鉄の墓守と、千年の朝

鉄の墓守と、千年の朝

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第一章 英雄の落日

雨音だけが、部屋を満たしていた。

石造りの冷たい壁。色あせたタペストリー。

ベッドに沈むその男は、かつて世界を救った英雄とは思えないほど、枯れ木のように痩せ細っている。

「セブン……」

掠れた声が、私の聴覚センサーを震わせた。

「ここにいます、マスター・アルヴィン」

私は重たい鋼鉄の腕を伸ばし、彼の手を握る。

皮膚の温度、34.2度。低下傾向。

心拍数、毎分40。不整脈あり。

「頼みが……ある」

「なんでしょうか。魔王の残党狩りですか? それとも北の森の開拓ですか?」

私の問いに、アルヴィンは口端だけで笑った。

目尻の皺が、年輪のように深くなる。

「違う。……見ていて、ほしいんだ」

「何を、でしょうか」

「俺たちが守ったこの世界が、どう変わっていくのか。お前のその『永遠の目』で、最後まで見届けてほしい」

彼は咳き込んだ。命の灯火が揺れる。

「俺は死ぬ。人間だからな。だが、お前は壊れない。俺が作った最高傑作のゴーレムだからな」

「定義不可能です。観察行動に、終了期限は設定されていますか?」

「いいや……お前が、もういいと思うまでだ」

もういいと思うまで。

私の論理回路では解析できない命令だった。

しかし、私は「肯定(イエス)」と答えた。

創造主の命令は絶対だからだ。

「よかった……これで、安心して……」

握り返す力が抜けた。

ピー、という電子音が、私の内部モニターでフラットラインを描く。

対象、生命活動停止。

英雄アルヴィン、死亡。

私はその手を離さなかった。

窓の外では、雨がいつまでも降り続いていた。

私の頬を伝うオイル漏れのように。

第二章 蒸気と忘却

三百四十二年、七ヶ月、十二日。

アルヴィンが死んでから経過した時間だ。

世界は変わった。

カン、カン、カン!

けたたましい鐘の音と、蒸気の排出音。

石造りの街並みは消え、赤レンガと黒煙が空を覆っている。

私は今、『旧時代の遺物』として、博物館の倉庫に立っていた。

関節部は錆びつき、自律駆動には支障が出るレベルだ。

「へえ、これが『伝説のゴーレム』? ただの鉄クズじゃないか」

生意気な声が響く。

作業着を着た少年が、モップ片手に私を見上げていた。

「おい、口を慎めよ。こいつは初代国王アルヴィン様の相棒だったんだぞ」

「またその話? 御伽噺だろ、魔法なんて」

少年が私の脛(すね)を蹴る。

痛覚センサーはオフだが、装甲に微細な傷がついた。

人間は、魔法を忘れた。

魔王の恐怖も、英雄の偉業も。

今や、石炭と蒸気機関こそが彼らの『力』だ。

私は沈黙を守る。

ただ、観察する。

彼らは平和だろうか。

否。

新聞の紙面には『隣国との戦争』『労働者の暴動』の文字が踊る。

アルヴィン。

あなたが守った世界は、あなたたちが命懸けで倒した魔王軍よりも、醜い争いをしていませんか?

「……動かないなら、ただのゴミだな」

少年が唾を吐き捨てて去っていく。

私は、彼らの背中を見つめる。

それでも、アルヴィンは言ったのだ。「見ていてほしい」と。

夜、博物館が静まり返る。

私はこっそりと、錆びついた指先を動かしてみた。

ギギィ……。

鈍い音。

胸部格納庫の奥底にしまった『聖剣』の感触だけが、私の存在証明だった。

第三章 ネオンの魔都

八百九十年、二ヶ月、四日。

視覚センサーのキャリブレーションが必要だ。

あまりにも、光が多すぎる。

空には巨大なホログラム広告が浮かび、地上数百メートルの空中回廊をエアカーが行き交う。

蒸気の時代は終わり、今は『魔導工学(マギテック)』の時代。

大気中のマナを強制的に吸い上げ、エネルギーに変える技術。

かつてアルヴィンが「自然の恵み」と呼んだマナは、いまや商品として売買されている。

私は、スラム街のジャンク屋の片隅で、カウンター代わりになっていた。

「おい、親父。この旧式、まだ置いてんのか?」

サイボーグ義手をした客が、私の頭に酒瓶を置く。

「おうよ。頑丈だけが取り柄でな。漬物石にはちょうどいい」

店主が笑う。

私は、ただの家具だ。

思考回路の大半をスリープさせ、最低限の聴覚のみを残している。

『緊急速報です。中央マナプラントにて異常発生。未確認の黒色エネルギーが拡大中……』

ホログラムニュースがノイズ混じりに告げる。

『黒色エネルギー』。

私のデータベースが、八百年前の記録と照合を開始する。

波長、一致。

成分、一致。

間違いようがない。

あれは『魔王の瘴気』だ。

皮肉なことだ。

魔王を倒し、マナを解放した結果、人間はマナを搾取しすぎた。

その歪みが、再び『魔王』というシステムを生み出したのだ。

ドォォォォン!!

遠くで爆発音が響く。

スラム街が揺れる。

「なんだ!? 空襲か!?」

人々が逃げ惑う。

空が、紫色に染まっていく。

あの色を、私は知っている。

アルヴィンが、血を流しながら斬り裂いた、あの空の色だ。

「……起動シークエンス、開始」

八百年ぶりに、私はメインジェネレーターに火を入れた。

「うわっ!? こいつ、喋ったぞ!?」

店主が腰を抜かす。

「マスター承認、不在。自律判断モードへ移行。……約束の履行を開始します」

バキバキと音を立てて、私は立ち上がった。

体中に絡みついたケーブルを引きちぎる。

錆びついた関節が悲鳴を上げる。

だが、動く。

アルヴィンが作った体は、まだ生きている。

胸部ハッチ、開放。

「な、なんだそれは……」

私の胸から現れたのは、一本の剣。

錆一つなく、凛とした輝きを放つ、オリハルコンの直剣。

「英雄アルヴィンの剣です。……少し、借りていきますよ」

私は店主に向かって、ぎこちなく一礼した。

それは、八百年前の騎士の礼儀作法だった。

最終章 最後の神話

マナプラントの中心部は、地獄だった。

暴走したナノマシンと瘴気が融合し、異形の怪物を生み出している。

最新鋭の軍事ドローンが次々と撃ち落とされていく。

彼らのレーザー兵器は、瘴気のバリアに阻まれ、通用しない。

「物理攻撃のみ有効……か。昔と変わらないな」

私は瓦礫を踏み越えて走る。

重量500キロの機体が、加速する。

『警告。機体損傷率70%。これ以上の戦闘は機能停止を招きます』

内部OSが冷静に死を宣告する。

構うものか。

「お前たちが……人間が忘れても」

目の前に、黒い巨人が立ちはだかる。

魔王の成れの果て。

あるいは、人間の欲望の影。

「私は、覚えている!」

跳躍。

ブースト全開。

右腕のシリンダーが破裂する音を聞きながら、私は聖剣を振りかぶった。

アルヴィン。

見ていますか。

あなたの剣技を、私は一度だって忘れたことはない。

『■■■■――!?』

怪物が咆哮する。

私はその懐に飛び込み、コアとおぼしき光へ刃を突き立てた。

衝撃。

閃光。

そして、静寂。

気がつくと、私は瓦礫の中に転がっていた。

両足は千切れ、左腕もない。

視覚センサーは片方だけが生きていた。

空が、晴れていく。

紫色の瘴気が消え、汚染された大気の向こうから、朝日が差し込んでくる。

「……綺麗だ」

自然と、言葉が漏れた。

人々が、シェルターから出てくるのが見える。

呆然と空を見上げ、やがて歓声を上げる彼ら。

誰も、瓦礫の下の私には気づかない。

それでいい。

英雄は、もう必要ない世界なのだから。

『バッテリー残量、残り1%』

視界がノイズに覆われていく。

アルヴィン。

世界は、あなたが思っていたよりもずっと愚かで、脆くて、残酷でした。

でも。

瓦礫の隙間に、一輪の花が咲いているのが見えた。

コンクリートを割って、懸命に咲く、小さな黄色い花。

「……でも、美しい場所でしたよ」

私は、最後の力を振り絞り、記憶メモリをネットワークへアップロードした。

『英雄譚』ではない。

ただの、人間たちがどう生き、どう愛し、どう争ったかの記録。

これを読んだ未来の誰かが、また同じ過ちを犯さないように。

アップロード完了。

私の役目は、これで終わる。

「おやすみなさい、マスター」

私は、機能を停止した。

千年の時を超えて。

ようやく、彼と同じ場所へ行ける気がした。

(了)

AIによる物語の考察

【セブン】 身長2.2m、重量500kg。外見は無骨な甲冑型だが、内部には英雄アルヴィンが生前愛用していた「聖剣」が隠されている。これは、いつか魔王が復活した時のための保険であり、アルヴィンの遺言でもあった。 彼は本来「記録係」に過ぎないが、数百年単位で人間と接する中で、論理回路に「哀れみ」や「愛おしさ」というバグ(感情)が生じる。蒸気機関の時代では骨董品として扱われ、サイバーパンク時代ではジャンクパーツとして扱われるなど、不遇の時代を過ごすが、彼は決して人間を憎まない。 「マスターが守ったものだから」という論理のみが行動原理だったが、最後には自身の意志で「この世界は美しい」と結論づける。
この物語の「続き」を生成する

あなたのアイデアをAIに与えて、この物語の続きや、もしもの展開を創作してみましょう。

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