第一章: 遺言の周波数
腐敗したオゾン。乾いた血の匂い。
地下九十九階層、肺をやすりで削るごとき重圧と冷気。
闇の中、頼りなく揺れる松明が唯一の光源。照らし出されるのは少年――**篝火ホムラ**の輪郭。
裂け落ちたポーター用の作業着。泥と傷で地図のように荒れた肌。ストレスで色素が抜け落ちた白髪交じりの黒髪が、脂汗で額にへばりつく。何より異様なのは右足だ。膝下、太いモンスターの大腿骨とワイヤーによる無理やりな補強。
深淵を覗き込んだような虚ろな灰色の瞳が、かつての雇用主を見上げた。
[A:西園寺 レオ:冷静]「悪いね、ホムラ。ここでお別れだ」[/A]
特注のミスリルアーマーを煌めかせ、西園寺レオは白く整った歯を見せて笑う。カメラ越しの「英雄」の笑顔。だが、瞳の奥に宿るは爬虫類ごとき冷たさ。
[A:篝火 ホムラ:冷静]「……そうですか。囮、ですね」[/A]
[A:西園寺 レオ:喜び]「人聞きが悪いな! 『殿(しんがり)』と呼んでくれよ。君の犠牲で、僕たちはSランクモンスター『アビス・ハイドラ』から撤退できる。君はクラン『黄金の天秤』の英雄だ」[/A]
[A:篝火 ホムラ:恐怖]「装備は……返してくれないんですか」[/A]
[A:西園寺 レオ:怒り]「死人に装備はいらないだろう? 資源の無駄遣いだ。じゃあね、ゴミ拾い君」[/A]
レオが砕く転移結晶。彼を包む光の粒子。次の瞬間、ホムラを取り巻く完全な静寂。
遠くから響く重低音の咆哮。地響き。死神の足音。
震える指先で懐から取り出した掌サイズの旧式ドローン。通信機能は死んでいる。せめて録画機能だけでも。
[A:篝火 ホムラ:絶望]「……あー、テステス。これが遺言になります」[/A]
ドローンのレンズが捉える、憔悴しきった顔。
死ぬ前に、せめて罵詈雑言の一つでも残さなければ魂が成仏できない。
スイッチオン。軋んだ音を立てて回るプロペラ。その瞬間、ドローンのインジケーターがあり得ない「青色」に明滅した。
[System]
WARNING: 接続エラー。
正規ルート検索失敗。
バイパスルート検索……成功。
全世界広告枠への強制接続を開始します。
[/System]
ホムラは気づかない。
その映像が、渋谷のスクランブル交差点、動画サイトの割り込み広告、果てはタイムズスクエアさえもジャックし、全世界へ拡散され始めた事実に。
◇◇◇
[A:篝火 ホムラ:冷静]「俺の名前は篝火ホムラ。ただの捨て駒です。今から、Sランクモンスターに喰われて死にます」[/A]
画面の向こう、数億の瞳が釘付けになる彼の「殺意」。
ハイドラの巨大な影、ホムラを飲み込まんとする顎(あぎと)。
第二章: 泥中の演算
[Shout]グシャァァッ!![/Shout]
弾ける肉の音。だが、それはホムラの肉体ではない。
転がるように身を翻し、ダンジョンの壁面に群生する「発光苔」へ、レオが投棄した空のポーション瓶を叩きつけたのだ。
瓶の中身は、直前に採取した『爆裂カズラ』の種子。
[Think]衝撃で発火。閃光で視界を奪う。[/Think]
強烈な光がハイドラの八つの目を焼き、怪物が苦痛に身をよじる。
[A:篝火 ホムラ:狂気]「視界確保。……さて、残業(サバイバル)の時間ですね」[/A]
走らない。足の骨(義足)が持たないから。
壁のくぼみ、鍾乳石の角度、風の流れる方向、すべてを計算しながらの匍匐前進。
口の中に広がる錆びた鉄の味。噛み締めすぎて出血した奥歯。
[System]
同接数:12,408,900人
急上昇ランク:1位
タグ:#ホムラの遺言 #ガチのやつ #放送事故
[/System]
ネットの海、無数のモニターに囲まれた暗室。震える手でエナジードリンクを握りしめる少女。
大きすぎる黒いパーカーに身を包んだ天才ハッカー、**夜桜シズク**。乱れた黒髪の間から覗く瞳、画面の中のホムラへの没入。
[A:夜桜 シズク:驚き]「……嘘でしょ。こいつ、この状況で『環境ハメ』してる……?」[/A]
画面の中のホムラ。巨大なハイドラを狭い通路に誘導し、天井の脆い岩盤をわずかな衝撃(投石)で崩落させる。
計算され尽くしたドミノ倒し。
数億トンの岩塊による、怪物への断頭台。
舞い上がる土煙の中、咳き込みながらカメラへ向ける淡々とした視線。
[A:篝火 ホムラ:冷静]「Sランクモンスターの弱点は、その巨体ゆえの閉所適応の低さ。……教科書には載ってませんが、常識です」[/A]
[A:夜桜 シズク:興奮]「……見つけた。本物の、深淵」[/A]
シズクの指が叩くキーボード。部屋に響く超高速のタイピング音。
ただのスナッフフィルムとして消費されていた映像。彼女はそれを意図的に拡散させ、コメント機能を復旧させる。
[System]
コメント機能が復旧しました。
[/System]
画面上に流れる文字の滝。
『すげえええ!』『これCG?』『いやガチだろ』『あいつ天才か?』
しかし、曇ったままのホムラの表情。生き残りはしたが、閉ざされた地上への道。
いや、それ以上に彼を絶望させる「情報」が、シズクの手によってもたらされようとしていた。
第三章: 英雄の虚像
地下水脈を発見し、ようやくの一息。
冷たい水で顔を洗えば、泥水と共に流れ落ちる赤い血。
ドローンのスピーカーから流れるノイズ混じりの音声。シズクによる外部音声接続。
[A:夜桜 シズク:冷静]「……聞こえる? ポーター君。あんた、バズってるよ」[/A]
[A:篝火 ホムラ:驚き]「誰です? ……ハッキング?」[/A]
[A:夜桜 シズク:怒り]「そんなことより、これ見て。あんたの元上司の配信」[/A]
空中に展開されるホログラムウィンドウ。
豪華なシャンデリアの下、ワイングラスを傾ける西園寺レオ。目に浮かぶ涙、明白な嘘泣き。
[A:西園寺 レオ:悲しみ]「僕の不徳の致すところだ……。勇敢なホムラ君は、僕たちを逃がすために自ら囮に……ッ! 彼の遺志を継ぎ、僕は必ずトップランカーになる!」[/A]
[System]
スパチャ:¥50,000 「レオ様泣かないで!」
スパチャ:¥100,000 「ホムラ君も本望だよ」
[/System]
吐き気。胃の腑が裏返るごとき嫌悪感。
だが、次の映像がホムラの理性を焼き切った。
レオの背後、部屋の隅の車椅子。座っているのは、ホムラが守りたかった唯一の家族、病弱な妹。虚ろな目でレオに「保護」されている姿。
[A:西園寺 レオ:愛情]「安心してくれ。彼の大切な妹さんは、僕が責任を持って『管理』するからね」[/A]
[A:篝火 ホムラ:怒り]「……管理、だと」[/A]
岩を殴りつける拳。破れる皮膚、滲む血。痛みなど感じない。
妹の首、チョーカー型の魔道具。位置情報の監視と電気ショックを与える拘束具。
生きて帰れば、妹を人質に取られる。
ここで死ねば、復讐すらできない。
[Think]俺の命すら、奴らの養分なのか。[/Think]
膝から抜ける力。
口を開けて彼を嘲笑う暗闇。
だがその時、コメント欄の一行が目に止まる。
『殺せ』
『お前が殺せ』
『俺たちが力を貸す』
ホムラの灰色だった瞳に灯る、どす黒い炎。
[A:篝火 ホムラ:狂気]「……そうか。帰る必要なんてない」[/A]
掴んだドローン。レンズへの睨みつけ。
[A:篝火 ホムラ:冷静]「シズクさん、でしたね。……俺の復讐に、投資する気はありますか?」[/A]
第四章: 破滅へのインベストメント
[A:篝火 ホムラ:怒り]「俺を助けるな! 俺の復讐に投資しろ!!」[/A]
世界中のネットワークを駆け巡る叫び。
現在同接数、一億人突破。
システムログを埋め尽くす投げ銭(スパチャ)の嵐。
ホムラはその膨大なポイントを、自身の装備ではなく「ダンジョンへの干渉権限」に変換。シズクのハッキングサポートによる、ダンジョン管理者権限(マスターコード)の一部強奪。
[A:夜桜 シズク:興奮]「……最高。アンタ、頭おかしいよ(褒め言葉)」[/A]
地上。レオたちによる「追悼記念攻略」と称した、安全な低層階層での配信。
その優雅な画面に走るノイズ。
レオの美しい顔の上にオーバーレイ(多重表示)される、血まみれのホムラがモンスターの内臓を引きずり出す映像。
[A:西園寺 レオ:驚き]「な、なんだ!? 放送事故か!?」[/A]
[A:篝火 ホムラ:冷静]「こんばんは、レオさん。地獄からのコラボ配信です」[/A]
[System]
ダンジョン構造書き換え開始。
対象エリア:第10階層『安らぎの草原』
変更先:第90階層『焦熱の処刑場』
[/System]
歪むレオたちの周囲。
穏やかな草原は一瞬にしてマグマ噴き出す荒野へ。
安全圏からの「ざまぁ」ではない。自分と同じ地獄への引きずり込み。
[A:西園寺 レオ:恐怖]「あ、あ、ありえない! なぜここに『レッド・ドラゴン』がいるんだ!?」[/A]
[A:篝火 ホムラ:冷静]「知ってますか、レオさん。ドラゴンの逆鱗は、触れると爆発するんですよ。……《ウィンド・カッター》」[/A]
画面越しの魔法発動。
放たれた風の刃はレオを斬らず、眼前のドラゴンの逆鱗を精確に撫でた。
咆哮。
[Shout]グォォォォォォォォッ!!![/Shout]
ドラゴンの一撃によるパーティー粉砕。
紙切れのように引き裂かれるミスリルの鎧。
逃げ惑うレオ。全世界に生中継される醜態。
ホムラの懐には、いつの間にか妹の拘束具解除コード。混乱に乗じたシズクの窃盗。
[A:篝火 ホムラ:狂気]「さあ、踊ってください。俺が満足するまで」[/A]
第五章: 深淵の王
一夜にして壊滅したクラン『黄金の天秤』。
不正、横領、殺人未遂。全てが白日の下に晒され、レオは社会的にも物理的にも再起不能となった。ドラゴンの炎に焼かれ、命はあれど、自慢の顔と名声は永遠の喪失。
ダンジョン最深部。
核(コア)となるボス『アビス・ロード』の前に立つホムラ。
砕け散った右足のボーン・レッグ。今は折れた剣を杖代わりに。
限界の肉体。だが、かつてないほど澄んだ瞳。
[Magic]《限界突破(オーバーロード)・自壊》[/Magic]
得た全てのスパチャポイントを魔力に変換し、放つ一撃。
閃光。
裂ける深淵の闇。停止するダンジョン機能。
コアの粉砕と同時に開く、地上への転送ゲート。
[A:夜桜 シズク:恐怖]「ホムラ! ゲートが開いた! 急いで、あと三十秒で閉じる!」[/A]
ドローン越しのシズクの叫び。
警察とシズクの手配によって保護された妹。病院のベッドで待つ兄の帰り。
しかし、動かないホムラ。
ゲートに背を向け、さらに深い、地図にない闇の方へと踏み出す足。
[A:篝火 ホムラ:冷静]「……俺は、戻りません」[/A]
[A:夜桜 シズク:悲しみ]「は……? 何言ってんの、バカなの!? 妹ちゃんが待ってるんだよ!?」[/A]
[A:篝火 ホムラ:冷静]「妹には、俺が死んだと伝えてください。……保険金が入れば、彼女は一生暮らせる」[/A]
眺める自らの手。
モンスターの血と、復讐の快楽に染まった手。
一度人間の醜悪さを骨の髄まで味わった彼。もう「人間」の社会には適合できないという悟り。
煌びやかな地上よりも、殺すか殺されるかだけのこの暗闇の方が、今の彼には清浄。
[A:篝火 ホムラ:冷静]「それに……俺は、人間(そっち)の方が化け物に見えるんです」[/A]
[A:夜桜 シズク:悲しみ]「っ……あんた、ほんとに……」[/A]
消滅するゲート。
カメラのバッテリー残量、ゼロの表示。
[A:篝火 ホムラ:愛情]「シズクさん。最後まで見ていてくれて、ありがとうございました」[/A]
プツン、と途切れる映像。
世界中の画面、ブラックアウト。
残されたのは、伝説となったアーカイブと、深淵の底で孤独な王となった少年の物語だけ。
暗い部屋。真っ黒になったモニターに額を押し当てるシズク。
頬を伝う涙の熱さだけが、彼が生きていたことの証明。
[Think]さよなら、私の共犯者。[/Think]
ゆっくりとキーボードを叩く。
『篝火ホムラ』のアカウントステータス。『死亡』ではなく『Unknown』への書き換え。
地底の底。微かな足音だけが、永遠に響き続ける。