深淵に捧ぐ、亡国のラブソング

深淵に捧ぐ、亡国のラブソング

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第一章 焦土に咲く愛の解釈

喉が焼ける。

吸い込んだ空気が、鉄錆と脂の腐った臭いで煮詰まっているからだ。

「東京」だった瓦礫の山は、いまや内臓をぶちまけたような紫色の炎に舐められている。

「委員長! あれを……っ!」

少女の悲鳴にも似た歓声が、熱風を切り裂いた。

彼女の指先、ひび割れた大地の中心に、巨大な窪みが穿たれている。

歪つで、えぐれたような円形。

だが、見る角度によっては、いびつなハート型に見えなくもない。

ズキン、と右目の奥が脈打った。

視界が歪む。

脳髄に直接、黒い泥のような情報が流れ込んでくる。

――邪魔だ。

――羽虫が。潰れろ。

魔王の思考だ。

殺意と苛立ちだけの、純粋な破壊衝動。

数万の命が蒸発した理由は、ただ彼が「鬱陶しかったから」。

嘔吐感がこみ上げる。

胃袋が裏返りそうな恐怖を、私は奥歯を砕けるほど噛み締めて押し殺した。

白手袋の下、爪が掌に深く食い込み、生温かい液体が滲む。

笑え。

口角を上げろ、キサラギ・アリス。

「ええ……見事ですね」

私は声を張り上げた。

喉が裂けて血の味がしても、聖女のように、凛と。

「魔王様は、このエリアの地盤が脆いことを憂いておられたのです。だから一度、更地に戻された。これは破壊ではありません」

瓦礫の上に立ち、両手を広げる。

紫炎に照らされた私の影が、長く伸びた。

「――『更なる発展への、愛ある整地』です!」

おお、と空気が揺れた。

背後に控える『深淵の愛好者たち(アビス・ラバーズ)』のメンバーたちが、涙を流しながらその場に崩れ落ちる。

メモを取る余裕などない。

ある者は無言で合掌し、ある者は痙攣するように体を震わせている。

「ああ、アリス委員長……! あの大虐殺が、これほどの慈悲だったなんて……!」

違う。

慈悲などない。あるのは、人知を超えた怪物による害虫駆除だけだ。

けれど、言えない。

この狂った地獄で、彼らが縋れる「物語」を紡ぐのが、私の役目だから。

私の脳内で、魔王の苛立ちが再びスパークする。

彼らの熱狂が、魔王の何かを逆撫でし、その肉体を醜悪に変質させていく気配を感じる。

「さあ、皆さん! 魔王様の次の『愛の試練』は西地区です。急ぎましょう。舞台を整えるのも、ファンの務めですから!」

返事はない。

ただ、数百人の信徒が一斉に立ち上がり、熱病に浮かされた瞳で西を睨んだ。

ゾッとするような足音が、死に絶えた街に響き渡る。

その狂熱が、空の裂け目をさらに赤黒く広げていることにも気づかずに。

第二章 ノイズ混じりの本音

深夜。崩落しかけた地下鉄の構内。

カビと埃が肺にへばりつく暗闇で、私は一人、錆びついた通信機を耳に押し当てていた。

ザ、ザザ……。

『ギ、ギギ……ガ……』

スピーカーの向こうから、湿った咀嚼音のような、あるいは骨が擦れるような音が漏れる。

言葉ではない。

生理的な嫌悪感を催す、異界のうめき。

鼓膜が破れそうなほどの圧力が、回線を伝って襲いかかる。

「魔王、様……?」

『……ア、ァァ……グ、ジュ……』

背筋に悪寒が走る。

私の「翻訳」が正しければ、彼は苦しんでいる。

恐怖を与えれば、彼は「魔王」という役割(カタチ)を保てる。

だが、私たちが向ける異常な「愛」は――彼を定義不能なナニカへと溶かしているのだ。

『……ォ、ワ、リ……ダ……』

終わり?

いいえ、違う。

私は通信機の冷たい鉄を、熱を帯びた頬になすりつけた。

鉄錆の味が口の中に広がる。

「……変わりたい、のですね?」

私は、震える唇でそう呟いた。

『……ギ、ギ……』

そのおぞましい軋み音を、私は「肯定」だと定義する。

そうじゃなきゃ、おかしい。

私の愛が彼を壊しているなんて、認めるわけにはいかない。

手元の地図を見る。

彼が蹂躙した軌跡。生存者はゼロ。

私の解釈は、間違っていない。

彼は人類を滅ぼしたいのではない。

ただ、今の「器」では、私たちの愛を受け止めきれないだけ。

「大丈夫です、魔王様」

通信機のコードを指に巻き付ける。きつく、血が止まるほどに。

その痛みが、私を正気に繋ぎ止める。

「貴方が望むなら、私が世界を終わらせます。貴方が息をしやすい場所へ、作り変えてみせます」

たとえそれが、私の独りよがりな妄想だとしても。

この身が裂けるほどの愛だけが、今の私に残された真実なのだから。

第三章 進化という名の崩壊

決戦の空は、吐き気を催すほど美しかった。

極彩色の光。

油膜のような虹色が、オーロラのように世界を侵食していく。

「ああ……」

隣で、ファンクラブの幹部が眼球から血を流しながら、恍惚と空を見上げている。

網膜が焼けても、目を逸らせないのだ。

『オ、オオオオオオオオ……ッ!』

大気が悲鳴を上げる。

天に浮かぶ魔王の城郭が、生物のように脈打った。

黒い甲冑が弾け飛び、中から溢れ出したのは、光る肉腫の集合体。

神々しくも、冒涜的。

秩序も論理も捨て去った、純粋なエネルギーの塊。

「アリス委員長! あれは!?」

「見なさい! あれこそが魔王様の真の姿! 私たちの愛が、彼を蛹から解き放ったのです!」

私は絶叫した。

喉仏が張り裂け、口から血飛沫が舞う。

(ごめんなさい。みんな、ごめんなさい)

心臓が早鐘を打つ。

私の脳には、魔王の断末魔にも似た「拒絶」と「変質」の苦しみが流れ込んでいた。

彼は、この星の物理法則では形を保てない。

だから、世界の方を書き換える。

人間など一匹も生きられない、真空と光だけの「新世界」へと。

「祈りなさい! もっと強く! 彼を愛して! その想いだけが、彼を完成させる!」

私の扇動に、世界中から集まった狂気が臨界点を超える。

バキンッ。

世界の殻が、卵のように割れた。

風景が溶ける。

ビルが飴細工のようにぐにゃりと曲がり、隣で微笑んでいた仲間たちが、音もなく光の泡となって弾け飛んだ。

痛みはない。

あまりに圧倒的な質量の「愛」は、神経系ごと存在を蒸発させる。

「ああ、魔王様……」

私はただ、全てが白に塗りつぶされていく中で、彼を見つめていた。

視界が白濁し、意識が光の粒子に溶けていく。

終章 エデンにて、二人きり

目を開けると、そこは無音だった。

空も地面もない。

方向感覚さえ失うような、乳白色の空間。

鉄の臭いも、腐臭もしない。

かつて人類が築いた文明は、塵ひとつ残っていなかった。

「……生きているのは、私だけ?」

自分の体を見下ろす。

衣服は消え失せ、透き通るような皮膚が微かに燐光を放っている。

私もまた、「書き換えられた」のだ。

目の前に、彼がいた。

かつての禍々しい怪物ではない。

輪郭の曖昧な、けれど目が潰れるほどに眩しい、光の集合体。

彼は、音もなく私に近づく。

その手が――あるいは手のような光が、私の頬に触れた。

冷たくて、焦げるほど熱い。

『……』

頭の中に、直接響く波動。

言葉ではない。

けれど、あのノイズ混じりの絶叫とは違う、澄み渡るような静寂。

肯定だ。

あるいは、諦めか。

『お前の「愛」が、古い世界を殺した』

涙が溢れた。

頬を伝う雫が、床に落ちる前に光となって消える。

私は、人類を殺した。

七十億の命を贄にして、私の恋を成就させた。

罪の重さに押し潰されそうになる。

けれど。

「……はい、魔王様」

私は、彼の光に自分の手を重ねた。

もう、迷いはない。

ここには、曲解すべき「悲劇」も、欺くべき「大衆」もいない。

あるのは、神となった彼と、その共犯者である私だけ。

これは救済だ。

少なくとも、私にとっては。

光の中で、彼が微笑んだ気がした。

私たちは、誰もいない、何も聞こえない新世界へ向かって、最初の一歩を踏み出す。

AIによる物語の考察

**登場人物の心理**
キサラギ・アリスは魔王の破壊衝動を「愛」と曲解し、信者を扇動する狂気を抱えます。魔王の苦痛を感知しつつも、自らの歪んだ愛を正当化。世界を滅ぼす罪を犯しながら、彼と二人きりになれたことを「救済」と捉える、究極の自己愛が描かれます。

**伏線の解説**
魔王の破壊跡が「いびつなハート型」に見えるのは、アリスの歪んだ愛と終焉の暗示。信者の熱狂が魔王を「醜悪に変質」させ、苦悶のノイズ「終わりたい、変わりたい」は、彼が「器」を捨て世界を「光の新世界」へ書き換える未来を予兆します。

**テーマ**
個人の狂信的な愛が世界を滅ぼす恐怖を描きます。真実を覆い隠し人々を狂わせる「物語」の危険性、愛と破壊が表裏一体である点を問いかけます。世界破壊という究極の罪が、主人公にとって唯一の「救済」となる、独善的な愛の終着点が鮮烈に示される物語です。
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