第一章 無菌室からの追放
「レン、お前はクビだ」
冷たい雨が叩きつける石畳の上。
勇者アレクの言葉は、氷の刃のように俺の胸に突き刺さった。
「……理由を聞いても?」
「理由? 鏡を見てみろ。お前のその魔法、不潔極まりない」
アレクの背後で、聖女マリアが鼻をつまみ、侮蔑の眼差しを向けている。
俺の職種は『腐敗術師』。
通称、カビ使い。
「俺たちの『聖光』は清浄と輝きをもたらす。だが、お前が触れるとパンは青く変色し、水は濁る。生理的に無理なんだよ」
「それは発酵だ! 俺の魔法があれば、保存食も薬も……」
「黙れ! 穢らわしい!」
聖女が杖を振るう。
眩い光が俺を弾き飛ばした。
泥水の中に転がる。
かつての仲間たちは、振り返りもせず王都の門をくぐっていった。
「……無知な連中め」
俺は泥を拭い、立ち上がる。
前世、日本で微生物学者だった記憶が、静かな怒りと共に疼いた。
この世界の『清浄』への信仰は異常だ。
少しの汚れも許さず、強力な洗浄魔法で全てを滅菌する。
だから土は痩せ、疫病が流行れば祈るしか手がない。
「菌がいなけりゃ、世界は回らねえんだよ」
俺は濡れた掌を見つめる。
そこには、微かに青白い光を放つ胞子が舞っていた。
行き先は決まっている。
王都の掃き溜め、スラム街だ。
そこなら、俺の『汚い』魔法を必要とする連中が山ほどいる。
第二章 見捨てられた土地と、黄金の腐敗
スラム街は、死臭と汚物にまみれていた。
王都が捨てたゴミの山。
痩せこけた子供たちが、腐った残飯を漁っている。
「おい、兄ちゃん。金目のもん出しな」
路地裏でナイフを構える男たち。
だが、その肌は膿み、呼吸は荒い。
明らかな感染症だ。
「金はない。だが、その傷、治してやれるぞ」
「はあ? 聖女様の奇跡でもなきゃ無理だろ」
「聖女の魔法じゃ治らない。あれは表面を焼くだけだ。原因菌を殺せてない」
俺はポケットから、カビの生えたパン屑を取り出した。
追放される直前、培養しておいた『青カビ』だ。
「なっ、なんだその汚ねえもん!」
「黙って見てろ」
俺は魔力を注ぐ。
『培養(カルチャー)』。
青カビが一気に増殖し、黄金色の液体を滲ませる。
特異な才能、『菌類支配』。
本来なら数日かかる精製プロセスを、魔力で数秒に短縮する。
俺はその液体を、男の化膿した傷口に垂らした。
「ぎゃあああ! 沁みる!」
「すぐ楽になる」
数分後。
男の荒い呼吸が整い、傷の赤みが引いていく。
熱が下がったのだ。
「……痛く、ねえ」
「これが抗生物質だ。ま、この世界じゃ『奇跡の水』とでも呼べばいいか」
俺は男たちを見渡す。
「俺に協力しろ。ゴミ山を宝の山に変えてやる」
それからの俺たちは忙しかった。
まず、スラムの痩せた土地に『腐葉土』を作った。
王都から出る生ゴミを、俺の菌で急速分解し、最高級の肥料に変える。
次に、川の水を浄化した。
聖女のように魔力で無理やり透明にするのではない。
微生物による分解槽を作り、自然のサイクルを取り戻したのだ。
一ヶ月もしないうちに、スラムには黄金色の麦が実り、芳醇な酒の香りが漂い始めた。
第三章 聖女の嘆きと黒死の病
「なぜ……なぜ祈りが届かないのですか!」
王都の教会で、聖女マリアの悲鳴が響く。
王都では、謎の奇病が爆発的に流行していた。
高熱を出し、皮膚が黒く変色して死に至る病。
聖女がいくら『浄化(クリーン)』の魔法をかけても、効果がない。
むしろ、常在菌まで殺して免疫を下げ、感染を広げていた。
「勇者様、食料庫の備蓄も尽きました……」
「なぜだ! 保存魔法をかけただろ!」
「それが、防腐魔法が強すぎて、パンも肉も味がせず……兵士の士気がガタ落ちで」
王都は、清潔だが死に絶えた『無菌室』になりつつあった。
一方、俺たちのスラム街――今は『発酵都市』と呼ばれる場所は、活気に満ちていた。
味噌、醤油、チーズ、そしてワイン。
微生物の恩恵を受けた食事は、人々の免疫力を高め、肌には艶がある。
「レン様、王都からの難民が押し寄せています」
かつて俺を襲ったスラムの男、今は警備隊長のガリが報告に来た。
「入れろ。ただし、消毒槽を通してからな」
「へい。……おや、あそこにいるのは」
ガリが指差した先。
ボロボロのローブを纏い、顔を隠した一行がいた。
見間違えるはずもない。
勇者アレクと聖女マリアだ。
第四章 顕微鏡越しの真実
「……レン、助けてくれ」
アレクは土下座した。
そのプライドの高さはどこへやら、顔色は土気色で、彼自身も病に侵されているようだった。
「不潔な俺に頼るのか?」
「王都は全滅寸前だ。聖女の魔法が効かない。お前なら、何とかできると噂を聞いた」
俺は溜息をつき、懐から氷で作ったレンズを取り出す。
即席の顕微鏡だ。
「マリア、お前の血を一滴、ここ垂らせ」
「な、何を……」
「いいからやれ」
嫌がる聖女の指先から血を採取し、レンズの下に置く。
魔力で倍率を上げ、二人に覗かせた。
「ひっ! 何ですか、このウネウネした化け物は!」
「これがお前たちを殺している『真犯人』だ。目に見えない微細な悪魔だよ」
俺はシャーレに、俺の作った青カビ溶液を垂らす。
すると、レンズの中の『化け物』たちは、瞬く間に溶けて消滅した。
「な……」
「お前たちの『浄化』は、敵も味方も皆殺しにする絨毯爆撃だ。だが俺の『菌』は、標的だけを狙い撃つ暗殺者だ」
俺はアレクに、精製した抗生物質の入った小瓶を投げ渡す。
「飲め。苦いぞ」
アレクは震える手でそれを煽った。
数分後、彼の呼吸が深くなる。
「……体が、軽い」
「命拾いしたな。だが、代償は高いぞ」
最終章 世界は発酵し、循環する
王都の疫病は、俺が提供した薬によって収束した。
だが、人々はもう王都には戻らなかった。
『清潔だが飢える都』より、『少し匂うが美味い飯と酒がある街』を選んだのだ。
俺は今、発酵都市の真ん中に建てた研究所(ラボ)で、新しい酒の仕込みをしている。
「レン様! 隣国の王子が、『納豆』の輸出契約を結びたいと!」
「ああ、後で聞く。今は麹の温度管理が大事なんだ」
かつて勇者パーティーと呼ばれた連中は、今や俺の都市の従業員だ。
アレクは力仕事で肥料を運び、マリアは衛生管理係として、俺の指示通りに手洗いの歌を広めている。
「汚いものにこそ、命の源がある」
俺はグラスに注がれた琥珀色のビールを透かして見る。
世界は俺の菌糸(ネットワーク)で覆われた。
剣や魔法で支配するのではない。
経済と食、そして医療というインフラで、俺はこの世界を『再建』してしまったのだ。
「さて、次はどんな菌を培養してやろうか」
グラスを傾ける。
その味は、最高に芳醇で、少しだけざまぁみろという蜜の味がした。