第一章 召喚とノイズ
「――おお、勇者よ!」
視界が白濁から鮮明へと切り替わる。
石造りの床。鼻をつく香の匂い。
そして、目の前には涙を浮かべた聖女らしき少女と、仰々しいローブの老人たち。
「どうか、魔王の脅威から我らをお救いくだ――」
「うるさい」
私は耳を塞いだ。
感動の対面?
違う、そうじゃない。
「周波数がズレている。君たちのその詠唱、440ヘルツを基準にしているなら、今の和音は不協和音だ。吐き気がする」
沈黙が場を支配した。
聖女がポカンと口を開ける。
「あ、あの……? 勇者様?」
「私は工藤蓮司(くどうれんじ)。勇者ではない。しがない物理学者だ」
私は立ち上がり、足元の魔法陣を見下ろした。
幾何学模様が光っている。
美しい?
いや、非効率だ。
「この円環、エネルギー変換効率が悪すぎる。熱力学第二法則を無視しているわけではないようだが……無駄な抵抗値が高すぎるんだよ」
「な、何をわけのわからぬことを!」
神官長らしき老人が杖を振り上げた。
「貴様、召喚の儀を愚弄するか! 衛兵! この不敬な男を捕らえよ!」
ガチャガチャと金属音を立てて、鎧を着た男たちが雪崩れ込んでくる。
やれやれ。
異世界転移のテンプレ通りか。
だが、彼らは知らない。
この世界に満ちる「マナ」とやらが、私の目にはただの「未定義の素粒子」として映っていることを。
そして、それが驚くほど単純な法則で動いていることを。
第二章 炎の解析
「反逆者には死を!」
衛兵隊長が剣を抜き、その刃に炎を纏わせた。
「《紅蓮の牙(イグニス・ファング)》!」
轟音と共に、熱波が押し寄せる。
聖女が悲鳴を上げた。
「危ない!」
私は動かない。
逃げる必要がないからだ。
(燃焼の三要素。可燃物、酸素、熱源)
彼らの魔法は、マナを熱源に変換し、周囲の酸素を急激に消費してプラズマ化させている。
つまり、プロセスが雑なのだ。
「酸素供給を絶てば、ただの温風だ」
私は指をパチンと鳴らした。
いや、ただ鳴らしたわけではない。
足元の魔法陣から漏れ出るマナの奔流に、ほんの少し「干渉」したのだ。
特定の波長でマナを振動させ、私の周囲半径二メートルの空気密度を操作する。
シュボッ。
迫りくる巨大な炎の塊は、私の鼻先で唐突に消失した。
まるで蝋燭の火を吹き消したように。
「な……ッ!?」
隊長が目を見開く。
「ば、馬鹿な! 私の魔法がかき消されただと!?」
「かき消したんじゃない。燃焼のプロセスを阻害しただけだ。君たちの魔法は、大気中の成分に依存しすぎている」
私は一歩踏み出す。
衛兵たちが後ずさる。
「君たちは『魔法』というブラックボックスを崇めているだけだ。中身のコードも読まずにアプリを使っているに過ぎない」
眼鏡の位置を直し、私はニヤリと笑った。
「この世界の物理定数(ソースコード)、少し書き換えさせてもらうぞ」
第三章 神の正体
城を制圧するのは簡単だった。
摩擦係数をゼロにして転ばせたり、光の屈折率を変えて幻影を見せたりするだけで、彼らは「大魔導師だ!」とひれ伏した。
そして私は今、王城の地下深くにいる。
「やはりな」
目の前にあるのは、祭壇ではない。
巨大なサーバーあルームだ。
青白く明滅するクリスタルは、明らかにシリコンウェハーの集積体。
「勇者様……これは一体……」
後ろをついてきた聖女――名はリリアといったか――が震えている。
「君たちが『神』と呼んでいるものの正体だよ、リリア。これは旧文明、あるいは高次元の存在が残した『環境制御装置』だ」
マナとは、ナノマシンを含んだ大気のこと。
魔法陣とは、そのナノマシンへのコマンド入力インターフェース。
詠唱は、音声認識パスワード。
すべてがロジックで説明がつく。
「そんな……じゃあ、私たちの祈りは……」
「システムへのリクエスト送信に過ぎない」
私は端末とおぼしき石版に手を触れた。
解析開始。
言語体系は異なるが、数式は宇宙共通だ。
(……酷いスパゲッティコードだ。バグだらけじゃないか)
魔王の出現も、天変地異も、すべてはこのシステムの老朽化によるエラー。
エラーログが実体化したのが「魔物」だ。
「さて、デバッグの時間だ」
最終章 デバッグ完了
「やめろ貴様! 神の領域を汚すな!」
背後から現れたのは、教皇だった。
彼は禁呪と呼ばれるどす黒いエネルギー弾を構築している。
システムのエラー領域を無理やり引き出した攻撃か。
「汚しているのは君たちだ。メンテナンスもせずに使い潰して」
私は石版に高速で指を走らせる。
管理者権限へのアクセス。
ファイアウォール突破。
「《神罰(デウス・イラ)》!」
教皇が叫ぶと同時に、闇が放たれた。
リリアが私を庇おうとする。
「無駄だよ」
エンターキー(に相当するルーン)を叩く。
『System Update: Complete』
その瞬間、教皇の放った闇が、無数の蝶に変わって霧散した。
「は……?」
「攻撃属性の定義ファイルを削除した。ついでに、この世界の重力定数とエントロピーの増大率も、少しばかり最適化しておいた」
城が、いや、世界が振動する。
空の色がどす黒い紫から、鮮やかな青へと塗り替わっていく。
「な、何をしたのですか……?」
リリアが呆然と呟く。
「世界をバージョンアップした。これでもう、魔王(バグ)は発生しないし、魔法も君たちが望む形では使えないだろう」
私は伸びをした。
現代日本では、予算不足と倫理委員会に阻まれてできなかった実験。
ここなら、やり放題だ。
「さあて」
私は石版の上に腰掛け、凍りついた人々を見下ろした。
「元の世界に帰る方法も分かったが……帰るわけがないな」
白衣を翻す。
「ここは今日から私の実験室(ラボ)だ。科学の光で、この蒙昧な世界を照らし尽くしてやろうじゃないか」
勇者? 救世主?
違う。
この日、世界は一人のマッドサイエンティストによって征服されたのだ。