第一章: 咀嚼する愛
世界は、腐った果実のように静まり返っていた。
風が止んでいる。鳥の声も、羽ばたきひとつない。ただ、鼻腔を焼き焦がすような鉄錆と内臓の臭気だけが、ねっとりと大気に張り付く。
瓦礫の山。かつて王都と呼ばれた場所は、巨大な魔獣の胃袋の中身をぶちまけたような惨状を晒していた。
[FadeIn]その中心。彼は、そこにいた。[/FadeIn]
レン。
垢じみて黄ばんだ白衣を羽織り、痩せぎすな体躯を猫背に丸めている。だが、その腹部だけが異様な質量を持って膨れ上がり、時折、胎動のように波打つ。
限界まで開ききった瞳孔。光のない虚ろな黒目が、足元の「それ」を見下ろしていた。
[Tremble]聖女、エリーゼ。[/Tremble]
いや、かつてエリーゼだった肉塊。
陽光を浴びて輝いていた黄金の巻き髪は泥と脂にまみれ、白磁のような肌は食い荒らされ、美しい肢体は赤黒いミンチへと変わり果てていた。魔獣の群れは去った。残されたのは、食い散らかされた「食べ残し」だけ。
レンは膝をつく。
表情に悲嘆も絶望もない。あるのは、聖遺物を拝むような、とろけるような恍惚。
[Sensual]
震える指先。彼が拾い上げたのは、千切れ飛んだエリーゼの「左腕」だった。
まだ温かい。断面から垂れる鮮血が、レンの白衣に新たな薔薇を咲かせる。
[A:レン:愛情]「あぁ……エリーゼ。君は、こんなに温かいんだね」[/A]
頬ずり。冷え切った自分の頬に、死肉の熱を移すように。
そして、彼は口を大きく開けた。
人間の顎関節の可動域を超えそうなほどに、あんぐりと。
ガブリ。
湿った破砕音が廃墟に響く。
橈骨(とうこつ)が砕ける音。筋繊維が引きちぎられる音。
レンは咀嚼する。愛しい人の指を、手のひらを、手首を。
喉仏が大きく上下し、ゴクリ、という嚥下音が静寂を犯す。
[Think](鉄の味。脂の甘み。そして、君の記憶の奔流)[/Think]
口元を血で真っ赤に染めながら、彼は恍惚と微笑んだ。
[/Sensual]
[A:レン:狂気]「大丈夫だよ。痛かったね、怖かったね。でももう平気さ」[/A]
膨れ上がった腹部を愛おしげに撫でる。
胃袋の底で、エリーゼの魔力が溶け出し、彼の血肉へと還元されていく感覚。脳髄にスパークする既視感。
[A:レン:冷静]「僕が食べてあげる。君の痛みも、死も、運命も全部。僕の胃袋の中で、君は永遠に生きるんだ」[/A]
[System]
《捕食対象:聖女エリーゼ(左腕)》を確認。
固有スキル【聖女の加護】および【時間遡行(不完全)】を抽出。
……条件達成。
セーブポイントへ回帰します。
[/System]
視界の歪曲。
世界が液状化し、レンの意識は暗黒の渦へと吸い込まれていく。
最後に彼が目にしたのは、自身の吐瀉物まみれの口元と、そこから覗く幸福な笑みだけだった。
◇◇◇
第二章: 英雄という名の捕食者
小鳥のさえずりが鼓膜を叩く。
鼻先をくすぐるのは、若草の青い匂いと、朝食のシチューの香り。
[Flash]巻き戻った。[/Flash]
二度目の世界。
レンは焚き火の前に座り、木のスプーンで器をかき混ぜていた。
腹部の膨らみは消えている。だが、胃袋の奥底に残る「満腹感」だけが、ここが続きの世界であることを告げていた。
[A:ゴウキ:喜び]「おうレン! 早起きだな。また俺たちの武器を手入れしてくれてたのか?」[/A]
ドスン、と大地を揺らして現れたのは、巨漢の戦士ゴウキ。
傷だらけのフルプレートアーマーに、刈り込んだ赤髪。熊のような体躯だが、レンに向ける眼差しは主人を待つ大型犬のように従順そのもの。
[A:レン:冷静]「おはよう、ゴウキ。……うん、君の剣は刃こぼれが多いからね。念入りに直しておいたよ」[/A]
[A:ゴウキ:照れ]「へへッ、すまねぇな! お前がいりゃあ百人力だぜ。回復だけじゃなくて武器の手入れまで……お前こそ本当の聖人だよ」[/A]
肩をバシバシと叩くゴウキ。
レンは、にこりと微笑み返した。
その瞳の奥。「この肉厚な筋肉は、煮込めばさぞ良い出汁が出るだろう」
そんな品定めをされていることなど、ゴウキは知る由もない。
[Think](前回の記憶だと、今日の午後、斥候のトーマスが魔獣に襲われて死ぬ)[/Think]
レンの視線は森の奥へ。
救わなければならない。
死なせてはならない。
魔獣なんかに、彼らの尊い肉体を「無駄食い」させてたまるか。
[A:レン:狂気]「……トーマス君、ちょっといいかな? 健康診断の時間だよ」[/A]
◇◇◇
数時間後。
森の暗がりで、レンは袖口を拭っていた。
足元には何も「ない」。
ただ、地面が少し掘り返された跡があるだけ。
[A:レン:冷静]「ごめんね、トーマス君。魔獣に噛み殺される痛みより、麻酔で眠っている間に僕と一つになる方が幸せだよね?」[/A]
一瞬だけ土気色に変色するレンの肌。
【隠密】と【弓術】。トーマスのスキルが、レンの体内にインストールされた証だ。
仲間が一人減った。だが、レンの能力は底上げされた。
[A:ゴウキ:驚き]「おいレン! トーマスがいねぇぞ! 探しに行こうぜ!」[/A]
慌てふためくゴウキ。レンは慈悲深い聖母のような顔で近づき、そっと手を握った。
[A:レン:愛情]「大丈夫だよ、ゴウキ。彼は……僕と一緒にいる。ずっと、ここにいるから」[/A]
自分の胸をトントンと叩く。
その言葉の真意を、ゴウキは「心の中にいる」という詩的な表現だと受け取ったのだろう。感極まったように鼻をすすり、レンの手を握り返す。
[A:ゴウキ:絶望]「ううッ……お前って奴は……! 俺は一生、お前についていくぜ!」[/A]
[Impact]違う。[/Impact]
物理的に、胃袋の中にいるのだ。
レンの腹部が、ぐくりと鳴った。消化が進んでいる。
彼の優しさは、家畜を太らせる飼い主のそれに過ぎない。全ては、最愛のエリーゼを救うための栄養摂取。
そう信じていた。
あの瞬間までは。
◇◇◇
第三章: 聖女の黒い内臓
王都、大聖堂。
ステンドグラスから降り注ぐ極彩色の光が、血溜まりを美しく照らし出している。
レンは立っていた。
背後には、ゴウキを含む仲間たちが倒れている。彼らはまだ生きているが、動けない。レンが魔獣の群れを単独で殲滅し、彼らを守り切ったからだ。
体内に取り込んだ数多の仲間のスキル――剛力、魔術、敏捷性。それらをフル動員し、レンはついに運命の日へ到達した。
[A:レン:興奮]「エリーゼ! 助けに来たよ! もう大丈夫、僕が来たから……!」[/A]
祭壇の最奥。
純白の聖職衣を纏ったエリーゼが、ゆっくりと振り返る。
宝石のような青い瞳。陶器のような肌。
レンが焦がれ、食らい、時間を超えてまで求めた美貌。
しかし、彼女の唇から紡がれたのは、感謝の言葉ではなかった。
[A:エリーゼ:冷静]「……本当に、しつこい虫ですわね」[/A]
冷徹な響き。
温度のない視線が、レンをゴミを見るように射抜く。
[A:レン:驚き]「え……?」[/A]
[A:エリーゼ:怒り]「あなた、気持ち悪いのよ。ずっと見てたわ。仲間を『食べて』力をつけて、私のために尽くすその姿……吐き気がするほど滑稽でしたわ」[/A]
指を鳴らすエリーゼ。
瞬間、大聖堂の床から黒い瘴気が噴き出した。
それは魔獣の気配そのもの。いや、彼女自身が「発生源」だったのだ。
[Impact]彼女こそが、世界を滅ぼす元凶。[/Impact]
人々を絶望させ、その負の感情を糧にする邪教の巫女。
[A:エリーゼ:狂気]「私は神になるの。そのためには絶望が必要なのよ。あなたが救えば救うほど、彼らが再び絶望した時の味は格別……でも、もう飽きたわ」[/A]
かざされる右手。
神聖魔法とは名ばかりの、魂を強制剥離する呪法が発動する。
バシュッ!
[A:レン:絶望]「がはッ……!?」[/A]
レンの口から吐き出される、どす黒い霧。
トーマスの魂、これまで取り込んできた名もなき村人たちの魂、そして――レンの中で安らいでいたはずの「彼ら」が、悲鳴を上げながら霧散していく。
[A:エリーゼ:喜び]「あらあら、せっかく溜め込んだ貯金が空っぽね。ただの薄汚い治癒術師に戻って、無様に死になさい」[/A]
床に這いつくばるレン。
力が抜けていく。積み上げた犠牲が、愛が、献身が、彼女の嘲笑一つで否定される。
彼女を守るために、人間であることを捨てたのに。
彼女を愛するために、禁忌を犯したのに。
[A:レン:悲しみ]「どう、して……僕は、ただ君を……」[/A]
[A:エリーゼ:冷静]「愛? そんな汚らわしい感情、私に向けないで。あなたのような汚物が触れていい体じゃないのよ」[/A]
純白の靴が、レンの手を踏みつけた。
グリグリと踵をねじ込む。骨が軋む音。
[A:エリーゼ:狂気]「死になさい、ストーカー」[/A]
レンの瞳から、光が消えた。
同時に、何か決定的な「タガ」が外れる音が、彼の脳内で弾けた。
◇◇◇
第四章: 肉の聖域
痛みが遠のく。
倫理が崩落する。
レンは、踏みつけられた自分の手を見つめていた。
彼女は僕を愛していない。
彼女は僕を拒絶している。
彼女の心は、僕を受け入れない。
[Think](なら、心なんていらないじゃないか)[/Think]
結論は、稲妻のようにシンプルだった。
愛してくれないなら、愛しかできないように作り変えればいい。
拒絶するなら、拒絶できない姿にするだけだ。
心が邪魔なら、肉体だけを愛せばいい。
[A:レン:冷静]「……あは」[/A]
漏れ出る乾いた笑い声。
[A:レン:狂気]「あはは、あははははははは!! そうだね、君の言う通りだ! 僕は間違っていたよ、エリーゼ!」[/A]
膨張を始めるレンの体。
剥離されかけた魂の残滓を、無理やり自身の細胞核に縫い付ける。
さらに、背後で倒れていたゴウキへ視線を這わせた。
[A:レン:興奮]「ゴウキ! 君は言ったよね! 一生僕についてくるって!」[/A]
[A:ゴウキ:恐怖]「レ、レン……? お前、体が……何を……」[/A]
[A:レン:狂気]「今だよ! 約束を果たす時だ! 君のその強靭な肉体、僕に頂戴!!」[/A]
[Shout]グチャアアアアッ!![/Shout]
レンの背中から飛び出す、無数の触手めいた肉の管。それがゴウキに突き刺さる。
咀嚼などという生ぬるいプロセスではない。直接吸収。融合。
[A:ゴウキ:絶望]「ぎゃあああああ!! レン! レンんんんん!!」[/A]
[A:レン:愛情]「痛くないよ、すぐ終わるよ。君は僕の中で英雄になるんだ」[/A]
ゴウキの巨体が、レンの背肉に飲み込まれていく。
鎧ごと、骨ごと、悲鳴ごと。
メリメリと音を立てて巨大化するレンの体躯。2メートル、3メートル。
人の形を捨て、異形の「肉の壁」へと変貌していく。
[A:エリーゼ:恐怖]「な、なに……? 何よそれ……! 気持ち悪い! 近寄らないで!!」[/A]
後ずさるエリーゼ。
彼女の顔から余裕が消え、初めて「恐怖」の色が浮かぶ。
その表情。
その、ゾクゾクするような怯え顔。
[A:レン:興奮]「ああ、やっと僕を見てくれたね。エリーゼ」[/A]
巨大な肉塊となったレンの中心。そこから、上半身だけのレンが生えている。
彼は恍惚と両手を広げ、逃げ惑う聖女へとにじり寄った。
[Sensual]
肉の触手が、大聖堂の出口を塞ぐ。
壁も、床も、天井も、すべてレンの肉で覆われていく。
ここはもう、神の家ではない。レンという名の、生きた内臓の中だ。
[/Sensual]
[A:レン:狂気]「もう逃げられないよ。世界が君を許さなくても、僕だけは君を『管理』してあげる」[/A]
[Impact]さあ、永遠の愛(ほかく)を始めよう。[/Impact]
◇◇◇
第五章: 誰も死なない地獄
世界は静寂に包まれていた。
かつて大聖堂だった場所には、今や脈動する巨大な肉のドームが鎮座している。
外の世界が魔獣によって滅びようと、疫病が蔓延しようと、この中だけは無菌の楽園だ。
ドームの中心。
肉の玉座に、レンは座っていた。
いや、彼自身が玉座であり、城であり、世界そのもの。
彼の腹部には、一人の少女が「埋まって」いた。
エリーゼ。
ただし、彼女にはもう手足がない。
四肢の切断面はレンの血管と直接接続され、栄養が強制的に送り込まれている。
彼女は生かされている。死ぬことも、逃げることも、自害することさえ許されない。
[Sensual]
[A:レン:愛情]「今日のスープだよ、エリーゼ。……ああ、口は開けなくていい。直接送るから」[/A]
レンは自身の指先を、自分の腹部に埋まったエリーゼの頬に這わせる。
エリーゼの瞳は焦点が合わず、ただ涙だけを流し続けている。
彼女の喉からは声帯が取り払われているため、罵倒も呪詛も聞こえない。ただ、コキュ、コキュと、栄養液が管を通る音だけがする。
レンは、彼女の金の髪を優しく梳く。
その髪の一本一本が、レンの神経と繋がっている。彼女が感じる絶望、屈辱、そして微かな快楽すらも、すべてレンへと共有される。
[/Sensual]
[A:レン:冷静]「ゴウキも喜んでいるよ。ねぇ、聞こえるかい?」[/A]
レンの背中の肉が盛り上がり、ゴウキの顔が浮かび上がる。
その目は白濁し、口は笑ったまま固定されている。
[A:レン:狂気]「みんな一緒だ。誰も死なない。誰も傷つかない。僕というゆりかごの中で、ずっと、ずーっと一緒だ」[/A]
外の世界で、風が吹き荒れる音がする。
だが、この肉の壁の中は温かい。
37度前後の生体温度。羊水のような湿り気。
レンは、腹部のエリーゼの額にキスを落とした。
彼女の瞳から溢れた涙を舐め取る。
しょっぱい。けれど、最高に甘美な味だ。
[Think](ああ、なんて幸せなんだろう)[/Think]
彼は満面の笑みで、虚空に向かってつぶやいた。
[A:レン:愛情]「これが、僕たちのハッピーエンドだね」[/A]
脈動音が、永遠の子守唄のように響き続けていた。
[FadeIn]完[/FadeIn]