残響の嘘、極彩色の愛

残響の嘘、極彩色の愛

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第一章 灰色の街、鉛の耳

雨の匂いは、錆びた鉄の味に似ている。

アベルは呼吸を浅くした。深く吸い込めば、街に澱む他人の「後悔」が肺を焼き、内臓を雑巾のように絞り上げるからだ。

視界は常にモノクロームだ。

色彩を失った灰色の視界。その路地裏に、ノイズのような「黒い靄」が蠢いている。

『……戻りたい。あの信号さえ渡らなければ』

鼓膜ではなく、脳幹を直接殴るような湿った声。

「残響」。

死者の未練が、空間に焼き付いた染み。

アベルは顔を歪め、耳を塞ぐようにパーカーのフードを深く被った。

無視だ。関われば、その絶望が自分の記憶として逆流してくる。

早足で通り過ぎようとした瞬間、心臓が凍りついた。

遠く、廃墟の方角から微かな「音」がした気がした。

音ではない。

魂が千切れるような、悲痛な叫びの波動。

その波動の正体を、アベルは知っている。

「リラ……」

数年前、俺の前から姿を消した幼馴染。

彼女だけが、この灰色の世界で唯一、色彩を持っていた。

アベルは踵を返した。

冷たい雨が、頬を叩く。だが今の彼には、その冷たささえ焦燥の熱に感じられた。

第二章 廃墟に降る言葉

街外れの時計塔。

崩れ落ちた天井から、骨のように白い月光が突き刺さっている。

アベルの足が止まった。

瓦礫の山に、あの「靄」が佇んでいる。

他の有象無象とは違う。硝子細工のように脆く、透き通った影。

『……ごめんなさい』

風切り音に混じり、鈴を転がしたような声が届く。

愛しい、けれど死ぬほど聞きたくなかった声。

アベルは奥歯が砕けるほど噛み締めた。

喉の奥から、乾いた音が漏れる。

「……なんで、謝るんだ」

影は、アベルの問いかけには答えない。ただ、壊れたレコードのように繰り返すだけだ。

『私があの時、彼の手を離さなければ……』

違う。

手を離したのは俺だ。

お前を巻き込みたくなくて、俺が突き放したんだ。

「リラ、君は悪くない! 俺が全部悪いんだ!」

アベルは叫び、影へと駆け寄った。

触れてはいけないと分かっていた。

だが、彼女が己を責め続ける声を聞くたび、胸をナイフで抉られるような激痛が走る。

彼女の本当の想いを知らなければ、俺はこの先、息をすることさえ許されない。

アベルは震える指先を、その冷たい影へと突き刺した。

瞬間。

世界が反転し、濁流のような「記憶」がアベルの視神経を焼き切った。

第三章 優しい嘘の正体

『消えろ! お前みたいな足手まとい、最初から邪魔だったんだよ!』

過去の自分の怒号が、頭の中で炸裂する。

アベルの視界に、数年前の光景が広がる。

組織の追手から彼女を逃がすためについた、渾身の嘘。

リラは傷ついた顔をして、走り去った――はずだった。

だが。

流れ込んできた「真実」は違っていた。

記憶の中のリラは、泣いていなかった。

彼女の瞳は、アベルの震える拳を見つめている。

その瞳に宿っていたのは、絶望ではない。

覚悟だ。

『……嘘つき』

記憶の中の彼女が、音にならない声で呟く。

彼女は気づいていたのだ。アベルの暴言が、命がけの守護であることに。

直後、アベルの胃の腑が冷え切った。

彼女の背後に、複数の男たちが音もなく忍び寄っていたからだ。

組織の回収部隊。

『私が捕まれば、アベルは助かる』

彼女の思考が、熱湯となってアベルの中に流れ込む。

彼女は騙されたふりをして逃げたのではない。

アベルから追手を引き剥がすために、自ら囮となり、路地裏へと走ったのだ。

自分の自由と引き換えに、俺の日常を守るために。

「ああ、あああ……ッ!」

アベルはその場に膝をついた。

喉が焼ける。涙が止まらない。

後悔していたのは、「信じなかったこと」じゃない。

「自分の身を犠牲にしてでも、もっと上手く彼を守れなかったこと」を悔やんでいたのだ。

その瞬間。

灰色だった世界に、亀裂が入った。

ドクン、と脈打つたびに、視界に色が戻る。

瓦礫の赤茶色。苔の緑。月光の蒼。

そして、記憶の中のリラの笑顔が放つ、目が眩むような黄金色。

五感が蘇る。

雨の冷たさも、風の匂いも、胸の痛みさえも、すべてが鮮烈な「生」の証となってアベルを打ちのめした。

第四章 極彩色の夜明け

「……やっと、その顔が見れた」

頭上から、温かな声が降ってきた。

幻聴ではない。

質量を持った、確かな肉声。

アベルが弾かれたように顔を上げると、時計塔の梁の上に、人影があった。

ボロボロのコートを纏い、片目には包帯が巻かれている。

痩せ細り、傷だらけの姿。

だが、その口元には、記憶と同じ悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。

「リラ……! 生きて……」

「組織の収容所から抜けるのに、五年もかかっちゃった」

リラは痛む足を引きずりながら、瓦礫を降りてくる。

その一歩一歩が、アベルの心臓を揺らす。

「監視チップを埋め込まれてたの。君に近づけば、君の居場所がバレて、即座に始末される……。だから、遠くから見守ることしかできなかった」

彼女はアベルの目の前で立ち止まり、泥だらけの手を伸ばした。

その手は酷く荒れていたが、触れた頬の温もりは、どんな真実よりも雄弁だった。

「私の『残響』が漏れ出てたなんてね。……でも、おかげで君が本当の私を見つけてくれた」

「ごめん。……ごめん、リラ」

「ううん。迎えに来てくれて、ありがとう」

アベルは彼女を抱きすくめた。

華奢な肩の震えが、体温を通じて伝わってくる。

もう、灰色の靄などどこにもない。

崩れた壁の向こう、地平線から朝日が昇る。

朝焼けの朱色と、空の群青が溶け合い、世界を極彩色に染め上げていく。

アベルは深く息を吸い込んだ。

雨上がりの空気は、泣きたくなるほど甘く、そして澄んでいた。

二人の影が、瓦礫の上で一つに重なる。

その影にはもう、いかなる後悔も、嘘も混じってはいなかった。

AIによる物語の考察

**登場人物の心理**
アベルは他者の後悔に囚われ、リラを突き放した嘘で自らを罰していた。しかし、リラの残響から、彼女が自身の命と引き換えにアベルを守ろうとした深い愛と覚悟を知る。リラの「後悔」は、アベルを完璧に守れなかったことへの自責であり、彼への揺るぎない献身を示す。

**伏線の解説**
アベルのモノクロームな視界は、彼が「嘘」と「後悔」に囚われ、真実から目を背けていた内面を表す。世界が極彩色に変わるのは、彼が真実を受け入れ、過去を乗り越えた証。リラの「あの信号さえ渡らなければ」という残響は、アベルへの献身的な愛からくる「もっと上手く彼を守れたはず」という覚悟の裏返し。

**テーマ**
本作は、愛する者を守るための「優しい嘘」がもたらす悲劇と、その真実を知ることで得られる赦しと再生を描く。後悔と絶望に染まった灰色の世界は、真実の愛と互いを受け入れる心によって、再び「極彩色」の希望に満ちた未来へと開かれていく。
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