腐敗せよ、愛しき王子

腐敗せよ、愛しき王子

主な登場人物

リリス・ヴェルベット
リリス・ヴェルベット
17歳 / 女性
腰まである艶やかな黒髪、感情の読めない深い紫の瞳。常に喪服のような黒いドレスに、白い研究用エプロンを着用。手には常にホルマリンの匂いが染み付いている。
アリスティア・ローズブレイド
アリスティア・ローズブレイド
18歳(死亡時) / 男性
金髪碧眼の絶世の美男子だが、首と四肢に太い縫合痕がある。死後硬直を無理やり動かされているため、関節があらぬ方向へ曲がることがある。物語後半では皮膚が変色し、つぎはぎだらけになる。
ガラハッド・アイアン
ガラハッド・アイアン
20歳 / 男性
短く刈り込んだ茶髪、精悍な顔立ち。銀の甲冑を纏っているが、リリスに捕まってからは皮膚を一部剥がされ、包帯姿で地下牢に繋がれている。

相関図

相関図
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0 59 5347 文字 読了目安: 約11分
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第一章: 砂糖菓子の柩


王宮のサンルーム。そこは、午後の陽光を過剰なまでに吸い込む光の牢獄。

磨き上げられたガラスのドームが、降り注ぐ光を暴力的なまでに増幅させ、室内の温度をじりじりと上げている。


むせ返るような百合の香り。


否。

花の芳香の下に潜む、ツンと鼻腔を刺す薬品の鋭利な臭気。それを隠蔽するように漂う、焼き立てのベリータルトの甘ったるい湯気。


リリス・ヴェルベット「さあ、アリスティア様。あーん、なさって?」


リリス・ヴェルベットが差し出す、銀のフォークに突き刺さった真っ赤な苺。

腰まで届く艶やかな黒髪は、濡れたカラスの羽のように重たく背を覆う。喪服を思わせる漆黒のドレスの上から、白衣のような、あるいは精肉業者のような真新しいエプロンをきつく結んでいた。その双眸、深淵を覗き込むような暗い紫。


対面に座る男――第二王子アリスティア・ローズブレイドは、微動だにしない。

金糸のような髪が、逆光の中で光の輪を作っている。陶器のように白い肌。瞬きひとつしない碧眼は、虚空の一点を凝視したまま凍りついていた。


リリス・ヴェルベット「……まあ。照れていらっしゃるの? そんな強張ったお顔も素敵ですけれど」


席を立つリリス。テーブルを回り込み、愛しい婚約者の背後へ。

絹の手袋に包まれた指先が、アリスティアの顎に触れる。冷たい。大理石の彫像に触れているかのような、絶対的な体温の欠如。


ギチ、リ……


優雅な手つきで、王子の顎を無理やりこじ開ける。乾燥した唇が裂けそうになる音。

開かれた口腔の闇へ、フォークごと苺を押し込む。咀嚼などするはずもない。喉の奥へ、無理やりに。


リリス・ヴェルベット「美味しい、でしょう? 貴方のために、防腐剤……いいえ、特製のシロップをたっぷりとかけましたのよ」


ぐらり、と傾ぐアリスティアの首。

露わになった喉仏の下。そこには、赤黒い糸で荒々しく縫い合わされた、ムカデのような縫合痕が走っている。


首だけではない。袖口から覗く手首にも、カフスボタンのように埋め込まれた太いステープラーの針。

彼は、生きているのではない。

精巧に、執拗に、狂気的な愛で繋ぎ止められた『有機質のドール』。


昨日のこと。このサンルームで婚約破棄を宣告されたのは。

そして、その十分後に彼が永遠の沈黙を手に入れたのも、またこの場所。


背後から王子を抱きしめ、その冷え切った耳元に唇を寄せるリリス。ホルマリンと血の混じった匂いが、彼女の脳髄を甘く痺れさせた。


リリス・ヴェルベット「腐らないでね、私の王子様。貴方は今のままで、永遠に美しいのだから」


ガタリ。


不意に、アリスティアの腕が痙攣したように跳ね上がり、ティーカップを床に弾き飛ばした。

砕け散る磁器。広がる褐色の液体。

死後硬直の緩和か、あるいはガスによる筋肉の収縮か。


しかしリリスは、頬を紅潮させ、うっとりと目を細める。


リリス・ヴェルベット「ふふ、そんなに喜んでくださるなんて。……でも、いけませんわ。お行儀の悪い手は、また縫い直さなければ」


ポケットから銀色のメスを取り出し、愛おしげにその刃先を舐める舌先。


◇◇◇


第二章: 硝子玉の眼球


あの時の、あの眼差し。あれこそが至高だった。


数日前。王宮の大広間。

シャンデリアの煌めきが、断頭台の刃のように降り注ぐ中、アリスティアの声が響き渡った。


アリスティア・ローズブレイド「リリス・ヴェルベット! 貴様のような陰湿な女との婚約は、この場で破棄する! 僕は真実の愛を見つけたのだ、この聖女シルヴィアと!」


アリスティアの隣には、ピンク色の髪を揺らす小柄な少女、シルヴィアがしなだれかかっている。勝ち誇ったような、ねっとりとした視線。

本来なら、リリスはここで泣き崩れるか、激昂すべきだったろう。


だが、違った。

彼女の心臓は、早鐘を打っていた。恐怖でも悲哀でもない。純粋な美的感動によって。


アリスティアの碧眼に宿る、冷酷な侮蔑。

唇の端を歪めた、サディスティックな優越感。

リリスを見下すその表情が、あまりにも完成されていたから。


リリス・ヴェルベット「(……ああ。動かしたくない。瞬き一つさせてはならない。この『軽蔑』を、ホルマリンの中に永遠に閉じ込めたい)」


その瞬間、世界はスローモーションへ。

リリスの指先が、ドレスの隠しポケットから小瓶を取り出す。中身は、即効性の神経毒『メデューサの接吻』。錬金術師としての彼女の最高傑作。


《気化散布》


音もなく、匂いもなく。

毒の霧が大広間の一部を包み込む。

最初に崩れ落ちたのはシルヴィアだった。白目を剥き、泡を吹いて痙攣する醜悪な姿。

アリスティアが驚愕に目を見開く。その表情が『軽蔑』から『恐怖』へと変貌する直前――


絶命。


心停止。表情筋の凍結。

倒れ込む王子の体を受け止めるリリス。まだ温かい。脈はない。完璧だ。


リリス・ヴェルベット「捕まえましたわ、アリスティア様」


場面は現在へと戻る。地下の実験室。

冷たい石造りの解剖台の上に、アリスティアの全裸が横たわっている。

ゴム手袋をはめたリリスは、太腿の動脈に太いカニューレを挿入した。



どろり、と。

鬱血した静脈血がチューブを通って排出される。代わりに、鮮やかなピンク色の防腐液が、ポンプの音に合わせて彼の体内へと送り込まれていく。

「んっ……ふぅ……」

リリスの口から漏れる、熱い吐息。

彼女の手が、蒼白になっていく王子の肌を這う。胸板の冷たさ、腹筋の硬直、動かないイチモツ。

生温かい体温を持った生身の男など、不潔で耐え難い。だが、今の彼はどうだ。清潔で、無機質で、私の言いなり。

「綺麗……中身を全部、私好みの液体に入れ替えてあげる。貴方の汚い血は一滴も残さない」

メスを握る指先が震えた。性的な高揚と、芸術的な探求心が混ざり合い、彼女の子宮を疼かせている。

死体の股間に顔を埋め、防腐剤のケミカルな香りを肺いっぱいに吸い込む。



リリス・ヴェルベット「でも、シルヴィアさんはどうしましょう。あんな汚い死に顔、標本にする価値もありませんわ。……そうだわ、あの子は『素材』にしましょう。余った獣の肉と混ぜて」


血まみれのエプロンを翻し、暗がりの檻へと視線を向ける。

そこには、形を失った肉塊が、微かに蠢いていた。


◇◇◇


第三章: 愛のパッチワーク


警告:被検体『アリスティア』の左頬に壊死反応を確認。腐敗進行度、レベル3。


リリス・ヴェルベット「嘘……嘘よ、嘘よ嘘よ嘘よ! どうしてカビが生えるの!? 湿度は管理していたはずでしょう!?」


地下室に響く、ガラス瓶の破砕音。

椅子に座らせたアリスティアの左頬が、ドス黒く変色し、緑色の胞子が綿毛のように付着している。美しい顔が、崩れていく。

爪を噛むリリス。血が滲むほどに。

皮膚が足りない。新鮮で、若くて、アリスティアに似た肌質の『生きた皮膚』が。


ガラハッド・アイアン「お嬢様!! ご無事ですか!?」


鉄の扉を蹴破り、一人の騎士が飛び込んできた。

近衛騎士ガラハッド。幼い頃からリリスを慕い、彼女の護衛を務めていた忠犬。行方不明になった彼女と王子を探し、ここまで辿り着いたのだ。


汗ばんだ茶髪、息を切らして揺れる胸甲。彼は部屋の惨状――解剖台、ビーカー、そして座っている王子を見て、絶句した。


ガラハッド・アイアン「な……殿下……? お嬢様、これは一体……その血は……」


噛んでいた指を離し、ゆっくりと振り返るリリス。

その顔には、慈愛に満ちた聖母のような笑みが浮かんでいる。


リリス・ヴェルベット「まあ、ガラハッド。来てくれたのね。ちょうど良かったわ」


ガラハッド・アイアン「良かった……? リリス様、ここから逃げましょう! 殿下は……殿下はもう死んでいるのですか!?」


ガラハッドが歩み寄ろうとした瞬間、リリスが床のペダルを踏んだ。

ガシャン!

天井から鎖が落下し、ガラハッドの手足を絡め取る。吊り上げられる大男の体。


ガラハッド・アイアン「ぐあっ!? な、何を……!?」


メスを手に、吊るされた騎士へと近づくリリス。

その視線は、ガラハッドの顔ではなく、彼の『頬の皮膚』に釘付けになっていた。


リリス・ヴェルベット「素晴らしいわ。日焼けもしていない、弾力のある若い皮膚。アリスティア様の色白さには少し劣るけれど、漂白すれば馴染むわね」


ガラハッド・アイアン「何を……言っているんだ……? 俺だぞ、ガラハッドだぞ! お嬢様!!」


リリス・ヴェルベット「動かないで。麻酔は打たないわ。死んだ組織じゃ定着が悪いの。生きているまま、剥がないと」


鮮血。


「ぎゃあああああああああああああ!!!」


絶叫が地下室を揺らす。

熟練の手つきで、ガラハッドの顔面の皮膚を、林檎の皮をむくように切り取っていくリリス。

剥き出しになった筋肉繊維。飛び散る血液がリリスの頬を濡らすが、彼女は恍惚の表情で作業を続ける。



剥ぎ取ったばかりの温かい皮膚を、アリスティアの腐った頬に押し当てる。

「あたたかい……」

リリスは針と糸を通し、死んだ夫と生きた騎士を縫い合わせていく。

ズブ、ヌゥ、と肉を貫く音。

背後でガラハッドが喉を潰して泣き叫ぶ声をBGMに、彼女は愛する夫の顔を『修理』する喜びに打ち震えていた。



作業が終わる頃、アリスティアの顔はつぎはぎだらけのパッチワークになっていた。

右目はアリスティアの碧眼、左頬はガラハッドの皮膚。

リリスは満足げに頷く。


リリス・ヴェルベット「素敵よ。これでまた、少しだけ長生きできますわね」


ガラハッドはもう叫ばない。顔のない頭を垂れ、ピクリとも動かなくなっていた。


◇◇◇


第四章: 崩壊する楽園


異臭が王宮を覆う。

腐った肉と、甘ったるい香水の匂いが混ざり合った、吐き気を催す瘴気。


バルコニーに佇むリリス。

車椅子に乗せたアリスティア――もはや人間の形を留めているのが不思議なほどの肉塊――と共に。


リリス・ヴェルベット「ご覧になって、アリスティア様。民たちが手を振っていますわ」


眼下の広場には、逃げ惑う人々の姿。

彼らが見ているのは、美しき公爵令嬢と王子ではない。

血と膿にまみれたドレスを着て、顔半分が崩れ落ちた死体に話しかける魔女の姿だ。


「化け物だ!」「王子が……王子が腐っているぞ!」「誰か騎士団を呼べ!!」


罵声と悲鳴が風に乗って届く。

リリスは首を傾げた。


リリス・ヴェルベット「失礼な方たち。せっかくの日光浴なのに。……ねえ、シルヴィア?」


彼女が指を鳴らすと、バルコニーの影から『それ』が這い出した。

かつて聖女と呼ばれた少女の成れの果て。

胴体は熊のように肥大化し、四肢には鋭い鉤爪。首から上は三つの獣の頭部と、苦悶の表情で固まったシルヴィアの顔が融合している。


「ア、あ……アリス、ティア……さま……」


リリス・ヴェルベット「お行きなさい。煩い観客を静かにさせて」


咆哮を上げ、バルコニーから広場へと飛び降りる怪物。

着地の衝撃で石畳が砕ける。

次の瞬間、広場は阿鼻叫喚の屠殺場へと変わった。飛び散る四肢、噴き上がる血飛沫。


防衛システム作動。近衛騎士団、突入開始。


轟音と共に、王宮の大扉が破砕される。

完全武装した騎士たちが雪崩れ込んできた。


「リリス・ヴェルベット! 貴様を国家反逆罪および死体損壊の罪で処刑する! 直ちに投降しろ!」


剣を向けられたリリスは、アリスティアの崩れかけた手を握りしめ、くすりと笑った。

その笑顔は、かつてないほど無垢で、そして壊れている。


リリス・ヴェルベット「処刑? ふふ、邪魔をしないでくださる? 私たちは今から、永遠になるのですから」


隠し持っていた松明に火を点じた。

足元には、予め撒いておいた大量の鯨油。

炎が、リリスのドレスの裾に燃え移っていく。


着火。


一瞬にして、バルコニーは紅蓮の炎に包まれた。


◇◇◇


第五章: 灰のワルツ


熱い。

皮膚が弾け、脂肪が溶け出す音がする。

王宮の玉座の間は、巨大な焼却炉と化していた。


炎の壁が騎士たちを拒絶する中、リリスはアリスティアを抱きしめ、ステップを踏んでいた。

ワルツ。

音楽はない。燃え盛る炎の轟音と、梁が焼け落ちる爆音だけがリズムを刻む。


リリス・ヴェルベット「あついですね、アリスティア様。でも、これでもう寒くありませんわ」


リリスの美しい黒髪がチリチリと燃え上がり、火の粉となって舞い散る。

アリスティアの体は、熱によって急速に崩壊していった。

縫い合わせた糸が焼き切れ、ガラハッドの皮膚が剥がれ落ちていく。防腐液が沸騰し、体内でシュウシュウと音を立てた。


左腕がもげ落ちた。

足が炭化し、砕けた。

それでもリリスは、彼の胴体を離さない。


ああ、肉体があるから腐るのね。


悟るリリス。

肉は朽ちる。形あるものは壊れる。

けれど、灰になれば。

二人混ざり合って、区別のつかない灰の山になれば。


リリス・ヴェルベット「誰にも邪魔させない! 貴方は私のもの! 骨の髄まで、灰の一粒まで!!」


視界が白濁する。

痛みはとうに消え失せた。

リリスの視界の中で、炭化したアリスティアが笑ったように見えた。

あの軽蔑の笑みではない。炎のゆらぎが見せた幻覚か、あるいは魂の救済か。


アリスティア・ローズブレイド「……愛しているよ、リリス」


閃光。


天井が崩落した。

巨大な瓦礫が、抱き合う二人を押し潰す。

断末魔はなかった。

ただ、二つの肉塊が熱によって溶け合い、一つの黒い塊へと融合していく。


鎮火した後、玉座の間で見つかったのは、奇妙なオブジェだった。

炭化した二人の人間が、互いの肋骨を食い込ませるようにして融合し、まるで一つの心臓を守るように固まった、醜くも神々しい標本。


騎士の一人が、その塊に触れようとして手を止めた。

風が吹き抜け、灰が舞い上がる。

その灰は、キラキラと光りながら、どこまでも高く、青い空へと昇っていった。


その標本室には、もう誰も入れない。そこにある愛は、二度と腐ることはないのだから。

クライマックスの情景

【物語の考察:腐敗と永遠のパラドックス】

本作の核心は、「愛の保存」に対するリリスの病的な執着にある。彼女にとって、生きた人間は「変化し、裏切り、老いる」不完全な存在だ。アリスティアを殺害し、防腐処理を施す行為は、愛の瞬間を永遠に凍結させようとする試みである。

しかし、物語は残酷な物理法則を突きつける。肉体は必ず腐敗し、どんなに修復しても崩壊を免れない。ガラハッドの皮膚を用いたパッチワークは、他者の生命を犠牲にしてでも偶像を維持しようとするエゴイズムの極地だが、それすらも一時的な延命に過ぎない。

【メタファーの解説:灰のワルツ】

最終章における「焼死」は、リリスにとっての救済として描かれている。肉体がある限り腐敗(=愛の変質)からは逃れられないが、灰となり物理的に融合することで、二人は真に不可分な「単一の物質」となる。ラストシーンの「融合した炭化死体」は、社会的にはグロテスクな死骸だが、リリスの美学においては「完成された愛の標本」であり、彼女の望みが最も純粋な形で成就したことを示唆している。

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