された。

『――あー、テステス。聞こえてるか? 未来の俺』

ノイズ混じりの男の声。

俺は息を呑んだ。

リコも目を見開く。

「これ、親父の声じゃない……」

それは、俺の声だった。

いや、今の俺よりもずっと若い、人間らしい感情に満ちた俺の声。

『これを再生してるってことは、また文明がリセットされたってことだな。……クソッ、何度やってもうまくいかねぇ』

「どういうこと……?」

リコが震える声で尋ねる。

俺は止めようとした。だが、指が動かない。

過去の俺が、今の俺をハッキングしている。

『いいか、よく聞け、ヴェイン。お前は、ただの記録係じゃない』

映像が浮かび上がる。

そこには、白衣を着た人間時代の俺と、カプセルに入った少女が映っていた。

その少女は、リコと瓜二つだった。

『俺たちは、失敗したんだ。環境汚染で人類は滅びかけた。だから、俺はお前(ヴェイン)を作った。汚染が浄化されるまでの数千年間、人類の遺伝子を管理し、適切な時期に再生させるための管理者を』

記憶の蓋が開く。

そうだ。

俺は、観測者ではなかった。

俺は、庭師(ガーデナー)だ。

『だが、システムにはバグがあった。再生された人類は、一定の文明レベルに達すると、必ず自滅の道を歩む。戦争、汚染、枯渇……。そのたびに、お前は「リセット」ボタンを押してきたはずだ』

脳裏に蘇る映像。

燃え盛る炎。

崩れ落ちる塔。

その中で、俺は無表情にスイッチを押している。

そして、その傍らにはいつも、リコと同じ顔をした少女がいた。

「嘘……だろ……」

俺は、愛する者を救うために作られた。

だが、救うたびに彼女の末裔たちは過ちを犯し、俺自身の手で彼女たちを葬り去ってきたのか?

『今回のリセット予定時刻は、この記録の開封と同時だ。……すまない、ヴェイン。お前を、永遠の地獄に閉じ込めちまった』

アラートが鳴り響く。

アトリエの壁が赤く明滅し始めた。

「ヴェインさん!? これ、どうなってるの!?」

「離れろ、リコ!!」

俺の体が、勝手に熱を帯びる。

殲滅シークエンス。

この地下施設そのものが、巨大な浄化爆弾の信管なのだ。

俺が生きている限り、文明は「剪定」され続ける。

第四章 秒針を止める選択

「嫌だ……! 死にたくない!」

リコが俺にしがみつく。

その温もりが、冷え切った俺のボディに伝わる。

数千年の記憶。

何度も出会い、何度も愛し、そして何度も殺してきた。

そのすべての絶望が、今、走馬灯のように駆け巡る。

(俺は……守りたかっただけだ)

「リコ、聞け」

俺は彼女の肩を掴んだ。

「この連鎖を止める方法が、一つだけある」

「な、なに……?」

「管理者がいなくなればいい。そうすれば、自動リセット機構は停止する」

「それって……ヴェインさんが死ぬってこと?」

俺は微笑んだ。

数百年ぶりに、心からの笑みがこぼれた気がした。

「俺たちは長生きしすぎた。……未来は、お前たち『蜉蝣』が作るものだ」

俺は自分の胸部パネルを開く。

そこには、青白く輝くコアが埋め込まれていた。

「やめて! お願い!」

「リコ。お前のその瞳が、ずっと好きだった」

俺は、コアを引き抜いた。

最終章 エピローグ:彼が遺した庭

雨が上がった。

雲の切れ間から、久しぶりに青空が覗いている。

古物商『アイオン』は、もうない。

主を失った店は、瞬く間にツタに覆われ、街の風景に溶け込んでしまった。

リコは、瓦礫の上に座り、空を見上げていた。

手には、動かなくなった黒い箱。

世界はリセットされなかった。

その代わり、不完全で、歪で、汚れたままの文明が続いていく。

争いはなくならないだろう。

またいつか、人は過ちを犯すかもしれない。

それでも。

「……ありがとう、ヴェインさん」

彼がくれたこの時間は、誰かに管理された「箱庭の時間」じゃない。

私たちが、自分たちで選び、進んでいくための時間だ。

リコは立ち上がる。

その琥珀色の瞳は、未来を見据えていた。

瓦礫の隙間で、名もなき小さな花が、風に揺れていた。

まるで、長い役目を終えて眠りについた、優しい管理者の寝息のように。

(了)

AI物語分析

【主な登場人物】

  • ヴェイン (Vane): 骨董店『アイオン』の店主。「長命種」と自称しているが、実際は旧文明が遺した環境管理用アンドロイド。数千年分の記憶を持つため、感情が摩耗し、ニヒリスティックな性格になっている。特技はあらゆる古美術品の鑑定と修復。
  • リコ (Rico): 17歳の「発掘屋」の少女。短命な人類(蜉蝣)の象徴。ヴェインのかつての恋人の遺伝子を色濃く受け継いでおり、琥珀色の瞳が特徴。好奇心旺盛で、絶望的な世界でも希望を捨てない強さを持つ。

【考察】

  • 「時間感覚の乖離」の表現: 本作では、ヴェインにとっての「数百年」が、背景の匂いや建築様式の変化として淡々と語られる。これにより、彼の孤独と、人類の営みの儚さを対比させている。
  • 「箱庭」のメタファー: タイトルの「硝子の箱庭」は、ヴェインによって管理・保護されていた世界そのものを指す。彼がコアを抜く行為は、ガラスを割り、中の住人を荒野へ解き放つ(=自立させる)ことを意味する。
  • Show, Don't Tell: ヴェインの正体を直接説明せず、地下へ降りる過程(地層=歴史)や、自身の声によるハッキングという形で提示することで、読者に「気づき」を与えつつ、サスペンス要素を高めている。
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