第一章 教室の隅のグリッチ
蝉の鳴き声が、脳みそを直接揺らしている。
七月の教室は蒸し風呂だ。エアコンの風は、権力者である教卓付近で死んでいる。僕、九条カケルは、窓際の後ろから二番目という「主人公席」に座りながら、ただひたすらに、世界がバグるのを眺めていた。
「ねえ、九条くん。昨日の『心霊動画』見た?」
視界に、長いポニーテールが飛び込んでくる。相沢ヒマリ。クラス委員長にして、重度のオカルトマニア。
「見てない」
「嘘だ。君、暇そうでしょ」
「失礼だな。僕は忙しいんだよ、世界の彩度調整とかで」
「また電波なことを……。いいから見てよ、旧校舎の幽霊。あれ、絶対本物だから」
彼女が突きつけてきたスマホの画面。ブレブレの映像の中に、白い影が映っている。クラスメイトたちは「キャー怖い」と騒ぐが、僕にはまったく別のものが見えていた。
画素の欠落。
あの白い影は、映像データの破損じゃない。現実そのもののレンダリングエラーだ。
ふと、ヒマリの肩越しに視線をやる。黒板の前で数学を教えている教師、田中。
田中の背中から、紫色のノイズが噴き出している。
『……殺す……殺す……』
低い羽音のような幻聴。教室の誰も気づかない。田中先生のストレスが限界突破して、奴らにとっての「極上の餌場」になっている合図だ。
「おい、九条。聞いてる?」
「聞いてるよ、幽霊だろ。……相沢、今日の放課後、旧校舎に行くのか?」
「行くに決まってるじゃん! オカルト研究会の名にかけて、正体を暴くの」
「やめとけ」
「なんで?」
「幽霊なんて可愛いもんじゃないからだ」
僕がそう言った瞬間、キーン、と耳鳴りが走った。
黒板に向かっていた田中先生が、チョークを握りしめたまま、ガクガクと奇妙な痙攣を始める。
首が、ありえない角度で後ろに回った。
「あ、ガ、が……」
田中の口から、紫色の液体――いや、液状化した『情報』が溢れ出す。
「先生?」
最前列の女子が声をかけたのと、田中先生の背中が裂けて、中から玉虫色に輝く触手が飛び出したのは同時だった。
悲鳴が上がる。
教室がパニックになる中、僕は溜息をついて机を蹴った。
やっぱりだ。
ここは地球じゃない。あるいは、僕らが知っている地球なんてとっくに終わっている。
奴らは宇宙人なんて呼べる代物じゃない。高次元からこの三次元世界に干渉してくる、悪意ある『編集者』たちだ。
第二章 侵略者は脚本を書く
「きゃああああ!」
ヒマリが腰を抜かす。当然だ。担任の背中から触手が生えて、机を真っ二つに叩き切ったのだから。
「九条くん、あれ、何!?」
「だから言ったろ。幽霊のほうがマシだって」
僕はカバンから一本の万年筆を取り出す。ただの文房具じゃない。僕が独自にチューニングした、この世界のコードに干渉するための『針』だ。
田中先生――だったモノが、ギョロリとした複眼をむき出しにして、ヒマリに狙いを定める。
『……サンプル、確保……』
「させねーよ」
僕は机を飛び越え、ヒマリの前に滑り込む。
「九条くん!?」
「相沢、目をつぶってろ。3秒で終わる」
触手が唸りを上げて振り下ろされる。物理法則を無視した速度。だが、僕の目には『軌道予測線』が赤く表示されている。
右に半歩。
風圧が前髪を散らす。触手が床を砕く。
その隙に、僕は懐に入り込む。化け物の胸部、ノイズが最も激しく渦巻いている『核(コア)』へ、万年筆を突き立てる。
「書き換え(オーバーライト)開始!」
万年筆の先から青白い光が走る。
僕の能力は、奴らの干渉データを逆流させ、バグを引き起こして自壊させること。
『ガ、ガガガガガ!?』
化け物が苦悶の声を上げる。紫色のノイズが、僕の青い光に侵食されていく。
「エラー吐いて消えろ!」
閃光。
ドロドロに溶けた情報は、瞬く間に霧散し、あとには気絶した田中先生だけが残った。
静寂。
クラスメイトたちは、何が起きたのか理解できずに固まっている。僕は乱れた制服を直し、万年筆をしまう。
「……九条くん」
ヒマリが震える声で呼びかける。
「君、何者?」
「ただの『編集者』嫌いだよ」
その時だった。
教室のスピーカーからではなく、頭の中に直接、無機質な声が響いた。
『シナリオ進行に重大なエラーを検出。修正パッチを適用します』
窓の外を見る。
青い空に、亀裂が入っていた。
ガラスが割れるように、空がヒビ割れ、その向こう側から、巨大な『眼』が覗き込んでいる。
一つじゃない。無数の眼が、空を埋め尽くしている。
「嘘……空が……」
「見つかったか」
僕は舌打ちをする。
今までコソコソやってきたが、派手にやりすぎたらしい。
あれは『観客』だ。高次元から、僕たちの悲劇や恐怖を娯楽として消費している連中。
「相沢、走れるか?」
「え、ええ。でも、どこへ?」
「この『学園パニックもの』のステージから降りる。付き合ってもらうぞ、オカルト研究会」
第三章 エンドロールを焼き払え
校舎の外に出ると、世界はさらに壊れていた。
グラウンドのアスファルトは液状化し、空には巨大なカーソルが浮遊している。生徒たちが次々とノイズに飲み込まれ、異形の怪物へと変貌していく。
「地獄絵図……」
ヒマリが金属バットを握りしめる。部室から持ってきたらしい。
「物理攻撃は効かないぞ」
「うるさい! 気合で殴れば当たるの!」
彼女がバットをフルスイングすると、襲いかかってきた下級生(型の怪物)が吹き飛んだ。まじかよ。ヒマリの『認識力』が、物理法則を上書きしているのか。
「九条くん、あいつらの目的は何なの!?」
走りながら彼女が叫ぶ。
「感情の収穫だ。恐怖、絶望、そして『青春の輝き』。奴らにとっちゃ、僕らの人生なんてリアリティ・ショーのコンテンツに過ぎない!」
空の亀裂から、次々と新たな怪物が降ってくる。今度は教師レベルじゃない。軍事兵器のようなフォルムをした、殺戮特化のデザインだ。
『主人公ノ死亡イベントヲ開始シマス』
無機質なアナウンス。
目の前に、高さ3メートルはある重装甲の巨人が着地した。圧倒的な質量。
「詰んだかも」
僕の万年筆じゃ、あの装甲(データ密度)は貫けない。
「諦めんの早い!」
ヒマリが前に出る。
「私が惹きつける。その隙に、九条くんがあいつの急所……えっと、コード? をいじって!」
「無茶だ! 死ぬぞ!」
「死なない! だって私は、この物語のヒロインなんでしょ!?」
彼女はニカっと笑うと、巨人に突っ込んでいった。
「こっちよ、デカブツ!」
バットが巨人の足を打つ。金属音が響くが、傷一つつかない。巨人の腕が振り上げられる。
その瞬間、僕の中で何かが切れた。
僕はずっと、世界のバグを修正しようとしていた。元の平穏な日常に戻そうとしていた。
でも、違う。
元々、この世界自体が『奴らの作った箱庭』なんだ。
なら、やることは修正じゃない。
「破壊だ」
僕は万年筆をへし折る。中のインク――液状化したナノマシンが手に広がる。
僕は空を見上げた。無数の眼、ニヤニヤと僕らを眺める『観客』たち。
「おい、お前ら。面白いか? 人が死ぬのが、そんなに楽しいか?」
僕は地面に手を叩きつける。
世界の裏側にあるソースコードを、視覚化する。
『警告。権限外のアクセスです』
「うるせえ! 俺はこの物語の主人公だ。権限は俺にある!」
脳が焼き切れそうなほどの情報量が流れ込んでくる。痛みで視界が真っ赤になる。でも、見えた。
この空間を維持している、サーバーの座標。
「相沢! 伏せろ!」
巨人の拳がヒマリを押しつぶそうとした瞬間、地面から巨大な『青い槍』が突き出した。
それは、僕が書き換えた校舎のデータだ。
槍は巨人を貫き、そのまま天へと伸びる。
「行けええええええ!」
青い光の奔流が、空の亀裂――『観客席』へと突き刺さる。
『ギャアアアアア!』
空から悲鳴が降ってくる。高次元の存在たちが、逆流した『青春の熱量』に焼かれているのだ。
空が、完全に砕け散った。
第四章 青空の向こう側
ノイズが消えた。
怪物は元の生徒や教師に戻り、校舎の瓦礫も、巻き戻されるように修復されていく。
ただ、空だけが違った。
いつもの青空じゃない。見たこともないほど澄み切った、本当の宇宙が広がっている。
「……終わったの?」
ヒマリがへたり込む。
「ああ。打ち切りにしてやったよ。最低の番組をね」
僕は熱を持った右手を冷やすように振る。
「でも、これからどうなるんだろ。脚本(シナリオ)のない世界なんて」
不安そうに言うヒマリに、僕は手を差し伸べた。
「最高じゃないか。明日何が起こるか、誰にも分からないなんて」
ヒマリは一瞬きょとんとして、それから僕の手を強く握り返した。
「だね。……じゃあ、まずはオカルト研究会の活動再開よ! さっきの『空の目』について調査開始!」
「勘弁してくれ……」
僕らの青春は、まだ始まったばかりだ。
バグだらけの、最高に愛おしい現実の中で。