銀木犀のレコード

銀木犀のレコード

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第一章 静寂のノイズ

雨音だけが、古いビルの三階にある事務所を支配していた。

湿気を吸った畳の匂いと、微かに漂う古書の香り。

その中に混じる、焦げ付いたような鉄の臭い。

「依頼人は、まだ来ないのか」

俺、佐山(さやま)は、磨りガラスの窓を叩く雨粒を睨みながら独りごちた。

手元には、埃を被った特殊な蓄音機。

針先からは音楽ではなく、微弱な青白い光が漏れている。

俺の仕事は『記憶修復士』。

認知症や事故で欠落した記憶を、遺された物品の残留思念から再構成し、所有者の脳内へ返す。

違法すれすれの闇医者のような稼業だ。

俺には人の声がノイズ混じりに聞こえるという特異体質がある。

嘘や欺瞞が含まれる言葉は、砂嵐のように耳障りな音になるのだ。

だからこそ、俺は物言わぬ『モノ』の記憶しか信用しない。

『ガチャリ』

重たいドアが開く音がした。

振り返ると、ずぶ濡れの老女が立っていた。

白髪交じりの髪が頬に張り付き、小さな体は小刻みに震えている。

「……ここが、記憶を直してくれる場所ですか?」

彼女の声には、ノイズが一切なかった。

純度百パーセントの、切実な響き。

「ああ。金さえ払えばな」

俺は無愛想に答えた。

「お願いします。主人の……亡くなった主人の、最後の記憶を取り戻したいんです」

彼女は震える手で、一枚のレコード盤を差し出した。

ラベルには何も書かれていない。

ただ、盤面には無数の傷が入っていた。

「これが最後に見つかった遺品です。でも、普通のプレイヤーでは音が飛び飛びで……」

俺はレコードを受け取った。

指先に触れた瞬間、微弱な電流のような痺れが走る。

強い想念だ。

だが、どこか歪んでいる。

「いいだろう。だが、何が出てきても責任は持たんぞ」

俺は蓄音機の針を、慎重にレコードの溝へ落とした。

第二章 歪んだ旋律

『ザザッ……ザザ……』

最初は不快な雑音だけが響いた。

俺はヘッドギアを装着し、意識をレコードの溝と同調させる。

視界が反転し、セピア色の映像が脳内に流れ込んでくる。

そこは、日当たりの良い縁側だった。

若い頃の依頼人――安子(やすこ)が笑っている。

隣には、穏やかな笑顔の夫、健三(けんぞう)。

『安子、見てごらん。銀木犀が咲いたよ』

健三の声。

だが、俺の耳には激しいノイズが走った。

『キーン!』

(嘘だ……?)

なぜだ。

愛する妻に花を見せる場面で、なぜ嘘をつく必要がある?

場面が飛ぶ。

今度は薄暗い病室。

痩せ細った健三が、ベッドに横たわっている。

『俺は幸せだったよ、安子。何も後悔はない』

『ザザザザッ!』

まただ。

耳をつんざくような砂嵐。

この男は、死の間際まで妻に嘘をつき続けていたのか?

現実世界に戻った俺は、ヘッドギアを乱暴に外した。

「……旦那さんは、あんたに隠し事をしていたようだ」

安子の顔色が蒼白になる。

「そんな……あの人は、嘘なんてつけない人でした」

「俺の耳は誤魔化せない。このレコードには、もっと深い層がある。聞くか?」

安子は一度だけ目を閉じ、深く息を吸ってから頷いた。

「お願いします。真実が知りたいのです」

俺は出力を最大にした。

針が深く、盤面の傷の奥底へと潜っていく。

そこにあったのは、愛おしい思い出などではなかった。

第三章 銀色の嘘

視界が真っ赤に染まった。

炎。

燃え盛る家。

『逃げろ! 安子だけは助けなきゃいけない!』

若い健三が叫んでいる。

だが、その視線の先にあるのは安子ではない。

燃える柱の下敷きになった、別の女性の写真だ。

『ごめん……ごめん……』

健三は泣きながら、その写真を懐にしまい、気絶している安子を抱え出した。

そして、現在に近い記憶。

書斎で一人、このレコードに針を落とす老いた健三。

彼は自らナイフで盤面を傷つけていた。

『消さなきゃいけない。この記憶だけは』

『安子を悲しませる過去は、俺が全部墓場まで持っていく』

『俺は、彼女を守るための仮面を被り続けるんだ』

その言葉には、一切のノイズがなかった。

俺はハッとした。

今までのノイズ。

『幸せだった』という言葉に含まれた嘘。

それは、愛していなかったからではない。

「過去の罪悪感」を隠していたからだ。

彼は、かつて火事で「本当に愛していた別の女性」の写真を優先して守ろうとした瞬間があった。

その一瞬の迷いを、彼は生涯悔い、安子への贖罪として、完璧な夫を演じ続けたのだ。

だが、最期の最期。

彼は盤面を傷つけながら、心の中で叫んでいた。

『……それでも、今の俺にとっての一番は、安子、お前なんだ』

その心の声は、あまりに小さく、しかし鮮烈な真実の響きとして、レコードの最深部に刻まれていた。

第四章 雨上がりのノイズ

俺は静かに針を上げた。

部屋には再び雨音が戻ってくる。

安子は、呆然と宙を見つめていた。

俺が見た映像は、彼女には断片的な音声として伝わったはずだ。

「……あの人は、ずっと苦しんでいたんですね」

長い沈黙の後、彼女がポツリと言った。

「ああ。あんたを傷つけないために、一生をかけて嘘をつき通した」

「でも、最後には……」

安子はレコードを胸に抱きしめた。

「最後には、私を選んでくれた。そう聞こえました」

その言葉に、俺の耳は反応しなかった。

ノイズのない、真実の響き。

彼女は、夫の嘘ごと愛することを選んだのだ。

「ありがとう。これで、やっとあの人を送ってあげられます」

安子が去った後、事務所の窓から差し込む光が、雨上がりの街を照らしていた。

俺は煙草に火を点け、紫煙を吐き出す。

ふと、自分の耳を触った。

街の喧騒が聞こえる。

相変わらずノイズ混じりだが、今日は少しだけ、その雑音が優しく聞こえる気がした。

「……やれやれ、これじゃ商売あがったりだ」

俺は苦笑いし、次の依頼人を待つために、再び無愛想な顔を作った。

AI物語分析

【主な登場人物】

  • 佐山: 嘘が「ノイズ」として聞こえる聴覚を持つ記憶修復士。他人の欺瞞に疲れ、独りで裏稼業を営む。皮肉屋だが、真実に対してはストイック。
  • 安子: 亡き夫の記憶を求めて依頼に来た老女。夫の愛を信じているが、隠された一面を知る覚悟も持っている。芯の強い女性。
  • 健三(回想): 安子の夫。穏やかで完璧な夫だったが、過去の火災事故での一瞬の迷いを生涯悔い、贖罪として安子に優しくし続けた。

【考察】

  • 「ノイズ」のメタファー: 主人公に聞こえるノイズは、単なる「嘘」の探知だけでなく、人間の心の複雑さや割り切れなさを象徴している。完全な純粋さは稀であり、人は誰しもノイズ(矛盾)を抱えて生きていることを示唆。
  • 「銀木犀」の意味: 金木犀よりも香りが控えめで、目立たない花。健三の「派手ではないが、静かに持続する贖罪と愛」の象徴として機能している。
  • 「嘘」の二面性: 物語は「嘘=悪」という単純な図式を否定する。健三の嘘は、自己保身ではなく「相手を傷つけないための献身」であり、それが結果として真実の愛へと昇華されるプロセスを描いている。
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