第一章 死にたくないから潜る
「……よし、遺書は書いた。部屋の掃除もした。ブラウザの履歴も消した」
薄暗いワンルームのアパートで、俺、雨宮レン(22歳)は震える手で装備のベルトを締めた。
装備と言っても、リサイクルショップで買った中古の皮鎧と、護身用のダガーだけ。
「借金500万……今日中に最低でも10万稼がないと、東京湾の深海魚のエサだ」
現代社会に突如出現した『ダンジョン』。
世界中に現れたその異空間は、資源の宝庫であり、同時に死地でもあった。
命知らずの『探索者(シーカー)』たちが一攫千金を夢見て潜り、その様子をドローンカメラで配信して広告収入を得る。
それが今のトレンドだ。
俺には才能がない。
魔力はゼロ。腕力は小学生並み。
だが、唯一の取り柄がある。
『危機回避能力』。
平たく言えば、異常なまでのビビリだ。
背後から飛んできた消しゴムをノールックで避け、曲がり角での衝突事故を予知レベルで回避する。
人生で一度も怪我をしたことがない。痛いのが嫌いすぎて、神経が過敏に進化してしまったらしい。
「配信、オン……と」
浮遊型ドローンのスイッチを入れる。
視聴者数、0人。
当たり前だ。底辺探索者の配信なんて誰も見ない。
俺は新宿ダンジョン『奈落(アビス)』のゲートをくぐった。
目指すは浅層の雑魚モンスター、ゴブリン。
魔石ひとつで3000円。
34匹狩れば、今日のノルマ達成だ。
「ひっ……!」
入って五歩目で、俺は悲鳴を上げた。
壁のシミが人の顔に見えたからだ。
『あ、接続ミスった』
コメントが流れた。
視聴者数、1人。
「す、すみません、すぐに終わりますから……」
俺はドローンに向かってペコペコと頭を下げた。
その瞬間。
ヒュンッ!
頭上を何かが通過した。
風圧で前髪が散る。
「……え?」
顔を上げると、そこには身長2メートルのオークが棍棒を振り下ろした体勢で固まっていた。
俺がペコペコしたせいで、棍棒が空を切ったのだ。
『は?』
『今の避けたん?』
『いや、偶然だろ』
視聴者が3人に増えた。
俺は腰を抜かした。
「あ、あわ、あわわわ!」
立てない。足が生まれたての子鹿のように震える。
オークが苛立ち、再び棍棒を横薙ぎにする。
死ぬ。
死ぬ死ぬ死ぬ!
俺は恐怖のあまり、その場でのたうち回った。
無様に地面を転がり、カエルのように跳ねる。
ブオンッ!
ズガンッ!
棍棒は俺の鼻先1センチを通過し、壁を粉砕した。
『うっそだろ』
『今の見切ったのか?』
『紙一重すぎるww』
『この動き……酔拳か?』
違う。
ただ腰が抜けて、痙攣しているだけだ。
第二章 伝説のステップ
「ひいいいい! ごめんなさい! 肉質悪いです! 美味しくないです!」
俺は泣き叫びながら、オークの股下をくぐり抜けた。
意図したわけじゃない。
逃げようとしてつまづいたら、そこが股下だったのだ。
オークが振り向く。
俺は立ち上がろうとして、足がもつれ、変なポーズで静止した。
片足立ちで、両手を広げた『命』のポーズ。
その脇を、オークの拳がすり抜ける。
『また避けた!』
『今のステップ見たか? 重心をわざと崩して誘ったんだ』
『股下くぐりからの挑発ポーズwww』
『煽りスキル高すぎだろこいつ』
コメント欄が加速し始めた。
視聴者数、500人突破。
「たすけ……警察! 誰か警察呼んで!」
俺の悲痛な叫びは、ドローンのマイク性能が悪すぎて、視聴者にはこう聞こえていたらしい。
『……計算通り。次はここだ』
「!? 今なんて言った?」
「予言? 次の攻撃位置がわかってるのか?」
オークが怒号を上げ、ラッシュを仕掛けてくる。
俺の思考はショート寸前だ。
脳からの命令は「逃げろ」一択なのだが、体が勝手に最適解を選んでしまう。
右フックが来る。
俺は恐怖で首をすくめる。
→顎先を拳がかすめる。
蹴りが来る。
俺は驚いて飛び上がる。
→足払いをジャンプで回避。
叩きつけが来る。
俺はバランスを崩して尻餅をつく。
→衝撃波の範囲外へ着地。
側から見れば、それはあまりにも流麗なダンスだった。
無駄な動きが一切ない。
最小限の動き(ミニマム・ムーブ)で、致命傷だけを避けている。
『天才かよ』
『これだけ近接してて、一発も被弾してない』
『舐めプにも程があるwww』
『攻撃しないで避け続けるとか、性格悪すぎて好き』
視聴者数、5000人突破。
『#煽り系探索者』というタグが作られ、SNSで拡散され始めた。
「もう嫌だぁぁぁ! お家帰るぅぅぅ!」
俺は泣きながら、オークの体に手を突いた。
押して、距離を取ろうとしたのだ。
だが、その手は偶然にもオークの急所、喉仏にヒットした。
しかも、俺の体重が乗った全力の突き。
「ゴフッ……!?」
オークが白目を剥いて、ゆっくりと後ろへ倒れていく。
『ワンパンwww』
『散々遊んでからの、デコピン一撃www』
『強すぎて草』
『鬼畜眼鏡ならぬ鬼畜ビビリ顔(実は最強)』
俺はへたり込んだ。
ズボンの裾が少し濡れているのは、汗だ。絶対に汗だ。
第三章 バズりと殺意
ダンジョンから這い出した時、俺のドローンの同時接続数は3万人を超えていた。
「……は?」
スマホを確認して、凍りつく。
スパチャ(投げ銭)の総額、120万円。
「じゅ、じゅうにまん……じゃない、ひゃくにじゅうまん!?」
借金が返せる。
いや、それどころかお釣りが来る。
だが、コメント欄の雰囲気はおかしい。
『次、中層ボス行くよね?』
『今の動きならミノタウロスも余裕でしょ』
『期待してるぞ、煽り神』
『逃げたらアンチになるわ』
俺は青ざめた。
帰りたい。
今すぐ布団に包まって、動画サイトで猫の動画を見たい。
しかし、借金取りからのLINEが入る。
『配信見たぞ。金あるじゃねえか。明日の昼までに持ってこい。利子つけてな』
逃げ場はなかった。
俺は翌日、震える足で再びダンジョンへ向かうことになった。
「……今日は、中層エリアに行きます」
カメラに向かって宣言すると、コメントが滝のように流れた。
『待ってました!』
『神回避見せてくれ!』
『今日の獲物は?』
ターゲットは『赤ミノタウロス』。
パワーだけなら深層クラスの化け物だ。
俺の作戦は一つ。
「出会ったら即土下座。見逃してもらう」
これしかない。
しかし、現実は非情だった。
中層エリアの広場。
俺が足を踏み入れた瞬間、赤ミノタウロスと目が合った。
「モオオオオオオオ!!」
挨拶代わりの咆哮。
俺の鼓膜が悲鳴を上げる。
「ひぃっ! すみません! 通りすがりです! 道を間違えました!」
俺はその場でスライディング土下座を敢行した。
勢い余って、地面を滑っていく。
ズザザザザ!
その滑走が、奇跡を生んだ。
ミノタウロスが投げつけた巨大な戦斧の下を、俺がスライディングで通過したのだ。
『開幕スライディング特攻www』
『あえて武器の下を潜るのか!』
『死角に入った!』
俺はミノタウロスの足元に激突し、その反動で立ち上がった。
目の前には、ミノタウロスの太い足。
「うわあああ! 踏まないでえええ!」
俺はパニックになり、ミノタウロスの足にしがみついた。
子供が親の足にすがるように。
だが、ミノタウロスにとっては違った。
自分の足にまとわりつき、バランスを崩させる高度なレスリング技術に見えたのだ。
『足止めか!』
『体幹どうなってんだこの配信者』
『大型モンスター相手に密着戦とか正気か?』
ミノタウロスが足を振るう。
俺は遠心力で振り回され、空中に放り出される。
「空飛んだぁぁぁぁ!」
叫びながら、俺は空中で手足をバタつかせた。
それが、まるで空中で姿勢制御を行っているかのように映る。
着地点は、なんとミノタウロスの背中。
『ロデオwww』
『乗りこなしてて草』
『これもうペットだろ』
俺はミノタウロスの角を必死に掴んだ。
離したら死ぬ。高いところ怖い。
「止まれ! 止まってくれぇぇ!」
俺が角を引っ張ると、ミノタウロスの首が無理やり後ろへ曲がる。
操縦されているかのように、ミノタウロスが壁に激突する。
ズドォォォォン!!
土煙が舞う。
俺は衝撃で気絶した。
第四章 誤解の果てに
意識が戻った時、静寂が支配していた。
「……天国?」
目を開けると、俺は瓦礫の上に座っていた。
目の前には、白目を剥いて泡を吹いているミノタウロス。
壁に頭から突っ込み、自滅していた。
そして、ドローンが俺の顔をアップで映している。
『勝った……』
『無傷かよ』
『最後、あえて壁に誘導したな?』
『角をハンドルにして運転するとか、発想がサイコパス』
同時接続数、50万人。
世界記録更新。
「……あ、あの」
俺が口を開くと、コメントが一斉に静まり返る。
勝利の決め台詞を待っているのだ。
俺は震える声で、本心を漏らした。
「……もう、かえりたい」
静寂。
そして、爆発的なコメントの嵐。
『かっっっこいいいい!!』
『「もう(敵はいないから)帰りたい」ってことか!』
『退屈だったってことですね、わかります』
『王者の風格』
『これは伝説の始まり』
違う。
そうじゃない。
俺は泣きそうになりながら、ふらふらと出口へ向かった。
その背中が「哀愁漂う最強の男」として切り抜かれ、ネットニュースのトップを飾ることを、俺はまだ知らない。
第五章 そして伝説のチキンへ
あれから一ヶ月。
俺、雨宮レンは、なぜか『回避王(エスケープ・キング)』と呼ばれていた。
大手探索者ギルドからの勧誘はひっきりなし。
スポンサー契約の依頼が山積み。
街を歩けば「あ、煽りのレンだ!」と指をさされる。
「今日は深層エリア『地獄門』へ行きます……」
カメラの前で、俺は死んだ魚のような目をしていた。
装備は相変わらず皮鎧だけ。
視聴者は「舐めプ装備キター!」と喜んでいるが、単純に重い装備だと逃げる足が遅くなるからだ。
『今日はどんな煽りを見せてくれるんだ?』
『ドラゴン相手にダンス期待』
コメント欄の期待が重い。
俺は胃薬を水なしで飲み込み、深呼吸をした。
本当は戦いたくない。
痛いのも怖いのも嫌いだ。
でも、この配信業でしか、もう生きていけない体になってしまった。
「……行きます」
一歩踏み出す。
足元の小石につまづく。
「うわっと!」
派手に転ぶ。
その瞬間、頭上をドラゴンの火球(ブレス)が通過した。
『開幕コケ芸www』
『未来予知乙』
『今日もキレッキレだな』
俺は涙目で立ち上がった。
震える足が、今日も勝手に伝説(ダンス)を刻み始める。
「誰かあぁぁ! 助けてくれえええ!」
俺の絶叫は、今日も視聴者には「歓喜の雄叫び」として届いていた。