23時のノストラダムスと、光るアンテナ

23時のノストラダムスと、光るアンテナ

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第一章 1999年の着信

「ねえ、ケンジ。世界が終わるって本当かな」

その声が聞こえた気がして、俺は指を止めた。

都心のタワーマンション、四十五階。

遮音ガラスの向こうには、東京の夜景が無機質に広がっている。

手元の最新型タブレットには、俺が開発したメタバース・プラットフォームの株価チャートが表示されていた。

右肩上がり。完璧だ。

それなのに、胸の奥には鉛のような重みがある。

「……疲れてるな」

ワイングラスを置き、リビングの隅にある段ボール箱に目をやる。

実家を取り壊した際に送られてきた、「捨てられないゴミ」の山。

ふと、プラスチックの箱から、透き通った青色が覗いているのに気づいた。

引っ張り出す。

スケルトンブルーのPHS。

ウィルコム、いや、当時はDDIポケットだったか。

かつて俺が肌身離さず持っていた、世界への唯一の接続端子。

「懐かしいな。アンテナ、光るやつに変えたんだっけ」

埃を指で拭う。

電源なんて入るわけがない。

サービスだって十年以上前に終了している。

ただのプラスチックの塊。

そう思ってテーブルに戻そうとした、その時だった。

――ピピピ、ピピピ。

電子音が鳴った。

俺は息を呑んだ。

空耳じゃない。

手の中で、化石のような端末が震えている。

液晶画面には、オレンジ色のバックライトが灯った。

表示されている文字は、ドットの粗いカタカナ。

『着信:リナ』

リナ。

二十五年前、俺が全てをかけて愛し、そして何も言わずに消えた女。

「……嘘だろ」

震える親指で、通話ボタンを押す。

ザザッ、というノイズ。

そして、あの頃と変わらない、少し鼻にかかった声。

『もしもし? ケンジ? やっと出た。チョー待ったんですけど』

「リナ……? お前、どこに」

『どこって、ハチ公前。もうすぐ2000年になっちゃうよ? 約束したじゃん、一緒に世界滅亡見るって』

視界が歪む。

タワーマンションの壁が、ドロドロに溶け出した。

『早く来てよ。ノストラダムス、待ちくたびれてる』

強烈な浮遊感。

俺の意識は、光ファイバーの網を逆流するように吸い込まれていった。

第二章 センター街の電脳天使

「――おい、邪魔だぞ!」

肩を強くぶつかられ、俺はよろめいた。

鼻をつく排気ガスの臭い。

けたたましいクラクション。

そして、街中に溢れるJ-POPの重低音。

目を開ける。

そこは、薄汚れていて、最高に騒がしい渋谷だった。

「109……のロゴが、古い」

俺は自分の服装を見下ろす。

高級なラウンジウェアが、ダボダボのカーゴパンツと色褪せたパーカーに変わっている。

足元はエアマックス95。

ポケットを探る。

あのスケルトンのPHSがあった。

時刻は1999年12月31日、23時45分。

「ケンジ!」

人波をかき分けて、厚底ブーツの音が近づいてくる。

金髪に、強めのアイメイク。

制服のスカートは極端に短く、首には何重にも巻かれたハイビスカスのレイ。

リナだ。

記憶の中よりもずっと鮮やかで、そして圧倒的に「生きて」いる。

「マジで遅刻。MK5(マジでキレる5秒前)だったんだから」

リナは俺の腕に絡みつくと、甘い香水の匂いを漂わせた。

「ごめん……電車が」

「嘘ばっか。どうせBBSに入り浸ってたんでしょ?」

彼女の指先が、俺の頬をつつく。

その体温に、涙が出そうになった。

高解像度のVRでも、脳直結のインターフェースでも再現できない。

これは、本物の体温だ。

「ねえ、リナ。俺、ずっと後悔してたんだ」

喧騒の中、俺は呟いた。

「あの日、お前が消えてから……俺はずっと画面の中だけを見て生きてきた。成功もしたし、金も手に入れた。でも、ここにあるみたいな熱だけは、どこにもなかった」

リナはキョトンとして、それからケラケラと笑った。

「何それ、ポエム? 超ウケるんだけど」

彼女は俺の手を引いて歩き出す。

「行こう。あと十分で2000年問題だよ。誤作動でミサイルが飛んでくるかも知れないし、銀行の預金がゼロになるかも知れない」

「……何も起きないよ。ただカレンダーが変わるだけだ」

未来を知っている俺は、冷静に告げる。

だが、リナは足を止めた。

センター街の雑踏の真ん中で、彼女は真剣な眼差しを俺に向けた。

「ううん。終わるよ」

「え?」

「この空気。この、なんでもありで、無茶苦茶で、明日なんてどうでもよかった時代は、今日で終わるの」

リナの瞳の奥で、微かに青い光が明滅した。

それはコンタクトレンズの反射ではない。

まるで、処理落ちしたピクセルのように。

「ケンジ。私ね、実は『2000年問題』そのものなの」

第三章 0時のリセットボタン

スクランブル交差点。

カウントダウンを待つ群衆で溢れかえっている。

大型ビジョンには「あと3分」の文字。

「どういうことだよ、リナ」

「私、この時代の『不安』と『期待』が混ざって生まれたバグみたいなもん。だから、日付が変わってシステムが修正されたら、私は消えちゃうの」

彼女はPHSを取り出した。

アンテナが、激しく点滅している。

「ケンジ、あんたは未来から来たんでしょ? 修正パッチ、持ってるよね」

俺は息を呑んだ。

技術者としての直感が告げている。

彼女は比喩で話しているんじゃない。

俺の知識、現代のアルゴリズムを使えば、彼女という「バグ」を定義し直し、2000年以降の世界に存続させるコードが書けるかもしれない。

「……できる。俺の端末を使えば」

俺はリナのPHSを受け取ろうとした。

だが、彼女はその手を引っ込めた。

「だめ」

「なんでだよ! 消えたくないんだろ!?」

「消えたくないよ。もっとプリクラ撮りたいし、カラオケ行きたいし、ケンジとだらだら電話したい」

リナは泣いていた。

黒いマスカラが涙で滲み、頬を汚している。

「でもね、バグは直さなきゃ。不完全だからこそ、私たちは必死に繋がろうとしたんでしょ? 不便だから、会いたくて走ったんでしょ?」

ビジョンが「10」を表示する。

「あんたの住む未来は、すごく便利で、綺麗なんでしょ? そこに私の居場所はないよ」

「9、8、7……」

群衆の声がうねりとなって響く。

「リナ!」

「忘れないでね、ケンジ。画面の向こうじゃなくて、私の体温を」

「3、2、1……」

「Happy New Year!」

歓声が爆発した。

その瞬間、リナが俺の唇を塞いだ。

唇の感触。

甘い香水の匂い。

そして、強烈な静電気のような衝撃。

世界がホワイトアウトする。

109のビルも、センター街も、リナの笑顔も。

すべてが白い光の中に溶けていった。

***

「……客様、お客様」

CAの声で目が覚めた。

俺は、ファーストクラスのシートに沈んでいた。

手には、最新のスマートフォン。

「……夢、か」

虚無感が胸を襲う。

やはり、あの日々は戻らない。

ふと、スマホの画面を見る。

日付は2024年。

何も変わっていない。

だが。

俺はスマホの充電ポートに、奇妙なものが刺さっているのに気づいた。

それは、編み込みのミサンガ。

色褪せた極彩色の糸の先に、小さなプラスチックの飾りがついている。

『ハイビスカス』のチャーム。

「……馬鹿野郎」

俺はミサンガを握りしめた。

指先に、微かな、しかし確かな熱を感じた。

窓の外、眼下に広がる東京の夜景は、あの頃よりもずっと明るく、そして冷たい。

けれど、俺の手の中には、あの日失くしたはずの「バグ」が、確かに残っていた。

(終わり)

AI物語分析

【主な登場人物】

  • ケンジ (35): 現代のIT長者。効率と接続性を極めた結果、孤独に陥っている。「不便だった頃の熱量」を無意識に求めている。
  • リナ (18?): 1999年の渋谷に生きるギャル。明るく振る舞うが、その正体は人々の「世紀末の不安と期待」が生んだ概念存在(バグ)。

【考察】

  • 「不便さ」の価値: 本作は、通信速度も画質も悪かった時代のほうが、皮肉にも「人と人との距離」が近かったことを示唆している。わざわざ会いに行く、声を聞くといった行為の重みを再定義する。
  • Y2Kという境界線: 1999年から2000年への移行を、単なる日付変更ではなく「アナログ的な身体性の喪失」のメタファーとして描いている。リナが消えることは、世界が「最適化」されてしまったことを意味する。
  • ミサンガの残留: 夢オチで終わらせず、物理的な証拠を残すことで、「過去の熱量は幻ではない」という救いを読者に提示している。
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