第一章: 処刑台の求婚
煮えたぎる熱狂、そして悪意。王都中央広場は今、巨大な釜と化していた。
石畳を埋め尽くす民衆の視線、その全てが処刑台の一点に突き刺さる。
縛り付けられているのは、かつて聖女候補と謳われた少女。
煤と埃にまみれ、艶を失った銀髪。引き裂かれた絹のドレスから覗く、痛々しいほどにやせ細った肢体。虚ろな瞳――光が当たればアメジストのごとく輝くはずの紫紺の双眸は、いまや死んだ魚のように濁り、足元の薪の山をただぼんやりと映していた。
[A:オスカー・ルミナス:怒り]「聞け! この女、リリス・クロウリーこそが、聖女の仮面を被り国を蝕んだ魔女である!」[/A]
太陽の如き金髪、純白の軍服。第一王子オスカー・ルミナスが高らかに宣言する。その碧眼に宿るは、一点の曇りもない「正義」。
[A:オスカー・ルミナス:冷静]「よって、王家との婚約を破棄し、浄化の炎をもってその罪をあがなわせるものとする!」[/A]
罵声。飛来する石礫。
リリスの頬を赤い筋が走る。痛みなどない。心はとうの昔に凍てついていた。
[Think]ああ、やっと終わる。この汚れた身体も、誰にも愛されなかった記憶も、全部灰になる。[/Think]
右腕に刻まれた、指先から肩へと這う黒い茨の紋様。
生まれつきの呪い。誰もが忌み嫌い、唾を吐きかけた醜悪な刻印。
松明が放たれる。
赤い舌が薪を舐め、熱波が肌を焦がす。黒煙が視界を塗り潰す。
咳き込むことさえ忘れ、彼女は静かに瞼を閉じた。
[Shout]ドオォォォンッ!![/Shout]
轟音。処刑台を包んでいた炎が、巨大な爪に切り裂かれたかのように四散する。
爆風が広場を薙ぎ払い、悲鳴が上がった。
黒煙の渦中、ゆらりと現れた一人の男。
濡れたカラスの羽のような黒髪。爬虫類を思わせる、縦に割れた金色の瞳。
軍服を崩した黒衣を纏い、その足元では燃え盛っていた炎が、黒い氷へと変貌していた。
[A:オスカー・ルミナス:驚き]「き、貴様は……『人喰い辺境伯』ギルバート・フォン・アビス!? 何故、国一番の嫌われ者がここに!」[/A]
ギルバートは王子の叫びなど羽虫の羽音ほどにも気に留めず、燃え残った処刑台へと歩を進める。
圧倒的な威圧感。衛兵たちは槍を取り落とし、震え上がって道を開けた。
指先ひとつ触れず、闇の魔力でリリスの拘束を切断する。
崩れ落ちそうになる彼女の体を、長い腕が抱き留めた。
革手袋越しに伝わる冷たい体温。焦げ臭さと、微かな鉄の匂い。
リリスは恐る恐る目を開けた。そこには、至近距離で自分を覗き込む、狂気と愉悦に満ちた黄金の瞳。
[A:リリス・クロウリー:恐怖]「あ……殺しに、来たのですか……?」[/A]
枯れた喉から漏れる、カスカスの声。
ギルバートは口の端を吊り上げ、リリスの頬にこびりついた煤を、革手袋の親指で乱暴に拭う。
[A:ギルバート・フォン・アビス:狂気]「殺す? 誰が? 僕が君を?」[/A]
彼はリリスの右腕、あの醜い呪いの痣を掴み上げると、うっとりとした表情でその黒い茨を見つめた。
[A:ギルバート・フォン・アビス:愛情]「まさか。ずっと探していたんだ。世界中が君を憎み、君自身さえも君を殺したがっているこの瞬間を」[/A]
リリスを抱きかかえたまま、呆然とする王子と民衆を見下ろす。
その瞳は、獲物を見つけた獣のように爛々と輝いていた。
[A:ギルバート・フォン・アビス:興奮]「ああ、なんて美しい絶望だろう。硝子の靴を砕いて、血まみれになった君こそが、僕の求めていた花嫁だ」[/A]
[Shout]「連れて行くぞ、僕の地獄へ!」[/Shout]
世界が闇に塗り潰される。
リリスの意識は、底なしの暗闇へと吸い込まれていった。
◇◇◇
第二章: 茨の城の甘い檻
目覚め。視界を覆う天蓋。
身を起こせば、そこは巨大なベッドの上。肌触りの良い最高級シルクのシーツ。
窓の外、荒れ狂う極北の吹雪。「人喰い辺境伯」の根城、アビス城だ。
リリスは身を縮こまらせる。これから想像を絶する拷問が始まるに違いない。
あの男は、人を喰らう化け物だと言われているのだから。
重厚な扉が開く。
入ってきたのはギルバート。手には湯気の立つ銀の盆。
ベッドの縁に腰掛け、スプーンでスープをすくい、リリスの口元へ。
[A:ギルバート・フォン・アビス:冷静]「口を開けろ。それとも口移しが好みか?」[/A]
[A:リリス・クロウリー:驚き]「え……あの、私、自分で……」[/A]
[A:ギルバート・フォン・アビス:怒り]「命令だ。飲め」[/A]
有無を言わせぬ圧力。震えながら一口、啜る。
……温かい。野菜の甘みが広がり、冷え切った内臓に染み渡る。
それからの日々は、リリスの予想を完全に裏切るものだった。
監禁こそされたが、与えられるのは苦痛ではなく、狂気的なまでの「溺愛」。
[Sensual]
ある夜、暖炉の前。ギルバートはリリスの右腕を露わにさせた。
醜い黒い茨の痣。リリスが何よりも隠したかった恥部。
彼は黒革の手袋を外し、その白く冷たい指先で、呪いの紋様をなぞる。
指が這うたび、リリスの背筋にゾクゾクとした電流が走った。
[A:リリス・クロウリー:照れ]「見ないで……ください……汚い、です……」[/A]
[A:ギルバート・フォン・アビス:愛情]「汚い? これが?」[/A]
彼はリリスの手首を掴み、その内側、脈打つ血管の上に刻まれた茨に、熱い唇を押し当てる。
チュッ、と湿った音が静寂に響く。
舌先で呪いを味わうように、執拗に、ねっとりと愛撫を繰り返す。
[A:ギルバート・フォン・アビス:興奮]「これは至高の芸術だ。君を蝕むこの毒こそが、僕には甘露のように思える」[/A]
沸騰しそうな頬。
嫌悪されているはずの呪いが、彼に触れられると、まるで熱を帯びた花弁のように疼く。
[/Sensual]
毎日贈られる最高級のドレス。運ばれる美味な食事。
凍り付いていた心が、少しずつ、音を立てて溶け始めていた。
けれど同時に、胸の奥底で鎌首をもたげるどす黒い不安。
[Think]どうして? 私には価値なんてない。ただの燃えカスなのに。いつか彼も気づくはず。私が中身のない空っぽの人形だと。[/Think]
鏡に映る自分を見るのが怖い。
幸せになればなるほど、足元の氷が薄くなっていくような恐怖。
「自分は彼に相応しくない」。その自己否定こそが、呪いのようにリリスを締め付けていた。
そんなある日、城の廊下で耳にしたメイドたちの噂話。
「旦那様も物好きよね。あんな呪われた女、さっさと『利用』してしまえばいいのに」
「ええ、あの女の血があれば、旦那様の『呪い』も解けるんでしょう?」
足が止まる。
急速に引いていく血の気。
利用? 呪いを解く?
[Think]……ああ、やっぱり。[/Think]
そういうことだったのだ。
愛されていたわけじゃない。
私はただの、「道具」だったのだ。
◇◇◇
第三章: 硝子の破片と血の真実
報せは疾風のごとく。王都軍、境界突破。
率いるは第一王子オスカー。
城の大広間、冷たい石床にリリスは立ち尽くしていた。
正面の玉座、気怠げに頬杖をつくギルバート。
[A:ギルバート・フォン・アビス:冷静]「オスカー君もお熱心なことだ。わざわざ元婚約者を殺しに来るとは」[/A]
[A:リリス・クロウリー:悲しみ]「……教えてください、ギルバート様。貴方は、私の何が欲しかったのですか?」[/A]
金色の瞳が、すっと細められる。
隠す様子もなく、淡々と告げられた真実。
[A:ギルバート・フォン・アビス:冷静]「君の身体に流れる『世界を滅ぼす毒』だよ。君のその痣は、魔力の暴走の証だ。オスカーが君を捨てたのも、その毒を制御できず、君を殺すことでしか世界を救えないと判断したからだろうね」[/A]
膝が震える。オスカーの断罪は正義感の暴走などではなく、苦渋の決断だったというのか。
[A:ギルバート・フォン・アビス:冷静]「そして僕は、不老不死という永遠の退屈に飽き飽きしている。君の毒だけが、僕という怪物を殺してくれる唯一の希望なんだ」[/A]
世界が反転する。
王子は世界を救うために私を殺そうとし、辺境伯は死ぬために私を飼っていた。
誰一人として、「リリス」という人間を見てはいなかった。
[Think]私は……誰かの死ぬための道具でしかなかったの?[/Think]
涙さえ出ない。漏れるのは乾いた笑いだけ。
心の中で、何かが完全に砕け散った。
それなら、望み通りにしてあげましょう。
私の命で、世界が救われ、貴方が救われるなら。
懐に隠していた護身用の短剣を抜き放つ。迷いなく切っ先を自らの喉元へ。
[A:リリス・クロウリー:絶望]「……さようなら。私の、美しい絶望」[/A]
[A:ギルバート・フォン・アビス:驚き]「リリスッ!!」[/A]
銀閃。
舞う鮮血。
しかし、痛みは走らない。
短剣は喉に届く寸前で静止していた。
ギルバートの素手が、刃を直接握りしめていたからだ。
手のひらからボタボタと滴り落ちる赤。
足元には、脱ぎ捨てられた黒革の手袋。
[A:リリス・クロウリー:驚き]「……どう、して……? 私が死ねば、貴方の望み通り、その毒で……」[/A]
血まみれの手で刃を握ったまま、ギルバートが顔を歪める。
それは初めて見せる、人間らしい「痛み」の表情。
◇◇◇
第四章: 怪物たちの愛の誓い
床に滴る血の音が、広間に大きく響く。
ギルバートは短剣をもぎ取り、遠くへ放り投げた。
血濡れの手でリリスの肩を掴み、激しく揺さぶる。
[A:ギルバート・フォン・アビス:怒り]「ふざけるな! 勝手に終わらせるな!」[/A]
[A:リリス・クロウリー:悲しみ]「だって……私は道具なんでしょう!? 貴方を殺すための、汚れた毒なんでしょう!?」[/A]
[Shout]「そうだ!!」[/Shout]
絶叫。その金色の瞳から、一筋の雫が零れ落ちる。
涙。不老不死の怪物が流す、初めての涙。
[A:ギルバート・フォン・アビス:悲しみ]「最初はそうだった! 道具として拾った! だが……いつの間にか、君がいないと息もできないほど、僕は君に狂ってしまったんだ!」[/A]
崩れ落ちるように跪き、彼女の腰に縋り付く。
血で汚れた手が、リリスの白いドレスを鮮血で染め上げていく。
[A:ギルバート・フォン・アビス:愛情]「死にたいと願っていた永遠が、君といると一瞬に感じる。君の淹れた下手くそな茶も、刺繍の指し傷も、僕を見る怯えた目も、すべてが愛おしい! 不老不死の苦しみなんてどうでもいい、僕はただ、君と生きたいんだ!」[/A]
堰を切ったように溢れ出す涙。
「愛されない汚れた存在」という彼女の呪いが、ギルバートの血と涙によって書き換えられていく。
私は、呪われた怪物じゃない。
この孤独な怪物を、愛で救える唯一の女。
リリスは震える手で、ギルバートの濡れた頬を包み込んだ。
[A:リリス・クロウリー:愛情]「……馬鹿な人。私なんかを選んだら、世界中を敵に回しますよ?」[/A]
ギルバートは頬を擦り寄せ、凶悪な、けれど最高に幸せそうな笑みを浮かべる。
[A:ギルバート・フォン・アビス:狂気]「上等だ。硝子の靴なんていらない。裸足で、血の海の上をワルツと洒落込もう」[/A]
[System]警告:王都軍主力部隊、城門を突破。魔力反応増大。[/System]
轟音と共に吹き飛ぶ城門。
瓦礫の向こうには、数千の兵と、聖剣を構えたオスカー。
二人は立ち上がる。
手を取り合い、地獄の業火へ飛び込むように、戦場へと歩き出した。
◇◇◇
第五章: 硝子の靴を砕いて
城の前庭は、魔法の閃光と怒号で埋め尽くされていた。
オスカーが掲げる聖剣から放たれる、眩い光の奔流。
[A:オスカー・ルミナス:怒り]「退けギルバート! その女は災厄だ! 生かしておけば世界が滅ぶ!」[/A]
[A:ギルバート・フォン・アビス:狂気]「世界ごときが、僕の愛妻に指図するなァ!!」[/A]
展開される闇の防壁。だが、圧倒的な数の暴力に徐々に押し込まれていく。
ギルバートの左目が、敵の魔法の流れ弾を受けて潰れた。顔面を覆う鮮血。それでも彼はリリスを背に庇い、一歩も退かない。
[A:リリス・クロウリー:恐怖]「ギルバート様! もうやめて……!」[/A]
[A:ギルバート・フォン・アビス:愛情]「ぐっ……見るな、リリス! 君は、僕が守る……!」[/A]
ボロボロになりながら戦う彼の背中。
リリスの中で何かが弾けた。
守られるだけじゃない。
私も、彼を守りたい。
この呪われた「毒」を、彼を守るための「力」に変えて。
[Think]私の命、全部あげる。だから、彼を死なせないで![/Think]
右腕の痣を強く握りしめる。
今まで忌み嫌い、封じ込めていた力を、すべて解き放つ。
[A:リリス・クロウリー:絶望]「……《聖魔反転・浄化の煌めき(ラスト・ワルツ)》!!」[/A]
[Magic]カッッッ!!![/Magic]
リリスの体から爆発する紫色の光。
毒ではない。毒を反転させた、純粋な魔力の奔流。
光は波紋のように広がり、王都軍の武器を、鎧を、そして戦意を、砂のように崩れ去らせていく。
オスカーの聖剣さえも、その圧倒的な輝きの前に粉々に砕け散った。
[A:オスカー・ルミナス:絶望]「馬鹿な……これが、彼女の本当の力だというのか……?」[/A]
光が収まった時、戦場に立っている者は誰もいなかった。
兵士たちは気絶し、オスカーは膝をつき、呆然と空を見上げている。
崩れ落ちるリリス。
喉が焼けるように熱い。声が出ない。
代償として、彼女は声を失ったのだ。
「リリス……!」
片目を失ったギルバートが、這うようにして彼女に近づき、抱きしめる。
リリスは微笑み、彼の残された右目に手を添えた。
言葉はもう要らない。
◇◇◇
数ヶ月後。
廃墟となった王都を見下ろす丘の上。寄り添う二人の姿。
かつての美しいドレスも、軍服も捨て、質素だが温かい服を身にまとっている。
ギルバートは眼帯をつけ、リリスはもう二度と歌うことはできない。
けれど、二人の間には、穏やかで壊れることのない空気が流れていた。
ギルバートがリリスの手を取り、恭しく腰を折る。
[A:ギルバート・フォン・アビス:愛情]「踊っていただけますか? 僕の最愛の魔女」[/A]
リリスは音のない笑い声をあげ、彼の手に自分の手を重ねた。
風が吹き抜け、瓦礫の山に名もなき花が揺れる。
二人は静かにステップを踏み始めた。
音楽などない。互いの鼓動だけが、永遠のリズムを刻んでいた。
硝子の靴はもうない。
けれど、二人は確かに、地獄の果てで幸福なワルツを踊り続けていた。
[完]