***第一章 【同接10万人の嫌われ者】
「おいレン、さっさと死ねよ」
「装備が貧相すぎて草」
「また嘘松か? 本当はスタジオだろここ」
眼球に直接投影されるARコメントが、滝のように流れている。
視界の半分が罵詈雑言で埋め尽くされていた。
俺、九条(くじょう)レンは、スマホのインカメラに向かって口角を吊り上げる。
「はいはい、アンチの皆様、本日もご来場ありがとうございます。今日の『死に場所』はここ、新宿都庁跡地、深度700メートルの『大監獄』エリアからお送りしまーす」
右手に持った錆びついた鉄パイプを、コンコンと肩に叩きつける。
これ一本だ。
防具?
そんなもの買う金があったら、借金の利子に消えている。
「自殺志願者乙」
「運営に通報しました」
「グロ注意」
同接数は12万人。
国内の個人配信者としてはトップクラスだ。
ただし、その99%が俺の不幸な死を期待しているアンチである。
『ブモォォォォォォォ……!!』
重低音が空気を震わせた。
瓦礫の陰から、3メートルはある巨躯が現れる。
ミノタウロス・ゾンビ。
腐り落ちた皮膚から筋肉繊維が剥き出しになり、手にはひしゃげたガードレールを握っている。
「うわ、臭(くっさ)。画面越しのオマエらの部屋と同じくらい腐った臭いがするわ」
俺は鼻をつまんで煽った。
瞬間、コメント欄が爆発的に加速する。
「ふざけんな」
「お前が死ね」
「調子乗るな雑魚」
「ミンチになれ」
全身に、ピリピリとした熱が走る。
心臓が早鐘を打ち、錆びついた鉄パイプが、赤黒い燐光を放ち始めた。
これだ。
これが俺の、世界でただ一つのユニークスキル。
【炎上喰らい(ヘイト・イーター)】。
俺に向けられた悪意、殺意、侮蔑。
それら負の感情を『物理的なエネルギー』に変換し、身体能力と武器性能を底上げする。
「さあ、もっと燃やせ。オマエらのその指先が、俺を最強にするんだよ!」
ミノタウロスがガードレールを振り下ろす。
風切り音。
普通なら即死。
だが。
俺は一歩も動かず、左手一本でそれを受け止めた。
ズドンッ!
足元のコンクリートが蜘蛛の巣状に砕ける。
けれど、俺の腕は微動だにしない。
「……は?」
コメントが一瞬、止まる。
「軽いねえ。アンチの言葉のほうが、よっぽど重いぜ?」
俺は笑い、赤熱する鉄パイプをミノタウロスの顔面に突き刺した。
***第二章 【承認欲求の怪物】
「嘘だろ……」
「CG乙」
「ヤラセ確定」
「今の衝撃波はおかしい」
ミノタウロスが灰になって消滅した後も、コメント欄は疑心暗鬼の嵐だった。
スパチャ(投げ銭)はゼロ。
それでも、俺の体内には力が満ち溢れている。
「さて、次はボス部屋……と言いたいところだが」
不意に、配信画面の『コメント欄』に異変が起きた。
流れる文字が、空中に浮かび上がり始めたのだ。
AR(拡張現実)の話ではない。
物理的に、文字が実体化している。
『死ね』という文字が、鋭利な刃物となって宙を舞う。
『雑魚』という文字が、石礫となって地面に転がる。
「……おいおい、今日のダンジョン、なんか変だぞ」
俺は冷や汗を拭う。
いつもなら、このエネルギーは俺の中に取り込まれるはずだ。
なのに、今日は外に溢れ出している。
『レン、後ろ!』
珍しく、危険を知らせるコメントが流れた。
振り返ると、そこには黒い霧が渦巻いていた。
霧は、俺の配信コメントを吸い込んでいる。
「おい、なんだあれ」
「システムエラー?」
「演出すごくね?」
「逃げろ馬鹿」
黒い霧は、吸い込んだ『悪意』を練り上げ、人の形を模っていく。
身長2メートル。
顔はない。
全身が、無数の『罵倒の文字』で構成された漆黒の巨人。
「……俺?」
いや、違う。
あれは、俺に向けられたアンチたちの『虚像』だ。
怪物が腕を振るう。
その腕には、『社会のゴミ』という文字が刻まれていた。
ドガァァァン!!
俺は咄嗟に横へ飛んだ。
直撃した柱が、跡形もなく消滅する。
「物理攻撃じゃない……『存在否定』の概念攻撃かよ……!」
掠めただけの左肩が、透けて消えかかっている。
このまま攻撃を食らえば、俺という存在そのものが『最初からいなかったこと』にされる。
「ハハッ、最高じゃねえか。俺を消したいって願いが、ダンジョンと共鳴して具現化したってわけか!」
***第三章 【共犯者たち】
勝てない。
直感で悟った。
俺の力は『悪意をエネルギーに変える』こと。
だが、相手はその『悪意そのもの』だ。
燃料タンクで火事を消そうとするようなものだ。
『逃げろ』
『配信切れよ!』
『やばいってマジで』
コメント欄の空気が変わる。
恐怖が伝染している。
怪物が迫る。
逃げ場はない。
俺はカメラを睨みつけた。
「おい、オマエら! ビビってんじゃねえぞ!」
絶叫した。
「オマエら、俺が憎いんだろ!? 俺を見下して、安心したいんだろ!? だったら最後まで徹底しろよ! 中途半端な同情なんて寄越すんじゃねえ!」
視聴者数は20万人を突破した。
「俺を殺したいなら、もっと強い言葉を使え! 中学生レベルの悪口じゃなくて、魂を抉るような呪詛を吐けよ!!」
一瞬の静寂。
その後、狂気が爆発した。
『死ね死ね死ね死ね死ね!』
『てめえなんかいらねえんだよ!』
『消えろ!』
『家族ごと呪われろ!』
津波のような悪意。
それが、怪物を通り抜け――俺に注がれる。
怪物もまた、その膨大なエネルギーを取り込もうと口を開けた。
――主導権争いだ。
「オマエらのその汚い感情はな……」
俺は鉄パイプを構える。
パイプはもはや鉄の塊ではない。
真っ白に輝く、光の剣と化していた。
「俺だけのモンだぁぁぁッ!!」
地面を蹴る。
怪物が『絶望』の文字を盾にする。
関係ない。
俺の一撃は、20万人の『殺意』を束ねたものだ。
たかがダンジョンが生み出した紛い物の悪意になんて、負けるはずがない。
「消え失せろォォォッ!!」
閃光が、地下空間を白く塗り潰した。
***最終章 【接続解除不能】
視界が戻る。
怪物は消えていた。
瓦礫の山だけが残っている。
「……はぁ、はぁ、やったか……?」
スマホを見る。
画面はひび割れていたが、配信は続いている。
『うおおおお!』
『神回』
『生きてる?』
『レン最強!』
コメント欄は、先ほどまでの罵倒が嘘のように、賞賛で溢れかえっていた。
手のひら返し。
これだから大衆は気持ち悪い。
「へっ、ざまあみろ。勝ったのは俺だ……」
俺は座り込み、ログアウトしようと操作パネルを開く。
……ん?
『ログアウト』のボタンが、グレーアウトしている。
「なんだこれ。バグか?」
その時、スマホの通知が鳴った。
妹からのLINEだ。
『お兄ちゃん、テレビ見て!』
嫌な予感がして、俺は配信アプリからニュースサイトに切り替えた。
トップニュースの映像。
そこには、渋谷のスクランブル交差点が映っていた。
だが、何かがおかしい。
空中に、巨大な文字が浮かんでいる。
『死ね』
『神回』
『草』
さっきまで、俺の配信に流れていたコメントだ。
それが、現実の渋谷の空を埋め尽くしている。
そして、その文字に触れたビルが、信号機が、人間が、デジタルノイズのようにバグって消滅していく。
「……嘘だろ」
スマホの画面を見る。
俺の姿は映っている。
だが、背景が透けている。
俺の体が、徐々に『コメントの羅列』に変わっていく。
『お兄ちゃん?』
『レン?』
『なんか渋谷やばいことになってる』
『これレンのせい?』
理解した。
俺は勝ちすぎた。
膨大な悪意を取り込みすぎて、俺という存在が『ダンジョンの核(コア)』そのものに変質してしまったんだ。
そして、俺と繋がっていた配信回線を通じて、ダンジョンの理(ルール)が現実世界へ逆流(アップロード)された。
「あーあ……」
俺の右手が、完全な光の粒子となって消える。
「アンチの皆様、おめでとう」
俺は崩れゆく顔で、最期の笑顔を作った。
「オマエらの書き込みが、世界を壊したぞ」
プツン。
配信が途切れる。
暗転した画面には、無数の『接続エラー』の文字だけが、いつまでも踊り続けていた。