第一章: 冒涜のレクイエム
腐った果実と鉄錆を煮詰めたような異臭が、容赦なく鼻腔を犯す。
ダンジョンの深部特有の、肺にへばりつくような淀んだ空気。
足元に広がるのは、かつて人間だったモノの残骸と、まだ温かさを残す血液の海だ。
その中心で、一人の男が膝をつき、荒い息を吐いている。Sランク探索者、神宮寺マモル。国民的英雄と呼ばれた男の、見る影もない最期がそこにあった。
俺はカメラのレンズを汚れた指で拭い、配信開始のボタンを押し込む。
[A:九条ハル:冷静]「……あー、テステス。聞こえますか日本。これから国民的英雄の『遺言』を放送します」[/A]
目深に被ったフードの隙間から、無造作に伸びた黒髪が覗く。目の下に刻まれた濃いクマは、不眠の記録。病的なまでに白い肌は、薄暗いダンジョンの中で幽鬼のように浮き上がっていた。
清掃業者のロゴが入った油まみれの作業着。その上に無骨なタクティカルベストを巻きつけ、胸元には複数のレンズとマイクが異様な光を放つ。
[System]《LIVE配信開始》 現在の視聴者数: 32人[/System]
コメント欄が即座に加速する。
『またこいつか』『死体蹴りのハル』『不謹慎すぎるだろ』『通報した』『英雄を愚弄するな』
罵倒の嵐。画面を埋め尽くす悪意の奔流。
だが、俺は眉一つ動かさない。ただ冷徹に、瀕死の英雄へマイクを向けた。
[A:九条ハル:冷静]「……聞こえるか? これが、アンタの最期の言葉だ。俺が届けてやる」[/A]
神宮寺の喉がヒューヒューと鳴る。血の泡が口角から溢れ、タクティカルベストの黒い生地に赤い染みを作った。瞳孔はすでに開きかけている。それでも、その手は俺の腕を万力のような力で掴んで離さない。
「……たの……む……」
声にならない声。だが、俺には聞こえる。
《ネクロ・リンク》、接続。
[A:九条ハル:冷静]「『俺は……逃げたんじゃない……』」[/A]
俺の唇が、神宮寺の魂と同期して勝手に言葉を紡ぎだす。
[A:九条ハル:冷静]「『……あいつらが……民間人を……囮にしたんだ……俺は……それを……かばって……』」[/A]
[Think](嘘だろ……?)[/Think]
流れるコメントが一瞬、止まる。
神宮寺の懐から、俺は血に濡れたボイスレコーダーを抜き取った。再生ボタンを押すと、探索者組合の幹部たちが避難民を見捨ててゲートを閉じるよう指示する音声が、残酷なほどクリアに響き渡る。
『いいか、一般人は置いていけ! 金になる素材だけ持ち帰ればいい!』
配信画面の向こう側、数万の視聴者が息を呑む気配。罵倒は消え失せ、驚愕と、そして沸き上がるような怒りのコメントが雪崩のように押し寄せる。
[A:九条ハル:冷静]「……だってさ。満足か、英雄」[/A]
神宮寺の腕から力が抜ける。瞼がゆっくりと落ち、彼は永遠の沈黙を選んだ。
俺はカメラの電源を切ることなく、その死に顔を正面から捉え続ける。美談も、粉飾もない。ただ、泥と血に塗れて誰かを守り抜いた、男の真実の顔。
[A:九条ハル:冷静]「遺言、承りました」[/A]
胸の奥で、カチリと何かが嵌まる音がした。
死者の無念が晴れ、魂が俺の中に溶けていく感覚。
[System]スキル継承完了: 《守護者の咆哮》[/System]
俺はブラックコーヒーの空き缶を握り潰し、冷え切った遺体の瞼をそっと閉じた。
◇◇◇
第二章: 道化と亡霊
「キャー! 今のハルくん、マジでイケメンだったじゃん! でも視聴者の反応遅すぎ! 気づくの遅いって!」
耳元のインカムから鼓膜をつんざくような甲高い声。
俺の周囲を、半透明の少女が飛び回っている。フリルの多いゴシックロリータ服。首元には痛々しい横一文字の傷跡を隠すチョーカー。
一ノ瀬ミナ。かつてダンジョン崩落事故で行方不明になった、元地下アイドルの地縛霊だ。
[A:九条ハル:冷静]「……うるさい。音量下げろ」[/A]
[A:一ノ瀬ミナ:興奮]「酷い! 私がハッキングして電波塔ジャックしなかったら、あの配信届かなかったんだからね! もっと感謝してよ!」[/A]
ミナは俺のドローンをすり抜け、ホログラムのように空中に浮かびながら頬を膨らませる。彼女には実体がない。触れることも、涙を拭うこともできない。ただのデータの残滓のように、そこに「在る」だけ。
[A:九条ハル:冷静]「感謝してるよ。……心の中でな」[/A]
[A:一ノ瀬ミナ:照れ]「ふふん、素直じゃないなぁ。……あ、ハルくん! ヤバい通知来てる! 大手クラン『英雄の凱旋』からコラボ依頼!」[/A]
モニターに表示されたのは、国内最強と謳われるクランの紋章。そして、リーダー・御堂リュウガの、眩しすぎる笑顔のサムネイル。
[A:一ノ瀬ミナ:恐怖]「え……リュウガって、あの事故の時、私たちが助けを求めたのに無視した……」[/A]
ミナの声が震える。霊体である彼女の姿が、ノイズのように明滅した。
俺はキーボードを叩く手を止め、画面の中の完璧な英雄を睨みつける。金髪、白銀の鎧、作り物めいた爽やかさ。
[A:九条ハル:冷静]「ああ。知ってる。こいつは、死者の声を一番聞きたくない人間だ」[/A]
俺は冷めたコーヒーを喉に流し込む。苦味が、胃の腑に溜まったドス黒い感情を少しだけ和らげる。
[A:九条ハル:冷静]「受けるぞ。ミナ、最高の舞台を用意してやれ」[/A]
[A:一ノ瀬ミナ:怒り]「了解! あのキラキラ王子、地獄に堕としてやろうじゃん!」[/A]
◇◇◇
第三章: 偽りの光、深淵の闇
カメラのフラッシュ。歓声。光の洪水。
『英雄の凱旋』とのコラボ配信は、指定されたSランクダンジョン「水晶宮」で行われていた。
御堂リュウガは、まるで映画の撮影のように優雅に剣を振るう。
[A:御堂リュウガ:冷静]「やあ、ハル君。君の活動には感銘を受けているよ。死者を冒涜する……いや、弔う姿勢、素晴らしいね」[/A]
リュウガは、俺の薄汚れた作業着を見下ろしながら、さも親しげに肩を抱いてくる。その指先が、俺のタクティカルベストに食い込むほど強いことに、カメラ越しの視聴者は気づかない。
[A:九条ハル:冷静]「アンタこそ。随分と『掃除』が行き届いてるな。死体が一つも見当たらない」[/A]
[A:御堂リュウガ:喜び]「ははは! 僕がいる限り、この国は安全だよ。モンスターなんて、僕の光で浄化されるからね」[/A]
リュウガが指を鳴らすと、派手な光のエフェクトと共に《ホーリー・ライト》が発動する。襲いかかってきたオークのような怪物が、光の中で悲鳴を上げて消滅した。
……いや、違う。
俺の目には見えていた。光の中で、怪物の皮膚が剥がれ落ち、その下から「人間の顔」が浮かび上がるのを。
助けて、熱い、痛い。
無数の声が、リュウガの足元から響いてくる。こいつらが狩っているのはモンスターじゃない。ダンジョンに取り込まれ、異形化した遭難者たちだ。
[A:九条ハル:驚き]「……お前、知っててやってるのか?」[/A]
マイクに入らないほどの小声で問う。リュウガの笑顔が、一瞬だけ凍りついた。唇の端が、ピクリと引きつる。
[A:御堂リュウガ:狂気]「……君さぁ。目障りなんだよね。余計なものが見えすぎる目は、潰した方がいい」[/A]
次の瞬間、俺の足元の水晶床が音もなく消失した。
リュウガの魔法だ。事故に見せかけた、完璧な処刑。
[Shout]「ハルくん!!」[/Shout]
ミナの絶叫が遠ざかる。
俺の体は重力に従い、底なしの闇――深層階層(アビス)へと吸い込まれていった。
視界の端で、リュウガがカメラに向かって悲痛な表情を作るのが見えた。
[A:御堂リュウガ:悲しみ]「ああ! なんてことだ! ハル君が不注意で……!」[/A]
嘘つきめ。
風切り音と共に、意識が暗転する。
◇◇◇
第四章: 奈落の底で呼ぶ声
寒さ。
骨の髄まで凍りつくような、絶対的な冷気。
目を開けると、そこは光の届かない漆黒の世界だった。酸素が薄い。指先が痺れて感覚がない。
全身の骨がきしむ音がする。生きてるのが不思議なくらいだ。
[A:九条ハル:絶望]「……クソ……」[/A]
這い上がろうとして、手が何か冷たくてヌルヌルしたものに触れた。
泥ではない。
死体だ。
見渡す限りの死体の山。リュウガたちが「浄化」して深層に廃棄した、かつての人間たちの成れの果て。
スマホの画面は割れているが、奇跡的にまだ生きていた。
画面には、地上の配信映像が映っている。リュウガが涙ながらに俺の「事故死」を報告し、スパチャの雨が降っていた。
[A:御堂リュウガ:悲しみ]「彼の無念は僕が晴らす。だから皆さん、僕を支えてほしい」[/A]
完璧な茶番。俺はここで、誰にも知られずに腐っていく。これまで俺が記録してきた死者たちと同じように。
「……諦めるのか?」
不意に、声がした。
風の音ではない。物理的な振動でもない。脳に直接響く、無数のノイズ。
「俺たちの声を聞いてくれたのは、お前だけだった」
「まだ終わってない」
「立てよ、死体清掃人」
闇の中から、青白い光が揺らめき立つ。
一つ、また一つ。
神宮寺マモル。名もなき冒険者たち。そして、かつてここで死んだ数千の魂たち。彼らが俺の周りに集まり、冷え切った体を支えるように腕を伸ばしてくる。
[A:一ノ瀬ミナ:悲しみ]「……ハルくん! 起きて! まだ回線は生きてる! 私が……私がアンタの命(バッテリー)、繋ぐから!」[/A]
ミナの声。彼女の霊体が、俺のスマホに飛び込み、激しい光を放ち始めた。彼女自身の存在をエネルギーに変えて、強制的に回線をこじ開けようとしている。
[A:九条ハル:怒り]「……馬鹿野郎、消える気かよ」[/A]
[A:一ノ瀬ミナ:愛情]「死んだあとの方が楽しいって言ったでしょ! ……最高のライブ、しなきゃ終われないじゃん!」[/A]
熱い。
死者たちの冷たい手が、俺の心臓を無理やり動かす。
ドクン、ドクンと、不整脈のような鼓動が、怒りのリズムを刻み始めた。
俺はふらつく足で立ち上がる。体中から黒い霧が噴き出す。それは俺自身の生命力と、死者たちの怨念が混ざり合った、異形のオーラ。
[A:九条ハル:狂気]「……聞こえるか、リュウガ。いや、全世界のクソ野郎ども」[/A]
俺は割れたカメラレンズを、銃口のように虚空へ向けた。
[A:九条ハル:狂気]「地獄の底から、配信開始だ」[/A]
◇◇◇
第五章: 境界線のプロデューサー
東京都心の巨大モニター。渋谷、新宿、秋葉原。
リュウガの追悼特番が流れていた全てのスクリーンが、突如としてノイズに覆われた。
ザザッ、ザザッ。
不快な音と共に、漆黒の背景に青白い顔が浮かび上がる。
半分が黒い霧に侵食され、眼球が赤く発光する、悪魔のような姿の九条ハル。
[Shout]「うわぁぁぁ!? なんだあれ!?」[/Shout]
[Shout]「ハル!? 生きてるのか!?」[/Shout]
街中が騒然となる中、リュウガの顔色が蒼白に変わるのがワイプ画面で抜かれる。
[A:九条ハル:冷静]「よお、英雄サマ。涙の演技、上手かったぜ。スパチャ返金しとけよ」[/A]
[A:御堂リュウガ:驚き]「な、なぜ……深層から通信なんて……ありえない!」[/A]
[A:九条ハル:冷静]「アンタが殺して捨てた『ゴミ』たちが、アンテナになってくれたんでな」[/A]
俺が指を鳴らすと、背後の闇から無数の「顔」が浮かび上がった。
リュウガが殺した遭難者たち。彼らの姿が、鮮明な映像として全国に中継される。
『お母さん、痛いよ』『リュウガ、なんで見捨てたんだ』『助けて』
[A:御堂リュウガ:恐怖]「や、やめろ……消せ! 放送を止めろ!!」[/A]
リュウガが錯乱し、見えない何かを振り払うように剣を振り回す。その醜態は、何の加工もなく全世界に晒された。
コメント欄が反転する。
『人殺し』『詐欺師』『悪魔』
称賛の言葉は呪詛へと変わり、リュウガの築き上げた虚構の城が音を立てて崩れ落ちていく。
[A:九条ハル:怒り]「これが、こいつらの最期の言葉だ。……そして、これが俺の遺言だ」[/A]
俺はカメラに最接近し、歪んだ口元で笑った。
[A:九条ハル:狂気]「御堂リュウガ。お前の人生は、ここで『配信終了(BAN)』だ」[/A]
[Magic]《ネクロ・リンク・フルバースト》[/Magic]
画面越しに放たれた死者たちの絶叫が、物理的な衝撃波となってリュウガを襲う。彼は白目を剥き、口から泡を吹いてその場に倒れ込んだ。
視聴者数、一億人突破。
世界が、真実を目撃した瞬間だった。
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数ヶ月後。
東京、特別ダンジョン管理区スラム。
雨が降っていた。錆びたトタン屋根を叩く音が、静かなBGMのように響く。
[A:九条ハル:冷静]「……あー、テステス。聞こえますか」[/A]
俺は路地裏で、新しいカメラを構えていた。
右腕は黒く変色し、もはや人間の肌の色をしていない。深淵の毒に侵された体は、半分が生者、半分が死者という曖昧な境界に留まっている。
[A:一ノ瀬ミナ:興奮]「ハルくん! 同接もう5万人だよ! 今日の依頼人は?」[/A]
スマホの中から、以前より少し透け具合が増したミナが元気に手を振る。彼女もまた、深層での無茶が祟って成仏できなくなり、俺のスマホに完全に憑依してしまった。
[A:九条ハル:冷静]「……無念の死を遂げた、名もなき猫の霊だってさ」[/A]
俺は足元の小さな骸にレンズを向ける。
英雄なんて柄じゃない。
俺はただの死体清掃人。
現世と幽世の境界線で、今日も誰かの「遺言」を届けるだけだ。
[A:九条ハル:冷静]「……聞こえるか? これが、こいつの最期の言葉だ」[/A]
雨音に混じって、シャッター音が静かに響いた。
[System]配信終了。アーカイブを保存しますか?[/System]