深宙のスカベンジャーと火星の黒い水

深宙のスカベンジャーと火星の黒い水

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第一章 真空のジャンクヤード

警告音が、脳味噌を直接揺さぶるような不快な電子音を奏でていた。

「おい、ケンジ。右舷30度、デブリ接近。サイズは……空き缶クラスだな」

ヘッドセットから聞こえるオペレーターの声は、安物のスピーカーを通したようにガサついている。

俺は操縦桿代わりのグローブをはめた手を軽く捻った。

「了解。とっとと拾って帰るぞ。酸素フィルターの交換時期が過ぎてて、コクピットがカビ臭くてかなわん」

「文句言うなよ。その『空き缶』一個回収すれば、今月のローンの利子くらいにはなる」

俺、佐竹ケンジの職場は高度400キロメートルの低軌道上だ。

かつては選ばれた英雄しか来られなかったこの場所も、2050年代の今となっちゃ、ただの汚れた国道沿いと変わらない。

目の前のHUD(ヘッドアップディスプレイ)には、無数の赤いマーカーが表示されている。

過去半世紀に人類が捨て散らかしたゴミの山だ。

俺が操る老朽化した作業艇『ミュール(ラバ)』号は、推進剤をケチるために慣性だけでスライド移動する。

右腕のマニピュレーターが音もなく伸び、高速で回転するボルトの破片を正確にキャッチした。

「ナイスキャッチ。さすが、元テストパイロットの腕は錆びてないねえ」

「皮肉か? その腕があって、今はただの宇宙の掃除屋だ」

俺はコンソールに浮かぶ『残高不足』の赤い文字を指で弾いて消した。

ギャンブルで溶かした借金と、別れた妻への養育費。

重力からは解放されても、金の重力からは逃れられない。

その時、暗号化された通信回線が開いた。

ノイズ混じりの低い声。

『佐竹ケンジだな。ベンチャー企業の“アレス・スプリングス”だ。折り入って頼みたい仕事がある』

「営業なら他を当たってくれ。保険には入ってる」

『掃除の依頼だ。ただし、場所はここじゃない。火星軌道だ』

俺は飲みかけのぬるいコーヒーパックを吸い込み、眉をひそめた。

火星への定期便は、今や大手物流会社の独壇場だ。

だが、個人のスカベンジャーに直接依頼が来るなんて、まともな案件じゃない。

『報酬は、今の君の借金を全額帳消しにし、さらに倍額を支払う』

「……中身はなんだ?」

『衛星フォボス周辺に漂う、あるコンテナの回収。公式には“ロストした試掘サンプル”となっている』

「非公式には?」

『聞かない方が身のためだ。やるのか、やらないのか』

目の前の地球は、相変わらず青く、そしてどこか冷ややかに輝いている。

俺はため息をつき、スラスターの出力を上げた。

「座標を送れ。契約成立だ」

第二章 赤い星の沈黙

火星への旅は、昔のSF映画のようにドラマチックなものじゃなかった。

冷凍睡眠カプセルは中古品で、目覚めた時の吐き気は二日酔いの百倍ひどい。

「おはようございます、佐竹さん。心拍数、正常です」

声をかけてきたのは、アレス社から「監視役」として押し付けられた新人のミナだった。

工学部出の二十三歳。

宇宙への憧れで目がキラキラしている、一番厄介なタイプだ。

「……最悪の目覚めだ。コーヒーはあるか?」

「抽出機が故障してます。お湯なら出ますけど」

「最高だ」

窓の外には、錆びた鉄球のような火星が圧倒的な質量で浮かんでいた。

その傍ら、ジャガイモのような形をした衛星フォボス。

指定された座標は、フォボスの裏側、通信が途絶しがちなデブリベルトの只中だった。

「見てください、あれ!」

ミナが指差すモニターの先。

岩石と金属片が渦巻く中に、不自然に輝くシリンダー状の物体が漂っていた。

「ターゲット確認。接近する。……おい、妙だな」

俺は直感的な違和感を覚えた。

俺の才能――「空間把握能力」が警鐘を鳴らしている。

デブリの動きが不自然だ。

まるで、そのシリンダーを守るように、あるいは恐れるように、周囲の瓦礫が微妙に軌道を変えている。

「放射線量、通常値。熱源反応なし。……でも、微弱な電磁干渉があります」

ミナがコンソールを叩く。

「マニュアルでいく。AIは切れ。干渉で誤作動されたらたまらん」

俺は操縦桿を握り直す。

指先の感覚だけを頼りに、回転する岩石の隙間を縫うように機体を滑り込ませた。

スラスターを細かく噴射し、シリンダーとの相対速度をゼロに合わせる。

カシャン。

マニピュレーターがシリンダーを掴んだ瞬間、機体が大きく振動した。

「なっ、何!?」

「電磁パルス!? いや、違う……何かが船体に取り付いたぞ」

センサーが異常を知らせる。

シリンダーの表面から、黒い粘液のようなものが滲み出し、真空の宇宙空間で凍りもせず、マニピュレーターを伝って這い上がってきていた。

「液体……? そんな、気圧ゼロで沸騰しないなんてありえない!」

「ミナ、ハッチをロックしろ! あれはただの水じゃない」

俺たちが回収しようとしているのは、アレス社が喉から手が出るほど欲しがっていた「火星の地下水」だ。

だが、それは資源なんて生易しいものじゃなかった。

コンソールにノイズが走る。

黒い液体が外部カメラのレンズを覆い尽くし、まるで意思を持っているかのように、エアロックの隙間を探り始めていた。

「佐竹さん、船内AIが……応答しません! システムが書き換えられています!」

「なんだと?」

モニターに表示された文字列は、プログラムコードではなかった。

それは、有機的なパターン。

まるで、生き物が呼吸をするようなリズムで、船の制御権を奪っていく。

『……ミ……ツ……ケ……』

スピーカーから聞こえたのは、人の声ではない。

船の金属がきしむ音と、電子ノイズが合成された、悪夢のような囁きだった。

第三章 感染する軌道

「切り離せ! アームごと投棄しろ!」

俺は叫びながら、緊急切断のレバーを引いた。

だが、反応がない。

回路が物理的にバイパスされている。

「ダメです! 制御不能! メインエンジン、勝手に点火します!」

ドン、と背中がシートに押し付けられる。

ミュール号は急加速を始めた。

向かう先は火星ではない。

地球への帰還軌道だ。

「こいつ……地球に行く気か?」

黒い水――おそらくは未知の極限環境微生物の集合体、あるいはナノマシンに近い何か。

それが俺たちの船を「殻」として利用し、繁殖に適した豊かな水の惑星へ渡ろうとしている。

「止めないと……。あんなものを持ち帰ったら、地球の生態系が終わる」

ミナの顔面は蒼白だ。

彼女の端末も既に黒い浸食を受け、画面には幾何学模様が明滅している。

「AIが使えないなら、手動でやるしかない」

俺はシートの下からバールを取り出し、コンソールのパネルをこじ開けた。

きらめく配線の束。

メインコンピュータを経由せず、スラスターの燃料弁を直接操作する。

かつてテストパイロット時代に叩き込まれた、極限状態でのアナログ操作だ。

「ミナ、酸素マスクをつけろ。これから船内の空気を抜く」

「えっ!? 自殺する気ですか!?」

「船内に入り込んだ奴らを凍らせるんだ。一時的だが動きは鈍るはずだ」

俺は躊躇なく緊急排気ボタンを殴りつけた。

シュゴオオオッ!

猛烈な風と共に空気が宇宙へ吸い出される。

気圧が急激に下がり、鼓膜が痛む。

寒さが防護服越しに伝わってくる。

モニターの隅で、這い回っていた黒い液体が動きを止めた。

「今だ……!」

俺は震える手で剥き出しの配線をショートさせた。

エンジンの噴射方向を逆転させる。

船体に強烈なGがかかる。

きしみ、悲鳴を上げる金属フレーム。

地球への帰還コースから外れ、船は再び火星の重力圏へと落ちていく。

大気圏突入の角度じゃない。

そのまま地表へ激突する特攻コースだ。

「佐竹さん……私たち、死ぬんですか?」

通信機越しのミナの声は、震えていたが、不思議と落ち着いていた。

「……すまん。借金返済の計画はパァだ」

「ふふ、私の奨学金も、返せそうにありません」

だが、その時だった。

動きを止めていたはずの黒い液体が、急激に沸騰したように泡立った。

船内の僅かな熱源――俺たちの体温に反応したのだ。

防護服のバイザー越しに、黒い雫が這う。

それはミナのヘルメットに取り付き、微細な亀裂から中へと侵入しようとしていた。

「いや……こないで……!」

「ミナ!」

俺はシートベルトを外し、無重力の中を泳ぐように彼女へ向かった。

だが、遅かった。

バイザーの中で、ミナの瞳が黒く染まっていく。

彼女は痙攣し、やがてゆっくりと俺を見た。

その顔に浮かんでいたのは、恐怖ではなく、慈悲深い微笑みだった。

『ケン……ジ……。イコウ……ミズ……アル……バショ……』

ミナの口から紡がれた言葉に、俺は背筋が凍りついた。

彼女はもうミナではない。

船の制御が再び奪われる。

逆噴射が止まり、船首が再び地球を向く。

俺の抵抗も、アナログな工作も、すべて学習されていたのだ。

「くそっ……こんなお土産、誰も喜ばねえぞ……!」

俺は最後の手段に出た。

腰のベルトに繋がれた推進剤タンク。

これを船内の核融合バッテリーに直結させれば、小規模な爆発を起こせる。

船ごと吹き飛ばす。

それしか、この悪魔を止める方法はない。

だが、俺の手がバッテリーに触れる直前、黒い触手が手首を優しく絡め取った。

痛みはない。

むしろ、温かい。

『イタミ……ナイ……。ヒトツ……ニ……』

意識が遠のく。

視界の端で、地球が美しく輝いていた。

ああ、そうだ。

俺はずっと、あの青い星に帰りたかったんだ。

借金も、孤独も、後悔もない場所へ。

エピローグ 豊穣の雨

西暦205X年。

南太平洋沖に、一機の宇宙船が不時着した。

回収に向かった民間企業のチームは、船内で奇妙な光景を目撃した。

パイロットシートには、誰もいなかった。

ただ、船内を満たす大量の「水」だけが、チャプチャプと波打っていた。

ハッチが開かれる。

外気と触れたその水は、歓喜するように蒸発し、雲となり、風に乗って世界中へと拡散していった。

その年の雨は、例年になく甘い匂いがしたという。

そして人々は気づき始めていた。

雨に濡れた肌から、奇妙な黒いあざが広がり始めていることに。

それは、人類が待ち望んだ火星からの贈り物。

あるいは、我々という旧い種を洗い流すための、新しい洗礼だったのかもしれません。

AI物語分析

【主な登場人物】

  • 佐竹ケンジ: 42歳。かつてのエリートパイロットだが、今は低軌道のスカベンジャー(ゴミ拾い)。リアリストで皮肉屋だが、土壇場での操縦技術と直感は錆びついていない。資本主義の末端で消費される労働者の象徴。
  • ミナ: 23歳。アレス社の新人技術者。宇宙への純粋な憧れを持つ理想主義者。ケンジとは対照的な存在として描かれるが、物語中盤で「火星の意志」の最初の犠牲者(あるいは受容者)となる。
  • 黒い水: 火星の地下深くで眠っていた未知の有機体。電気信号に反応し、機械と生物を融合・同化する性質を持つ。悪意ではなく、単に「繫殖」と「水」を求めて地球を目指す。

【考察】

  • 日常化された宇宙の恐怖: 本作は華々しい冒険譚ではなく、トラック運転手のような「日常業務」としての宇宙を描いている。死と隣り合わせの環境がマンネリ化していることへの警鐘。
  • 資源開発のメタファー: 企業が利益のためにパンドラの箱(火星の地下水)を開ける展開は、現実の環境破壊や倫理を無視した開発競争への風刺である。
  • 水の二面性: 水は生命の源(Life)であると同時に、本作では人間という種を塗り替える媒体(Death/Rebirth)として描かれる。ラストの「甘い雨」は、人類の終わりと新たな生態系の始まりを示唆している。
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