殺意のレシピ、愛の残り香

殺意のレシピ、愛の残り香

主な登場人物

遠藤清治
遠藤清治
58歳 / 男性
白髪交じりの無造作な短髪、常に喪服のような黒っぽい服、深く刻まれた眉間の皺、生気のない瞳。
南雲蓮(旧姓:相沢)
南雲蓮(旧姓:相沢)
20歳 / 男性
痩せこけて骨ばった体躯、伸びかけの黒髪で目を隠している、首元に古い火傷の痕、安物の作業着。
佐伯洋子
佐伯洋子
55歳 / 女性
派手な化粧だが品のある顔立ち、紫煙を燻らせる仕草が似合う、着古したカーディガン。

相関図

相関図
拡大表示
5 4871 文字 読了目安: 約10分
文字サイズ:
表示モード:

第一章: 殺意の味

湿った夜風が、白髪交じりの無造作な短髪を揺らす。

遠藤清治は、皮膚のように馴染んだ黒いコートの襟を立てた。喪服ではない。だが、そう見紛うほどに色は褪せ、繊維はくたびれている。街灯の頼りない光。それが照らし出すのは、深く刻まれた眉間の皺と、生気の一切宿らない、底光りする瞳のみ。

足元に転がる黒い塊。

ずぶ濡れの作業着を纏い、泥濘(ぬかるみ)に顔を埋めている青年。痩せこけて骨ばった背中が、痙攣するように小さく跳ねていた。

[A:遠藤清治:冷静]「……おい。生きてるか」[/A]

返答なし。泥にまみれた横顔。伸びかけの濡れた黒髪が視線を遮断している。

清治は舌打ちを一つ、アスファルトに捨てた。関わりたくない。だが、その痩躯(そうく)。三年前に失ったあの子の最後の姿と、嫌でも重なる幻影。冷たい雨が、清治の古傷じみた記憶を容赦なく叩いた。

◇◇◇

出汁の匂い。

かつお節と昆布が湯の中で踊り、黄金色の魂へと昇華していく芳香。

清治は狭い長椅子の上で跳ね起きた。定食屋の厨房、使われなくなって久しい聖域から、包丁がまな板を叩く音が響く。トントン、トントン。正確なリズム。

[A:遠藤清治:驚き]「誰だ」[/A]

厨房に立っていたのは、昨夜拾ったあの青年。安物の薄汚れたTシャツから覗く首筋に、古い火傷の痕が赤黒く張り付いている。彼は清治の視線に気づくと、ビクリと肩を震わせ、濡れた子犬のように身を縮めた。

[A:南雲蓮:恐怖]「あ……すみません、勝手に……。食材が、痛みそうだったので」[/A]

消え入りそうな声。前髪の隙間から、怯えきった視線が床を這う。

清治は無言で椀を受け取った。湯気と共に立ち上る味噌の香り。一口、含む。

思考が、凍てつく。

舌の上で広がる、甘く、少し塩気の強い、独特の配合。隠し味の生姜。

心臓が早鐘を打つ。胃の腑が熱くなり、指先が震えた。これは、美咲の味。死んだ娘が、父のためにと試行錯誤して完成させた、世界に一つだけのレシピ。

[A:遠藤清治:驚き]「貴様……その味を、どこで」[/A]

[A:南雲蓮:照れ]「え……あの、なんとなく。手癖、みたいなもので……不味かった、ですか?」[/A]

蓮は不安げに首を傾げる。その仕草。箸の持ち方。吸い口の角度。

あまりにも似すぎている。

清治の脳裏に、どす黒い違和感がオイルのように広がった。偶然にしては出来すぎだ。だが、目の前の青年は、ただひたすらに無害で、透明な罪悪感を全身から発散させている。

[Think]なぜだ。なぜ、この見知らぬ小僧が、美咲の味を知っている?[/Think]

清治は椀をテーブルに叩きつけた。汁が数滴、黒いテーブルクロスに染みを作る。

[A:遠藤清治:怒り]「……飯は、残すな。食ったら出て行け」[/A]

[A:南雲蓮:悲しみ]「はい……申し訳、ありません」[/A]

深々と頭を下げる蓮。その項(うなじ)が無防備に晒された瞬間、清治の右手が、意思に反してピクリと動く。殺意ではない。もっと別の、例えば迷い猫の首根っこを掴むような、所有欲に似た衝動。

この男は危険だ。本能が警鐘を鳴らす。

だが、清治はまだ知らない。この台所で味噌汁を作る青年こそが、三年前に愛娘・美咲の命を奪い、その未来を永遠に閉ざした「少年A」その人であることを。

第二章: 硝子の箱庭

渓流の水面が、陽光を弾いて砕け散る。

清治はリールのハンドルをゆっくりと回した。隣には蓮。不慣れな手つきで竿を握り、水面を凝視する横顔は、張り詰めた糸のように緊張している。

[A:佐伯洋子:冷静]「アンタたち、本当の親子みたいじゃないの」[/A]

土手の上から、紫煙を燻らせた洋子が呆れたように声をかけた。派手な化粧に負けない品のある顔立ち。着古したカーディガンを羽織り、いつものようにどこか達観した瞳で二人を見下ろしている。

[A:遠藤清治:照れ]「余計なことを言うな。ただの暇つぶしだ」[/A]

[A:南雲蓮:照れ]「あの、すみません……僕なんかが」[/A]

蓮が慌てて頭を下げる。清治の胸の内で、凍りついていた何かが、音を立てて崩れ落ちていく感覚。

あの日から一ヶ月。蓮は出て行かず、清治も追い出さなかった。奇妙な引力が、二人を繋ぎ止めていたのだ。蓮の作る料理は、日を追うごとに美咲の味に近づいていく。いや、最初から同じだった。清治はその味に溺れ、娘の幻影をこの薄汚れた青年に重ねている。

[A:遠藤清治:冷静]「蓮。竿先が上がってるぞ」[/A]

[A:南雲蓮:驚き]「えっ、あ、はい! すみません!」[/A]

慌てふためく蓮を見て、清治の喉の奥から、乾いた音が漏れた。笑い声。三年ぶりに発したその音は、自分自身の耳にも奇妙に響く。

蓮が目を丸くして清治を見る。その瞳が一瞬、濡れたように揺らいだ。

[A:南雲蓮:喜び]「……清治さんが、笑った」[/A]

その言葉に、清治はハッとして口元を引き結ぶ。

幸福だ。吐き気がするほどに、温かく、柔らかい。

娘を殺された男が、見知らぬ若者と並んで釣りをし、笑い合っている。これは裏切りではないか。美咲への、血の滲むような忠誠に対する冒涜ではないか。

夕暮れ。

二人は並んで家路につく。蓮の影が、長く伸びて清治の影と重なる光景。

[A:南雲蓮:悲しみ]「清治さん。僕は……いつか、罰を受けるべきなんです」[/A]

唐突な独白。蓮の声は震えていた。

[A:遠藤清治:怒り]「何の話だ。飯の支度が遅れるぞ」[/A]

清治はあえてぶっきらぼうに遮る。聞きたくない。この硝子細工のような日常に、ひびが入る音など。

だが、破滅の足音は確実に近づいていた。蓮の荷物の奥底、古い布に包まれた「それ」が、呪いのように二人を待ち受けているとも知らずに。

第三章: 魂の嘔吐

激しさを増す雨音。屋根を叩く飛沫が、まるで誰かの助けを求める拳の連打にも聞こえる。

清治は蓮の部屋――かつて美咲が使っていた部屋――に立っていた。蓮は入浴中。開け放たれたボストンバッグ。そこからこぼれ落ちた、小さな巾着袋。

何気なく拾い上げた指先が、氷のように冷たくなる。

見覚えのある刺繍。赤い糸で縫われた「交通安全」の文字。端が焦げ、血のような黒ずんだしみが付着している。

[Think]これは。[/Think]

呼吸停止。視界が明滅し、耳鳴りがキーンと脳髄を貫く。

美咲が最期に持っていたお守り。警察からは紛失したと聞かされていた。なぜ、蓮がこれを持っている?

答えは一つしかない。

記憶の蓋が吹き飛ぶ。ニュース映像。モザイクのかかった少年A。今の蓮と同じ年頃。首元の火傷。

全てのパズルが、最悪の形で噛み合う。

「あぁ……あぁぁ……」

声にならない呻き。愛おしさが、信頼が、安らぎが、瞬時にしてどす黒いコールタールのような憎悪へと反転する。

風呂場から出てきた蓮が、廊下で立ち尽くしていた。清治の手にあるお守りを見て、その顔から血の気が引いていく。

[A:南雲蓮:絶望]「……あ」[/A]

弁解はない。逃走もない。ただ、糸が切れた人形のように、その場に崩れ落ちるのみ。

[Shout]「貴様ァァァ!!!」[/Shout]

清治は獣のような咆哮を上げ、蓮に飛びかかった。細い首を両手で締め上げる。熱い皮膚の感触。脈打つ血管。

殺してやる。こいつが美咲を奪った。こいつが、俺の春を殺した。

[A:遠藤清治:狂気]「死ね! 返せ! 美咲を返せ!!」[/A]

蓮の顔が赤黒く鬱血していく。だが、彼は抵抗しない。清治の手首を掴もうともせず、ただ涙を溢れさせながら、酸素の足りない喉で言葉を絞り出す。

[A:南雲蓮:悲しみ]「殺して……ください……」[/A]

[A:南雲蓮:愛情]「清治さん……僕を……殺して……」[/A]

その目は、安らぎさえ湛えていた。ようやく終わるのだという、深い安堵。

清治の指が凍りつく。殺意よりも深く、鋭い刃が胸を刺した。こいつは、死にたがっている。俺の手で裁かれることを、至上の喜びとしているのだ。

殺せば、こいつは救われる。俺は、こいつを楽にしてやるだけだ。

[A:遠藤清治:絶望]「……ふざ、けるな……」[/A]

脱力。清治は蓮の体を突き飛ばした。

激しい咳き込みと共に、蓮が床に這いつくばる。その背中を見下ろしながら、清治は自身の魂が嘔吐するのを感じた。

第四章: 煉獄の雨

[A:遠藤清治:怒り]「失せろ!! 二度と俺の前に顔を見せるな!!」[/A]

怒号と共に、清治は蓮の荷物を玄関の外へ放り投げた。泥水が跳ねる。

蓮は一言も発さず、ただ深く一礼した。その顔は死人のように蒼白で、目からは光が完全に消え失せている。

雨の中へ消えていく背中。細く、頼りなく、今にも闇に溶けてしまいそうな輪郭。

清治は扉に背を預け、ズルズルと座り込んだ。

心臓が痛い。憎い。憎い憎い憎い。殺してやりたいほどの憎悪と、昨夜までこの手の中にあった温もりが、体内で激しく衝突し、精神を引き裂いていく。

◇◇◇

三日後。

清治はカウンターの中で、空のグラスを磨き続けていた。営業は再開していない。ただ、手を動かしていないと狂ってしまいそうだったのだ。

[A:佐伯洋子:怒り]「アンタ、バカだねぇ。本当にバカだ」[/A]

洋子が店に入ってくるなり、濡れた傘を床に叩きつけた。

[A:佐伯洋子:悲しみ]「あの子、駅前でずっと座り込んでたよ。雨の日も、風の日も。……まるで、捨てられた犬みたいにさ」[/A]

[A:遠藤清治:冷静]「知らん。俺には関係ない」[/A]

[A:佐伯洋子:怒り]「関係ない!? アンタ、自分の顔を鏡で見てみな! 娘を殺した相手を愛しちまった自分を許せないって、そう顔に書いてあるよ!」[/A]

[A:遠藤清治:怒り]「黙れ!!」[/A]

グラスが床で砕け散る。破片が清治の頬を掠め、一筋の血が流れた。

その時、遠くでサイレンの音が鳴り響く。一台ではない。何台も、何台も。不吉な不協和音が近づいてくる。

「火事だ! 近所の安アパートだぞ!」

通りを走る野次馬の声。

清治の背筋に悪寒が走る。あそこは、洋子が言っていた、蓮がうずくまっていた場所の近く。

[System]緊急速報。○○区にて大規模火災発生。逃げ遅れた子供がいるとの情報あり。[/System]

テレビから流れる無機質な音声。画面に映し出されたのは、紅蓮の炎に包まれる木造アパート。そして、レポーターが叫ぶ。

「今、一人の青年が火の中に飛び込みました! 制止を振り切って、中へ!」

青い作業着。黒い髪。

清治は弾かれたように店を飛び出した。

雨は止んでいる。だが、空は炎の照り返しで血の色に染まっていた。

[Think]バカ野郎。勝手に死ぬな。俺の許可なく、楽になることなど許さん。[/Think]

肺が焼けつくほど走りながら、清治は初めて自覚した。

復讐でもない。許しでもない。

ただ、あの絶望的なまでに孤独な魂を、この世に繋ぎ止めたいという、エゴイズムの塊のような執着。

第五章: 業火の抱擁

熱波が肌を焼く。消防隊員の制止を振り切り、清治は規制線の内側へ踏み込んだ。

[Shout]「蓮!!!」[/Shout]

喉が裂けるほどの絶叫。崩れかけたアパートの入り口から、黒い煙と共に人影が転がり出てくる。

蓮だ。腕には、煤だらけの幼い子供を抱えている。

子供を救急隊員に手渡すと同時に、蓮の膝が折れた。その体はボロ布のように地面に崩れ落ちる。

清治は駆け寄り、蓮の胸倉を掴んで引き起こした。

顔の半分が煤と火傷で爛れている。意識は朦朧とし、瞳の焦点が合っていない。それでも、清治の顔を見ると、ひび割れた唇が微かに動いた。

[A:南雲蓮:愛情]「……これで、償え……まし、たか……?」[/A]

死の淵での問いかけ。これで許されるか。これで、あなたの娘のところへ行けるか。

清治は歯を食いしばり、蓮の頬を平手打ちした。乾いた音が、爆ぜる炎の音にかき消される。

[A:遠藤清治:怒り]「ふざけるな。誰が許すと言った」[/A]

[A:南雲蓮:驚き]「あ……」[/A]

[A:遠藤清治:悲しみ]「死んで楽になることは許さん。生きて、這いつくばってでも生きて、私の憎しみを背負い続けろ。それがお前の罰だ」[/A]

清治は蓮の体をきつく抱きしめた。

[Sensual]

熱い。焼けただれた皮膚の熱と、清治の体温が混ざり合う。汗と煤、そして鉄錆のような血の匂い。清治の涙が蓮の傷口に落ち、塩となって痛みを刻み込む。それは抱擁と呼ぶにはあまりに暴力的で、処刑と呼ぶにはあまりに情熱的な、魂の結合だった。

[/Sensual]

蓮の喉から、獣のような慟哭が漏れた。死という救済を奪われ、生き地獄という名の愛を与えられた絶望と歓喜。

◇◇◇

季節が巡る。

定食屋のシャッターは半分だけ開いていた。厨房には、再び出汁の香りが漂う。

郵便受けに、一通の手紙。差出人の名前はない。消印は遠い北の街。

封を開ける。中には一枚の写真と、短い便箋。

写真は、雪景色の中で野良猫に餌をやる蓮の後ろ姿。

そして、震える文字で書かれた一行。

『今日も、生きています。申し訳ありません』

清治は写真を指でなぞり、ふっと息を吐いた。熱いほうじ茶をすする。苦味が、喉の奥へ落ちていく。

許しはしない。憎しみは消えない。

だが、この胸の痛みがある限り、俺たちは繋がっている。

[A:遠藤清治:冷静]「……飯は、残すなよ」[/A]

誰に言うでもなく呟き、清治は空を見上げた。

そこには、三年前の春と同じ、残酷なほどに青い空が広がっている。

[System]物語は幕を閉じるが、二人の業(カルマ)は終わらない。[/System]

クライマックスの情景

【物語の考察:味覚という記憶装置】

本作において「味噌汁」は単なる料理ではなく、故人・美咲の魂そのものとして機能している。清治にとって、蓮が作るその味は「娘の再生」であり、同時に「娘を奪った者による冒涜」という二律背反を孕む。この「毒のような幸福」こそが、二人を離れられなくする鎖となっている。

【メタファーの解説:硝子の箱庭】

第二章のタイトル「硝子の箱庭」は、二人の関係性の脆さを象徴する。外からは美しく見える(洋子の視点)が、内側は罪悪感と喪失感だけで構成されており、真実という小石一つで粉々に砕け散る運命にあったことを示唆している。

【結末の解釈:断罪という名の救済】

清治が蓮の死(=救済)を拒絶した行為は、一見すると復讐の継続に見える。しかし、それは「憎む対象」として蓮をこの世に繋ぎ止めることで、自身の孤独をも埋めようとする歪んだ愛の形である。二人は「加害者と被害者遺族」という関係を超え、「共犯者」として業火の中を歩んでいくことになる。

あなたのアイデアで「続き」を書こう!

「もしもあの時...」「この後二人は...」
あなたの想像をAIが形にします。

0 / 200
本日、あと...
感想をコメントする(返信)

TOPへ戻る