追放された兵站係、世界を止める 〜金貨で腹は膨れない〜

追放された兵站係、世界を止める 〜金貨で腹は膨れない〜

主な登場人物

アトラス・ロジスティ
アトラス・ロジスティ
24歳 / 男性
常に目の下に隈がある。ボサボサの黒髪に、あちこちポケットがついた実用性重視の作業着。指先はインクと魔力焼けで黒ずんでいる。
ヴァルダー王子
ヴァルダー王子
20歳 / 男性
煌びやかな黄金の甲冑、美しく整えられた金髪。しかし物語が進むにつれ、やつれて薄汚れていく。
セレス
セレス
19歳 / 女性
銀色の毛並みの耳と尻尾。動きやすい革鎧。瞳は琥珀色で、野生的な輝きを持つ。
8 4672 文字 読了目安: 約9分
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第1章: 壊死の始まり

王都の地下深く。巨大倉庫を満たすのは、埃とカビ、そして古い羊皮紙の匂いで淀んだ空気。

アトラス・ロジスティは、震える指先についたインクの黒ずみを親指で強く擦った。取れない。皮膚の皺にまで食い込んだその黒、二十四年に及ぶ労働の刻印。手入れなど数ヶ月も忘れたボサボサの黒髪、いつ眠ったのかさえ忘却の彼方にある濃い隈。纏うのは貴族の絹ではない。大小無数のポケットが縫い付けられた、油染みの浮く厚手のキャンバス地。

「聞こえなかったのか? 出て行けと言ったんだ、薄汚い運び屋風情が」

天井の高い倉庫に響く、冷酷な声。ヴァルダー王子。磨き上げられた黄金の甲冑が、薄暗い魔導灯を弾いて煌めく。一筋の乱れもない金髪、アトラスを見下す青い瞳。そこに宿るのは、虫けらを踏み潰す直前の侮蔑。

アトラスの足元、燃え盛る炎。彼が心血を注いで構築した物流管理の帳簿が、赤黒い舌を伸ばして灰へと変わっていく。

「殿下、計算が合いません」

枯れた声。だが、その響きは不気味なほど平坦。

「僕が管理しているのは単なる荷運びではありません。王都の食料、建材、魔石の『流量』です。僕という制御弁(バルブ)が外れれば、この国は三ヶ月……いえ、現在の消費係数を鑑みれば二ヶ月で飢餓ラインを割ります」

「ハッ! これだから魔力を持たぬ無能は困る。魔法でパンは焼け、水も出せる。貴様のやっていることは、右の物を左へ移すだけの子供の使いだ」

ヴァルダーの黄金のブーツが、足元の灰を踏みにじる。

「目障りだ。失せろ」

数秒、燃えカスを見つめるアトラス。脳内で凄まじい速度で走っていた計算式が、プツンと途切れる音。一度だけ深く息を吸い込み、肺に溜まった熱を吐き出す。踵を返す。

「……承知しました。引継ぎは行いません。誰も理解できないでしょうから」

「負け惜しみを!」

背後で嘲笑う声。アトラスは私物を何一つ持たず、ただ脳内にある膨大な『魔導データベース』だけを携え、重い鉄扉を押し開けた。

王都の門をくぐり、荒野への一歩を踏み出したその瞬間。

ゴウン……ンンン……プシュゥ……。

背後の王都で響く、奇妙な断末魔。地下水路のポンプ、自動搬送の魔導ベルト、都市の呼吸そのものの停止音。巨人の心臓が鼓動を止めたかのような、絶対的な静寂。

だが、アトラスは一度も振り返らない。

第2章: 辺境フルフィルメントセンター

睫毛さえ凍りつく極寒。鉛を流し込んだように重く垂れ込める、辺境伯領の空。

「おい、アンタ。本当にこんな場所で何をするつもりだい?」

銀色の毛並みを持つ狼獣人の少女、セレス。寒さで赤くなった鼻先、艶の消えた革鎧。琥珀色の瞳に揺れるのは、疑いと微かな期待。痩せこけた頬が物語る、この土地の深刻な飢え。

「在庫の最適化です」

視線も合わせず、凍てついた雪原にチョークで幾何学模様を描き続けるアトラス。手袋をしていない指先は紫色に変色し、感覚などとうに失せている。だが、その線に迷いはない。

「既存の転移魔法は燃費が悪すぎる。『座標AからBへ』という指定は、膨大な演算リソースを食うんです。だから書き換えます」

「はぁ? 書き換えるって……魔法式をか?」

「座標指定ではなく、『タグ管理』へ」

最後の線。同時に青白く発光する幾何学模様。懐から取り出したビー玉のような魔石を、中心へ。

「要求:小麦、塩、干し肉。優先度:緊急。配送先:タグ『辺境01』」

ブォン!!

爆縮する空気、歪む雪原の空間。

次の瞬間、虚空から吐き出される木箱の雪崩。ドサドサと雪の上に積み上がる物資の山。砕けた箱からこぼれ落ちる、黄金色の小麦粉と脂の乗った干し肉。

「な……ッ!?」

ピンと立つセレスの耳、逆立つ尻尾。震える手で干し肉を掴み、鼻を近づける。

「本物……だ。幻覚魔法じゃねぇ、肉の匂いだ!」

「王都周辺の廃棄予定だった余剰在庫をリンクさせました。魔力消費は従来の百内の一。これなら、必要な物を、必要な時に、必要な量だけ届ける『ジャスト・イン・タイム』が成立します」

無表情のまま、脳内のスプレッドシートを更新するアトラス。

その夜、焚き火を囲み、涙を流しながらシチューを啜る領民たち。湯気の中に浮かぶ無数の笑顔。

セレスが湯気の立つ椀を二つ持ち、隣に腰を下ろす。

「アンタ、すげぇな。魔法使いってのはもっと偉そうで、嫌な奴らだと思ってたけどよ」

「……僕は魔法使いではありません。ただの管理者です」

「理屈はわかんねぇけど、アンタが運ぶメシは最高に美味いんだよ!」

バン、と背中を叩く衝撃。前のめりになりかけ、手の中に感じるシチューの温かさ。冷え切っていた体温が、指先から少しずつ戻ってくる感覚。

死にかけていた辺境。この夜を境に、世界中の物資が集まる巨大な物流拠点への変貌が始まる。

第3章: 暴力という名のバグ

平和の崩壊。あまりにも呆気なく、そして理不尽な破砕。

「見つけたぞ、ドブネズミ」

空を裂く轟音。建設されたばかりの自動仕分け倉庫、吹き飛ぶ屋根。

空を覆う黒煙、穀物を舐め尽くす赤黒い炎。アトラスの頬を焼く熱波、作業着を焦がす火の粉。

上空に浮かぶ豪奢な飛竜、跨るヴァルダー王子。かつての輝きは消え失せ、充血した瞳と無精髭に宿る狂気。

「貴様のせいで! 王都の物価は十倍だ! 民は暴動を起こし、余の食事すらままならん! 盗んだ物資を返せ!」

「盗んでなどいません! あれは貴方が捨てた、管理放棄された資源です!」

叫びと共に展開しようとした防衛システムの術式。だが、遅い。

「黙れッ! 《戦略級・極大爆裂(プロミネンス・バースト)》!!」

論理も、効率も、計算も。全てを無視した純粋な暴力。

視界を白一色に染め上げる、墜落した太陽のような閃光。

ドォォォォォォン!!

木の葉のように吹き飛ばされる身体。地面への激突、口の中に広がる鉄の味。止まない耳鳴り。

「アトラス!」

瓦礫の隙間、セレスの悲鳴。

這いずりながら上げた顔の先。崩れ落ちた倉庫の下敷きになった、銀色の尻尾。

「あ……が……」

喉から漏れる、空気が抜けるような音。

脳内を埋め尽くすエラーメッセージ。

『防衛障壁:突破』『損害率:98%』『生存者:検索不能』

違う。そんな数字はどうでもいい。

血まみれの爪で地面を掻きむしり、セレスの元へ。だが、彼女の身体を覆う巨大な梁、アトラスの貧弱な腕力ではピクリとも動かない。

セレスの琥珀色の瞳から、急速に失われていく光。

「嘘だ……計算外だ……こんなバグは……ありえない……」

空から降ってくるヴァルダーの高笑い。

「見たか! これこそが王の力! 小賢しい理屈など、圧倒的な力の前には無意味なのだ!」

動かなくなったセレスの手を握りしめる。まだ残る温もり。

涙は出ない。その代わり、腹の底でどす黒く凝固していく何か。

「ふざけるな……」

口から漏れる、初めての感情。

「ふざけるなぁぁぁぁッ!! ロジックだ! 感情で腹は膨れない! 暴力で世界は回らない! 僕が……僕の計算が、こんな野蛮な熱量に負けるわけがないんだぁぁッ!!」

炎の赤と、煤の黒。その混沌の中、アトラス・ロジスティという人間の中で何かが壊れ、そして再構築された。

第4章: 兵糧攻めの悪魔

瓦礫の山に腰を下ろすアトラス。その瞳にはもう、光はない。

宿るのは、モニターのバックライトのような、冷たく無機質な輝きのみ。

彼は悟った。物流とは、届けることだけではない。「止める」こともまた、支配。

「……対象:王国王都全域。ステータス更新」

虚空を走る指。かつてない高速、編み上げられる複雑怪奇な術式。

「地下水脈の流路コードを改ざん。王都へ向かう水圧を逆転させ、下流の汚染区域へ接続。魔力ラインの周波数を変更、供給効率をマイナス90%へ」

王都へ向かう騎士団が進軍しようと剣を抜いた、その時。

ボロボロと崩れ落ちる刀身。弾け飛ぶ鎧の留め具、千切れる馬具。

「な、なんだこれは!? 整備班は何をしていた!」

騎士団長の叫び。答えられる者はいない。整備に必要な研磨油も、革紐も、留め具の予備も、全てアトラスが「流通停止」タグを付与した瞬間、存在としての維持限界を迎えたのだ。物質には寿命がある。それを維持する「物流」が途絶えた瞬間、文明は砂上の楼閣と化す。

さらに、放たれる情報。

風に乗せて、鳥たちに歌わせて、行商人たちの噂話として。

『辺境へ来れば、衣食住を保証する。王都に留まる者は、飢えと共に滅びる』

剣を交える必要さえなかった。

蜘蛛の子を散らすように門へと殺到する市民たち。武器を捨て、その列に加わる衛兵たち。

王都の死。流血ではなく、人がいなくなるという「失血死」。

遠く王都の方角を見つめ、静かに呟くアトラス。

「戦争? いいえ、これはただの『在庫調整』ですよ」

第5章: 黄金の棺桶

開け放たれた王都の城門。響くのは、吹き抜ける風の音だけ。

かつて追放されたその道を、ゆっくりと歩き王城へと向かうアトラス。

宝物庫の扉を開ける。

黄金の山。金貨、宝石、王冠、首飾り。目が眩むほどの富。

その中心でうずくまる、一人の男。

「ひっ……うぅ……」

骨と皮だけになったヴァルダー王子。

かつての美しい金髪は抜け落ち、自慢の甲冑は重すぎて脱ぎ捨てられ、糞尿にまみれた絹の下着姿で震えている。周囲に散乱する、かじりついた跡のある金貨。

「か、金ならある……! これをやるから、パンを……水をくれ……!」

アトラスを見ると、這いつくばって足元に縋り付くヴァルダー。

無表情で見下ろす、その浅ましい姿。

「計算通りですね。貨幣とは、交換する『物』があって初めて価値を持つ。物流が死んだ世界では、金塊などただの重石です」

「あぁ……ああぁ……」

ポケットから取り出す、一つだけ持ってきた真っ赤なリンゴ。

辺境でセレスが育てようとしていた、最初で最後の果実。

瑞々しく、生命力に溢れ、黄金よりも遥かに尊い輝きを放つ赤。

ヴァルダーの目の前に、コトリと置く。

「これが、あなたが軽視し、踏みにじった『物流』の価値です」

獣のような声を上げ、リンゴに飛びつく元王子。

ガツッ、グチャッ。宝物庫に響く租借音。乾ききった喉を潤す果汁、身体に染み渡る甘露。

「うっ、ううぅ……美味い、美味いよぉ……」

王族の誇りもプライドもない。ただ生存本能だけで涙を流し、貪り食う男。

アトラスはそれ以上、言葉を発しない。復讐の達成感も、憐れみもない。ただ、「タスク完了」のフラグが脳内で立っただけ。

踵を返し、宝物庫を出る。

王都を再建するつもりはない。ここは、愚かさの墓標として残すべきだ。

城を出ると、地平線の彼方に見える無数の光。

辺境を中心に広がる、新たな物流のネットワーク。それはまるで、大地を巡る血管のように脈打っていた。

「さあ、仕事の時間だ。世界中の在庫が、まだ最適化を待っている」

汚れた作業着のポケットに手を突っ込み、歩き出すアトラス。二度と振り返ることはない。

その背中は、王冠などなくとも、確かにこの世界を支配する「王」のそれだった。

クライマックスの情景

AI物語分析

【物語の考察:循環と停滞】

本作の根底にあるのは「流れるものは生き、留まるものは死ぬ」という普遍的な真理だ。アトラスが象徴するのは血液循環(兵站)であり、彼を追放した王都は「血栓」によって壊死した臓器といえる。黄金や宝石といった「不変の価値」が、リンゴという「腐る(=変化する)生命」の前に敗北する構図は、物質主義への強烈なアンチテーゼとなっている。

【メタファーの解説:暴力というバグ】

アトラスが暴力を「バグ」と呼称する点は興味深い。彼の論理的で整合性の取れた世界において、突発的で計算不可能な感情や暴力はシステムを破壊する異物でしかない。しかし、皮肉にも彼自身が復讐のために「システムを意図的にダウンさせる」という最大のバグを利用することで、彼は管理者から支配者(王)へと変貌を遂げたのである。

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