第一章: リセット・ボタンとしての愛
指先に残る感触。それは驚くほど柔らかく、そして温かい。
親指の下で、喉仏が小さく跳ねる。生物としての、最後の抵抗。
[A:相馬 レン:愛情]「ごめんね、美月。今の会話、選択肢を間違えたから」[/A]
清潔なリネンの香りがする白シャツ。その袖をまくり、僕は慈しむように彼女の首を絞める。
曇りのない黒髪、整いすぎた容姿。しかしその瞳の奥、ヘドロのように濁った光が常に相手を値踏みしている。
[A:一ノ瀬 美月:恐怖]「あ……が、れ……ん……?」[/A]
赤黒く鬱血していく、彼女の美しい顔。
酸素を求める必死の喘鳴。涙で濡れた瞳が、理解不能な事態に揺らぐ。
ふんわりとした茶髪のボブカットが、もがく拍子に乱れ散る。いつもなら似合うと褒めちぎるパステルカラーのワンピース、今や見るも無惨なシワだらけ。
[Think]脈拍、低下。瞳孔、散大。意識喪失まであと三秒。[/Think]
なぜ殺すのか?
理由など、些末なこと。今日の昼食、パスタの塩加減が僅かに狂っていた。あるいは夕暮れ時の散歩、予報外の雨に打たれた。
違う。そんな不確定要素、僕の「理想の一日」には不要な異物。
[A:相馬 レン:冷静]「大丈夫だよ。次はもっと上手くやる。君が最高の笑顔で一日を終えるまで、僕は何度でもやり直すから」[/A]
[Sound]ゴクリ。[/Sound]
嫌な音。美月の身体から、糸が切れたように力が抜ける。
人形のようにダラリと垂れ下がる腕。
愛おしい。死してなお、彼女は僕の所有物だ。
[System]Game Over. Resetting...[/System]
懐から取り出したメモ帳に、無機質な文字を走らせる。
『No. 2400。死因:窒息。失敗要因:会話イベントでの選択ミス(Bルートへの分岐失敗)』
[A:相馬 レン:冷静]「……さあ、二千四百一回目の朝を始めようか」[/A]
世界がノイズに包まれ、崩落していく。
視界が暗転する直前、死んだはずの美月の指先、ピクリと動いた気がした。
……いや、気のせいだ。死体に意思などない。
完璧なシナリオに、バグなど許されないのだから。
◇◇◇
第二章: 攻略チャートの上の恋人
鳥のさえずり。午前七時ちょうど。
カーテンの隙間から差し込む陽光、その入射角まで計算通り。
隣で眠る美月の寝息、規則正しいリズム。
[A:相馬 レン:喜び]「おはよう、美月。いい天気だね」[/A]
彼女が目を開ける〇・五秒前、それが声かけの最適解。彼女が「おはよう」と言おうとして口を開くタイミング、そこへ唇を重ねる。
[Sensual]
柔らかな唇の感触。シーツ越しに伝わる彼女の体温、甘いフローラルの香り。
まるで砂糖菓子のような、完璧な口づけ。
彼女の頬が紅潮し、吐息が熱を帯びる。その反応速度、肌の色味、すべてが過去二千四百回のデータと完全に合致する。
[/Sensual]
[A:一ノ瀬 美月:照れ]「もう……レンくんったら、朝から」[/A]
羞恥に頬を染め、ベッドから起き上がる彼女。
キッチンへ向かう背中を見つめ、脳内のタイマーを起動する。
三、二、一。
[A:一ノ瀬 美月:驚き]「あっ!」[/A]
[Flash]ガシャーン![/Flash]
という音は、しない。
彼女がマグカップを滑らせる直前、僕の手は既にそこにあった。
空中でカップを掴み取り、一滴のコーヒーもこぼさずにテーブルへ。
[A:相馬 レン:愛情]「危ないよ。手、滑った?」[/A]
[A:一ノ瀬 美月:喜び]「す、すごい! レンくん、エスパーみたい!」[/A]
[Think]エスパー? 違うな。これはただのパターン認識だ。[/Think]
ここで右足を軸にして振り返り、冷蔵庫を開けるまでの所要時間、四秒。
次に欲しがるのはミルクではなく、低脂肪乳。
彼女が口を開く前、僕は無言でパックを差し出す。
[A:一ノ瀬 美月:愛情]「えっ、どうしてわかったの? レンくんといると、本当に幸せ! なんでもお見通しなんだもん」[/A]
無邪気な笑顔。
最高画質の静止画として保存したいくらいに、美しい。
だが、僕の心は凪いでいた。
これはゲーム。彼女は難易度の高いヒロインであり、僕はその攻略チャートをなぞっているに過ぎない。
彼女の自由意志。
そんな不確定なもの、バグの温床でしかない。僕が管理し、剪定し、導いてやる必要がある。
[A:御子柴:喜び]「おや、退屈そうな顔をしていますねえ」[/A]
空間が歪む。季節外れの黒いロングコートを纏った男――御子柴が、壁にもたれて立っていた。
眼帯をした左目以外の右目が、爬虫類のように細められている。
[A:相馬 レン:冷静]「邪魔だ、御子柴。今はイベント進行中だ」[/A]
[A:御子柴:喜び]「完璧な日常。予定調和の愛。……ですが、気をつけて給え。玩具(おもちゃ)だって、使い込めばガタが来る」[/A]
霧散する御子柴の姿。
不吉な予言など聞き流せばいい。
今日の夜、僕は「完璧なプロポーズ」を行う。
過去二千三百九十九回の失敗データを元に構築された、断られるはずのない絶対のシナリオ。
エンディングは、既に確定しているのだ。
◇◇◇
第三章: 蓄積された死の記憶
夜景の見えるレストラン。
キャンドルの揺らめきが、グラスに注がれた赤ワインに映り込む。
一ミクロンの狂いもなく計算されたタイミング。
ウェイターが去り、周囲の喧騒がふと途切れる瞬間。
ここだ。
[A:相馬 レン:冷静]「美月。君に出会ってから、僕の世界は色を変えた」[/A]
紡がれる、用意した言葉。声のトーン、視線の角度、まばたきの回数まで完璧に制御して。
ポケットの中の指輪ケースに触れる。
彼女は感動で涙を流し、頷くはずだ。
チャート通りなら、ここで彼女は左手を口元に当てて――。
[Tremble]カチャ……カチャカチャ……[/Tremble]
異音。
美月の手が激しく震え、ナイフとフォークが皿にぶつかり不協和音を奏でる。
顔色は蒼白。まるで幽霊でも見たかのように、瞳孔が開いている。
[A:相馬 レン:驚き]「美月? どうしたの、気分でも」[/A]
[A:一ノ瀬 美月:恐怖]「ち……ちが……う……」[/A]
荒い呼吸。
過呼吸? いや、これは――パニック発作。
想定外だ。今日の彼女のバイタルは正常だったはず。
[A:相馬 レン:驚き]「大丈夫だよ、僕がついてる。水を」[/A]
[A:一ノ瀬 美月:狂気]「近寄らないで!!」[/A]
[Shout]絶叫[/Shout]。
レストラン中の視線が突き刺さる。
椅子を蹴倒して立ち上がった美月は、テーブルの上のステーキナイフを逆手に握りしめた。
その切っ先、あろうことか僕に向けられている。
[A:一ノ瀬 美月:絶望]「覚えてない……何も覚えてないのに……! あなたが近づくと、首が熱いの! 息ができなくなるの! 身体中が痛くて、怖くて、あなたが私を殺す夢ばかり見る!」[/A]
[Impact]記憶の残存[/Impact]。
タイムリープの影響を受けないはずの肉体が、二千四百回分の「死の苦痛」を記憶していた?
馬鹿な。脳のリセットは完全なはずだ。
だが、彼女の首筋には、僕が今日「無かったこと」にしたはずの絞殺痕のような赤い痣が、うっすらと浮き上がっている。
[A:一ノ瀬 美月:悲しみ]「あなたは誰……? 私の大好きなレンくんはどこ? あなたは……あなたは、笑顔で私を殺し続ける悪魔よ!」[/A]
床に落ちる涙。
それは感動の涙ではない。生存本能が絞り出した、拒絶の雫。
前提が崩れる音がした。
「愛している」という変数が、「殺される」という定数に上書きされている。
[A:相馬 レン:冷静]「……バグだ」[/A]
僕の口から漏れたのは、謝罪でも愛の言葉でもない。
冷え切った思考が、目の前の愛しい女性を「修理が必要な欠陥品」として再定義する。
話し合いでは解決しない。
リセットしても、この「肉体の記憶」は消えない。
ならば。
[A:相馬 レン:狂気]「物理的なフォーマットが必要だね」[/A]
僕はメモ帳を閉じた。
穏やかな彼氏の仮面が剥がれ落ち、その下から無機質な怪物が顔を覗かせる。
◇◇◇
第四章: 愛という名の外科手術
雨。
横殴りの豪雨が、廃ビルのコンクリートを叩きつける。
泥と錆の臭いが充満する空間。
美月は逃げ込んだ部屋の隅、濡れた仔犬のように震えていた。
パステルカラーのワンピースは泥にまみれ、膝からは血が流れている。
[A:一ノ瀬 美月:恐怖]「いや……来ないで、来ないでぇぇぇ!!」[/A]
[Sound]コツ、コツ、コツ。[/Sound]
近づく足音。
僕は懐中電灯の光を彼女の顔に向けた。
眩しさに顔をしかめる彼女。その恐怖に歪んだ表情すら、ゾクゾクするほど愛おしい。
[A:相馬 レン:愛情]「どうして逃げるんだい? 外は危ないよ。風邪をひいてしまう」[/A]
[A:一ノ瀬 美月:絶望]「あんたなんか……死ねばいい!!」[/A]
投げつけられた煉瓦の欠片が、僕の額をかすめる。
血が流れ、目に入った。
痛い。だが、それ以上に愉快だ。
抵抗イベント。レア演出。
だが、これ以上はシナリオ進行の妨げになる。
[A:相馬 レン:冷静]「痛いじゃないか、美月。……お仕置きが必要かな」[/A]
[Flash]ドンッ![/Flash]
彼女の細い手首を掴み、壁に押し付ける。
雷鳴にかき消される悲鳴。
暴れる身体。爪が僕の腕に食い込む。
生物としての必死の抵抗。しかし、力の差は歴然だ。
[A:御子柴:冷静]「おやおや、愛する人を力尽くで? それが君の『純愛』ですか?」[/A]
虚空から響く御子柴の声。
無視だ。
ポケットから注射器を取り出す。
中身は鎮静剤ではない。彼女の脳内物質を調整し、記憶野に干渉するための混合薬液。
時間を戻すのではなく、彼女自身を「作り変える」ための劇薬。
[A:一ノ瀬 美月:恐怖]「やだ、やだやだ! レンくん、助けて! 怖いよぉぉ!」[/A]
僕に向かって助けを求めている。
目の前にいる僕が元凶だというのに。
混乱しているんだね。可哀想に。すぐに楽にしてあげる。
[A:相馬 レン:愛情]「安心して。悪い部分は全部、僕が切り取ってあげるから」[/A]
[Sensual]
太い注射針、彼女の白い首筋に突き刺さる。
ビクン、と彼女の体が大きく跳ねた。
注入される液体。血管を巡る異物感。
彼女の瞳から光が失われていく。抵抗する力が抜け、僕の胸に崩れ落ちる。
その重み。体温。すべてが僕の手の中にある。
[/Sensual]
[A:一ノ瀬 美月:狂気]「あ……う……」[/A]
焦点の合わない瞳で、彼女は虚空を見つめていた。
人格というOS、シャットダウンされる音を聞いた気がした。
[Think]修正パッチ。適用完了。[/Think]
これでいい。
拒絶も、恐怖も、過去の痛みも、すべて消去すればいい。
君はただ、僕を愛するためだけに存在すればいいのだから。
◇◇◇
第五章: 永遠に完成した幸福
[FadeIn]真っ白な部屋。[/FadeIn]
窓からは柔らかな陽光が降り注ぎ、埃がキラキラと舞っている。
薬品のツンとした臭いが微かに残るリビング、彼女はソファに座っていた。
[A:相馬 レン:喜び]「美月、新しいコーヒーを淹れたよ」[/A]
差し出されたマグカップ。
美月はゆっくりと顔を上げた。
かつてのような快活さはない。ボブカットの髪は伸び放題、目はガラス玉のように光を反射するだけ。
口元からは、一筋の涎が垂れている。
[A:一ノ瀬 美月:狂気]「あ……れん……くん……」[/A]
カップを受け取ろうとする指に力が入らず、取り落とす。
[Sound]バシャッ。[/Sound]
熱いコーヒーが彼女の太ももにかかる。
だが、彼女は悲鳴を上げない。熱さを感じていないのか、それとも反応する回路が焼き切れているのか。
ただ、ニコニコと。
不気味なほど穏やかに、僕に微笑みかけている。
[A:一ノ瀬 美月:愛情]「しあ……わせ……」[/A]
[Impact]完成だ。[/Impact]
これこそが、不確定要素のない完璧な美月。
文句も言わず、逃げ出さず、僕の言葉を全て肯定するだけの存在。
会話の選択肢を間違えることもない。
料理を失敗することもない。
ただここにいて、僕に愛されるためだけの人形。
[A:相馬 レン:喜び]「ああ……やっと、本当の幸せになれたね」[/A]
僕は膝をつき、彼女の濡れたスカートも気にせず抱きしめた。
目頭が熱い。涙が溢れてくる。
二千四百回の苦難を乗り越え、僕はついにトゥルーエンドに到達したのだ。
[A:御子柴:喜び]「素晴らしい。これぞ愛の極致。……知性こそが、苦しみの根源だったわけですねえ」[/A]
部屋の隅で拍手をする御子柴の姿、もう目に入らない。
腕の中の美月が、壊れたレコードのように繰り返す。
[A:一ノ瀬 美月:狂気]「れんくん……すき……れんくん……すき……」[/A]
その言葉に魂はこもっていない。
だが、それがどうしたというのか。
彼女は今、世界で一番幸せそうな笑顔で笑っている。
その笑顔が永遠に続くなら、彼女の心が死んでいても関係ない。
[Sensual]
彼女の涎を指で拭い、その唇に深く口づけをした。
反応はない。ただ温かい肉の塊があるだけだ。
けれど、この温もりこそが僕の求めた全て。
[/Sensual]
窓の外、世界が終わったかのように静かな青空が広がっていた。
僕たちの幸せな時間は、もう二度とリセットされることはない。
地獄という名の楽園。二人きりの、永遠。
[A:相馬 レン:喜び]「愛しているよ、美月」[/A]
彼女の虚ろな瞳に映る僕は、今までで一番、狂ったように笑っていた。