第一章: 砂糖菓子の柩
王宮のサンルーム。そこは、午後の陽光を過剰なまでに吸い込む光の牢獄。
磨き上げられたガラスのドームが、降り注ぐ光を暴力的なまでに増幅させ、室内の温度をじりじりと上げている。
むせ返るような百合の香り。
否。
花の芳香の下に潜む、ツンと鼻腔を刺す薬品の鋭利な臭気。それを隠蔽するように漂う、焼き立てのベリータルトの甘ったるい湯気。
[A:リリス・ヴェルベット:愛情]「さあ、アリスティア様。あーん、なさって?」[/A]
リリス・ヴェルベットが差し出す、銀のフォークに突き刺さった真っ赤な苺。
腰まで届く艶やかな黒髪は、濡れたカラスの羽のように重たく背を覆う。喪服を思わせる漆黒のドレスの上から、白衣のような、あるいは精肉業者のような真新しいエプロンをきつく結んでいた。その双眸、深淵を覗き込むような暗い紫。
対面に座る男――第二王子アリスティア・ローズブレイドは、微動だにしない。
金糸のような髪が、逆光の中で光の輪を作っている。陶器のように白い肌。瞬きひとつしない碧眼は、虚空の一点を凝視したまま凍りついていた。
[A:リリス・ヴェルベット:愛情]「……まあ。照れていらっしゃるの? そんな強張ったお顔も素敵ですけれど」[/A]
席を立つリリス。テーブルを回り込み、愛しい婚約者の背後へ。
絹の手袋に包まれた指先が、アリスティアの顎に触れる。冷たい。大理石の彫像に触れているかのような、絶対的な体温の欠如。
[Tremble]ギチ、リ……[/Tremble]
優雅な手つきで、王子の顎を無理やりこじ開ける。乾燥した唇が裂けそうになる音。
開かれた口腔の闇へ、フォークごと苺を押し込む。咀嚼などするはずもない。喉の奥へ、無理やりに。
[A:リリス・ヴェルベット:狂気]「美味しい、でしょう? 貴方のために、防腐剤……いいえ、特製のシロップをたっぷりとかけましたのよ」[/A]
ぐらり、と傾ぐアリスティアの首。
露わになった喉仏の下。そこには、赤黒い糸で荒々しく縫い合わされた、ムカデのような縫合痕が走っている。
首だけではない。袖口から覗く手首にも、カフスボタンのように埋め込まれた太いステープラーの針。
彼は、生きているのではない。
精巧に、執拗に、狂気的な愛で繋ぎ止められた『有機質のドール』。
昨日のこと。このサンルームで婚約破棄を宣告されたのは。
そして、その十分後に彼が永遠の沈黙を手に入れたのも、またこの場所。
背後から王子を抱きしめ、その冷え切った耳元に唇を寄せるリリス。ホルマリンと血の混じった匂いが、彼女の脳髄を甘く痺れさせた。
[A:リリス・ヴェルベット:愛情]「腐らないでね、私の王子様。貴方は今のままで、永遠に美しいのだから」[/A]
[Impact]ガタリ。[/Impact]
不意に、アリスティアの腕が痙攣したように跳ね上がり、ティーカップを床に弾き飛ばした。
砕け散る磁器。広がる褐色の液体。
死後硬直の緩和か、あるいはガスによる筋肉の収縮か。
しかしリリスは、頬を紅潮させ、うっとりと目を細める。
[A:リリス・ヴェルベット:興奮]「ふふ、そんなに喜んでくださるなんて。……でも、いけませんわ。お行儀の悪い手は、また縫い直さなければ」[/A]
ポケットから銀色のメスを取り出し、愛おしげにその刃先を舐める舌先。
◇◇◇
第二章: 硝子玉の眼球
[Think]あの時の、あの眼差し。あれこそが至高だった。[/Think]
数日前。王宮の大広間。
シャンデリアの煌めきが、断頭台の刃のように降り注ぐ中、アリスティアの声が響き渡った。
[A:アリスティア・ローズブレイド:怒り]「リリス・ヴェルベット! 貴様のような陰湿な女との婚約は、この場で破棄する! 僕は真実の愛を見つけたのだ、この聖女シルヴィアと!」[/A]
アリスティアの隣には、ピンク色の髪を揺らす小柄な少女、シルヴィアがしなだれかかっている。勝ち誇ったような、ねっとりとした視線。
本来なら、リリスはここで泣き崩れるか、激昂すべきだったろう。
だが、違った。
彼女の心臓は、早鐘を打っていた。恐怖でも悲哀でもない。純粋な美的感動によって。
アリスティアの碧眼に宿る、冷酷な侮蔑。
唇の端を歪めた、サディスティックな優越感。
リリスを見下すその表情が、あまりにも完成されていたから。
[A:リリス・ヴェルベット:冷静](……ああ。動かしたくない。瞬き一つさせてはならない。この『軽蔑』を、ホルマリンの中に永遠に閉じ込めたい)[/A]
その瞬間、世界はスローモーションへ。
リリスの指先が、ドレスの隠しポケットから小瓶を取り出す。中身は、即効性の神経毒『メデューサの接吻』。錬金術師としての彼女の最高傑作。
[Magic]《気化散布》[/Magic]
音もなく、匂いもなく。
毒の霧が大広間の一部を包み込む。
最初に崩れ落ちたのはシルヴィアだった。白目を剥き、泡を吹いて痙攣する醜悪な姿。
アリスティアが驚愕に目を見開く。その表情が『軽蔑』から『恐怖』へと変貌する直前――
[Impact]絶命。[/Impact]
心停止。表情筋の凍結。
倒れ込む王子の体を受け止めるリリス。まだ温かい。脈はない。完璧だ。
[A:リリス・ヴェルベット:喜び]「捕まえましたわ、アリスティア様」[/A]
場面は現在へと戻る。地下の実験室。
冷たい石造りの解剖台の上に、アリスティアの全裸が横たわっている。
ゴム手袋をはめたリリスは、太腿の動脈に太いカニューレを挿入した。
[Sensual]
どろり、と。
鬱血した静脈血がチューブを通って排出される。代わりに、鮮やかなピンク色の防腐液が、ポンプの音に合わせて彼の体内へと送り込まれていく。
「んっ……ふぅ……」
リリスの口から漏れる、熱い吐息。
彼女の手が、蒼白になっていく王子の肌を這う。胸板の冷たさ、腹筋の硬直、動かないイチモツ。
生温かい体温を持った生身の男など、不潔で耐え難い。だが、今の彼はどうだ。清潔で、無機質で、私の言いなり。
「綺麗……中身を全部、私好みの液体に入れ替えてあげる。貴方の汚い血は一滴も残さない」
メスを握る指先が震えた。性的な高揚と、芸術的な探求心が混ざり合い、彼女の子宮を疼かせている。
死体の股間に顔を埋め、防腐剤のケミカルな香りを肺いっぱいに吸い込む。
[/Sensual]
[A:リリス・ヴェルベット:冷静]「でも、シルヴィアさんはどうしましょう。あんな汚い死に顔、標本にする価値もありませんわ。……そうだわ、あの子は『素材』にしましょう。余った獣の肉と混ぜて」[/A]
血まみれのエプロンを翻し、暗がりの檻へと視線を向ける。
そこには、形を失った肉塊が、微かに蠢いていた。
◇◇◇
第三章: 愛のパッチワーク
[System]警告:被検体『アリスティア』の左頬に壊死反応を確認。腐敗進行度、レベル3。[/System]
[A:リリス・ヴェルベット:絶望]「嘘……嘘よ、嘘よ嘘よ嘘よ! どうしてカビが生えるの!? 湿度は管理していたはずでしょう!?」[/A]
地下室に響く、ガラス瓶の破砕音。
椅子に座らせたアリスティアの左頬が、ドス黒く変色し、緑色の胞子が綿毛のように付着している。美しい顔が、崩れていく。
爪を噛むリリス。血が滲むほどに。
皮膚が足りない。新鮮で、若くて、アリスティアに似た肌質の『生きた皮膚』が。
[A:ガラハッド・アイアン:驚き]「お嬢様!! ご無事ですか!?」[/A]
鉄の扉を蹴破り、一人の騎士が飛び込んできた。
近衛騎士ガラハッド。幼い頃からリリスを慕い、彼女の護衛を務めていた忠犬。行方不明になった彼女と王子を探し、ここまで辿り着いたのだ。
汗ばんだ茶髪、息を切らして揺れる胸甲。彼は部屋の惨状――解剖台、ビーカー、そして座っている王子を見て、絶句した。
[A:ガラハッド・アイアン:驚き]「な……殿下……? お嬢様、これは一体……その血は……」[/A]
噛んでいた指を離し、ゆっくりと振り返るリリス。
その顔には、慈愛に満ちた聖母のような笑みが浮かんでいる。
[A:リリス・ヴェルベット:喜び]「まあ、ガラハッド。来てくれたのね。ちょうど良かったわ」[/A]
[A:ガラハッド・アイアン:恐怖]「良かった……? リリス様、ここから逃げましょう! 殿下は……殿下はもう死んでいるのですか!?」[/A]
ガラハッドが歩み寄ろうとした瞬間、リリスが床のペダルを踏んだ。
ガシャン!
天井から鎖が落下し、ガラハッドの手足を絡め取る。吊り上げられる大男の体。
[A:ガラハッド・アイアン:恐怖]「ぐあっ!? な、何を……!?」[/A]
メスを手に、吊るされた騎士へと近づくリリス。
その視線は、ガラハッドの顔ではなく、彼の『頬の皮膚』に釘付けになっていた。
[A:リリス・ヴェルベット:興奮]「素晴らしいわ。日焼けもしていない、弾力のある若い皮膚。アリスティア様の色白さには少し劣るけれど、漂白すれば馴染むわね」[/A]
[A:ガラハッド・アイアン:絶望]「何を……言っているんだ……? 俺だぞ、ガラハッドだぞ! お嬢様!!」[/A]
[A:リリス・ヴェルベット:冷静]「動かないで。麻酔は打たないわ。死んだ組織じゃ定着が悪いの。生きているまま、剥がないと」[/A]
[Flash]鮮血。[/Flash]
[Shout]「ぎゃあああああああああああああ!!!」[/Shout]
絶叫が地下室を揺らす。
熟練の手つきで、ガラハッドの顔面の皮膚を、林檎の皮をむくように切り取っていくリリス。
剥き出しになった筋肉繊維。飛び散る血液がリリスの頬を濡らすが、彼女は恍惚の表情で作業を続ける。
[Sensual]
剥ぎ取ったばかりの温かい皮膚を、アリスティアの腐った頬に押し当てる。
「あたたかい……」
リリスは針と糸を通し、死んだ夫と生きた騎士を縫い合わせていく。
ズブ、ヌゥ、と肉を貫く音。
背後でガラハッドが喉を潰して泣き叫ぶ声をBGMに、彼女は愛する夫の顔を『修理』する喜びに打ち震えていた。
[/Sensual]
作業が終わる頃、アリスティアの顔はつぎはぎだらけのパッチワークになっていた。
右目はアリスティアの碧眼、左頬はガラハッドの皮膚。
リリスは満足げに頷く。
[A:リリス・ヴェルベット:愛情]「素敵よ。これでまた、少しだけ長生きできますわね」[/A]
ガラハッドはもう叫ばない。顔のない頭を垂れ、ピクリとも動かなくなっていた。
◇◇◇
第四章: 崩壊する楽園
異臭が王宮を覆う。
腐った肉と、甘ったるい香水の匂いが混ざり合った、吐き気を催す瘴気。
バルコニーに佇むリリス。
車椅子に乗せたアリスティア――もはや人間の形を留めているのが不思議なほどの肉塊――と共に。
[A:リリス・ヴェルベット:狂気]「ご覧になって、アリスティア様。民たちが手を振っていますわ」[/A]
眼下の広場には、逃げ惑う人々の姿。
彼らが見ているのは、美しき公爵令嬢と王子ではない。
血と膿にまみれたドレスを着て、顔半分が崩れ落ちた死体に話しかける魔女の姿だ。
[Shout]「化け物だ!」「王子が……王子が腐っているぞ!」「誰か騎士団を呼べ!!」[/Shout]
罵声と悲鳴が風に乗って届く。
リリスは首を傾げた。
[A:リリス・ヴェルベット:怒り]「失礼な方たち。せっかくの日光浴なのに。……ねえ、シルヴィア?」[/A]
彼女が指を鳴らすと、バルコニーの影から『それ』が這い出した。
かつて聖女と呼ばれた少女の成れの果て。
胴体は熊のように肥大化し、四肢には鋭い鉤爪。首から上は三つの獣の頭部と、苦悶の表情で固まったシルヴィアの顔が融合している。
「ア、あ……アリス、ティア……さま……」
[A:リリス・ヴェルベット:冷静]「お行きなさい。煩い観客を静かにさせて」[/A]
咆哮を上げ、バルコニーから広場へと飛び降りる怪物。
着地の衝撃で石畳が砕ける。
次の瞬間、広場は阿鼻叫喚の屠殺場へと変わった。飛び散る四肢、噴き上がる血飛沫。
[System]防衛システム作動。近衛騎士団、突入開始。[/System]
轟音と共に、王宮の大扉が破砕される。
完全武装した騎士たちが雪崩れ込んできた。
「リリス・ヴェルベット! 貴様を国家反逆罪および死体損壊の罪で処刑する! 直ちに投降しろ!」
剣を向けられたリリスは、アリスティアの崩れかけた手を握りしめ、くすりと笑った。
その笑顔は、かつてないほど無垢で、そして壊れている。
[A:リリス・ヴェルベット:愛情]「処刑? ふふ、邪魔をしないでくださる? 私たちは今から、永遠になるのですから」[/A]
隠し持っていた松明に火を点じた。
足元には、予め撒いておいた大量の鯨油。
炎が、リリスのドレスの裾に燃え移っていく。
[Impact]着火。[/Impact]
一瞬にして、バルコニーは紅蓮の炎に包まれた。
◇◇◇
第五章: 灰のワルツ
熱い。
皮膚が弾け、脂肪が溶け出す音がする。
王宮の玉座の間は、巨大な焼却炉と化していた。
炎の壁が騎士たちを拒絶する中、リリスはアリスティアを抱きしめ、ステップを踏んでいた。
ワルツ。
音楽はない。燃え盛る炎の轟音と、梁が焼け落ちる爆音だけがリズムを刻む。
[A:リリス・ヴェルベット:興奮]「あついですね、アリスティア様。でも、これでもう寒くありませんわ」[/A]
リリスの美しい黒髪がチリチリと燃え上がり、火の粉となって舞い散る。
アリスティアの体は、熱によって急速に崩壊していった。
縫い合わせた糸が焼き切れ、ガラハッドの皮膚が剥がれ落ちていく。防腐液が沸騰し、体内でシュウシュウと音を立てた。
左腕がもげ落ちた。
足が炭化し、砕けた。
それでもリリスは、彼の胴体を離さない。
[Think]ああ、肉体があるから腐るのね。[/Think]
悟るリリス。
肉は朽ちる。形あるものは壊れる。
けれど、灰になれば。
二人混ざり合って、区別のつかない灰の山になれば。
[A:リリス・ヴェルベット:狂気]「誰にも邪魔させない! 貴方は私のもの! 骨の髄まで、灰の一粒まで!!」[/A]
視界が白濁する。
痛みはとうに消え失せた。
リリスの視界の中で、炭化したアリスティアが笑ったように見えた。
あの軽蔑の笑みではない。炎のゆらぎが見せた幻覚か、あるいは魂の救済か。
[A:アリスティア・ローズブレイド:愛情]「……愛しているよ、リリス」[/A]
[Flash]閃光。[/Flash]
天井が崩落した。
巨大な瓦礫が、抱き合う二人を押し潰す。
断末魔はなかった。
ただ、二つの肉塊が熱によって溶け合い、一つの黒い塊へと融合していく。
鎮火した後、玉座の間で見つかったのは、奇妙なオブジェだった。
炭化した二人の人間が、互いの肋骨を食い込ませるようにして融合し、まるで一つの心臓を守るように固まった、醜くも神々しい標本。
騎士の一人が、その塊に触れようとして手を止めた。
風が吹き抜け、灰が舞い上がる。
その灰は、キラキラと光りながら、どこまでも高く、青い空へと昇っていった。
その標本室には、もう誰も入れない。そこにある愛は、二度と腐ることはないのだから。