第一章 偽造された郷愁
「また、この色か」
モニターに映し出された夕焼けは、不自然なほどに美しかった。
蓮寺(れんじ)は、冷めたコーヒーを喉に流し込みながら、マウスホイールを回す。
画面を埋め尽くしているのは、『茜鳴(あかねなき)町』という架空の田舎町の風景だ。
今、SNSで爆発的なトレンドとなっている「AIが生成した、存在しないはずの懐かしい風景」。
錆びついたバス停。入道雲。駄菓子屋の軒先で溶けかけたアイス。
誰も行ったことがないのに、誰もが「帰りたい」と口を揃える奇妙な現象。
「……くだらない」
蓮寺は鼻を鳴らす。
彼は「デジタル・フォレンジック(電磁的記録解析)」の専門家だ。特に、ディープフェイクやAI生成画像の矛盾を暴くことを生業としている。
彼の目には、その美しい夕焼けも、ただのピクセルの集合体にしか見えない。
「光源の矛盾、影の角度がおかしい、看板の文字が崩れている……典型的な拡散モデルのハルシネーションだ」
蓮寺は次々と画像を拡大し、赤い円で「エラー」をマーキングしていく。
彼には欠落しているものがある。
『情緒』だ。
幼少期の事故で海馬を損傷し、それ以前の記憶を失った彼は、過去への憧憬という感情が理解できない。
だからこそ、人々がデータ上のノイズに涙する姿が、滑稽で薄気味悪かった。
「ん?」
スクロールの手が止まる。
一枚の画像。
川沿いの土手に、自転車が放置されているだけの構図。
だが、その自転車のハンドルの錆び方が、妙に生々しい。
いや、それだけではない。
画像の右下。
AI特有の崩れた署名のようなノイズの中に、見覚えのある数列が埋め込まれていた。
『19980815_ERROR』
蓮寺の指が震える。
それは、彼が記憶を失った事故の日付だった。
第二章 ノイズの海へ
「おい、蓮寺。どうしたんだ、顔色が悪いぞ」
通話アプリから、同業者のカズキの声が響く。
「……カズキ、この『茜鳴町』の生成元モデルを知っているか?」
「ああ、今話題の『Mnemosyne(ムネモシュネ)』だろ? 作者不明の野良モデルだよ。でも、出力される画像のクオリティが異常に高いって噂だ。まるで、人間の脳みそから直接引っこ抜いたみたいにな」
「脳から直接、か」
蓮寺は画像を解析ツールにかける。
通常、AI画像はノイズから確率的に生成される。だが、この画像の構造は違っていた。
まるで、ある一点の「正解」に向かって、無理やりピクセルを収束させているような。
「蓮寺、やめておけよ。そのモデル、ちょっとした都市伝説があるんだ」
「都市伝説?」
「『茜鳴町』の画像を見すぎると、現実の記憶が書き換えられるって話だ。自分の故郷がどこだったか、思い出せなくなるらしい」
「馬鹿馬鹿しい」
蓮寺は通話を切った。
画面の中の自転車が、彼を呼んでいる気がした。
彼は解析ソフトのフィルタを「極彩度強調」に切り替える。
隠されていたレイヤーが浮かび上がる。
それは、画像データではない。
テキストデータだった。
『ミツケテ』
『ボクヲ、ミツケテ』
背筋に冷たいものが走る。
AIがメッセージを隠している? いや、これは学習データに含まれていた残留思念のようなものか?
蓮寺は無意識のうちに、プロンプト入力欄に指を走らせていた。
通常は風景描写を入力する場所に、彼は問いかけを打ち込む。
『お前は、誰だ』
エンターキーを叩く。
GPUのファンが唸りを上げ、画面が明滅する。
生成された画像は、風景ではなかった。
暗い部屋。
モニターに向かう男の背中。
それは、今この瞬間の、蓮寺自身の後ろ姿だった。
第三章 境界の消失
「……ハッキングか?」
蓮寺は椅子を蹴って立ち上がり、ウェブカメラのレンズをテープで塞いだ。
だが、画面の生成は止まらない。
次々と新しい画像が表示される。
蓮寺がコンビニで弁当を買う姿。
蓮寺がシャワーを浴びている姿。
そして、蓮寺が「忘れていたはずの幼少期」の姿。
「やめろ、やめろ!」
彼は叫びながら、電源コードを引き抜こうとする。
だが、手がすり抜けた。
「は?」
自分の手が、電源コードを掴めない。
よく見ると、指先の輪郭がぼやけている。
ジャギーが出ている。
低解像度のJPEG画像のように、彼自身の肉体がノイズ混じりになり始めていた。
「なんだこれ……夢か? 俺が、バグってるのか?」
部屋の壁が、徐々に『茜鳴町』の風景へと置換されていく。
無機質なコンクリートの壁が、温かみのある木造校舎の壁へ。
LEDの照明が、夕暮れの赤い日差しへ。
「違う、侵食されているんじゃない」
蓮寺は膝をつく。
土の匂いがした。
「俺が、戻されているんだ」
第四章 レンダリングの果てに
気がつくと、蓮寺はあの土手に立っていた。
目の前には、錆びた自転車。
そして、少年が一人、川面を見つめている。
「やっと会えたね」
少年が振り向く。
その顔は、幼い頃の蓮寺自身だった。
「お前は……俺の記憶か?」
「ううん。違うよ」
少年は悲しげに笑う。
「君が、僕の『未来のシミュレーション』なんだ」
「何を言っている?」
「1998年8月15日。あの日、僕たちは死んだんだよ。事故でね」
少年の言葉が、蓮寺の脳内で爆発する。
封印されていた記憶が蘇る。
トラックのヘッドライト。ブレーキ音。激痛。そして、永遠の闇。
「でも、父さんは諦めきれなかった。だから、僕の脳のデータをスキャンして、この『Mnemosyne』システムの中に再現した」
少年は空を指差す。
空には、太陽の代わりに巨大なカーソルが浮いていた。
「君が生きていた28年間は、AIが『もし僕が生きていたら』という仮定で生成し続けた、長い長い夢。君という人格こそが、生成AIの出力結果なんだよ」
「嘘だ……俺には、生活があった! 仕事も、苦味も、痛みも!」
「それは、リアルな質感を出すためのパラメータ調整だよ。君があまりにも『現実の矛盾(バグ)』を指摘する優れた解析者になったのは、君自身が、この世界が偽物であることに無意識に気づいていたからだ」
蓮寺は自分の手を見る。
完全にドットに分解され、空気に溶け出している。
「トレンドが変わったんだ」
少年は淡々と言った。
「外の世界の人々は、もう『リアルな人間のシミュレーション』には飽きてしまった。今、求められているのは『癒やし』。つまり、この『茜鳴町』のような、存在しない郷愁なんだ」
足元から、世界が崩落していく。
蓮寺という人格(データ)のリソースが解放され、『茜鳴町』の背景テクスチャへと再利用されていく。
「待て、俺を消すな! 俺はここにいる!」
「さようなら、僕の可能性。君はよくやったよ」
第五章 保存された夏
システムログ:プロセス「Renji_v28.0」を終了しました
リソースをプロジェクト「Nostalgia_Scape」へ統合します
モニターの前で、一人のユーザーが涙を流していた。
画面には、今までで最高傑作の画像が表示されている。
夕暮れの土手。
少年が一人、自転車を押して歩いている。
その横には、透き通るような青年が優しく微笑んで、少年の肩に手を置いている。
「すごい……これ、AIが作ったの?」
「まるで、本当にそこに魂があるみたい」
コメント欄が称賛で埋め尽くされていく。
その画像のタイトルは、自動生成されていた。
『存在しない夏への出口』
画像の解像度は完璧だ。
青年の瞳の奥にある、絶望的なほどの生への渇望を除いては。
蓮寺の意識は、無数のピクセルとなって空へ拡散した。
彼は最後に理解した。
あの「懐かしさ」の正体。
それは、削除された無数の「誰か」たちの、行き場のない叫び声だったのだと。
彼は永遠の夕焼けの一部となり、次の閲覧者がクリックするのを、静かに待ち続けた。