呼吸する白磁の恋人

呼吸する白磁の恋人

主な登場人物

九条 湊(くじょう みなと)
九条 湊(くじょう みなと)
28歳 / 男性
色素の薄い茶髪、常に古びた作業用のつなぎと白衣を着用。指先は常に塗料で汚れている。神経質そうな細いフレームの眼鏡。
小夜(さよ)
小夜(さよ)
17歳(外見年齢) / 女性
腰まである日本人形のような黒髪。肌は透けるほど白く、関節部分には不自然な継ぎ目がある。豪奢だが死装束を思わせる白い着物を着用。
御子柴 ツネ(みこしば つね)
御子柴 ツネ(みこしば つね)
不詳(70代後半) / 女性
総白髪をひっつめ髪にし、常に喪服のような黒紋付を着ている。左目は白濁しており、杖をついている。

相関図

相関図
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9 4452 文字 読了目安: 約9分
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第一章: 呼吸する骨董品

湿った苔と古い木の香りが、鼻腔の奥にへばりつく。紅殻村(べんがらむら)の空気は、都会のそれよりも重く、肺の底に澱むような粘度があった。

九条 湊は、曇った丸眼鏡を外し、作業用のつなぎの胸ポケットから取り出した布で丁寧に拭う。湿気で額に張り付く茶色の髪。視界を遮るそれを、苛立たしげに細い指で払いのけた。その指先は、長年の修復作業で染み込んだ顔料と薬品によって、洗っても落ちない薄汚れた虹色を帯びている。白衣の裾が、歩くたびにカサリと乾いた音を立てた。

[A:御子柴 ツネ:冷静]「……こちらじゃよ、先生」[/A]

屋敷の主、御子柴ツネが不規則なリズムで杖を突き、闇を切り裂くように先を行く。喪服のように黒い紋付が闇に溶け込み、白濁した左目だけが、ぼんやりと行灯の灯りを反射していた。

[A:九条 湊:冷静]「ええ。しかし、これほど深い山奥に、それほどの逸品があるとは」[/A]

湊は神経質に周囲を見回す。黒光りする廊下の板張り。どこからか、ぴちゃり、ぴちゃりと水が滴るような音が響いてくる。

[A:御子柴 ツネ:冷静]「代々の当主が愛でてきた、我が家の守り神じゃ。名は、小夜。……生きたまま、保存してほしいのじゃよ」[/A]

[A:九条 湊:驚き]「生きたまま? 比喩がお上手ですね」[/A]

重厚な蔵の扉が開かれる。カビと防虫香の匂いが、暴力的な濃度で押し寄せた。

湊は息を呑む。

その座敷の中央、豪奢な金屏風の前に、"それ"は鎮座していた。

白い着物を纏った、等身大の球体関節人形。

腰まで流れる黒髪は、一本一本が夜の闇を切り取ったかのように艶やかだ。透けるほど白い肌、硝子玉の瞳。あまりの精巧さに、湊の喉がごくりと鳴る。

[Think](美しい……。完璧な均衡だ。これほどの造形、現代の作家には不可能だ)[/Think]

湊は吸い寄せられるように歩み寄った。職業病だろうか、無意識のうちに右手が伸びる。

頬の陶器の質感を確認しようと、汚れた指先がその白磁の肌に触れた、その刹那。

温かい。

無機物特有の冷徹さがない。微かな熱と、指の腹に伝わる脈動。

[A:九条 湊:驚き]「……え?」[/A]

カチリ。

人形の瞼が、ぎこちない音を立てて瞬いた。

[Sensual]

湊の指が硬直する。人形の瞳が、焦点の合わない虚ろな光を宿して湊を見上げた。

その唇が、わずかに震える。

[A:小夜:悲しみ]「……痛い」[/A]

人間の声帯が擦れるような、微弱な掠れ声。

湊の指先が触れていた頬の一部に、ピシリと亀裂が走り、そこから赤い液体が滲み出した。陶器が血を流している。

[/Sensual]

[A:九条 湊:恐怖]「な……っ!?」[/A]

湊は弾かれたように手を引っ込めた。心臓が早鐘を打ち、冷や汗が背筋を伝う。

背後で、ツネが杖をドンと床に突き、低く笑った。

[A:御子柴 ツネ:狂気]「そうじゃ。だから直しておくれ。その子が腐り落ちぬよう、永遠に」[/A]

◇◇◇

第二章: 蜜と劇薬

作業場としてあてがわれた蔵の中で、湊は筆先に全神経を集中させていた。

依頼の内容は、小夜の肌に浮き出る微細な「ひび割れ」を、御子柴家に伝わる特殊な漆(うるし)で埋めること。

[A:九条 湊:冷静]「……動かないでくださいね。少し染みますよ」[/A]

[A:小夜:恐怖]「……ん……」[/A]

小夜の関節には、球体関節特有の継ぎ目がある。だが、その隙間から覗くのは木や綿ではなく、生々しい桃色の肉のように見えた。湊は自身の理性が軋む音を聞きながら、朱色の漆を亀裂に流し込む。

[Sensual]

筆先が白い肌を滑るたび、小夜の喉が小さく鳴る。

それは苦痛の呻きにも、甘美な吐息にも聞こえた。

湊の手つきは、美術品を扱う繊細さと、恋人の肌を愛でる執着が混ざり合っていた。彼自身もまた、この背徳的な修復作業に陶酔し始めていたのだ。

[A:九条 湊:愛情]「綺麗だ……。このひび割れさえ、君を構成する美しさの一部だ。でも、僕がもっと完璧にしてあげる」[/A]

[A:小夜:愛情]「……湊、さま。私、きれい?」[/A]

[A:九条 湊:興奮]「ああ、誰よりも。この世のどんな芸術よりも」[/A]

小夜の冷たい手が、湊の汚れた白衣の袖を掴む。彼女は鏡を見ることを禁じられていた。自身の姿を確認できるのは、湊の瞳に映る自分だけだった。

[/Sensual]

[A:小夜:悲しみ]「夜になると……外から、音がするの」[/A]

[A:九条 湊:冷静]「音?」[/A]

筆を止め、湊は顔を上げる。蔵の分厚い壁の向こう、村の暗闇から、ズズッ、ズズズッという音が微かに漏れ聞こえてくる。何かを啜るような、粘着質な音。

[A:小夜:恐怖]「おばあ様たちが……何かを、食べてる音……」[/A]

[A:九条 湊:冷静]「……野犬か何かでしょう。気にすることはありません」[/A]

湊は努めて平静を装ったが、筆を持つ手は微かに震えていた。この村に来てから、妙な耳鳴りが止まない。

漆の壺から漂う、鉄錆と甘い腐臭が混じったような独特の香りが、湊の感覚を麻痺させていく。

[Think](この漆……乾きが異常に早い。それに、この艶めかしい光沢は鉱物顔料では出せない。一体、何を混ぜているんだ?)[/Think]

[A:小夜:愛情]「湊さまの手……冷たくて、気持ちいい」[/A]

小夜が、修復を終えたばかりの頬を湊の手のひらに押し付けた。

その肌は昨日よりも硬く、冷たくなっている気がした。まるで、徐々に本物の人形へと近づいているかのように。

◇◇◇

第三章: 朱色の原料

嵐の夜だった。風が蔵を叩き、古い建具が悲鳴を上げている。

湊は漆の残りが少なくなったことに気づき、ツネに無断で母屋の調合室へと忍び込んだ。

あの異常なほど美しい漆の正体を突き止めたいという、修復師としての業が彼を突き動かしていたのだ。

調合室は、屠畜場のような臭気が充満していた。

棚に並ぶ瓶には、ホルマリン漬けの何か。そして、作業台の上には、煮えたぎる大鍋。

[A:九条 湊:恐怖]「……これは」[/A]

鍋の中身を覗き込んだ湊は、口元を押さえて後ずさる。

煮詰められているのは、脂だ。人間の、脂。

そして壁には、行方不明になったと噂されていた村の若者たちの写真が、遺影のように貼られている。

[A:九条 湊:絶望]「……脂と、血液……?」[/A]

小夜の肌を埋めていた漆。

それは、村人たちを犠牲にして精製された「人の成分」そのものだった。

その時、背後で引き戸が開く音がした。

[A:御子柴 ツネ:狂気]「見てしまったねぇ」[/A]

雷光が閃き、ツネの影が長く伸びる。彼女の後ろには、数人の村人たちが無言で立っていた。彼らの口元は赤く汚れている。

[A:九条 湊:怒り]「あなたたちは……狂っている! 小夜に何を塗らせていたんだ!」[/A]

[A:御子柴 ツネ:冷静]「何を、じゃと? あれは『仕上げ』じゃよ。あの子は人形ではない。ただの娘じゃ」[/A]

[A:九条 湊:驚き]「……は?」[/A]

[A:御子柴 ツネ:狂気]「呪法によって、生きたまま肉を陶器へと変えられておるのさ。お前さんが亀裂を埋めるたびに、あの子の『人間としての呼吸』は封じられ、完全な『物』へと近づく。お前さんは医者ではない。処刑人として招かれたんじゃよ」[/A]

足元の床が抜けるような感覚。

湊が愛し、守ろうとしていた行為そのものが、小夜の命を奪い、魂を石化させる儀式だったのだ。

[A:九条 湊:絶望]「僕が……あの子を、殺している……?」[/A]

[Shout]逃げろ!![/Shout]

脳内で警鐘が鳴り響く。だが、足が動かない。

村人たちが、じりじりと包囲網を縮めてくる。その手には縄が握られていた。

◇◇◇

第四章: 二者択一の地獄

蔵の梁に縛り付けられた湊の視界は、殴打の痛みで明滅していた。

目の前には、儀式の最終段階を待つ小夜が座らされている。

彼女の左半身は、すでに完全に硬質な陶器と化していた。美しいが、生命の温かみはもうない。

[A:小夜:悲しみ]「湊……さま……」[/A]

残された右目から、一筋の涙が流れる。だが、それも頬の途中で結晶化し、宝石のように固まって落ちた。

[A:御子柴 ツネ:狂気]「さあ、先生。最後の仕上げじゃ。その筆で、あの子の心臓の上にある『最後の亀裂』を埋めなさい。それで小夜は、永遠に朽ちぬ村の神となる」[/A]

ツネが無理やり湊の右手に筆を握らせる。筆先には、あの呪われた漆がたっぷりと含まれていた。

[A:九条 湊:恐怖]「嫌だ……! そんなこと、できるわけがない!」[/A]

[A:小夜:悲しみ]「……いいの、湊さま」[/A]

小夜の声は、もう人間の聴覚で捉えられるギリギリの周波数まで細くなっていた。

[A:小夜:愛情]「痛いの。……息をするのも、瞬きをするのも、痛くてたまらない。……私を直して。完全に、物にしてください。そうすれば、もう痛くないから」[/A]

[Think](彼女を救うとは、どういうことだ?)[/Think]

湊の手が激しく震える。

このまま漆を塗れば、彼女は痛みから解放され、永遠の美を手に入れる。だが、それは死だ。

塗らなければ、彼女は半ば陶器、半ば人間のまま、腐敗と激痛に苦しみながら朽ちていく。

究極の二者択一。

美への執着か、醜い生への渇望か。

[A:九条 湊:絶望]「小夜……僕は、君を……」[/A]

[A:御子柴 ツネ:興奮]「やれ! それが芸術家の本能だろう! 永遠を残せ!」[/A]

村人たちの視線が突き刺さる。小夜の懇願する瞳。

湊はゆっくりと筆を持ち上げた。

そして、その切っ先を小夜の胸元へ──

[Think](壊れたものは、直せばいい。……いいや、違う)[/Think]

湊の瞳の奥で、理性の糸がプツリと切れる音がした。

[A:九条 湊:狂気]「……永遠なんて、クソ喰らえだ」[/A]

バキリッ!!

湊は、自らの命である筆を、膝でへし折った。

◇◇◇

第五章: 朽ちていく時間

折れた筆が床に転がる乾いた音が、静寂を切り裂いた。

[A:御子柴 ツネ:怒り]「貴様ァ!! 何をしたか分かっておるのか!!」[/A]

[A:九条 湊:怒り]「ああ、分かっている。……終わらせるんだよ、こんな悪趣味な人形遊びは!」[/A]

湊は縛られたままの体ごと体当たりし、行灯を蹴り倒した。

中の油がこぼれ出し、枯れた畳に火が燃え移る。炎は瞬く間に金屏風を舐め、古い蔵を紅蓮に染め上げた。

「火事だ! 水を持ってこい!」「神様が燃えるぞ!」

混乱する村人たちを押しのけ、湊は燃え盛る梁の下をくぐり、小夜の元へ駆け寄った。縄が焼け切れ、皮膚が焦げる匂いが鼻をつくが、痛みなど感じない。

[A:九条 湊:興奮]「小夜!!」[/A]

[A:小夜:驚き]「湊さま……どうして……私は、きれいになりたいのに……」[/A]

[A:九条 湊:怒り]「綺麗になんてなるな! 生きろ! 醜くても、腐っても、血を流して生きろ!!」[/A]

[Shout]うおおおおおおおッ!![/Shout]

湊は近くにあった鉄の燭台を掴むと、小夜の陶器化した左半身を力任せに叩き割った。

ガシャアァァッ!

美しい白磁が砕け散る。

[A:小夜:恐怖]「きゃああああああっ!!」[/A]

砕けた陶器の下から現れたのは、爛れた皮膚と、鮮血を噴き出す生身の肉体だった。

そのおぞましい光景に、湊は歓喜の笑みを浮かべる。

[A:九条 湊:愛情]「あは……ははっ、血だ……! 温かい、君の血だ!」[/A]

[Sensual]

湊は血まみれの小夜を抱きしめた。

燃え落ちる天井。崩落する柱。

落下してきた巨大な梁が、湊の背中を直撃する。

骨が砕ける音。利き手である右手が、炎の中で炭化していく感覚。

それでも彼は、腕の中の温もりだけは離さなかった。

[/Sensual]

[A:御子柴 ツネ:絶望]「ああ……あああ……私の、永遠が……」[/A]

ツネの絶叫が、轟音にかき消されていく。

◇◇◇

都会の片隅、古いアパートの一室。

窓辺には、車椅子に座る少女の姿があった。

半身に酷い火傷の痕と、継ぎ接ぎだらけの手術痕。かつての白磁のような美貌は失われ、見るも無残な姿形をしている。

だが、その頬には血色が宿り、不規則だが確かな呼吸を繰り返していた。

[A:九条 湊:愛情]「……今日は、風が気持ちいいですね」[/A]

隣に立つ湊は、右手の指をすべて失っていた。もう二度と、絵筆を握ることはできない。

彼は不自由な左手でカップを持ち、不味そうにコーヒーを啜る。

[A:小夜:愛情]「……ええ。湊、さん」[/A]

小夜が、震える手で湊の袖を引く。

そこには、かつての「美しさ」も「永遠」もない。

あるのは、老い、痛み、そしていつか必ず訪れる死への恐怖だけだ。

[A:九条 湊:愛情]「どうしました?」[/A]

[A:小夜:喜び]「お腹、すいた」[/A]

湊はふっと笑い、眼鏡の位置を直した。

[A:九条 湊:愛情]「そうですか。……じゃあ、何か作りましょう。僕たちは、生きていますからね」[/A]

二人は寄り添う。

永遠を失った代わりに手に入れた、確実に朽ちていく、愛おしい時間を噛み締めながら。

クライマックスの情景

【美という名の呪い】

本作において「永遠の美」は、生命の停滞と死のメタファーとして描かれています。小夜が完全に人形になることは、苦痛からの解放であると同時に、人間性の喪失を意味します。御子柴ツネはその象徴であり、変化を拒絶する狂気そのものです。

【不完全さへの賛歌】

九条湊が最後に選んだのは、傷つき、老い、やがて死ぬ「生の醜さ」でした。ラストシーンで描かれる火傷跡や不自由な身体は、彼らが「永遠」という呪縛から逃れ、人間としての時間を獲得した証左(トロフィー)なのです。コーヒーの苦味や空腹感といった些細な感覚が、逆説的に生の幸福を強調しています。

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