僕の不幸を愛する怪物へ

僕の不幸を愛する怪物へ

主な登場人物

ノア・アークライト
ノア・アークライト
17歳 / 男性
色素の薄い銀髪、光を吸い込むような虚ろな黒目。常に包帯や絆創膏が絶えないが、立ち姿は凛として美しい。
『先生』 (グリム)
『先生』 (グリム)
不詳(数百年以上) / 男性(外見上)
長身痩躯、不潔なまでに黒いロングコート。顔の造作は整っているが、笑うと口が耳元まで裂ける。
8 5359 文字 読了目安: 約11分
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第1章: 祝福という名の呪詛

灰色の雪が、舞う。

否。それは雪ではない。爆ぜたコンクリートの粉塵と、焼け焦げた有機物。都市の死骸そのものだ。

瓦礫の山頂、座り込む一人の少年。

ノア・アークライト、十七歳。

色素の抜け落ちた銀髪が、灰に塗れて額に張り付く。かつて白かったシャツは赤黒く変色し、露出した首筋や腕には幾重もの包帯。傷を癒やすためか、あるいは肉体を繋ぎ止める拘束具か。

唯一、瞳だけが異質だった。この無彩色の地獄において、光を反射せず、全てを吸い込む虚ろな黒。

肺が痙攣する。熱い呼気。

視界の端、潰れた乗用車から漏れ出したガソリンが、小さな炎を上げていた。数分前まで、あそこには逃げ惑う親子がいたはずだ。

「……あ、あぁ」

喉から漏れたのは言葉ですらない。空気を震わせるだけの、掠れ音。

指先は震え、感覚などとうに失せている。膝を抱え込み、世界から拒絶されるように小さくなるノア。

まただ。

また、僕だけが生き残ってしまった。

その時である。瓦礫を踏みしめる音が響いたのは。

重力を持たぬかのような軽やかさと、それでいて確かな圧力を伴う足音。

影が落ちる。

見上げれば、夜そのものを切り取ったような男が立っていた。

不潔なまでに黒いロングコート。身長は二メートルを超えるか。その裾は泥に汚れ、まるで生き物のように蠢いている。彫刻めいた顔の造作は、どこか人工的な冷たさを孕んでいた。

「ノア」

男が名を呼ぶ。腐った果実を煮詰めたシロップのごとき甘さが、鼓膜に粘りつく。

「『先生』……」

微かに動く唇。

男――『先生』と呼ばれた怪物、グリムは、瓦礫の山を滑るように降りると、震えるノアの体を強く抱きしめた。

冷たい。

コート越しに伝わる体温は爬虫類のそれに近い。だが、今のノアにとって唯一の安らぎだった。

「よかった。本当によかった」

グリムの細長い指が、ノアの銀髪を梳く。愛おしげに、壊れ物を扱うように。

「また君だけが助かったね。ああ、なんて可哀想なノア」

ノアは先生の胸に顔を埋めた。ゆえに気づかない。

グリムの整った唇が、耳のあたりまで裂け、醜悪な三日月を描いていることに。

「君の周りはいつも死で溢れている。でも大丈夫、安心おし」

込められる腕の力。骨が軋むほどの抱擁。

鼻腔をくすぐるのは、血の匂いと、古い書物の黴びた匂い。

「私がいる。世界中が君を呪っても、私だけは君の味方だ」

その声に滲む、抑えきれない歓喜の震え。

ノアの背筋を冷たい汗が伝う。なぜだろう。先生は僕の無事を喜んでくれているはずなのに。まるで、極上の悲劇を鑑賞し終えた観客のような息遣いではないか。

第2章: 日常の侵食

硝子窓を透過した午後の陽光。教室の埃が黄金色に染まる。

チョークが黒板を叩く乾いた音。遠く、運動部の掛け声。

頬杖をつき、教科書の隅の落書きをぼんやりと眺めるノア。包帯の巻かれた指先が、無意識にページの端を折る。

「ねえ、ノア。また保健室行ってたの?」

不意に机を叩く音。顔を上げる。

視界に飛び込んできたのは、燃えるような赤。

リナ・ヴァーミリオン。左右非対称のアシンメトリーなボブカットが揺れる。着崩した制服のシャツから覗く健康的な鎖骨。吊り上がったその瞳は、いつだって迷いを知らない。

「……ちょっと、貧血気味で」

「あんたさぁ、いつもそうじゃん。もっと飯食いなよ。ほら、購買のパン余ったからやる」

放り投げられた焼きそばパンが、ノアの胸元に落ちる。

ビニールのガサガサという音が、やけに現実的に響いた。

「ありがとう、リナ」

「お礼なんていーって。その代わり、放課後ゲーセン付き合ってよ。新作の格ゲー入ったんだし」

ニカッと笑うリナ。

その笑顔は、ノアが知る「災厄」とは対極にある。眩しく、温かく、そして脆い。

「あ、でも……」

言い淀んだ、その瞬間。

世界が割れる音がした。

教室の窓ガラスが、内側ではなく外側からの衝撃で一斉に粉砕される。飛び散る破片はダイヤモンドダストのごとく舞い、次の瞬間には生徒たちの悲鳴へと変貌した。

「キャアアアアアッ!!」

「なんだよこれ!? 何が起きてんだよ!!」

侵入してきたのは、肉塊を継ぎ接ぎしたような異形の怪物たち。天井を這い、机をなぎ倒し、生徒を捕食しようと顎門(あぎと)を開く。

「逃げろ! リナ!!」

叫び、リナの腕を掴む。

だが、遅い。

一匹の怪物が、その太い腕をリナへと振り下ろしたのだ。

「ガッ……!?」

紙切れのように壁際まで吹き飛ぶリナ。赤い髪が鮮血で更に赤く染まる。

「リナ!!!」

駆け寄ろうとするノア。立ち塞がる別の怪物。

殺される。また、僕のせいで。

ポケットに隠し持っていたナイフを抜く。震える手で喉元を狙うが、圧倒的な質量の前に抵抗など無に等しい。

怪物の爪が、ノアの眼球を捉え――

ドスッ。

鈍い音が響き、目の前の怪物が破裂した。

降る、血肉の雨。

その中心に、黒いコートの男が立っていた。

「やあ、ノア。お迎えに来たよ」

手袋についた肉片を払いもしないグリム。

背後から無数の黒い影が槍となって伸び、教室中の怪物を串刺しにしていく。断末魔すら許さない、一方的な虐殺。

「せ、んせい……リナが、リナが……!」

血まみれで倒れるリナを指差す。

グリムは興味なさげに一瞥をくれただけ。

「ああ、まだ息はあるね。運がいい」

そして、ノアの頬に飛び散った血を親指で拭い取り、舌で舐め取る。

「言っただろう、ノア。君には、こうした平和な場所は似合わない」

恍惚と細められる瞳。

「血と悲鳴、そして私の加護だけが、君を彩るドレスコードなんだよ」

冷たく固まる胃の腑。

リナの呻き声。守りたかった日常が、足元で音を立てて崩れ去っていく。

第3章: 地獄の最下層

消毒液と腐敗臭が混ざり合う、廃病棟の一室。

リナの手術が終わるのを待たずに、ノアは気配を感じてこの部屋に来ていた。

そこには、先ほどの襲撃を指揮していたとおぼしき男が転がっている。

下半身は瓦礫に潰され、もはや助からないことは明白。

ナイフを握りしめ、近づくノア。

「……なんで、リナを狙った」

低く、震える声。

だが、瀕死の男が見せた反応は、予想外のものだった。

男はノアを見るなり、血の泡を吹きながら泣き叫んだのだ。

「ひッ、ひぃィッ! 許してくれ、頼むッ! 言われた通りにやった! 台本通りにやっただろう!?」

「……台本?」

足が止まる。

錯乱する男。白目をむき、空中の「何か」に向かって命乞いをしている。

「あの『黒い怪物』に言われたんだ!! お前の女を襲えば、家族の命は助けてやるって!! お前を絶望させれば、俺たちをこの街から逃がしてくれるって!!」

心臓が、早鐘を打つのを忘れたかのように止まった。

明滅する視界。

「あいつは、ずっと見てたぞ……!! お前が泣き叫ぶのを、お前が自分の無力さを呪うのを、特等席で見て笑ってやがったんだ!!」

男の言葉が、過去の記憶とリンクする。

幼い頃、両親が死んだ火災。

初めてできた友人が事故死した雨の日。

そして今日、リナが血に沈んだ放課後。

いつも、そこには『先生』がいた。

タイミングよく現れ、僕を抱きしめ、「かわいそうに」と囁いた。

「嘘だ……」

後ずさる。

背中に、冷たい壁がぶつかった。

吐き気が喉元までせり上がってくる。

僕が不幸を呼んでいたんじゃない。

僕を「不幸な少年」にするために、あの男が全てを仕組んでいたのか。

僕が彼に縋り付くためだけに。

僕が彼無しでは生きられないようにするために。

「あがッ、ご、ぼッ……」

最期の痙攣。男の絶命。

戻る静寂。

だが、ノアの耳には、あの粘着質な声がこびりついて離れなかった。

『よかった、また君だけが助かった』

胃の中身を、床にぶち撒ける。

充満する酸っぱい臭い。

涙は出ない。代わりに、胸の奥底で、何かがパチンと弾け飛ぶ音がした。

第4章: 覚醒と断絶

廃ビルの屋上。

風が吹き荒れ、ノアの銀髪を無造作にかき乱す。

欄干に立ち、眼下に広がる街を見下ろす背中。

背後に、気配。

振り返らなくても分かる。腐った甘美な気配。

「ここにいたのかい、ノア。リナくんの手術は成功したそうだ。よかったね」

近づくグリム。いつものように、労るような手つきで肩に触れようとする。

バヂッ。

静電気が弾けるような拒絶。一歩、横に避けるノア。

空を切る手。

「……おや?」

「触るな」

かつてない冷徹さ。

ゆっくりと振り返る。その虚ろだった黒い瞳には、今や絶対零度の氷河が宿っていた。

「知ったよ、先生。全部、お前だったんだな」

グリムの表情から、笑みが消えることはない。むしろ、その亀裂のような口は、さらに大きく裂けた。

「バレてしまったか。思ったより早かったね」

悪びれる様子など微塵もない。

両手を広げ、演劇のスターのように朗々と語り出す。

「だが、それがどうしたと言うんだい? ノア、君の人生という物語には、悲劇というスパイスが必要だった。幸福で平凡な君なんて、誰が見たいと思う? 君は傷つき、失い、孤独に震えている時こそが、最も美しいんだ!」

「……狂ってる」

「愛だよ! これは純粋な愛だ! 私は君を完成させた! 私という存在なしでは呼吸もできない、完璧な『被害者』にね!」

一歩踏み出すグリム。鎌首をもたげる影が、ノアを包み込もうとする。

「さあ、おいで。真実を知ったところで、君には私しかいない。世界は君を愛さないが、私は君の不幸ごと愛してやる」

動かないノア。

恐怖も、怒りも、悲しみも、今の彼の中には存在しない。

あるのは、冷え切った理解だけ。

僕は、こいつの「餌」だった。

ならば。

「愛? ……笑わせるな」

ポケットからライターを取り出す。

そして、足元に設置していた信管――廃墟に残されていた爆薬のスイッチを踏み抜いた。

「!?」

轟音。

崩落する屋上の床。

宙に投げ出される体。

グリムが叫び声を上げ、影を伸ばしてノアを捕らえようとする。

「ノアァァァァッ!!」

落下しながら、グリムを見上げる。

助けを求める顔ではない。

蔑むような、見下ろす瞳。

「死にたくねぇぇぇ!!!」

ノアは喉が裂けんばかりに絶叫した。

だがそれは命乞いではない。

自らの生存本能を無理やり叩き起こし、怪物(こいつ)の助けを借りずに生き延びるための、魂の咆哮。

第5章: 首輪の主

瓦礫の山から這い出したノアの姿は、ひどい有様だった。

左腕は奇妙な方向に曲がり、全身から血が滴る。呼吸をするたびに、肋骨が肺を突き刺す激痛。

それでも、彼は立っていた。

自分の足で。

歪む空間。現れるグリム。

不死身の怪物は、傷一つ負っていない。だが、その表情は焦燥に歪んでいた。

「ノア! なんて無茶を! すぐに治してあげる、だから……」

伸ばされる手。

その指先が触れる、直前。

「跪(ひざまず)け」

短く、鋭い命令。

止まるグリム。

ノアの瞳から放たれる異様な重圧。それは、数多の死線を「演出」としてではなく、生身で潜り抜けた者だけが持つ覇気。

「お前の救済など要らない。僕の傷も、痛みも、不幸も、全て僕のものだ。お前にくれてやるものなんて、指の爪一つ残っていない」

折れた左腕をだらりと下げたまま、一歩ずつ歩み寄る。

「僕は死なない。お前がどんな災厄を用意しようと、お前の力を借りずに生き延びてやる。……お前の『守りたい』という欲望を、僕は永遠に満たさせてはやらない」

それは、怪物にとって最も残酷な拷問。

自分の存在意義を否定され、けれど執着の対象は目の前で鮮烈に生きている。

「あぁ……あぁ、ノア……」

震え、その場に崩れ落ちるグリム。

絶望。そして、それ以上に深い、背徳的な歓喜。

自分に牙を剥き、支配しようとする少年の姿は、彼が脚本に書いたどの悲劇よりも美しかったからだ。

跪いたグリムの前に立ち、その濡れた黒髪を乱暴に掴んで顔を上げさせる。

「これからは僕が、お前を管理してやる。お前は僕の不幸を愛しているんだろう?」

近づく顔。

包帯が解けた頬には、新しい傷跡。

光のない黒い瞳が、怪物を射抜く。

「なら、特等席で見せてやるよ。僕がお前という呪いを飼いならして生きる様を」

グリムの口元が、耳まで裂けるほどの笑みを形作る。

目からは黒い涙が溢れ出していた。

「……仰せのままに、私の主(マスター)」

廃墟の風が吹き抜ける。

二人は並び立った。最強にして最悪の共依存。

だが、その首輪を握っているのは、もはや守られるだけの少年ではなかった。

「行くぞ、グリム」

振り返りもせず、荒廃した街へと歩き出すノア。

その背中は、痛々しいほどに孤高で、寒気がするほど美しかった。

クライマックスの情景

AI物語分析

【物語の考察:代理ミュンヒハウゼンの宇宙的規模】

本作の核は、保護者であるグリムが抱える「代理ミュンヒハウゼン症候群」の極致にある。彼はノアを「可哀想な被害者」に仕立て上げることでしか、自らの存在意義(=救済者としての愉悦)を感じられない。これは歪んだ愛の形であり、ノアにとっては「祝福」という皮を被った「呪い」そのものである。

【メタファーの解説:首輪の逆転】

物語後半、ノアがグリムを拒絶するのではなく「従属させる」選択をした点が重要である。これは、トラウマ(グリム)からの逃避ではなく、トラウマを飼いならして生きるという「能動的な受容」のメタファーだ。ノアが握った首輪は、彼が自身の人生のコントロールを取り戻した証であり、二人の関係は「守護者と被害者」から「支配者と依存者」へと劇的に反転した。

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