第一章 影のオペレーター
「おいレンジ、画角! もっと寄れって言ってんだろ!」
鼓膜を劈くような怒号。俺は眉ひとつ動かさず、手元のコントローラーのスティックを数ミリ倒した。
ブゥゥン、と低い羽音を立てて、黒塗りの競技用ドローン『ブラック・ナット』が空中で静止する。
モニター越しに映し出されるのは、新宿駅地下ダンジョン、B4階層。
派手な金髪に、LEDが埋め込まれた戦闘スーツ。人気配信者『カイト』が、巨大なスライムの前で大剣を振りかざしている。
『うおおお! カイトきゅんカッケー!』
『画角神すぎんか? 映画かよ』
『スパチャ¥10,000』
流れるコメントの滝。
だが、称賛の矛先は俺じゃない。
俺はただの「撮影係」。カイトの幼馴染で、喋れない陰気な裏方だ。
(……右から来る)
俺は指先を弾いた。
ドローンが瞬時に左へロールし、スライムの酸攻撃を紙一重でかわす。
同時に、その動きでカイトに死角からの攻撃を教える――はずだった。
「ちょ、カメラ邪魔! 見えねーだろ!」
カイトがドローンを手で払いのける仕草をする。
その隙だ。
スライムの触手が、カイトの脇腹を浅く切り裂いた。
「ぐあッ!?」
『え、大丈夫!?』
『今のカメラワークひどくね?』
『撮影班クビにしろよ』
コメント欄が一瞬で「撮影叩き」に染まる。
俺は唇を噛み、無言でドローンを上昇させた。
俺が喋れないのは、身体的な欠陥じゃない。
3年前、初めてダンジョンに潜ったあの日、「声」を代償にこの「指」を手に入れたからだ。
誰も信じないだろうが、この世界のダンジョンは『契約』で成り立っている。
第二章 渋谷、静寂の崩壊
翌日。
緊急配信の通知が鳴った。
場所は渋谷、スクランブル交差点。
突如出現したS級ダンジョン『静寂の図書館』。
「今日は俺一人で挑む! 足手まといのカメラマンは置いてきたぜ!」
スマホ画面の中で、カイトが自撮り棒を持って叫んでいる。
バカな。
あそこは、音に反応する『聴覚鋭敏型』の魔窟だ。
ソロ配信なんて自殺行為に等しい。
「みんな、同接10万人行ったらボス部屋突っ込むから拡散よろ!」
『カイト男前すぎ!』
『これ伝説回だろ』
俺は安アパートのベッドから飛び起き、愛機のドローンケースを掴んだ。
カイトのことが好きだからじゃない。
あいつが死ねば、俺の雇い主がいなくなる。
それに……あそこには、俺の『声』が落ちているような気がした。
現場は規制線が張られていたが、裏路地からドローンだけを飛ばす。
VRゴーグルを装着。
視界がジャックされ、渋谷の廃墟と化した交差点が広がる。
カイトは、既に包囲されていた。
「なんだよこれ……硬ぇよ……!」
彼の周りには、本棚のような形をしたミミック、『グリモワール・イーター』が十体。
金属音。
カイトが大剣を振るうたび、その音に反応して敵が増殖していく。
『やばくね?』
『逃げてカイト!』
『誰か助けてやれよ!』
カイトの顔色が蒼白になる。
自撮り棒を持つ手が震え、カラン、と地面に落ちた。
その音に、最大個体のグリモワールが牙を剥く。
(――遅い)
俺はスロットルを全開にした。
第三章 音を喰らうもの
ヒュンッ!
風切り音すら置き去りにする速度。
俺の『ブラック・ナット』が、カイトと魔物の間に割って入った。
回転するプロペラが魔物の眼球を切り裂く。
「あ……? レンジ……?」
カイトが尻餅をついたまま呟く。
俺のドローンには、スピーカーもマイクも積んでいない。
完全なる無音仕様(サイレント・カスタム)。
俺はドローンのLEDを点滅させた。
――モールス信号。
『ダ マ レ』
カイトは息を飲み、口を両手で塞いだ。
賢明だ。
敵は音を見失い、空中に浮遊する俺のドローンにターゲットを移す。
だが、捉えられない。
俺の指先は、思考よりも速く動く。
プロペラのダウンウォッシュを利用して粉塵を巻き上げ、敵の視界すら奪う。
カイトの落としたスマホが、この光景をローアングルから映し出していた。
『なんだあれ!?』
『ドローン? 動きがバグってるぞ』
『カイトの配信なのに、カメラマンが戦ってんのか?』
『速すぎて見えねえw』
同接数が跳ね上がる。
20万、30万、50万。
俺のゴーグルに、敵の攻撃予測線(ウィンド・ライン)が視えた。
――ここだ。
俺はドローンを急降下させ、敵の核である『背表紙』の隙間へ特攻させた。
自爆覚悟のゼロ距離射撃。
予備バッテリーを過負荷させ、電撃を放つ。
第四章 0デシベルの喝采
閃光。
そして、轟音。
グリモワール・イーターが内側から崩壊し、紫色の粒子となって霧散していく。
俺は黒焦げになったドローンを、ふらつくような軌道でカイトの元へ戻した。
静寂が戻ったスクランブル交差点。
カイトは呆然と、目の前に浮遊する小さな機体を見上げていた。
「お前……今まで、こんな……」
スマホの画面を覗き込む。
コメント欄は、かつてないほどの熱狂に包まれていた。
『主人公交代のお知らせ』
『無言の神操作(ゴッド・フィンガー)』
『音速の騎士』
『カイト、お前もうカメラ係な』
俺はゴーグルの中で、小さく息を吐いた。
手が震えている。
恐怖じゃない。興奮だ。
誰かのサポートじゃない。
俺が、俺の意思で、この空間を支配した。
その時。
崩れ落ちた魔物の残骸から、光る珠が転がり出た。
レアドロップ『セイレーンの喉笛』。
使用すれば、失った声を取り戻せる幻のアイテム。
ドローンのアームでそれを掴む。
カイトが欲しそうな顔をした。
「それ、数億はするぞ……俺たちで分ければ……」
俺はカイトを一瞥もせず、ドローンを上昇させた。
そして、渋谷の上空高くで、アームを開いた。
ポチャン。
喉笛は排水溝の闇へと落ちていった。
最終章 ログアウト
「はあ!? お前、何してんだよ!」
カイトの絶叫が響く。
また魔物が集まってくるだろう。
俺はテキストチャットを開き、カイトの配信画面に一文だけ打ち込んだ。
『俺に声は要らない。ノイズになる』
それが、俺の最初で最後の「発言」だった。
ドローンのカメラ越しに、俺は視聴者に向かって機体を一回転させる。
それは、新たな英雄の誕生を告げる、無言の挨拶(バウ)。
画面の向こうで、100万人の視聴者が息を呑む音が聞こえた気がした。
俺は静かにログアウトし、狭いアパートの天井を見上げた。
喉は震えない。
だが、指先だけが、まだ熱く脈打っていた。