業火のタイムライン

業火のタイムライン

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第一章 錆びついたリセット

通知音が、脳漿を直接かき回す。

ブブブ、ブブブ。

大量の羽虫が、頭蓋骨の裏側にびっしりと張り付いているような不快感。

「……また、ここか」

コンビニの白い蛍光灯が、網膜を刺した。

手の中のスポーツドリンクは常温だ。

スマホの日付表示がバグったように明滅し、『7月14日』で固定される。

僕が社会的に死ぬ「あの日」の、一週間前。

「チッ」

レジ打ちの男が舌打ちをした。

男の皮膚から、ドブ川のような臭気が立ち昇る。

実際に臭うわけじゃない。僕の脳が、他人の悪意を「悪臭」として処理してしまうだけだ。

(早くどけよ、ゴミ。キショいんだよ)

男の思考が、粘り気のある汚泥となって僕の喉元に絡みつく。

吐き気がした。

回数を重ねるごとに、この「過剰共感」の感度は上がっている。

世界中の人間が、僕という異物を排除しようと免疫反応を起こしているようだ。

「……どうも」

逃げるように自動ドアを抜ける。

胸元のペンダントが、鎖骨に食い込むほど重い。

かつて刻まれていた文字は、もう赤錆の下だ。

死に戻るたびに増殖する錆は、僕の失敗の数。

あと一週間。

何をどう足掻いても、僕は炎上し、全てを失う。

ポケットの中でスマホが震えた。

画面を見る。通知はない。

だが、ロック画面の壁紙が、一瞬だけノイズ混じりの『砂嵐』に変わった。

『――ヤメロ』

スピーカーからではなく、骨伝導のように直接響くノイズ。

背筋が凍る。

今回のループは、何かがおかしい。

路地裏の闇に向かって、僕は息を吐いた。

「誰だか知らないが……干渉してくるなら、もっとマシな未来を見せろよ」

アスファルトに落ちた自分の影が、わずかに遅れて動いた気がした。

第二章 ノイズキャンセリング

渋谷のスクランブル交差点は、地獄の釜の底だ。

すれ違う数千人の欲望が、ヘドロの奔流となって押し寄せてくる。

(あいつの彼氏、寝取りたい)

(金、金、金、死ね)

(見てんじゃねぇよブス)

視界が歪む。

脂ぎった悪意の臭いで、鼻の奥がツンと痛む。

フードを目深にかぶり、呼吸を止めて歩く。

誰とも触れ合うな。感応するな。

その時。

不意に、世界から音が消えた。

「……やっと、見つけました」

汚泥の海に、一滴の真水が落ちたような静寂。

驚いて顔を上げると、小柄な女が立っていた。

月島舞。

本来なら、まだ出会うはずのない無名のライター。

彼女の周囲だけ、空気が澄んでいる。

あの吐き気のする悪意の臭いが一切ない。

「灰崎蓮さんですよね」

彼女は獲物を見つけた獣のような目で、僕を見上げていた。

優しさ? 違う。

そこにあるのは、純度100%の「執着」だ。

「なんの用だ」

「取材させてください。あなたの言葉の裏にある、本当の絶望について」

背筋が粟立つ。

僕の深淵を覗こうとするな。

「帰れ。俺に関わると、お前の人生までバグるぞ」

突き放すように言った。

だが、舞は怯まない。

一歩踏み込み、僕の袖を掴む。

「バグってるのは、私のほうです」

彼女の指先から、体温が流れ込んでくる。

それは不快な粘液ではなく、凍えた体を溶かすような熱だった。

「私、あなたの炎上記事を読んで救われたんです。あんなに正直に、世界を呪ってくれた人は初めてだったから」

狂っている。

だが、その狂気が心地いい。

手を振り払おうとした瞬間。

スマホの画面が明滅し、高周波のノイズが鼓膜を裂いた。

『ソイツに関ワルな』

『ソイツは“エラー”だ』

通知欄に、文字化けしたメッセージが滝のように流れる。

未来からの警告。

この女は、運命のシナリオに存在してはいけないバグなのだ。

「……うるさい」

僕はスマホを握りつぶすように力を込めた。

袖を掴む舞の手が、微かに震えているのが分かった。

彼女もまた、必死に何かにしがみつこうとしている。

「ついてくるなら勝手にしろ。後悔しても知らないからな」

舞の唇が、微かに弧を描いた。

「後悔なんて、とっくに履き潰しました」

第三章 共犯者の静寂

雑居ビルの屋上。

錆びついた手すりに並んで、缶コーヒーを開ける。

下界の騒音が、ここまでは届かない。

「ねえ、灰崎さん」

舞は空を見上げたままだ。

「世界中が敵に回っても、私だけはその敵のままでいますよ」

奇妙な言い回しだった。

味方になる、とは言わない。

「味方なんて無責任なこと言いません。私は、あなたが世界を敵に回してでも守りたかった『エゴ』が見たいだけ」

彼女は僕のペンダントに視線を落とした。

赤錆に覆われた、鉄の塊。

「その錆が剥がれる瞬間を、特等席で見届けさせて」

胸の奥が熱くなる。

誰にも理解されなかった孤独。

それを彼女は、美しい標本でも眺めるように愛でている。

(……ああ、そうか)

僕は気づいてしまった。

僕が必要としていたのは、清廉潔白な聖女じゃない。

一緒に地獄の底まで落ちて、それでも笑ってくれる共犯者だったんだ。

ズキリ、とこめかみが痛む。

視界の端で、風景がブロックノイズのように欠落した。

世界がこの時間を修正しようとしている。

『離れろ』

『舞を殺す気か』

脳内に直接響く声。

それは間違いなく、未来の僕自身の声だった。

前回、前々回。

彼女を巻き込み、破滅させた記憶のフラッシュバック。

血まみれの舞。動かなくなった手。

吐き気が込み上げる。

冷や汗が止まらない。

「……大丈夫?」

舞の手が、僕の頬に触れた。

冷たくて、柔らかい。

その感触だけが、バグりかけた意識を現実に繋ぎ止める杭になる。

「灰崎さん。震えてますよ」

「……武者震いだ」

「ふふ、強がり」

彼女は僕の手から、空になった空き缶を取り上げた。

カラン、と乾いた音がコンクリートに響く。

「逃げないでくださいね。あなたの言葉が死んだら、私も死ぬんだから」

それは呪いのような、愛の告白だった。

未来の僕がどれだけ警告しようと、もう手遅れだ。

この体温を知ってしまったら、もう孤独な正解には戻れない。

僕はノイズ混じりの視界で、彼女を睨み返した。

「……特等席、空けといてやるよ」

第四章 #業火の向こう側

運命の配信開始1分前。

スタジオの空気は、処刑台のそれに似ていた。

モニターには、滝のように流れるコメント。

『死ね』『詐欺師』『消えろ』。

数百万人の悪意が、質量を持って僕を押し潰そうとする。

以前なら、この圧力に負けて謝罪するか、逆ギレして自爆していただろう。

だが、今は違う。

カメラの向こう、スタジオの隅。

パイプ椅子に座った舞が、じっとこちらを見ている。

彼女は笑っていない。祈ってもいない。

ただ、「やれ」と目で合図を送ってきた。

『灰崎、本番入ります!』

赤いランプが点灯する。

僕はマイクを握った。

手のひらの汗が、マイクのグリップを濡らす。

「……今日は、謝罪をしに来たわけじゃない」

コメントが加速する。罵詈雑言の嵐。

スマホが異常発熱し、ポケットの中で火傷しそうなほど熱い。

未来からの干渉がピークに達している。

『やめろ』『黙れ』『その先を言うな』

うるさい。黙るのはお前だ、未来の俺。

お前は賢く立ち回り、傷つかないように孤独を選んだ。

その結果が、あの錆びついた後悔だろ。

僕はカメラレンズを睨みつけた。

その向こうにいる、世界中のアンチと、未来の自分を射抜くように。

「僕は、君たちが嫌いだ」

一瞬、コメントの流れが止まった。

「君たちの嫉妬も、正義面した暴力も、全部ヘドロみたいに臭うんだよ。息苦しくて仕方がない」

再び爆発するコメント欄。炎上の火柱が上がる。

だが、不思議と熱くない。

胸元のペンダントが、高熱を発して振動し始めていたからだ。

分厚い赤錆に、ピキピキと亀裂が入る。

「でも……この腐った世界に、たった一人だけ、僕の言葉を待っている人間がいる」

舞を見る。

彼女は真っ直ぐに僕を見返していた。

「だから僕は、その一人に届くなら、他全員に嫌われたって構わない」

もう、全員に愛されようとして摩耗するのはやめた。

たった一人に突き刺さればいい。

その鋭利な殺意だけが、世界を変える。

「聞け! これが僕の“本音”だ!」

胸元の熱が臨界点を超えた。

パァン! と乾いた音がして、赤錆が弾け飛ぶ。

スタジオの照明を浴びて現れたのは、磨き抜かれた銀色の輝き。

そこに刻まれた文字は、もう『#不撓不屈』ではない。

**『#世界を灯す炎上(フレア)』**

「燃やし尽くしてやるよ。君たちのその薄っぺらい正義も、僕の過去も」

僕は笑った。

心からの、獰猛な笑みだった。

「さあ、本当の話をしようか」

その瞬間、スマホのノイズが消滅した。

未来の自分が、観念して道を譲ったのだ。

画面の向こうのアンチたちが、息を呑む気配が伝わってくる。

悪意のヘドロが、熱によって蒸発していく。

代わりに満ちていくのは、熱狂という名の新しいエネルギー。

カメラの向こうで、舞が小さく頷いたのが見えた。

ここからが、僕たちの新しいタイムラインだ。

AIによる物語の考察

**登場人物の心理**
主人公・灰崎蓮は、他者の悪意を視覚・嗅覚で感じる「過剰共感」に苦しみ、社会から孤立していた。彼は聖女のような救いではなく、自身の「エゴ」を共に肯定し地獄に落ちる「共犯者」を求めていた。月島舞は、灰崎の「炎上」に自己の狂気を見出し、彼の深淵を覗こうとする、運命の「バグ」となる存在。

**伏線の解説**
スマホのノイズや警告は、過去のループで舞を巻き込み破滅させた未来の灰崎からの干渉を示唆。ペンダントの赤錆は、ループの失敗と後悔の数。それが剥がれて『#世界を灯す炎上(フレア)』に変わることで、過去を乗り越え、自己を再定義する覚悟を象徴する。

**テーマ**
本作は、社会の悪意や既存の運命に抗い、たった一人の理解者との繋がりを通じて自己の「エゴ」を肯定することの重要性を問う。そして、「炎上」という負のイメージを、既存の世界を焼き尽くし、新しい未来を切り開く「フレア」へと昇華させる、自己受容と反抗の哲学を描き出す。
この物語の「続き」を生成する

あなたのアイデアをAIに与えて、この物語の続きや、もしもの展開を創作してみましょう。

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