第一章: 硝子の降る夏
真夏の夕暮れ。むせ返るようなアスファルトの熱気。雨の匂いに混じる、錆びた鉄の臭気。
[A:遠野 陽輝:冷静]「記憶なんて、ただの幻だ。……なのに、どうしてこんなに重いんだろうな」[/A]
無造作に伸びた黒髪を苛立たしげに掻き毟り、低く舌打ちをこぼす遠野陽輝。
多数のポケットがついたカーゴパンツの裾を払い、実用性重視のダークグレーの作業用ジャケットの襟を正すハルキ。首元で冷たく揺れる、銀色の小さなロケット。
どこか憂いを帯びた三白眼を細め、彼が見上げる空。
茜色に染まる天頂から、キラキラと舞い落ちてくる光の粒。雪ではない。人々の脳内から物理的に結晶化し、抜け落ちていく記憶の欠片。奇病「忘却症候群」の可視化現象。
廃教会の傾いた屋根。赤茶けた瓦の上で、ピンセットを取り出すハルキ。
微小な硝子の雪。傷つけないよう息を殺して回収する。失われた記憶を拾い集め、持ち主に返す『記憶修復屋』。それが彼の日常。
ふと、急激に下がる周囲の気温。
息が白く濁るほどの冷気。ハルキは顔を上げる。
[FadeIn]屋根の突端。崩れかけた十字架の傍らに立つ、ひとりの少女。[/FadeIn]
透き通るような白い肌。夕陽の赤を弾き返す、色素の薄い銀色のロングヘア。
無機質な白いワンピースドレスは裾が泥に汚れ、幾度も引っ掛けたのか激しく綻びている。足元は、傷だらけの裸足。
彼女の頭上からのみ、異常な量の硝子の雪が滝のように降り注ぐ。
[A:遠野 陽輝:驚き]「お前……」[/A]
[Tremble]ハルキの喉仏が上下に動く。[/Tremble]
振り返る少女。吸い込まれるような淡いアイスブルーの瞳が、ハルキを射抜く。
その瞳から零れ落ちた涙。空中で硬質な硝子へと変貌し、甲高い音を立てて瓦に砕け散る。
[A:白雪 結衣:悲しみ]「私の記憶なんて、全部雪になって溶けてしまえばいいんです」[/A]
[Pulse]薄い唇が震え、儚い声が夏の空気に溶ける。[/Pulse]
足元には、すでにおびただしい数の記憶の結晶。
一歩踏み出そうとしたハルキの前で、少女の膝が折れる。
[A:白雪 結衣:絶望]「お願い。私の記憶を……誰かにもらって、ほしい」[/A]
祈るように両手を胸の前で組み、気を失う彼女。
重力に従って傾く細い身体。靴底を滑らせながら駆け出し、空中でその腕を掴むハルキ。
腕の中に倒れ込んだ少女。氷のような冷たさ。これが、シラユキとの出会い。終わりの始まりを告げる、硝子の雨の降る夜。
第二章: 儚い蓄積
アンティークランプのオレンジ色の光。埃の舞う部屋。
ハルキの作業台。古い機械式時計の分解パーツと、ブラックコーヒーの入ったマグカップ。
苦味の強いコーヒーの香りが充満する中、作業台の向かいに座るシラユキ。じっとハルキの手元を見つめている。
[A:白雪 結衣:冷静]「ハルキさんの手は、魔法みたいですね」[/A]
[A:遠野 陽輝:照れ]「ただピンセットで拾ってるだけだろ。見つめんな、手元が狂う」[/A]
ハルキの視線を避けながら、静かに微笑むシラユキ。
彼女を保護してから数週間。修復屋の仕事を手伝う中、他人の温かい記憶の結晶に触れるたび、人間らしい表情を見せるようになった彼女。
[Sensual]
「少し、休んだ方がいいのでは……?」
シラユキが身を乗り出し、ハルキのジャケットの袖口をそっと摘む。
彼女から漂う、古い紙束と冷たい雪の匂い。
ハルキの手に、彼女の透き通るような指先が重なる。
氷のような冷たさにハルキの肩が跳ねるが、振り払うことはできない。
ゆっくりと体温が交じり合い、シラユキのアイスブルーの瞳に、ランプの火が揺らめく。
吐息が届くほどの距離。二人の視線が絡み合い、沈黙が甘く重い空気を作り出す。
彼女の白い頬が、微かに朱色に染まっていく。
[/Sensual]
しかし、その直後。
[Flash]パラ……パラパラパラッ![/Flash]
シラユキの頭上から、大量の硝子の雪。テーブルの上に降り注ぐ。
コーヒーのマグカップに飛び込み、時計のパーツを弾き飛ばす。
[A:白雪 結衣:驚き]「あ……ご、ごめんなさい。また、こんなに……」[/A]
慌てて手で雪を掻き集めようとするシラユキ。
三白眼を見開き、息を呑むハルキ。
彼女が笑うたび、頬を染めるたびに起きる現象。感情の起伏に比例し、頭上から抜け落ちる記憶の量が増大していく。
ピンセットを置き、落ちたばかりの結晶を指でつまむハルキ。
光にかざす。そこには数日前に二人で空を見上げた記憶の断片。
[Think]俺と過ごす時間すら、こいつは忘れていくのか……?[/Think]
[A:遠野 陽輝:恐怖]「シラユキ、お前……昨日俺が淹れたコーヒーの味、覚えてるか?」[/A]
[A:白雪 結衣:悲しみ]「え……? コーヒー、でしょうか。とても、良い匂いが……」[/A]
[Pulse]瞳孔が揺れるシラユキ。[/Pulse]
言葉を濁す彼女の頭上から、さらに激しい雪。
恋心を知るほどに、彼女自身が透明に削り取られていく。
絶望的な矛盾が、ハルキの胸を鋭くえぐる。
第三章: 愛ゆえの拒絶
深夜の裏路地。冷たい雨がコンクリートを打ち据える。
ハルキの行く手を塞ぐように立つ、長身の男。
漆黒のロングコートに、記憶管理局の徽章。理性を象徴する細い銀縁眼鏡の奥で、凪原湊の目が冷ややかに光る。
[A:凪原 湊:冷静]「システムに例外は存在しない。感情というエラーは排除すべきだ」[/A]
[A:遠野 陽輝:怒り]「ミナト……! お前、どうしてここが」[/A]
かつての相棒。その声は、相変わらず感情の起伏を一切感じさせない。
コートから漂う、鼻をつく消毒液の臭気。
[A:凪原 湊:冷静]「白雪結衣を引き渡したまえ。彼女は街の記憶を強制的に結晶化させる『特異点』だ。彼女が君に惹かれれば惹かれるほど、システムは暴走し、最終的には街中の人間の記憶を奪い尽くす」[/A]
[Impact]ハルキの心臓が、早鐘のように打ち鳴らされる。[/Impact]
シラユキの感情の高ぶり。それは彼女自身の記憶だけでなく、周囲の記憶の崩壊を招く前兆。
[A:凪原 湊:冷静]「彼女を救いたいなら、彼女の恋心を殺せ。絶望を与え、感情を凍結させるしか道はない」[/A]
銀縁眼鏡を押し上げ、雨闇の中へと消えるミナト。
アトリエに戻ったハルキ。ドアを開ける。不安げに立ち上がるシラユキ。
綻びた白いワンピースを両手で強く握りしめる彼女。
[A:白雪 結衣:愛情]「ハルキ、さん。お帰りなさい……私、起きて待って、いました」[/A]
微笑みかける彼女の頭上から、またサラサラとこぼれ落ちる硝子。
拳を握りしめるハルキ。爪が手のひらに食い込み、にじみ出る血。
喉の奥にこみ上げるものを無理やり呑み込む。口の中に広がる血の鉄の味。
[A:遠野 陽輝:狂気]「……帰れ」[/A]
[A:白雪 結衣:驚き]「え……?」[/A]
[A:遠野 陽輝:狂気]「耳が聞こえないのか。お前のせいで、部屋が硝子だらけだ。邪魔なんだよ」[/A]
[Tremble]シラユキの表情が凍りつき、アイスブルーの瞳が見開かれる。[/Tremble]
[A:白雪 結衣:悲しみ]「どうして……そんなこと、言うんですか。私、何か……」[/A]
[A:遠野 陽輝:怒り]「勘違いするな! 俺は修復屋だ。大量に記憶を落とすお前は、ただの便利な道具だったんだよ! もう用済みだ、出て行け!!」[/A]
[Shout]怒鳴り声が、部屋の空気を切り裂く。[/Shout]
シラユキの肩が大きく跳ねる。瞳からこぼれる一筋の涙。
だが、その涙はもう硝子には変わらない。
彼女の感情が完全に死滅し、雪が止んだ瞬間。二人の関係が永遠に引き裂かれた音。
第四章: 透明な孤独
色彩を失った冬の街。凍りつくような冷気。
シラユキが管理局の施設『揺り籠』に収容されてから数ヶ月。
街から硝子の雪は消え去り、人々は平穏な日常を取り戻す。
誰もが忘却症候群の恐怖から解放され、笑顔で歩き交う大通り。
その路地裏の吹き溜まり。這いつくばり、一人ピンセットを握りしめるハルキ。
アスファルトの隙間に挟まった、微小な硝子の欠片。
[A:遠野 陽輝:絶望]「……あった。ここにも、あった」[/A]
震える指先。ひび割れた結晶を拾い上げる。
シラユキが施設へ連行される日、最後に落とした記憶の欠片。ハルキに向けられた、純粋な愛と絶望の残骸。
ピンセットが滑る。鋭利な硝子がハルキの指を深く切り裂く。
[Glitch]滴り落ちる血の生温かさ。赤く染まった結晶。[/Glitch]
[Think]痛くない。こんな痛み、あいつの痛みに比べたら……![/Think]
血にまみれた手のひら。いくつもの結晶を強く握りしめる。
「失うこと」を極度に恐れ、誰とも深く関わらないと決めていた過去。
記憶など幻だという強がり。すべてが嘘だった。今、彼の心にあるのは、内臓を引きずり出されるような強烈な喪失感だけ。
銀のロケットを開く。
血と泥に塗れたシラユキの記憶の結晶。ぎっしりと詰め込まれている。
来る日も来る日も、地べたを這いずり回り、彼女の愛の証を集め続ける。狂気に満ちた執念。
[A:遠野 陽輝:悲しみ]「待ってろ、シラユキ。必ず……迎えに行く」[/A]
血塗れの手で顔を覆う。狂ったように甲高く笑い、やがて声を殺してむせび泣くハルキ。
灰色の空の下、雪の降らない街。孤独な男の嗚咽だけが虚しく響き渡る。
しかし、事態は最悪の方向へと加速していく。
街角の電子掲示板。無機質なニュース速報。
『記憶管理施設揺り籠、老朽化による完全解体および、全記憶データの空への還元を明日に決定』
唐突に宣告されるタイムリミット。
第五章: 乱反射する光の海
[A:林 鈴:怒り]「結衣を傷つけたら、アンタの過去、全部デリートしてやるからね!」[/A]
[Shout]エナジードリンクの人工的な甘い匂いを漂わせ、リンが叫ぶ。[/Shout]
派手なピンクのメッシュが入ったショートボブを振り乱す。厚底のサイバーパンクスニーカーで瓦礫を蹴り飛ばす。
『揺り籠』の最深部。警備システムをオーバーライドし、火花を散らす扉を突破する二人。
[A:遠野 陽輝:興奮]「頼む、リン! あと少しだけ扉を開けておいてくれ!」[/A]
[A:林 鈴:絶望]「早くしなよ! バックドアが保つの、あと数十秒じゃん!」[/A]
巨大な円筒形のカプセル。無機質な白いワンピースを着たシラユキが眠っている。
感情を奪われ、空虚な人形のように目を閉じる彼女。
カプセルの前に立つハルキ。血まみれの手で首元の銀のロケットを引きちぎる。
[System]警告。メインサーバー崩壊。全記憶データの還元シークエンスを開始します。[/System]
けたたましいサイレン。施設の天井がスライドして開き、星一つない夜空が顔を覗かせる。
[A:遠野 陽輝:絶望]「シラユキィィィッ!!」[/A]
ロケットの蓋を開け、自らの手を切り裂きながら集め続けた『シラユキの愛の記憶の結晶』を握りしめる。力の限り夜空へ向かって放つハルキ。
[Magic]《メモリー・バースト》[/Magic]
[Flash]パァァァァンッ!![/Flash]
空中で砕け散る結晶。
溜め込まれていた全市民の記憶データと、ハルキが集めたシラユキの想い。強烈な光の奔流となって空を覆い尽くす。
風に乗って広がる、砕けた硝子の匂い。
街全体を包み込む、オーロラのような七色の光の海。圧倒的な映像美が、網膜を焼き尽くす。
光の粒子。雪のように舞い降りる。
カプセルのガラスが消え去った。光を浴びたシラユキのまぶたが、微かに震える。
ゆっくりと開かれたアイスブルーの瞳。
そこに、かつての記憶の光は宿っていない。すべてを忘れ、完全に白紙となった少女の瞳。
しかし。
震える手を差し出し、彼女の冷たい頬を包み込むハルキ。
[A:白雪 結衣:驚き]「あ……」[/A]
シラユキの瞳から零れ落ちる大粒の涙。
硝子ではない、温かい本物の涙。
[A:白雪 結衣:喜び]「初めまして。でも、どうしてか……あなたの温かさを、心が知っています」[/A]
[A:遠野 陽輝:愛情]「あぁ……俺も、知ってる。お前の冷たさを」[/A]
ハルキの三白眼から、止めどなく溢れ出す涙。
記憶は二度と戻らない。けれど、刻まれた感情の熱だけは、魂の底に残っている。
透明な雪が永遠に止んだ星空の下。
互いの温もりを確かめ合うように、新しい記憶の第一ページを紡ぎ始める二人。