第一章 マージン・コール(追証)
シャンデリアの光が、磨き抜かれた大理石の床に反射する。
五ツ星ホテルのバンケットホール。そこは、選ばれし富裕層の子弟たちが集う、聖ヘリオス学園の卒業記念パーティー会場だった。
「西園寺麗華(さいおんじ・れいか)! 貴様との婚約は、今この瞬間をもって破棄する!」
マイクを通した絶叫が、優雅な談笑を切り裂いた。
静まり返る会場。
壇上に立つのは、この学園の頂点に君臨する生徒会長であり、国内最大手の不動産コングロマリット『如月グループ』の御曹司、如月海斗(きさらぎ・かいと)。
その隣で、小動物のように震えているのは、特待生の春野マリアだ。
薄汚れたピンクのドレスを身にまとい、潤んだ瞳で周囲の同情を誘っている。
「……聞こえているのか、麗華!」
私は、手元のスマートフォンの画面から目を離さずに答えた。
「ええ、聞こえていましてよ。声量が無駄に大きいですわ、海斗様」
「なんだその態度は! 貴様がマリアにした仕打ちはすべて調べがついているんだ!」
海斗が指を鳴らすと、背後のスクリーンに数枚の写真が投影された。
切り裂かれた教科書。
泥だらけになった上履き。
階段から突き落とされた(と主張している)マリアの包帯姿。
会場からヒソヒソと非難の声が上がる。
「最低ね……」
「西園寺家の恥だわ」
「あんな冷徹な女ならやりかねない」
私は溜息をつき、ようやく顔を上げた。
完璧にセットされた縦ロールの金髪を揺らし、冷ややかな視線を壇上の二人に突き刺す。
「それで? その低俗な嫌がらせを、私が主導したという証拠はおあり?」
「しらばっくれるな! 目撃証言もある! 生徒会の役員たちが皆、お前の横暴を見ていたと言っている!」
海斗の取り巻きたちが、一斉に頷く。
副会長も、書記も、会計も。
彼らは皆、私の実家である『西園寺ファンド』の出資先企業の息子たちだ。
「麗華さん……私、怖かった……」
マリアが海斗の腕にしがみつく。
海斗は彼女を庇うように抱き寄せ、勝ち誇った顔で私を見下ろした。
「このふしだらな悪女め。お前のような性根の腐った女は、如月家の嫁にはふさわしくない。即刻、この会場から立ち去れ!」
断罪イベント。
前世で読んだウェブ小説の通りだ。
本来なら、ここで私は泣き崩れ、無実を訴え、誰にも信じてもらえずに破滅する。
けれど。
「……ふふ」
漏れ出たのは、嗚咽ではなく失笑だった。
「な、何がおかしい!」
「いえ。タイミングがあまりにも完璧でしたので」
私はスマホの画面をタップした。
時刻は、21時30分。
ニューヨーク市場のプレマーケットが活発に動き出す時間だ。
「海斗様。貴方、ご自身のお父上の会社の株価、最近チェックされておりまして?」
「は? 今はそんな話をしている場合じゃ……」
「ここ数ヶ月、如月グループは強引な地上げと粉飾決算の噂で持ちきりでしたわね。私が忠告した時、貴方は『女が口を出すな』と仰いましたけれど」
私はグラスに残ったシャンパンを飲み干し、優雅に微笑んだ。
「私、待っていたんですの。貴方が公衆の面前で、私との『契約』を破棄するこの瞬間を」
「……何を言っている?」
「西園寺家と如月家の提携は、株価の安定装置(スタビライザー)でした。その婚約が破棄された今、市場はどう反応するかしら?」
私の言葉が終わるか終わらないかのうちに、会場内のあちこちで電子音が鳴り響き始めた。
投資家や経営者である保護者たちのスマートフォンだ。
『おい、如月建設がストップ安だぞ!』
『SEC(証券取引等監視委員会)が動いたらしい!』
『西園寺ファンドが、如月グループの持ち株を全て放出した!?』
怒号が飛び交う。
海斗の顔色が、みるみるうちに青ざめていく。
「な、なんだ……何が起きている……」
「空売り(ショート)ですわ、海斗様」
私はコツコツとヒールを鳴らし、壇上に近づいた。
第二章 デュー・デリジェンス(資産査定)
「か、空売りだと……?」
海斗が後ずさる。
私は壇上のマイクを奪い取ると、会場全体に向けて凜とした声を響かせた。
「皆様、ごきげんよう。西園寺麗華です。ただいまより、簡単なプレゼンテーションを行わせていただきます」
スクリーンをハッキングし、私のスマホ画面をミラーリングする。
映し出されたのは、マリアへのいじめ証拠写真……の、メタデータだった。
「この教科書が切り裂かれた写真。撮影日時は3ヶ月前の午後2時。この時間、私は生徒会室で決算報告書を作成しておりました。アリバイは、そこにいる書記の田中様がご存じのはず」
名指しされた書記の田中が、ビクリと震える。
「そ、そんなの覚えてない!」
「あら、そうですか? では、こちらの音声データをお聞きください」
再生ボタンを押す。
『あーあ、面倒くせえ。麗華のやつ、真面目すぎてウザいんだよな』
『じゃあ、この教科書ビリビリにして、あいつのせいにしちゃおうぜ』
『マリアちゃん、泣く演技よろしくね~』
『任せて! 私、女優志望だもん!』
会場が凍りつく。
田中とマリアの声だ。
「このデータは、生徒会室に設置されたAI防犯カメラのサーバーから抽出したものです。削除されたようですが、ログは残っておりましてよ」
マリアが「うそ……」と呟き、座り込む。
だが、私の本当のターゲットは彼女ではない。
「さて、ここからが本題です。海斗様、そして生徒会の皆様」
スライドを切り替える。
そこには、複雑な資金の流れを示すフローチャートが表示された。
「貴方たちがマリアさんに貢いでいたブランド品、旅行費、そして彼女の父親の借金返済……すべて、『生徒会運営費』から横領されたものですわね?」
「で、デタラメだ!」
海斗が叫ぶが、声は裏返っている。
「裏帳簿はすべて押さえました。総額、1億5千万円。これだけの穴を埋めるために、如月グループの子会社を使って架空発注を繰り返していたことも」
会場の保護者たちが、血相を変えて海斗たちを睨みつける。
「馬鹿な……如月の息子が横領だと?」
「ウチの出資金も抜かれていたのか!?」
「そして」
私は海斗の目の前に立ち、優しく彼の手を取った。
その手は冷たく、脂汗で濡れている。
「貴方が私を裏切り、婚約破棄を宣言したことで、西園寺家は如月グループへの支援を打ち切る正当な理由を得ました。同時に、私が個人資産で仕込んでおいた『空売り』が、今、莫大な利益を生み出しています」
スマホの画面を見せる。
含み益の数字が、秒単位で跳ね上がっていく。
「貴方の愛の言葉(婚約破棄)は、私にとって最高のインサイダー情報でしたわ」
第三章 ホスタイル・テイクオーバー(敵対的買収)
「ふざけるな……! そんなことが許されると思っているのか!」
海斗が私に掴みかかろうとする。
しかし、すぐにSPたちが彼を取り押さえた。
「離せ! 俺は如月グループの次期総帥だぞ!」
「いいえ、違います」
私は冷淡に告げた。
「たった今、如月グループの筆頭株主が変わりました」
「は……?」
「暴落した株を、底値で買い戻させていただきましたの。議決権の51%は、私が握りました」
つまり。
「貴方のお父様も、貴方も、もう経営権はありません。如月グループは、本日をもって解体。優良な事業部門だけを西園寺ファンドが吸収合併(M&A)いたします」
海斗が膝から崩れ落ちる。
マリアは青ざめた顔で、私と海斗を交互に見ている。
「うそ……海斗くん、お金持ちじゃないの……?」
「ええ、そうよマリアさん。彼は今日から、多額の損害賠償請求を背負った無職の男性です」
私はマリアに向き直った。
「貴女には、横領の共犯として法的責任を取っていただきます。未成年とはいえ、金額が金額ですもの。少年院でしっかりと反省なさい」
「や、やだ! 私は知らなかったの! 海斗くんが勝手にやったことで……!」
マリアが海斗を突き飛ばし、逃げようとする。
だが、会場の出口はすでに警察官たちによって封鎖されていた。
「連れてお行きなさい」
私の合図で、警官たちがなだれ込んでくる。
手錠をかけられ、泣き叫ぶマリア。
呆然自失の海斗。
そして、パニックに陥りながら電話をかけまくる生徒会の役員たち。
かつて私を嘲笑っていた者たちが、地獄の底へと落ちていく。
その光景は、どんな宝石よりも美しかった。
第四章 エグジット(出口戦略)
騒動から一週間後。
私は学園の中庭で、タブレットを操作していた。
「西園寺様、新しい生徒会の役員人事案です」
秘書が書類を持ってくる。
私はそれに目を通さずにサインをした。
「能力さえあれば家柄は問いません。効率的に運営できる人材を登用なさい」
「かしこまりました。……しかし、よろしかったのですか? 如月様のこと」
秘書が遠慮がちに尋ねる。
「彼、西園寺様のことが本当に好きだったようですが……マリアに唆されて、おかしくなっていただけで」
「あら、情に流されるのはビジネスの邪魔よ」
私は紅茶を一口飲んだ。
確かに、海斗からの手紙は届いていた。
留置所からの、涙で滲んだ謝罪の手紙が。
『本当は愛していた』『利用されていただけだ』と。
けれど、そんなものは「ノイズ」でしかない。
「彼は『優良物件』ではありませんでした。リスク管理もできず、甘い言葉に騙され、資産を毀損した。経営者としても、パートナーとしても失格です」
私は空を見上げた。
雲ひとつない青空。
今回の騒動で、私の個人資産は3倍に膨れ上がった。
学園の実権も掌握し、邪魔な虫も排除できた。
「愛なんて不確実なものに投資するより、数字のほうがよっぽど誠実だわ」
私は微笑む。
孤独? いいえ。
頂上からの景色は、いつだって独り占めするものよ。
スマホが震える。
新しい市場が開く合図だ。
さあ、次はどの会社を買収して差し上げようかしら。