忘却の海で、君の腐る体温を抱きしめる

忘却の海で、君の腐る体温を抱きしめる

主な登場人物

アキ
アキ
19歳 / 男性
寝癖のついた黒髪に、いつも虚ろな三白眼。着古した灰色のパーカーと色褪せたジーンズを身に纏う。首元には過去のトラウマを象徴する痛々しい火傷の痕が残っている。
ハル
ハル
17歳 / 女性
色素の薄い銀髪に、虚空を見つめるような赤い瞳。華奢な手足には常に血滲む包帯が巻かれ、オーバーサイズの白いワンピースを着ている。靴は履かず、常に裸足。
シグレ
シグレ
24歳 / 男性
氷のように冷たい顔立ちと切れ長の目。季節を問わず仕立ての良い黒いスーツを纏い、両手には決して外さない黒い革手袋をしている。

相関図

相関図
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湿気を孕んだ夜風が、むせ返るような鉄の錆と、排泄物の入り混じった異臭を運んでくる。

まとわりつく夏の熱。

そこに剥き出しの臓腑が放つ生温かい蒸気が混ざり合い、肌へべっとりと張り付いた。

[A:アキ:恐怖]「ヒッ、あ、あああ……っ!」[/A]

名もなき無人駅のホーム。

終電はとうに過ぎ去った。

蛾の羽音を引き連れた青白い蛍光灯が、断続的に明滅を繰り返す。

深夜の静寂。

それを劈く、男たちの断末魔。

[A:ハル:冷静]「うるさい、な」[/A]

声はひどく平坦だった。

虚空を透かして見るような赤い瞳。色素の抜け落ちた銀髪が、血飛沫を吸った夜風に煽られふわりと揺らぐ。

身を包むのは、彼女の華奢な体躯には不釣り合いなほどぶかぶかの白いワンピース。その裾は既に、赤黒く濁った粘液の海に沈んでいる。

裸足の足首に無造作に巻かれた包帯。

そこから、また一筋。

新しい朱色が滲んだ。

[Impact]指先が、僅かに跳ねる。[/Impact]

ただ、それだけ。

たったそれだけの動作で、屈強な黒服の男たちの肉体が内側からグズグズと崩れ落ちた。

[Tremble]ゴボォッ……ジュルルルルッ……[/Tremble]

骨髄が融解する。

筋肉が腐った泥水へと還る。

響き渡るのは、耳を塞ぎたくなるほど悍ましい、咀嚼音にも似た水音。

悲鳴を上げる喉すら溶かされ、追っ手だった者たちはコンクリートの表面に広がる赤黒い水たまりへと成り果てた。

[Pulse]ドクン、ドクン、ドクン。[/Pulse]

ベンチの陰。

泥酔し、終電を逃してまどろんでいたアキの全身を、致死量の悪寒が貫く。

アルコールなど、とうに毛穴から蒸発していた。

ガチガチと鳴る歯の根を必死に噛み締める。

息ができない。

肺が酸素を拒絶する。

薄汚れたスニーカーの先まで、赤黒い液体が這い寄ってくる。

溶けたばかりの「男たち」だった泥。

[A:アキ:絶望]「……こないで……」[/A]

声にならない掠れ音が、痙攣する喉の奥から漏れた。

[Blur]視界が滲む。[/Blur]

ひた、ひた、ひた。

粘ついた足音が近づいてくる。

ゆっくりと顔を上げる。

見下ろす赤い双眸と、視線が絡み合った。

[A:ハル:冷静]「あなたも、わたしを殺しにきたの?」[/A]

小首を傾げるハル。

その無垢な仕草とは裏腹に、彼女の足元からは強烈な肉の腐臭が立ち昇っている。

[A:アキ:恐怖]「ちが、おれは、ただ……」[/A]

言葉が紡げない。

極限の恐怖が中枢神経を焼き切り、指先ひとつ動かせない。

膀胱の底が熱くなり、みっともなく股間を濡らす感覚すら、今の彼にはひどく遠い出来事のように思えた。

ハルは静かにしゃがみ込み、血に塗れた細い指をアキの頬へ伸ばす。

氷のように冷たい感触。

生者の体温ではない。

[A:ハル:悲しみ]「そう。なら、静かにしててね」[/A]

[Glitch]ぶつん、と。[/Glitch]

アキの視界の隅で、空間そのものが歪んだ。

ハルの目が伏せられる。

同時に、アキの胸の奥で何かが決定的に破裂する音がした。

[Impact]パァンッ![/Impact]

激痛すらない。

ただ、自分の心臓があったはずの場所から、生温かい液体が滝のように溢れ出すのを自覚する。

崩れ落ちる視界の中で最後に見たのは、返り血を浴びてなお、ひどく退屈そうに暗い夜空を見上げる少女の横顔。

遠くから微かに聞こえるサイレンの音。

鼻腔にこびりついた鉄と排泄物の臭いだけが、彼の意識が完全な闇に沈むその瞬間まで、ずっと付き纏っていた。

Scene Image
◇◇◇

[FadeIn]泥のような闇の底から、意識が唐突に浮上する。[/FadeIn]

嗅覚を突き刺すのは、強烈な防腐剤の臭気と、熟れすぎた果実のような甘ったるい腐臭。

アキは重い瞼をこじ開けた。

視界はひどく濁っている。網膜に薄いゼリー状の膜が張ったかのように、周囲の輪郭がぼやけていた。

起き上がろうとして、右腕に力が入らないことに気づく。

[Blur]ぐちゃり。[/Blur]

硬いベッドを掴もうとした指先が、嫌な水音を立てて崩れた。

泥のように黒く変色し、所々から黄ばんだ骨が見え隠れする自分の手。

[A:アキ:驚き]「あ……ぇ……?」[/A]

声帯が震えない。喉から漏れたのは、風船から空気が抜けるような湿った掠れ音だけだった。

咄嗟に胸に手を当てる。

[Pulse]……。[/Pulse]

鼓動がない。心臓があったはずのぽっかりと空いた風穴には、生温かい赤黒い粘液が詰まって、ゆっくりと蠢いている。

[A:ハル:愛情]「おはよう、アキ」[/A]

暗がりから、ふわりと白いワンピースが揺れた。

ハルだった。無人駅のホームで見せた無機質な冷たさはなく、その赤い瞳は熱を帯び、とろけるような狂信的な光を宿している。

[Sensual]

ハルがベッドに這い上がり、アキの胸に耳を寄せる。

「静か。誰も邪魔しない、完璧な静寂……。ずっと、こういうのが欲しかったの」

氷のように冷たい彼女の指先が、アキの腐りかけた頬を優しく撫でる。

触れられた皮膚がボロボロと剥がれ落ちるが、ハルは全く気にする素振りを見せず、むしろ愛おしそうにその肉片を自らの舌で舐めとった。

「ひっ……!」

アキの脳髄がパニックを起こす。だが、とうに死後硬直を通り越して腐敗の始まった肉体は、逃げ出すことすら許さない。

「怖がらないで。あなたは特別。あの時、私を見て騒がなかったから……壊れないように、丁寧に時間を止めてあげたの」

ハルの吐息が耳元にかかる。

[Whisper]「腐っていくあなたの体温、たまらなく愛おしいわ」[/Whisper]

死体となっているはずなのに、彼女の狂気に当てられたのか、アキの残された神経がバチバチと異常な電気信号を発し、背筋に強烈な悪寒と、それに相反する歪な悦びを走らせた。

[/Sensual]

どれほどの時間が経過したのか。

アキは薄暗い廃屋のベッドで、ただひたすらに己の肉体が溶け、崩れていくのをハルの腕の中で実感し続けていた。

自我はとうに摩耗し、彼女が口移しで与えてくれる黒い血の味だけが、彼を辛うじてこの世界に繋ぎ止めている。

[Impact]そのぬるま湯のような狂気を、強烈な爆音と閃光が粉々に吹き飛ばした。[/Impact]

[Shout]ガァァァンッ!![/Shout]

廃屋の鉄扉が蝶番ごと吹き飛び、白煙が室内に充満する。

粉塵の中から、黒い軍用コートを翻して一人の男が踏み込んできた。

銀製のクロスボウを構え、黒縁眼鏡の奥で冷徹な灰色の瞳を光らせる異端審問官、シグレ。

[A:シグレ:冷静]「……ネズミ探しに手間取ったが。こんなゴミ溜めで、死体遊びとは恐れ入る」[/A]

シグレの視線が、ベッドの上で絡み合うハルとアキを射抜く。

[A:シグレ:怒り]「特級災厄『忘却の泥』。これ以上の汚染を広げる前に、ここで完全に浄化する」[/A]

[A:ハル:怒り]「……邪魔。私のアキを見ないで」[/A]

ハルの赤い瞳が、ドス黒い殺意に染まる。

周囲の空気が急速に腐敗し、床のコンクリートがブクブクと泡を立てて泥に変わっていく。

だが、シグレは動じない。引き金が引かれた。

[Flash]シュガァッ![/Flash]

銀の矢が空気を切り裂き、ハルの心臓目掛けて飛来する。

[A:ハル:驚き]「え……」[/A]

その瞬間だった。

動くはずのないアキの肉体が、本能だけでベッドから跳ね起きた。

いや、本能ではない。己を唯一必要としてくれた、この狂った神様を守るための、魂の暴走。

[Tremble]ズグッ……![/Tremble]

[A:アキ:絶望]「が……はッ……!」[/A]

銀の矢が、アキの首筋を深々と貫通した。

呪われた防腐の魔力が焼き切られ、アキの全身から凄まじい勢いでどす黒い体液が噴き出す。

[A:ハル:悲しみ]「アキッ!! だめ、だめぇっ!!」[/A]

アキの体が崩れ落ちる。それを抱き留めたハルの顔が、絶望と狂気に激しく歪んだ。

[A:シグレ:冷静]「肉盾か。見下げ果てた化け物どもめ」[/A]

シグレが次弾を装填しようとした、その時。

[Glitch]……グチャ、ル、ジュルルルルルッ……!![/Glitch]

空間そのものが、嘔吐した。

ハルの足元から爆発的に広がった黒い泥が、瞬く間に廃屋全体を飲み込む。

それは物理法則を無視した、純粋な『融解』の呪い。

[A:シグレ:驚き]「なっ……結界が、溶け……!?」[/A]

[A:ハル:狂気]「[Shout]死ねェッ!! アキを傷つける奴は、みんな泥になれェェェッ!![/Shout]」[/A]

黒い津波がシグレに襲い掛かる。

銀の武器も、鍛え上げられた肉体も、ハルの悲痛な絶叫の前では一切の無力だった。

[A:シグレ:絶望]「がぁあああああっ!! 溶け、る……俺の、体がッ……!」[/A]

凄惨な断末魔すら、すぐにドロドロという粘着質な水音に掻き消された。

シグレだった有機物の泥が、床の海へと混ざり合って消滅する。

Scene Image
◇◇◇

静寂が戻った廃屋。

だが、アキの崩壊はもう止められなかった。

矢に貫かれた箇所から急速に腐敗が進み、腕が、脚が、泥となって床に崩れ落ちていく。

[A:ハル:悲しみ]「やだ……やだ、アキ、溶けないで……私を置いていかないで……っ!」[/A]

大粒の血の涙を流しながら、ハルは形を失いゆくアキの肉体を必死に掻き集め、抱きしめる。

アキはもう、目すら見えていなかった。

だが、胸の奥で、確かに温かいものが広がっていくのを感じていた。

[Think]……これで、いい。君の孤独を、少しだけ埋められたなら。[/Think]

残された右手が、震えながらハルの白い頬に触れる。

[A:アキ:愛情]「[Whisper]……あ……い、し……て、る……[/Whisper]」[/A]

空気が漏れるだけの声帯が、最期に奇跡のように言葉を紡いだ。

[Impact]直後、アキの体は完全に限界を迎え、黒い泥の海へと還った。[/Impact]

ハルの手の中には、彼が着ていたボロボロの服だけが残された。

虚空を見つめ、ハルはしばらくの間、微動だにしなかった。

やがて。

[Sensual]

「……ふふっ。そっか。アキ、私の泥の中で、一つになってくれたんだね」

ハルはゆっくりと、アキが溶けた黒い泥の海に自らの体を沈めていく。

冷たい泥が、純白のワンピースを真っ黒に染め上げた。

「あったかい……。アキの、腐る体温。ずっと、ここで抱きしめているからね」

ハルは自らの能力を暴走させ、己の肉体をも泥へと還元していく。

永遠の孤独から解放された少女は、愛する者の体温が溶け込んだ忘却の海で、幸せそうに目を閉じた。

[/Sensual]

廃屋の奥底。

混ざり合った赤黒い泥の海だけが、まるで一つの巨大な心臓のように、[Pulse]ドクン、ドクン[/Pulse]と、永遠に甘い鼓動を打ち続けていた。

クライマックスの情景

【物語の考察】

本作は「記憶」と「痛み」を等価交換する狂気的な共依存を描いています。自らの肉体を崩壊させるほどの激痛を伴う異能を持つハルと、他者の痛みを消す代わりに自分自身の記憶を喪失するアキ。二人の逃避行は、進めば進むほどにお互いの「自己」を削り取っていく破滅への道程です。最終的にすべてを忘却し空っぽになったアキと、その喪失の上に究極の独占欲を満たすハルの結末は、一般的には悲劇に見えますが、彼らにとってはこれ以上ない純愛の完成形と言えます。

【メタファーの解説】

物語の要所に登場する「海」や「波音」は、すべてを洗い流す「忘却」の象徴です。また、ハルの足元に広がる「血や肉の腐敗」は、痛みに満ちた凄惨な現実世界を表しています。彼らが逃避行の末にたどり着いた朝焼けの波打ち際は、凄惨な現実(腐敗)からの完全な離脱と、過去(記憶)を海へ還した新たな誕生を意味しています。繋がれた手から伝わる体温だけが、空虚な世界に残された唯一の真実として機能しているのです。

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