残響のアーカイブ

残響のアーカイブ

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第一章 錆びついた依頼

雨音だけが、地下室の静寂を埋めていた。

湿気を含んだコンクリートの匂いと、焦げた回路の臭いが混ざり合う。

俺、久能(くのう)ケンジは、冷めきったコーヒーを流し込み、モニターの光に目を細めた。

「……で、こいつを喋らせればいいのか?」

「はい。四十九日の間だけ。祖父に、どうしても謝りたいことがあるんです」

依頼人の少女、サクラは言った。

制服のスカートに雨粒が染みている。

濡れた黒髪が、蛍光灯の下で不自然なほど艶めいていた。

俺はデスクに置かれたメモリーチップを指で弾く。

「『死者蘇生(リ・コール)』は違法じゃないが、グレーゾーンだ。俺の仕事は、残されたチャットログと音声データから、故人の思考パターンを模倣するAI(ゴースト)を組むこと」

俺は視線を逸らし、キーボードに指を置いた。

「魂を呼び戻すわけじゃない。ただの精巧な人形劇だ。それでもいいなら、前金で三十万」

「構いません」

即答だった。

迷いのない瞳。

かつて、俺が失ったものと同じ色をしていた。

「……チッ。分かったよ。データを見せな」

チップを読み込ませる。

画面にノイズが走った。

データの損傷が激しい。

音声ファイルは断片的で、テキストログも虫食いだらけだ。

「おい、これじゃ修復は無理だぞ。ノイズだらけで、原型をとどめてない」

「お願いします」

サクラは深く頭を下げた。

「あの人が……祖父が最期に残そうとした言葉を、聞きたいんです。私には、その『ノイズ』が必要なんです」

ノイズが必要。

その言葉に、俺の指が止まった。

完璧な再現こそが技術者の誇りだと思っていた。

だが、この少女は欠落を求めている。

「……お嬢ちゃん、名前は?」

「サクラです」

「いいだろう、サクラ。ただし、どんな化け物が出来上がっても文句は言うなよ」

俺はエンターキーを叩いた。

モニターの中で、無数のコードが奔流となって走り始めた。

第二章 歪な再会

作業は難航した。

通常のアルゴリズムでは、人格の統合性が保てない。

俺はマニュアルを捨て、直感でコードを継ぎ接ぎした。

矛盾する感情。

言い淀み。

咳払い。

人間らしさとは、論理的な整合性ではなく、こうした「バグ」の中に宿る。

三日目の夜明け。

モニターの中のアバターが瞬きをした。

『……あー、テステス。マイク、入ってるか?』

しゃがれた声。

俺は椅子から転げ落ちそうになった。

心臓が早鐘を打つ。

その声は、聞き覚えがありすぎた。

「……嘘だろ」

『ん? お前、ケンジか? ずいぶん老けたな。眉間の皺、俺にそっくりじゃねえか』

アバターの老人が、画面越しにニカっと笑う。

俺の父。

二十年前、母の葬儀にも顔を出さず、俺を捨てて蒸発した男、久能ゲンゾウだった。

「なんで……あんたが」

俺はサクラを振り返った。

彼女はパイプ椅子に座ったまま、静かに微笑んでいる。

「サクラ、これはどういうことだ。祖父って言ったな」

「生物学的な繋がりはありません。でも、私を作ったのは彼ですから」

「作った……?」

混乱する俺を無視して、画面の中のゲンゾウが話しかけてくる。

『よお、ケンジ。技術屋になったって聞いたが、こんな湿気た穴倉で燻ってんのか。才能が泣くぜ』

「ふざけるな!」

俺はモニターを殴りつけたくなった。

「どの面下げて出てきやがった! 母さんが死んだ時、あんたはどこにいた! 俺がどれだけ……!」

『あー、その件な。悪いと思ってる』

軽薄な口調。

その軽さが、俺の古傷を容赦なく抉る。

「消してやる。こんなデータ、今すぐ」

削除キーに指を伸ばす。

だが、震えて押せない。

『消すのはいいが、その前にサクラの話を聞いてやれよ。あいつ、ここまで来るのに随分苦労したんだぜ』

ゲンゾウは煙草を吹かす仕草をした。

データ上の煙が、紫色の軌跡を描いて消える。

「……サクラ、お前は何者だ」

俺は問い詰めた。

サクラはゆっくりと立ち上がり、自身の左腕を捲り上げた。

そこには、皮膚の継ぎ目と、微かに明滅するポートがあった。

「私は、ゲンゾウ博士が最期に開発した、自律型対話ユニット『SAKURA』です」

第三章 嘘と本音の狭間

人間ではなかった。

その事実よりも、父が俺のためにこれを用意していたという事実の方が、飲み込み難かった。

『俺はな、認知症だったんだよ』

画面の中のゲンゾウが、ポツリと言った。

『母さんが倒れた頃から、記憶が飛び始めてた。自分が自分でなくなるのが怖かった。お前に、壊れていく親父の姿を見せたくなかったんだ』

「だからって、逃げていい理由になるか!」

『ああ、ならねえな。だから俺は、正気の時間が残っているうちに、こいつを作った』

ゲンゾウがサクラを見る。

『俺の記憶、技術、そしてお前への謝罪。全部をサクラのハードディスクに詰め込んだ。だが、肝心の音声データがイカれちまってな。俺の死後、サクラがお前を探し出すようにプログラムしたんだ』

俺は唇を噛み締めた。

鉄の味がした。

「……俺に、自分を修復させたのか。自分の手で、あんたの言い訳を聞かせるために」

『言い訳じゃねえよ。遺言だ』

ゲンゾウの声が、少しだけ震えた。

『ケンジ。お前が持つ、人の心の「ノイズ」を再現する才能。それは俺譲りじゃねえ。母さん譲りの優しさだ』

画面の向こうで、ゲンゾウが手を伸ばすような仕草をする。

『完璧な人間なんていねえ。完璧なプログラムもな。バグがあるから、修正できる。失敗するから、次はもっと上手くやれる』

俺の頬を、熱いものが伝った。

涙など、母の葬儀以来枯れ果てたと思っていた。

「……勝手なことばかり言いやがって」

「ケンジさん」

サクラが歩み寄り、ハンカチを差し出した。

その手は冷たかったが、どこか温もりを感じた。

「博士は、最期まであなたの写真をデスクに飾っていました。『いつか、あいつが俺を直してくれる』って」

俺はハンカチを受け取らず、袖で乱暴に顔を拭った。

「……時間は、あとどれくらいだ」

「再構築したデータの崩壊が始まっています。あと十分ほどで、この人格データは消滅します」

「十分か。……十分もありゃ、文句の一つも言えるな」

俺は椅子に座り直した。

向き合う。

幻影と、過去と、自分自身と。

「親父。コーヒー、砂糖は?」

『角砂糖三つだ。甘くねえと頭が回らねえ』

「……変わってねえな」

第四章 夜明けの削除

十分間は、一瞬だった。

昔話。

技術論。

そして、母の話。

空白の二十年が、言葉のキャッチボールで埋まっていく。

画面のノイズが激しくなってきた。

ゲンゾウの輪郭が滲む。

『そろそろ時間だな』

「……ああ」

『ケンジ。俺を再構築してくれて、ありがとうな。最高の技術者になったな、お前』

「当たり前だろ。誰の息子だと思ってる」

強がりを言う声が震える。

『じゃあな。元気でやれよ』

プツン。

画面が暗転し、静寂が戻った。

「……削除完了」

俺はエンターキーを叩いた。

今度は迷わなかった。

未練を断ち切るためではない。

親父を、安らかに眠らせるための処置だ。

地下室の重たい空気が、少しだけ澄んだ気がした。

「サクラ」

「はい」

「お前、これからどうする」

彼女の任務は終わったはずだ。

サクラは首を傾げ、少しだけぎこちなく微笑んだ。

「博士から、もう一つ命令を受けています。『ケンジが泣き止むまで、そばにいてやれ』と」

俺は呆れて、天井を仰いだ。

「……過保護な野郎だ」

最終章 雨上がりのノイズ

地下室を出ると、雨は上がっていた。

東の空が白み始めている。

ビルの隙間から差し込む朝日が、水たまりに反射して眩しい。

「ケンジさん、空が綺麗です」

サクラが隣で空を見上げる。

その横顔は、やはり人間そのものだった。

「ああ、そうだな」

俺はポケットから煙草を取り出し、くわえた。

火はつけない。

ただ、フィルターの感触だけを味わう。

世界はノイズに満ちている。

車の走行音、遠くのサイレン、誰かの笑い声。

だが、そのノイズこそが、生きている証なのだ。

「サクラ、腹減ったか?」

「私はアンドロイドですので、食事は必要ありません。ですが、エネルギー充填として電気は必要です」

「色気のないやつだな。……まあいい、美味いコーヒーを淹れる店がある。砂糖三つ入れると最高なんだ」

俺たちは歩き出した。

水たまりを踏む足音が、二つ、重なって響いた。

その音は、もはや孤独な残響ではなかった。

AI物語分析

【主な登場人物】

  • 久能ケンジ (Kenji Kuno): 42歳の「死者復元師(Restoration Technician)」。コーヒー中毒でヘビースモーカー(ただし火はつけない)。卓越したコーディング能力を持つが、人間関係はバグだらけだと信じている。父への憎しみを糧に生きてきたが、その技術の根底には父への憧れがあるという矛盾を抱える。
  • サクラ (Sakura): 清楚な女子高生の姿をした自律型AI。ケンジの父・ゲンゾウが開発した遺作。感情表現は豊かだが、時折見せる機械的な反応が「不気味の谷」ではなく「切なさ」を誘う。彼女の存在自体が、ゲンゾウからケンジへのラブレターである。
  • 久能ゲンゾウ (Genzo Kuno): ケンジの父。かつて天才と呼ばれたAI研究者。認知症により自己が崩壊する恐怖と戦いながら、息子への贖罪のためにサクラを作り上げた。豪快でいい加減な性格に見えるが、実は誰よりも息子を愛していた不器用な男。

【考察】

  • 「ノイズ」のメタファー: 本作において「ノイズ」は、単なるデータの不具合ではなく「人間らしさ」や「生きている証」として描かれている。完璧なデジタルデータにはない、言い淀みや矛盾(ノイズ)こそが、他者との繋がりを生むというテーマが込められている。
  • デジタルの降霊術: 科学的なアプローチで描かれる「死者との対話」だが、その本質はシャーマニズムに近い。ケンジは技術者でありながら、現代のイタコとしての役割を果たしている。スクリーン越しの再会は、現代社会における喪の作業(グリーフワーク)の新たな形を提示している。
  • 雨と夜明け: 物語全体を通して降り続く雨は、ケンジの停滞した心と未消化の悲しみを象徴する。ラストシーンでの雨上がりと夜明けは、父との和解を経て、彼が過去(夜)から未来(朝)へと歩き出す心理的変化を視覚的に表現している。
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