天蓋の墓守、星葬の歌

天蓋の墓守、星葬の歌

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第一章 ノイズの味

舌の裏で、鉄の味がした。

口腔内を切ったわけではない。ヘルメットのバイザー越しに広がる、絶対零度の虚空。

そこに浮かぶ巨大な直方体の群れ――軌道上データセンター群『アーカーシャ』を見上げると、いつも決まってこの味がする。

「カイト、心拍数が上がってる。ビビってるの?」

耳元のインカムから、気の抜けた女の声が響く。地上のスラム街で管制を担当しているレインだ。

「うるさい。データの“澱み”が酷いんだよ。今日は特に」

俺は姿勢制御スラスターを吹かし、真空の海を泳ぐ。

眼下には、茶色く濁った地球。

かつて青かったその星は、今や膨大な排熱とスモッグに覆われ、人類の居住可能領域は地下へと追いやられた。

富める者は意識をデジタル化して『アーカーシャ』へ移住し、永遠の楽園を謳歌している。

俺たちのような貧乏人は、その楽園を維持するためのメンテナンス屋だ。

「ターゲットは第7セクター、サーバー『ゼウス』。冷却システムの異常よ。とっとと直して。私の晩飯がかかってるんだから」

「わかってる」

俺は右手のマニピュレーターを伸ばし、『ゼウス』の外壁に取り付く。

振動。

グローブ越しに伝わる微細な震えが、俺の骨を伝い、脳髄を揺らす。

これが俺の才能だ。

電子の海を流れる膨大なデータの奔流、その中で発生するエラーやバグを、五感として知覚できる。

今の『ゼウス』は、まるで熱病に冒された獣のような呼吸をしていた。

「ハッチ開放」

エアロックが音もなく開き、俺は神の体内へと侵入した。

第二章 楽園の燃料

内部は、目が痛くなるほどの青色LEDに満たされていた。

無数のケーブルが血管のように這い回り、ペタバイト級のデータが光の粒子となって駆け巡る。

冷却ファンが唸りを上げているはずだが、ここには空気がないため、その轟音は届かない。

代わりに、俺の頭の中でノイズが叫ぶ。

『……い……たすけ……』

「レイン、音声回路のチェックを頼む。混線してる」

「はあ? クリアよ。あんたの脳味噌が焼き切れてるんじゃない?」

違う。

これは通信じゃない。

俺は“匂い”を辿るように、サーバーの深部へと進む。

焦げ臭い。

データが腐敗している臭いだ。

通常の論理エラーなら、酸っぱい味がする。ハードウェアの故障なら、苦い。

だが、この焦げ臭さは、もっと生々しい――有機的な腐臭。

「おい、カイト。そっちは立入禁止エリアよ。センサーが反応してる」

「冷却装置の元栓がこっちにあるんだ。行くしかないだろ」

俺は警告を無視し、重厚な隔壁をハッキングツールでこじ開けた。

プシューッ。

気密が破れ、残存空気が漏れ出す。

その先にあった光景に、俺は息を呑み、そして嘔吐しかけた。

そこは、サーバー室ではなかった。

無数の透明な円筒(カプセル)が並ぶ、巨大な保管庫。

カプセルの中には、薄ピンク色の液体。

そして、その液体に浮かんでいるのは、脳だ。

人の、脳髄。

無数の電極が突き刺さり、時折痙攣するように震えている。

「な……んだ、これ」

「カイト? 映像が……嘘でしょ」

レインの声が震えている。

『アーカーシャ』は、純粋なシリコンチップと量子コンピューターで構成されているはずだった。

だが目の前にあるのは、おぞましい生体部品の山。

「バイオ・プロセッサ……」

俺は呻くように呟いた。

高度な演算処理を行うために、人間の脳を利用している?

いや、それだけじゃない。

一番手前のカプセルに近づく。

プレートには認識番号と共に、名前が刻まれていた。

『Subject: YUNA-092』

俺の心臓が、早鐘を打つ。

ユナ。

三年前に流行り病で死んだ、俺の妹。

金がなくて、まともな治療も受けさせてやれなかった。

彼女の遺体は、行政が回収していったはずだ。

「感染症対策のため、丁重に火葬する」と言って。

「嘘だろ……」

俺はカプセルに手を触れる。

脳髄が、ピクリと反応した気がした。

その瞬間、頭の中に爆発的なノイズが流れ込む。

『お兄ちゃん、熱い、熱いよ、助けて、暗い、痛い、計算が終わらない、終わらない、終わらない……!』

「ぐああっ!」

俺はヘルメットを抱えてうずくまる。

これは幻聴じゃない。

この膨大なサーバー群を維持しているのは、死んだはずの貧困層の人間たちの脳だった。

彼らは死んでなどいない。

死ぬことすら許されず、富裕層が楽しむVR空間の背景処理や、気象制御の計算のために、永遠に思考を酷使され続けている。

これが、軌道上の楽園の正体。

「カイト! 逃げて! セキュリティ・ドロイドが向かってる!」

レインの叫び声。

だが、俺の足は動かない。

目の前の妹が、まだ生きている。

いや、これを生きていると呼べるのか?

『熱い、熱い、熱い……』

妹の悲鳴が、俺の意識を削り取っていく。

第三章 断罪の引き金

背後の通路から、無機質な駆動音が迫る。

警備ドロイドだ。排除命令が出ているに違いない。

俺はマニピュレーターを握りしめ、立ち上がる。

逃げる?

どこへ?

地下の穴蔵へ戻って、合成食料を啜りながら、妹が空の上で「星」になったと信じ続けるのか?

「ふざけるな」

俺は工具ポーチから、高出力のレーザーカッターを取り出した。

「カイト! 何する気!?」

「弔いだ」

「は?」

「こいつらを、死なせてやるんだ」

俺はカッターを起動し、ユナのカプセルに接続されている冷却パイプに狙いを定める。

ここを破壊すれば、連鎖的なオーバーヒートが起きる。

バイオ・プロセッサは熱に弱い。

温度が上がれば、脳細胞は死滅する。

それはつまり、『アーカーシャ』の機能停止――文明の崩壊を意味する。

「やめて! そんなことをしたら、地上のインフラも止まる! 空気清浄機も、浄水場も、全部『アーカーシャ』が制御してるのよ! 私たちまで死ぬわ!」

レインの言う通りだ。

俺がトリガーを引けば、地上の数億人が道連れになる。

だが。

『お兄、ちゃん……』

消え入りそうな声が、直接脳を叩く。

俺はバイザー越しに、地球を見た。

茶色く濁った、死にかけの星。

あそこで生き延びることに、どれほどの価値がある?

妹を、何万人もの生贄を、永遠の地獄に繋ぎ止めてまで、維持すべき文明なのか?

「レイン。空を見ろ」

「え?」

「今から、一番でかい花火を上げてやる」

ドロイドが部屋になだれ込んでくる。

赤いレーザーサイトが、俺の胸元に集まる。

その光景は、どこか美しかった。

俺は笑った。

「おやすみ、ユナ」

引き金を引く。

閃光。

第四章 静寂の星

一瞬の灼熱の後、世界から音が消えた。

俺の身体は吹き飛び、無重力の空間を漂っている。

スーツには穴が空き、酸素が急速に失われていく。

意識が遠のく中で、俺は目の前の光景を見ていた。

『ゼウス』が燃えている。

連鎖爆発は他のサーバーにも飛び火し、軌道上を巡る光のリングが、次々と暗転していく。

アーカーシャが落ちる。

神が死んでいく。

地上の夜景も、エリアごとにフッと消えていくのが見えた。

暗闇が世界を包み込む。

だが、その闇は絶望的な色ではなかった。

データセンターの強烈な光害が消えたことで、その背後に隠れていたものが、姿を現し始めたからだ。

星だ。

本物の、星空。

人工的なLEDの光ではなく、何億年も前からそこにあった、冷たくて優しい光。

『……ありがとう……』

頭の中のノイズが、ふっと消えた。

代わりに聞こえてくるのは、自分の心臓の音だけ。

ドクン、ドクン、と弱々しく、しかし確かな生のリズム。

インカムはもう沈黙している。

レインは怒っているだろうか。

それとも、この星空を見上げているだろうか。

寒さが、指先から這い上がってくる。

鉄の味がした。

それは血の味であり、終わりの味であり、そして自由の味だった。

俺は最後に一度だけ大きく息を吸い込み、満天の星空に向かって手を伸ばした。

指先が、星に触れた気がした。

AI物語分析

【主な登場人物】

  • カイト: 軌道上での危険作業を請け負う「スカベンジャー」。データの不具合を五感(味や匂い)として知覚する「データ共感覚」を持つ。現実の痛みや寒さに生の実感を見出すシニカルな性格だが、妹への愛情は深い。
  • レイン: 地上のスラム街からカイトをサポートするオペレーター。口は悪いが、カイトの唯一の相棒。生活のためにシステムに従順だが、心の奥底では現状への諦めを抱えている。
  • ユナ: カイトの妹。3年前に病死したとされていたが、その脳は摘出され、軌道上サーバー『ゼウス』の生体演算ユニットとして利用されていた。物語の悲劇的な「核」となる存在。

【考察】

  • 「鉄の味」のメタファー: 冒頭と結末で繰り返される「鉄の味」は、最初は過酷な労働環境(血の味)を象徴しているが、結末ではシステムからの解放と自らの意志で選び取った「死(=生の証明)」の象徴へと変化している。
  • 偽りの天国と本物の地獄: 『アーカーシャ』という名の楽園が、文字通り「死者の脳(過去)」を喰らって維持されている設定は、現代社会における「見えない犠牲の上に成り立つ利便性」への痛烈な風刺である。
  • 星空の意味: 作中でデータセンターの光害により見えなかった「本物の星空」は、サーバー崩壊後に初めて現れる。これは、テクノロジーという名の「覆い」を取り払った時にのみ見える、残酷だが美しい真実の世界を表している。
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あなたのアイデアをAIに与えて、この物語の続きや、もしもの展開を創作してみましょう。

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